薄い本を読む

十月はおおむね薄い本を集めて読んでいたのでそれらについてツイッターに書いていた感想をまとめた。だいたい本文200ページ以内かその前後なので、さっと読めるだろう。

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爪と目

爪と目

 藤野可織『爪と目』、不気味な二人称の語り手が子供の視点から母親の見ていないものについて語るホラー色の強い表題作と、やはり不気味な「しょうこさんが忘れていること」、子供の呪われたという不安に立ち向かう「ちびっこ広場」、いずれもホラー的語り、内容になってて面白い。

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

 テグジュペリ『夜間飛行』はなるほど密度の高い中篇で面白い。ファビアンらパイロットと飛行を命じる社長リヴィエールが対置されていて、たとえ機が墜落したとてリヴィエールも便を欠航させるという「夜間飛行」事業の「墜落」をするわけにはいかない、という話。どちらも不時着が死を意味するような綱渡りのような飛行を続けている、という構図で、リヴィエールの規則厳守の高圧的態度も、自然を相手にする厳格さでもあるけれど、航空機技術が未発達な時代ゆえの残酷さがあって、それはそれとして美しいとはいえ、という感じもある。雲上に出る時の開放感とその状況の悲愴さが印象的。

奪われた家/天国の扉 (光文社古典新訳文庫)

奪われた家/天国の扉 (光文社古典新訳文庫)

コルタサル『奪われた家・天国の扉』。名前だけは知られていたデビュー短篇集『動物寓話集』の初の完訳。まさに悪夢的な短篇「奪われた家」の鮮やかな怖ろしさや「バス」の不条理劇から、うさぎを吐く女、不可解な動物、親戚の家の異様な不気味さ、そして死者への幻想まで。幻想と言いつつもそれがはっきり分かるようなものとは違い、リアリズムがどこかで壊れたような異様な何かが起りつつあるという感触が強い。不気味だ。しかしそれが死んだ女の幻想を垣間見るというかたちで描かれると「天国の扉」にもなる。確かに表題二作は特に印象的。

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)

 ケストナー飛ぶ教室』。「マルティン!」のところはちょっと感動しちゃうね。これ1933年の作品なのか。子供たちの友情と大人たちの友情を織り合わせるクリスマスストーリー、面白いけど、二人の先生を出会わせる場面、そこは素直に会わせていいのか、と意外だった。二人の微妙な関係に踏みこむ安易な善意がしっぺ返しを食らう展開になるかと思ったので。理想的人物たちの教育的物語感に何か言いたいこともないではないけど、孤児の話で始まったのが親子の感動ストーリーで締められるのが一番んん?って感じはした。ジョニー、なんだったん?(光文社古典新訳文庫ではニューヨークから来たジョニーが英語読みになっている)

野性の呼び声 (光文社古典新訳文庫)

野性の呼び声 (光文社古典新訳文庫)

ジャック・ロンドン『野性の呼び声』。犬文学! 本能と文明が対置された自然回帰のロマンは古い気もするけど、アラスカの氷雪の自然を描き出しつつ聡明強靱な犬・バックが走り抜ける非常に格好良い小説なのは確か。文明と本能の対立に愛が差し込まれるところもいい。忠犬では終わらない。古典新訳文庫の解説がかなり丁寧に当時の状況を書いてるのもいい。とはいえやはり極限の自然を相手にした「男性原理」的な格好良さではあるので、ダメ三人組のなかでもとりわけ女性が無能に描かれてる感は気になった。「インディアン」の扱いも。犬を主人公としつつも嗅覚の描写が薄い気がしたな。 

ご遺体 (光文社古典新訳文庫)

ご遺体 (光文社古典新訳文庫)

 イーヴリン・ウォー『ご遺体』。アメリカ在住イギリス人で動物葬儀社勤務の主人公と、人間に綺麗な死に化粧をする葬儀社の女性と、その上司の遺体処理技師との三角関係の話で、中盤くらいまでは、はあはあなるほどって読んでたら最後の方の展開がひどすぎてさすがイギリス人だと笑った。「かわいいペットを亡くされたお客様だ」じゃあないよ。詩の教養とか英米比較文化論的なものが背景にあるみたいで、死者やペット葬までが商業化されるアメリカを皮肉に描いた、といっても今から見ればそう変でもなく見える。しかしまあ、日本人みたいに簡単に自殺するなって思った。 

冬の巨人 (富士見L文庫)

冬の巨人 (富士見L文庫)

 古橋秀之冬の巨人』。曇り空の雪原を千年にわたり歩く巨人の背中には街を作って人々が住んでおり、主人公は教授とともにこの巨人や外の世界を研究している。しかし巨人の動きは近年鈍ってきており、街には終末を予言する人々が現れてというシンプルなファンタジー中篇。古橋秀之十数年ぶりに読んだ気がするけど、雪原の暗闇と天球の明るさ、雲上の晴れ間といった明暗の舞台設定からの終盤が鮮烈だった。児童文学的な感触の強いファンタジーで、滅び行く街の曇った景色からの再生への祈りが描かれる。そういや、爆弾をまだ読んでないな。 

瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集

瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集

 ジギスムンド・クルジジャノフスキイ『瞳孔の中』。20世紀前半のソ連の作家の作品集。ファンタジックな設定を理論的に固める作風で、幻想小説とSFの中間のような感触がある。冒頭の「クヴァドラトリン」は部屋が二乗に広くなっていく薬の奇妙な話。「支線」は夜と夢の別世界。「しおり」はやや分かりづらく、テーマ捕りという語り手がさまざまな物語を語り出しては中断する。表題作は恋人の瞳の中に自分そっくりの小人がいて、瞳孔の中にはほかに11人の小人・つまり元彼、という奇想譚。「噛めない肘」はカフカというよりはドストエフスキーの「鰐」を思い出した。妙な乗りづらさを感じるけど、表題作の下世話さは面白い。 

未来の回想

未来の回想

 クルジジャノフスキイ『未来の回想』。タイムマシン開発が、徴兵や革命後の私有財産制の否定によって資産が没収されるなどの困難で阻害され、革命前後の時代状況の厳しさが描かれており、作者自身の作品が引き出しにしまわれていたことと二重写しにもなっている。失踪した主人公をめぐって書かれた伝記について語る語りなど、構成、語り、レトリカルな文章など、かなり凝った作品なんだけど、時間理論や話のオチは私にはいまいちわかってない。あれ、どういうことだったんだ?ってなった。

地獄から来た青年

地獄から来た青年

ストルガツキイ兄弟『地獄から来た青年』。戦争のただ中瀕死の状態から連れてこられた異星人が、未来の地球でわけもわからず退屈な日々を送るなかで徐々に状況が見えてくる。軍人が平和に適応できない話でもあり、異星の戦争に秘密裡に介入して平和を押しつけることへの批判でもある。衰退しつつあると思しい不気味な地球で、ドランバというロボットに軍事教育をしていく主人公とのやりとりが一抹の清涼剤って感じで楽しい。主人公の故郷ギガンダ星が猫とネズミで戦争してて、主人公が誇りあるファイティングキャット、というのが寓話的でもある。ドラえもんアニマルプラネット感。

巻末の矢野徹深見弾追悼文が面白い。深見がソ連批判激しい左派で、矢野が自民批判の天皇主義者だったとは。政治スタンスがそういう感じなの知らなかった。翻訳は深見の下訳を大野典宏、大山博が引き継いで完成させたもののよう。共訳クレジットにしてもよさそう。ストルガツキイ兄弟、ほかの作品でもこういう優越者の傲慢というか、現実の国際関係を匂わせた批判みたいな作品あった気がしたけど思い出せない。『収容所惑星』、どういう話だったか…… ストルガツキイ兄弟読むの十年ぶりくらいだけど、確認したら群像社から出てるやつはなにげに全部持ってるな。十数年前の俺は良いヤツだ。あと読んでないのは白鳥、モスクワ、滅びの都、か。まあ以前読んだのもたいがい中身覚えてないけど。 

宇宙飛行士オモン・ラー (群像社ライブラリー)

宇宙飛行士オモン・ラー (群像社ライブラリー)

ヴィクトル・ペレーヴィン『宇宙飛行士オモン・ラー』。月の裏側に探査者を送ることでアメリカに対する宇宙開発競争に勝利するために、子供の頃から宇宙飛行士に憧れていたオモンが命じられたのは、帰還手段のない「特攻」飛行だった。バラード短篇をも思わせるブラックな状況が痛烈。体面、数字のために命が軽々と費やされる様子はブラック企業的なものも思わせ、作中でまさに日本人の「特攻」体験が参照されているとおり、ソ連体制、帝国日本の邪悪さを生々しく想起させる。作者が言った「ソヴィエト人の内面の宇宙」をテーマにしたというのもバラードっぽくて、主人公の置かれた悪夢的な状況がより広いスケールでの悪夢の可能性を匂わせるとともに、悪夢からけして覚めたわけではないラストから、悪夢的なものがつねに全体に瀰漫している印象を強めている。作中「われわれは嘘によって真実を救っている」という言葉があるとおり。死に際にフロイドの話をする人物の話題の展開のしかたがもうまったくプログレオタクって感じで面白い。原題が月の裏側、になる『狂気』の扱いも面白い。

ペレーヴィン寝台特急 黄色い矢』も持ってたなと思って確認したら、これ原書短篇集『青い火影』の後半部分ってことになってるのか。『眠れ』で訳し残した十一篇のうち、三篇しか訳されてないけど、ほか八篇ってどこかに訳されてるのかな。ペレーヴィンを知ったのは確か望月哲男がロシアの現代文学について書いてる論文がネットに公開されてたからで、そこには『レストレス・ドリーム』とロシアのターボ・リアリズムについてからめて書いてあったのがきっかけなので、ペレーヴィン笙野頼子が脳内で関連している。 

リーヴィット (グレート・ディスカバリーズ)

リーヴィット (グレート・ディスカバリーズ)

ジョージョ・ジョンソン『リーヴィット 宇宙を測る方法』。サイモン・シン『宇宙創成』を読んでとりわけ印象的だったのは、セファイド変光星の変光周期と明るさの関係を割り出し、宇宙の距離測定方法に画期をなした女性、ヘンリエッタ・スワン・リーヴィットのことだった。本書は彼女に関する現状唯一の和書だと思われるけれども、天文台で写真乾板を精査して地味な作業に従事していた病弱の女性は、いくつかの論文のほかには記録もほとんどなく、本書も彼女自身よりは、宇宙測定方法にかんする天文学史概説の趣がある。しかし、その核心には彼女の発見がある。ピカリング、シャプレー、カーティス、ハッブルといった天文学史の人物を描きつつ、リーヴィットの発見が宇宙の測定に投げかけた波紋をたどる。グレートディスカバリーズと題されたこのシリーズにはマリー・キュリーアインシュタインチューリング(予定のみ)とあり、この名前と並べる叢書の編集方針にはなかなか面白いものがある。当時の女性の置かれた地位についても素描しつつ、シャプレーの「天文学の歴史で、もっとも重要な女性のひとり」という言葉について、天文学における女性の少なさを考えると、どれだけの賛辞なのかわからない、と皮肉って見せるのも面白い。数学者ミッタク=レフラーがリーヴィットの死を知らず、ノーベル賞に推薦したいと手紙を送ったエピソードは悲しくも有名だけど、これについてその時天文台の館長かなにかだったシャプレーが自分のほうをアピールする返信をしていたのは笑った。遠くの距離を測ること、がいくつもの仮定を積み上げた難しいものだということと、その仮定のどこかがおかしければ測定値はいつでも大きく変化してしまうということを如実に描き出して、宇宙の遠さという茫漠とした感情になるほかないロマンが感じられる本でもある。また天文学の本を漁りたくなった。

千曲川のスケッチ (新潮文庫)

千曲川のスケッチ (新潮文庫)

島崎藤村千曲川のスケッチ』。信州小諸やその周辺の土地の自然や人々を文字通りスケッチしたような短い文章を連ねて一回とし、全十二回で四月から四月へ戻ってくる。とりたてて感想があるわけではないけど、揚羽屋が出て来て、後藤明生の『吉野大夫』で出て来たとこだ、って何で買ったのか思いだした。スケッチと言いながら「自然は、私に取っては、どうしても長く熟視めていられないようなものだ……どうかすると逃げて帰りたく成るようなものだ」とあるのはなにかアンビバレントで面白い。 

島崎藤村 千曲川のスケッチ 青空文庫

近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)

近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)

 伊藤整『近代日本人の発想の諸形式 他四篇』。文学者のあり方や発想を歴史的文脈のなかにおいてその限界を探るタイプの立論による論集。著名な表題作の他、「近代日本の作家の生活」の、稿料や新聞の読者層、日露戦争前の社会状況から、作家の生活と創作との関係を捉える部分が面白かった。表現と社会との関係をきっちりと跡づける感じ。昭和二十八年段階で伊藤整の稿料が原稿用紙一枚千円、とあるけど、あれ現代でもそんな稿料の雑誌あるよな、と。明治十年頃なんかは書画会という書や即席画の頒布会があって、文士やらの顔を見たい人が集まるらしくこれが結構な収入だったらしい。即売会だ……。新聞記者としての作家、文壇人としての作家、それぞれの状況が何を書くかについての制約をもたらしていたことについての、身も蓋もないような書きぶりが非常に面白い。自由の程度と経済状況の関係。多くは岩波の講座ものなどに書かれた論文で密度が濃い。しかし奥野健男って伊藤整の弟子筋だったのか。この解説でも構造主義に言及したり、『文学における原風景』なんかはバシュラールを援用したものだったはずだけど、そういや結構な理論派か。化学専攻から転じた人だったっけ。太宰の人って言う印象ばかりだった。 

高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)

高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)

泉鏡花高野聖・眉かくしの霊』岩波文庫、なんか鏡花が読みづらいという印象がずっとあって、「春昼」二篇は面白く読めた覚えがあるし「高野聖」はわかるんだけど、「眉かくしの霊」あたりはうん、よくわからないなって感じになる。

*1:『原因』は別記事を立てる