
- 作者: 海保嶺夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/02/11
- メディア: 文庫
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なお、この本は「エゾ・エミシ」の歴史であって、アイヌ限定の歴史ではない。古代日本における「蝦夷=エミシ」はヤマト王権に属しておらず敵対関係にある人々一般を指す名称であって、固有の民族名称ではないと見られていて、後のアイヌ民族をも含むより広い概念だと考えられている。そして中世以降の「蝦夷=エゾ」はまあだいたいアイヌを指す、というのが通説的な理解になるだろうとは著者もいうけれど、それにはまだ研究が必要だろうともいっている。また中世の蝦夷には渡党、日の本、唐子と呼ばれる三つの勢力があり、特に渡党は中央との繋がりも強く後に松前藩士となっていくなど、一枚岩ではなかった。さらに、蝦夷といった場合、北海道とイコールではなく、本州東北部も含むので注意。
著者も断っているとおり、章ごとに時間的順序に沿って書かれた通史とはちょっと違う体裁の本だけれど、全体の流れは大きな広がりの中で交易を行っていた北方の民が、近代に近づくにつれてその活動が狭まっていく過程としてみることができる。とはいっても、近代以降のような過酷さとは異なる自由度は存在したようではある。
アイヌ、松前藩、中央という三者の関係も単純な上下関係ではないところがあったりするなどしている。中近世のエゾと中央との関係史はなかなかに複雑なところがあるのだけれど、それが面白いところだ。
特に印象的だったのは、十三世紀後半にアイヌ民族と見なされている人々と元とが四十年にも渡る交戦を行っていたというところだ。著者はこのような継続的な戦争を行いうる支配力を持った人物はおそらく蝦夷管領の安藤氏だろう、と論じている。元とアイヌが戦争をやっていたとは知らなかったけれど、北方民は黒竜江の上流の方まで交易に訪れていたりしていたというから、近代以前、中近世の人々の活動範囲はかなりのものがあったのだろう。ここらへん網野善彦も日本という枠をこえた中世の人々の交易範囲の広さをよく論じていた。両者とも、日本という枠に収まらない、というか近代以前の交易のネットワークを示すことで、国境という概念を相対化してみせている。
だからこそ、近代化のなかで分断され、ネットワークが寸断されていくことで、民族としての活力を失っていくというようなことになってしまうのだろう。この時代の歴史を読むと、今のようではない国のかたちの可能性を考えてしまう。