『後藤明生コレクション』(国書刊行会)刊行記念、いとうせいこう × 奥泉光 × 島田雅彦 × 渡部直己トークイベント

いとうせいこう × 奥泉光 × 島田雅彦 × 渡部直己トークイベント | 青山ブックセンター
もう先週になってしまうけれど、表題の後藤明生トークショーに行ってきた。コレクション編集委員が集まる貴重な機会ということで、それはもう即座に予約した。二代目後藤明生を襲名したいとうせいこう、『挾み撃ち』を扱った文芸漫談コンビの相方奥泉光と、後藤が入れなかった外語大の露文出身の島田雅彦、既にいくつも後藤論を書いている渡部直己のこの四氏は後藤が学長を務めた近畿大学文芸学部のつながりでもある。

90分にわたるトークショーの内容は非常に興味深いものだった。蓮實重彦の後藤論がやはり大きな影響を持っており、しかし後藤本人は最初は何が書いてあるのかわからなかったと平岡篤頼に言っていたということを島田氏がばらしてみたり、カフカを最も理解していた日本の小説家は安部公房でも倉橋由美子でもなく、後藤明生だ、という渡部氏の持論は、以前後藤論でも書いていた。

散文と情緒

トークショーでの後藤観で核心にあったのは、後藤明生は隠喩的ではなく、換喩的な散文性をもち、小説から詩を放逐した、というものだ。後藤は散文にこだわり、普通は走った方が楽で早いのに、競歩のように(これは誰の比喩だったか)抑制を効かせてポエジー、情緒、叙情に流れない。しかし、ここぞというところでエレジーを歌っているところがある、とその印象についても語っている。『挾み撃ち』では敗戦時の朝鮮でレコードを歌いながら割るところとか。

そして、この後藤観において、中期の回想と私小説性の強い時期を『思い川』問題として批判的に取り上げる構図があったことが興味深い。渡部氏にその時期への論及が少ないのはそういうことかと得心した。後藤論を書きつつある身としては言いたいことも多く、特に後藤の引揚げをめぐる原稿を書いている私としては、『思い川』、『夢かたり』等の引揚げ三部作といった中期を軽視する訳にはいかないので、ここら辺鋭く対立する感じになるようだ。

別の対立点としては、後藤のポエジー排除、というのは実は後藤自身結構ウェットだからではないかと私は思うところだ。若い頃詩を書いていたことや、『挾み撃ち』等に顕著な先行文学者への敬意と憧れ、その情緒性を自ら転倒させるところに後藤の屈折、つまり方法があるのではないかと思っている。大杉重男が後藤はロマンチストだといい、種村季弘が後藤はロマン派文学者に逆接している、と指摘したように。

非常に言いたいことは多かったし、ここではやはり挙手すべきだと迷った末に手を挙げて、最後に、私小説的な中期の後藤は父=朝鮮の問題をずっと書いていて、それがこの時期の重要なテーマで、そしてそれは『壁の中』までつづく問題だというようなことをどう考えられるかと質問したけれども、父と子の問題というベタなテーマに回収してしまうのはダメじゃないか、との返答を頂き、それはその通りだと思います。あ、でもその問題は今気づきました、と答えてくれたのはいとうさんか奥泉さんどちらでしたっけ?

じっさい後藤の70年代はほぼ父のことを語っていたわけで、そのテーマをどう描いているかの分析は必要だと思う。それは「未来」の連載で、学生時代のデビュー作「赤と黒の記憶」自体が、後年の記述を見るに、父の死と相即的に書かれている、と指摘したように、以後もこの線で続ける予定なので、結局私の原稿を読んでくれ、というところに落ち着くけれど。宣伝です。朝鮮に対する屈折した態度は私の後藤論の中核部分でもあるので。

『夢かたり』とか感動的な場面も多く、その情緒性はさくっと切り上げられるけど、その切り方がなんか、良いわけです。「鞍馬天狗」なんか普通の意味で感動的な作品ですよ。『挾み撃ち』のレコードの場面は後藤作品でもっとも切実な調子があり、だからこその代表作でもあるわけで。その情感の由来はどこか、といえばやはり朝鮮=敗戦=引揚げ体験という屈折にある。まあたぶん私は「小説」よりも「後藤明生」を読もうとしている、感はある。

今回編集するさい初めて読んだ作品も多かった、と発言があったのは、なるほどと。私はまあだいたい(小説の単著ならすべて一度は)読んだことがあるので、作家の全体像について結構な食い違いがある。聞いていて事実誤認や注釈を入れたいと何度も思ったこともあり、この点、出発点がオタク的な私と編集委員の四氏とではそうとう見方が違うとは思った。

気がついたのは、渡部氏は表現しながらもずらした、ということに重点を置くけど、私は、ずらしながらも書かなければならなかった、という風に重点を置く読み方をしていることだ。後藤はこれまでずっと方法的に読まれてきたけれど、もっと愚鈍に具体的に何が書かれているか、を読むことも必要だと思った。

事実関係について

トークの内容についていくつか事実関係の指摘をしておきたい。初期は一人称ばかり、と発言があったけれど、コレクション第二巻は「男」という三人称の作品がいくつも収録予定になっている。これについては後藤自身、『疑問符で終る話』後書きで「私」と「男」の使い分けをしていることを記しているので、おろそかにできない。二巻編集担当の島田さんが来る前の発言だったけれど、いたら訂正されたのではと思う。単行本『書かれない報告』収録作はすべて「男」だ。

また確か、首塚、しんとくあたりで部屋から出歩くようになる、的な発言があったけれど、最も外に出た韓国紀行小説『使者連作』が見落とされている。というか、部屋から出ないような団地ものも確かにあるけれど、後藤の小説って多くが旅行したり人を訪ねたり出歩いたりしたことを書いていて、歩くことは重要なのに、忘れられたのは何故だろうか。『挾み撃ち』は歩く小説だ。

あと、中期を批判的に語る流れでその頃にはロシア文学のろの字もない、とあったけれど『夢かたり』の表題作及び連作の一篇「片恋」は、ともにツルゲーネフ二葉亭四迷訳から来ていることは作中にも書いてある。猫小説『めぐり逢い』のタイトルも、おそらく四迷訳ツルゲーネフ「奇遇」の別題「めぐりあひ」からだろう。で、『思い川』のタイトルが笑い混じりにいかにも私小説的、と言われたけれど、これは宇野浩二が由来だと後藤自身が書いていて、さらにその引用元が和歌にあることを以下の論文が指摘している(このPDFは数ページ脱落していることに注意)。まあ引用の引用だとしてタイトルが和風情緒なのはその通りで、だからこその『思い川』は後生には小説ではなく随筆のジャンルに入れて欲しい、と後藤自身が語った訳だけれど(「現点」のインタビュー)。
http://kurepo.clib.kindai.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN1018193X-20140331-0001

なにぶんオタクだから、こういう些細な事実の指摘にこだわる。

打ち上げで

倉数茂さんに連れられて、渡部直己さんに一言挨拶し、拙稿の載った「未来」をお渡ししたのだけれど、果たして読んでもらえるかは不明だ。さっき質問した人で、とは紹介されたけれど、まあ明らかに渡部さん的には無視か批判されそうな論だとは思っている。

また打ち上げにも参加させてもらいまして、偶然にも後藤明生夫人暁子さんの隣に座ったので、いろいろと貴重な話を伺いました。もう片方が中沢忠之さんで、いろいろ話が出来てよかったです。正面に石川義正さんがいて、私のブログを読んでいたと言われ、何故、と。連載すると聞いてびっくりした、というので、それ以前から読んでくれていたことになるけれど、電書あわせで後藤明生再読記事を書いていたからだろうか。またしばしば岡和田さんの話で盛り上がる。倉数さんと知り合ったのは岡和田さんの『北の想像力』以来なので。編集委員の方たちは編集会議ということで別席だったので話す機会はなかった。

いくつか隠し球を持って行っていたのだけれど、その一つが暁子さんが明生の癖について語った、四十年くらい前のエッセイ。これは暁子さんにごらんいただき、なんでこんなものを!という反応をいただけました。もう一つは「犀」に載ってたおそらく単行本未収録エッセイで、これらはわりと満足してもらえたと思います。あと、倉数さんや同じく編集協力している江南亜美子さんを驚かせたヤツがあったけれどこれは秘密で。

そうして話しながら、私のサイトの創作年譜の話題になった。あの年譜は、論考を書くにあたって後藤の小説を全部時系列順にリストアップし、時間的先後を確認しながら順々に読んでいくために作ったもので、これは鶴田知也についても作っており、作家論を書くときにまずはじめに着手する作業なんだけれど、周囲の人たちは誰一人そうしてる人はいない、と言われてちょっと驚いた。好きな作家がいたら、まず全部読もうとする、という行動、これオタクだからか、と納得した。まあ全部読まないにしても、全体を見てこういう作品がある、ということはとりあえずチェックするので。

いや、何にしてもものすごく楽しかったですね、はい。もっとも後藤明生で盛り上がっていた場だったと思うし、そこに自分も参加できたというのが嬉しかったですね。今なら後藤についてはいくらか詳しいので、話にがんがん突っ込んでいけるわけで。

後藤明生コレクション解説等へのコメントを連投したので以下のツイートをクリックしてください。