内向の世代の「内向」についてのメモ

先日Twitter内向の世代について「小田切秀雄が言った「内向」とは政治参加の対義語としてのそれなので、雑誌社や団地の人間関係について書いていた後藤は、その意味で「内向」とされるわけです」などと書いたんだけれど、去年ぐらいに私信として内向の世代について書いたことがあったのを思い出したので、もうちょっと丁寧に文脈を把握できるように、文献情報を追加してここに載せておきます。以下は内向の世代初出だと思われる記事。クリックした先でオリジナルサイズを表示で読めるはず。

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いちおう、内向の世代というと、昭和一桁あたりに生まれて、1960年代後半ごろに出てきた人たち、というのが大枠になるかと思います。小田切秀雄の列挙したのは「古井由吉後藤明生黒井千次阿部昭、柏原兵三、小川国夫その他、批評家では川村二郎、秋山駿、入江隆則饗庭孝男、森川達也、柄谷行人その他」*2です。で、川西政明は雑誌「文藝」の事情として、高橋和巳三島由紀夫の死によって、文藝の四本柱のうち二本が欠け(残りは吉本隆明埴谷雄高)ることを危惧した編集長が誌面の刷新を行うに当って、阿部昭黒井千次後藤明生坂上弘古井由吉で70年に行われた座談会のメンバーを中心にした、と書いています*3。じっさい、内向の世代のこの時期の作品はけっこう河出書房新社から出てます(後藤は文藝にはあまり書いてないのに河出からよく出ている)し、新鋭作家叢書も内向の世代が多い。

座談会は秋山駿を加えたのも含めて四回行われていて、おおよそこのメンツが内向の世代の代表的作家と言って良いと思います。黒井千次自身も、文芸文庫の内向の世代アンソロジーでこの座談に言及していて、帯にも伝説の座談、と書かれています。76年7月の早稲田文学では、このメンツプラス高井有一内向の世代を振り返る座談会をやっているのが面白いです。雑誌「文体」の編集委員古井由吉後藤明生坂上弘高井有一ですから。

文藝の最初の座談会は、70年3月、内向の世代という言葉が出る(71年)前で、ここで集められた人達は、第三の新人のあと、石原、開高、大江といった文学的主張があった人達に比べて、それがあまりない、という紹介から始まっていて、後藤は社会的契機と個的な契機のつながりが曖昧に見える、というのが私たちの特徴ではないか、ということを言ってるんですね。それで、最近やめた後藤以外はみな勤め人だという話もされていて、自分たちの文学世代としてのあり方、が議題になっています。「現代作家の条件」というのが座談のタイトルです。新進の作家のそうした傾向がこの時点ですでに編集にも作家側にも共有されていたわけで、小田切はこれにキャッチーなフレーズをあてはめた面があります。

内向の世代というのを言い出した小田切秀雄の主張は、脱イデオロギーの「デガージュマンの内向の文学」*4、というもので、満州事変から四〇年という年に、満州事変以来転向と脱イデオロギーが進んだことを重ね合わせて問題としています。まあつまりはそうした情勢が戦前を思わせる、ということですね。

で、これはそもそも川村二郎の「内部の季節の豊穣」*5という評論への批判でもあったわけですけれど、川村自身は自分はその年における作品の傾向としてそれをいったわけで、小田切はそれを新進の文学世代にすり替えている、ということを言っていて、世代の問題ではないと指摘したりしています*6

田切にとって、小田実高橋和巳といった世代の次に来たのが、古井由吉後藤明生といった作家だったのは非常に不満だったようですけれど、結局のところこれって社会的批判のなさ、あるいは政治的立場のあいまいさへのいらだちにみえるわけです。小田切の「文学的立場」という雑誌に西田勝「古井由吉後藤明生」という評論*7が載っていて、これはまあ当時の二者の作品を並べてそこに外向性がない、として批判する、みたいな評論なんですけれど、そういう政治的立場からくるものすごくイデオロギー的な裁断が、内向、という言い方にあります。同じ号で小田切は、内向の世代を批判して李恢成を評価する文章を載せてるのがわかりやすい。しかし、後藤明生は卒論のゴーゴリ論からずっと、そうした政治的見方を拒否してきた人なわけです。

77年に小田切古井由吉「女たちの家」を批判しつつ、黒井千次の「五月巡歴」という、メーデーに参加した主人公が一緒に参加していた友人の裁判に証人として出る、という導入をもつ作品を高く評価して、内向の世代の枠を破り出た、といって内向の世代終結」を宣言するんです*8。小田切黒井千次のその手の作品を評価するのはすごくわかりやすいわけで、その文章の最後に、「内向の世代終結と、村上龍外岡秀俊中上健次らによって異質の新たな文学動向」が始まっている、と言うわけです。

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という私信からの抜粋。つまり内向の世代の内向とは性格的傾向のそれではなく、社会性、政治性についてのイデオロギーの問題として小田切秀雄によって命名されたことが始まりになっていることは忘れてはならない、ということです。そうでなければ、文学者なんてみな内向的だろう、といった全然別の議論が空転するだけになるので、まずはここらへんの基礎的文献において、内向と言う言葉のコンテクストを把握する必要がある、ということでした。川村二郎と小田切秀雄のズレも重要ですね。

内向の世代に誰を入れるか、ということには幅があって、これというものが言いづらいですけれども、たとえば小田切の列挙したメンツを基準にするとか、文藝の座談会を基準にするとか、まあいろいろあるかと。「国文学 解釈と鑑賞」2006年6月の内向の世代特集には内向の世代といいつつ、大庭みな子、高橋たか子はまだいいとして、金井美恵子まで入ってたりします。

文藝の座談会についてはこちらの『アミダクジ式ゴトウメイセイ【座談篇】』に収録されます。
つかだま書房 | 新刊予定

とはいっても私も後藤を追うばかりで内向の世代という括りでは全然追えていないので、いろいろと不備も多いかと思います。メモとして参考になれば。

*1:小田切秀雄満州事変から40年の文学の問題(上) "まだ"と"もう"と」東京新聞71.3.23夕刊

*2:小田切秀雄現代文学の争点(上)"内向の世代"形成をめぐって」、東京新聞71.5.6夕刊

*3:『昭和文学史 下巻』、『新日本文壇史 10巻』。この二つは微妙に違いがあるもののほぼ同じ文章

*4:前掲小田切秀雄現代文学の争点」

*5:「文藝」70.12

*6:川村二郎「二つの-mentの谷間で―「内向の世代」解嘲」、「文藝」76.8

*7:季刊「文学的立場」六号、72.1

*8:「文学的な波頭での経験―"内向の世代"終結と「五月巡歴」等」、「すばる」77.6