イスマイル・カダレ - 誰がドルンチナを連れ戻したか

誰がドルンチナを連れ戻したか

誰がドルンチナを連れ戻したか

現代アルバニアを代表する小説家といわれ、第一回国際ブッカー賞を受賞したイスマイル・カダレ。今作は1986年に発表された長篇で、中世アルバニアを舞台に、民間伝承をモチーフにしたミステリアスな作風となっている。

実は五、六年(かそこら)まえに「夢宮殿」という魅力的な題の長篇を読んだことがある。夢を管理する役所を舞台に、淡々とした展開で妙に印象的(装画がまた秀逸だった)で、それから古書店とかでカダレの他のものを探して買ったもののずうっと放置していた。「砕かれた四月」も持っているけれど、国際ブッカー賞なんて取って、いまずいぶんとプレミアがついているようだ。

ある夜、遠い異国の地に嫁いだはずのヴラナイ家の一人娘ドルンチナが、ただ一人残された母親の元に帰ってきたということが土地の警備隊長に報告される。不可思議なのは、対面した親子ともにショックで寝込んでしまったことと、ドルンチナは、三年前に死んだはずのコンスタンチンという長兄に連れられて帰ってきたと主張したことだった。

この魅力的なミステリーを導入に、警備隊長ストレスがその謎を解明すべく奔走する、という展開を辿る。170ページほどの短い作品で、そのため無駄なくぐいぐいと読ませる吸引力があってとても楽しい。もちろんミステリではないので謎がリアリズムのレベルで解決されるというわけではないのだけれど、兄が墓から抜け出したのか、それともドルンチナの狂言かなにかなのか、という超自然的解釈と現実的解釈との絡まり具合が興味深い。

この小説では、中世を舞台にしながらも明らかに近代以降の問題意識を用いて書いているところがある。あえていえば、中世という舞台を借景として明らかに現代を書いている。主人公ストレスの思考様式は中世人のそれのようにはとても見えず、むしろ意図的に現代人の思考様式で書いていると思われるし、ラストの方では明らかに現代アルバニア二重写しにして書かれているところがある。

というか、まあ私はアルバニアの歴史がまったく分からないのだけれど、wikipediaを見る限り、中世に作中で「アルバニア」と称されるような概念があったようには思えない。イリュリアから文化を引き継いだ旨が書かれてはいるのだけれど、ここらへんは現在のアルバニアを中世に見出す意図的なアナクロニズムを手法として用いているようだ。

そのうえで、コンスタンチンが母親が求めるときにはどんなことがあっても娘を連れ戻すという、誓い(ベーサ)を立てたこと、この伝統的観念をひとつの国家的倫理として、「アルバニア」という意識を立ち上げようとする、ある種の「近代文学」的な意図において書かれた作品なのだろうと思われる。作中でも、生前のコンスタンチンの口を借りて述べられているのは、外から押し付けられたような外的な制度ではなく、この危機的な状況においてアルバニアという存在を守るためには、誓いのように自らの中に「永遠で普遍的な機構」を作り出さなくてはならないということだ。

つまり、カダレは「誓い」のこの超自然的な民間伝承のなかに、「アルバニア」という「永遠で普遍的な機構」の核を見いだしたということだろうか。おそらく、アルバニア人にとって、このことは読めばすぐに分かることだろうと思われる。作中のアルバニアがおかれた状況や、コンスタンチン、ストレスの主張はひどく分かりやすく、そういう読みとりを誘っているからだ。

ただ、このような解釈は小説としてはややつまらなくなる、ラストあたりの長広舌で今作を読み解こうとするとこうなる、という感じのものだ。たぶん明らかにそうした意図はあるのだろう(解説でもそういう読解が引用されていて、やっぱりな、と思った)けれど、小説として面白いのはもうちょっと違うところで、中世で現代を書く、というこの設定が生み出すねじれの部分だと思う。

実は冒頭の謎についてはリアリズム的なレベルにおいての解決はある程度推測できるように書かれている(と思う)。最後まで読んだところ冒頭に重大な伏線があったことに気づいてちょっと驚いた。で、一応、自然主義的なリアリズムをベース(とも言い切れないところがあるんだけれど)に、墓から亡霊が蘇って生前の誓いを果たした、というオカルト的な解釈は主人公ストレスに拒絶され続けるのだけれど、民衆の噂などのレベルでは常に優勢を誇っている。で、このような土俗と理性的なストレスとの拮抗という軸で行くのかな、と思いきや、むしろそこは密接に絡んだものとして現れてくるところがある。

中世によって現代を書くために、土俗的なものをも同時に召喚してしまっている印象がある。この小説は、中世と伝承と現代などの複数のレイヤーを雑巾を絞るようにぎゅっとねじったような絡まり方をしていて、小説として面白いのは、このねじれた絡まりが絶妙なところだ。でも、ラストの長広舌のところでも、この絡まりが踏まえられていて、そう簡単に「近代国家」がどう、とかでまとめきれないところがある。コンスタンチンが亡霊となっても誓いを果たすということの意味とか、ストレスの真の意図ということを考えると結構難しい。

「掟(カヌン=ギリシャ語のカノン)」と「誓い(ベーサ)」と「法」という言い分け方とかも興味深い。そういえば、「伝統」と「近代国家」の立ち上げって感じで復古神道というか明治の近代化を連想させもするのだけれど、どうだろうか。

短いながらも密度が高く、いろいろな読み方ができそうな小説だ。超自然的なファンタジーとまではいかず、幻想的なモチーフが現実にうすくベールのように被さるような不穏さがあり、「神話的」というより「伝説的」な感触がある。

これは結構すごい小説かも、とは思ったけどうまく説明はできない。アルバニアの歴史、政治あたりも踏まえた評論が読んでみたい作品だ。短いからと軽い気持ちで読んでみたら想像以上の重量でビックリした。

というわけで、この小説とともに「冷血」という一冊本にまとめられ、掟や誓いを扱う姉妹作の位置付けの「砕かれた四月」の方も読んでみることにした。というか、国際ブッカー賞とかいうかなりレベル高い賞とったんだから、白水Uブックスあたりで出したら良いのに。ドルンチナはかなりUブックス向きだと思うのだけれど。


今秋には松籟社からカダレのデビュー作にして世界各国に翻訳され有名になるきっかけとなった「死せる軍隊の将軍」が翻訳されるらしいのでそれも期待。

「夢宮殿」
Man Booker International Prize - Wikipedia
アルバニア - Wikipedia
イスマイル・カダレ - Wikipedia