上村英明 - 先住民族の「近代史」

先住民族の「近代史」―植民地主義を超えるために (平凡社選書)

先住民族の「近代史」―植民地主義を超えるために (平凡社選書)

前回、笙野頼子の権力と汚れの指摘の部分で参照した本について、もう少し詳しく書いてみる。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081109/1226221380
この本は、アイヌ関係の記事を探している時にMukkeさんのこの記事を見て知ったもの。簡潔な要約は上掲記事を参照。

さて、本書は先住民族が世界と日本の近代史に影響を与えた事例をいくつか取り上げるなかで、その関係の歴史が「近代国家の形成と不可分に関わっている」こと、その結果として「国家の本質的なあり方を問うものだという視点をはっきりと自覚する」ことを目的とする。先住民族とは何か、ということについて、著者は以下のように定義している。

政治学国際法の立場からすれば、「先住民族」は近代国家の成立によって生じる。近代国家が「国民形成」の名目のもとで、「野蛮・未開」と見なした民族の土地を一方的に奪ってこれを併合し、その民族の存在や文化を受け入れることなく、さまざまな形の「同化主義」を手段としてその集団を植民地支配した結果生じた人々が「先住民族」と呼ばれうる民族集団である。11P

近代国家はその領土を確定し、国境線を引いて、既に人が住んでいた土地をそれが近代国家のものではない故に「無主の地」と見なし、相争って自らの土地となしていった。すべての土地がいずれかの国家に属すものと見なされていく近代を描くにあたって、誰のものでもない場所、南極の探検の章が置かれているのは偶然ではないだろう。

近代国民国家と不可分の存在にあるのが先住民族だということ、そして同時に先住民族はつねに不可視の存在として人々の目から隠れ、その功績も被害も意識に上らない。本書はそうした見方を批判し、近代史を「先住民族」の視点から裏返してみせる試みとも言える。

日本の先住民族

最初に置かれているのはオリンピックの歴史だ。近代オリンピック創設の歴史をたどりつつ、パリ大会で併設されていた万国博覧会における「民族差別や人権侵害の温床」の「植民地展示場」といった近代の負の側面にも注意を向ける*1。この関係は1904年のセントルイス大会で「人類学の日」として結実する。「ルイジアナ購入万国博覧会」では「進歩」を賞賛するために、「未開民族」を展示する催しがあったのだけれど、そこにやってきた「未開民族」らを競わせる競技会として開催されたものだ。ここには、オリンピック初の「日本選手」が参加する前に、「日本国籍」を持つ四人のアイヌ民族が参加していた。

このとき創設者クーベルタンは、この先住民族スポーツ大会に不快感を露わにし、以下のような発言をしている。

このけしからん茶番劇に関しては、将来、黒人や赤人、黄色人が走ること、跳ぶこと、投げることを学び、白人を追い越してしまうときがくれば、もちろんオリンピックはその魅力を失うことになるだろう。32

もちろんと言われても知らんがな、としか言いようがなく、「未開」人を見せ物として競技させるのと、白人以外を排除するクーベルタンの姿勢とが激しく対立しているけれど、同種の認識の違った現れでしかないだろう。ただ著者は、クーベルタンのこの発言とは裏腹なその後のオリンピックの展開を評価もしている。正式競技として採用された先住民族起源のカヌー、北米先住民族に起源するラクロスを正式競技にという運動、さらにオリンピックにおける先住民族選手の活躍や、先住民族オリンピックの開催運動などさまざまな動きを取りあげている。

第二章では、日本の南極探検において、アイヌがどのように貢献したのか、ということを詳しく述べ、先住民族の知識や技能が近代において果たした役割を論じる。全員が遭難死したスコットと南極点一番乗りをしたアムンセン、このふたつの探検隊の明暗を分けた要因の一つとして、馬と犬のどちらを輸送手段にするか、というのがあった。そして、日本の南極探検隊を率いた白瀬もまた樺太犬を用い、操者に山辺と花守という二人のサハリンアイヌを連れて行った。

ここでは、極地において行動する際の知識源として、先住民族の智恵が活用されている。隊長の白瀬はこの二人について自伝で言及しているのにもかかわらず、他の他員の著作ではまったく無視されているということを対比している。重要な貢献がなかったことになっているわけだ。この山辺安之助というアイヌはその後、金田一京助が口述を筆記し、序文を付した「あいぬ物語」というアイヌ初のアイヌ自身によるアイヌ語の著作を出版した人物でもある。

後半では、こうした先住民族の知識と技術にどんなものがあるのかを列挙し(カカオ、トウモロコシ、じゃがいもその他の農産物、下剤、コカイン、ワセリン、キニーネなどの医薬品)、それらを知的遺産として位置づける動きなどについて述べていく。じゃがいもは、新大陸からもたらされた農産物として有名なものだけれど、これは米作に向かない北海道でもしばしば植えられていた。金田一京助が近文のアイヌ部落に金成マツ、知里幸恵の家を訪ねた時を書いた随筆に、二人が客人に出す物がないという相談をアイヌ語でしているところに、それを解した京助がじゃがいもをゆでて下さい、と言う印象的な場面があり、先住民族由来のじゃがいもを先住民族が食べている構図を見るとなかなかに奥行きが出てくる。あまり客人には出せない食べ物、という位置づけなのが垣間見える。

第三章では、北海道と沖縄、という二つの「植民地」の併合過程について述べていく。著者はこう書いている。

日本政府は、幕末以来今日まで、「北海道」と「沖縄」を「植民地」と認めたことはない。しかし、このふたつの地域が「植民地」として日本に一方的に併合されたことは、アイヌ民族琉球・沖縄民族の視点に立てば明らかである。149

日本の近代国家形成過程で、どのように「先住民族」の問題を生んでいったのかを跡づけるのが本章になる。サハリンor樺太や千島、択捉などの島々は、アイヌ、ウイルタ、ニヴフといった先住民族が住んでいて、近代にいたって日本とロシアの境界線として、支配者の絶え間ない交代があった場所だ。これらの場所が、日本とロシアの間で、どのような論理と交渉が当事者不在のままに行われていったかを述べていく。

興味深いのは、北海道開発の開拓使だった黒田清隆の位置づけだ。彼は北海道防衛のための屯田兵の設置を上申した。屯田兵世襲制の士族兵で、「外征や反乱鎮圧用の特別部隊」という性格を持ち、北海道にも憲兵として配備された。これは、アイヌがロシア人を手引きする可能性を考慮した治安管理を目的としていたと考えられている。そして、黒田清隆はこの屯田兵を指揮する権利を与えられ、文官にして武官の「開拓長官」となった。これをして、著者はこう述べる。

北海道は現役武官による軍政下に置かれたことになり、政務権と兵権を併せ持つ独裁的な「開拓長官」のポジションは国内行政制度からは異質なもの 118P 原文すべて強調を省略

となり、これは明治官僚の出世コースとなったという。このような文官武官の兼任の例として琉球の「処分官」も一時的にそうだったことが挙げられ、日本においてこの両者がいかなる共通性を持っているかを示している。この後、台湾出兵琉球処分といった政策を検討し、韓国併合の原型として琉球併合の例や、植民地総督の現役武官制の原型を、開拓長官黒田清隆琉球の「処分官」に求め、後の大日本帝国アジア諸国での植民地政策の原型としてあったことを指摘している。

世界の先住民族

第四章からは世界史における先住民族を扱う。ここで著者は、水俣病の解明へ奔走した原田正純の「水俣病の前に水俣病はなかった」という発言に違和感を示す。著者は原田の功績、水俣がひとつの歴史的メルクマールだということを認めつつ、この発言に納得できない理由を以下のように述べている。

先住民族の歴史的視点から検討すれば、「水俣病」に象徴される近代社会の経済成長優先と技術革新への信仰、そしてその結果としての環境破壊、大規模な人権侵害の原型は、一九五〇年を四〇〇年もさかのぼり、一五〇〇年代半ばにすでに南アメリカに現れたと考えられるからだ。一四九二年のクリストファー・コロンブス「漂着」後の南アメリカ大陸におけるスペインの植民地経営、とくに、現在ボリビアの南部に位置する「ポトシー銀山」の開発事業と先住民族の関係にその問題の普遍的原型を見ることができる。164

この開発では、先住民族の伝統の技術を利用し、近隣の先住民族が強制労働に従事させられ、銀を抽出する過程で用いられる水銀での中毒を大規模に生み出していた。このような悲惨な労働状況は、ヨーロッパではなく植民地だからこそ大規模に行われ、被害も等閑視
されたのだろうと著者は見る。そしてこう結論している。

「公害問題」も「地球環境問題」も近代産業社会が行き着いた「帰結」によって引き起こされた悲劇だとこれまでとらえられがちであった。しかし、近代システムには、その「前提」として、技術革新と経済成長、環境破壊と人権侵害の相互関係が組み込まれていたことをポトシーと先住民族の物語は示唆している。179P

第五章では、「アメリカ合州国(著者は一貫してこの表記を採用している)」の政治制度が先住民族のものに学んだものだということが述べられている。米国連邦憲法施行200周年の1988年、米国連邦議会はある「感謝決議」を上院下院合同で決議した。それは、「イロクォイ連邦とインディアン国家――合州国への貢献を認める」と題され、ワシントン、フランクリンなどの憲法起草者たちが、イロクォイ連邦の考え方を賞賛していたことに触れ、

一三の原植民地の単一の共和国への統合は、「イロクォイ連邦」が発展させてきた政治制度に影響されており、その民主的な原則の多くが「連邦憲法」に取り入れられた。

とその貢献を述べている。

イロクォイといえばその名にjamを足してJamiroquaiと名付けられたイギリスのバンドがあり、その名が先住民族に由来するものだというのはバンドのマーク、衣装、ジャケットにちりばめられたイメージ等含めて知られているけれども、そのイロクォイがアメリカの政治制度にこうも密接に関わっていたというのは非常に面白い。ジャミロクワイのPVといえば動く床のものが有名だけれど、以下の曲では先住民族のイメージで作られている。

この章では、イロクォイ連邦のあり方と、米国の憲法制定においてそれがどう取捨選択されていったのかということを述べ、イロクォイとアメリカのその後の発展の違いについてアメリカの民族学者が語った言葉を引用している。

いかなる人物にしろ一個人の手に権力が集中するのを嫌い、平等の権力を持つ、複数の人物が分担するという、我々と正反対の原則に傾斜していた。206

続けて、イロクォイには大統領が存在しなかったことを指摘し、大統領による独断や帝国主義政策の実行を、米国史に特徴的なものとしている。この一例として、アンドリュー・ジャクソンがチェロキー民族を始め十万人以上の先住民族強制移住させ、「入植者のための「フロンティア」を西に広げた」ことを挙げている。

イロクォイ連邦のあり方から、著者は二つの点を指摘する。イロクォイ連邦自身の、自分たちが最初の国際連合だという主張と、連邦制を含む「民主主義」の概念は決してヨーロッパだけのものではない、ということだ。

第六章では、核開発と核実験にまつわる被害が、先住民族地域に集中していることを挙げ、公害問題で見られたような構図が、核政策においても反復されている様子を論じている。

先住民族の土地にあるウラン鉱山の採掘場*2からの被曝や、強制的に動員された労働者たちの被曝、広大な土地を必要とする核施設は先住民族の土地に建てられ、空中での爆発実験場に選ばれたのは先住民族居留地に近い場所で、その先住民族放射線被害の調査は行われてもいない。

そして製造された原爆は広島長崎に落とされ、そこには日本人に対するレイシズムが指摘されているけれども、アメリカから日本へのレイシズム以外にも、先住民族に対するレイシズムがあったことが強調されている。

このことから、核開発を著者は第二の「コロンブス」と呼び、核政策におけるレイシズムは、「現在もまた植民地主義的精神構造のもとで続いている」という。そして、冷戦時における各国の核実験が先住民族の土地において行われていたことを明らかにし、「軍事利用と平和利用の区別を本質的な意味において無意味にする「ウラン採掘」と核廃棄物のふたつの問題」を指摘する。その多くの核実験において、近隣の先住民族らにたいする調査は行われていないか、あるいは極秘にされている。

ウラン鉱石の採掘および精錬の段階では、核の軍事利用と平和利用の違いは何の意味もなさない。そして、人体あるいは生物に有害な放射性物質を採掘するという意味において、ウラン鉱山に「安全な」ウラン鉱山はない。同じ意味で、「核廃棄物(nuclear waste)」の処分場にも、安全なそれは存在しない。263

さらに処分場の多くが先住民族の土地だということを指摘し、さまざまにずさんな核廃棄の事例を挙げているなかで、日本が1979年に、原発から出る「低レベル放射性廃棄物グアム島サイパン島、ティニアン島などが位置するマリアナ諸島の来た一〇〇〇キロメートルの海底に海洋投棄しようと企画したことがある」という話が挙げられている。

このような環境の破壊とかかわる民族差別を「環境レイシズム」と呼ぶという。コロンブス以来の負の遺産はいまだにこのような形で現在も続いているのだということを改めて著者は強調している。



近代史と密接に関わる植民地主義、民族差別の実例を日本と世界のなかからさまざまな事例を挙げて検討した本になっていて面白い。アイヌ問題の関連で読んだのだけれど、より広い視点から近代そのものの問題を意識させられる。しかし、「近代」というものの漠然としたイメージはあるものの、さて「近代」とは何か、というとこれはなかなか説明が難しい。植民地主義批判の武器でもある人権や権利といった概念も近代的なものでもあり、その「人権」から先住民族は排除されてきたということをここで明らかにしているわけで、特定の人間の人権確立は、他方の人々の人権からの排除と不可分だということが近代の特質として浮かび上がってくる。

近代の正負それぞれの大いなる遺産は、人権そして経済、そして日本の核政策の功罪として私そしてその他の人々が生活する基盤そのものでもある。だからといって我々全員が等しく罪科を負っているとするのは、特定の「責任」を霧消してしまう理路だということは笙野頼子も指摘していることで、近代の基盤そのものを問うことが特定の責任の隠蔽に荷担するというようなポストモダン思想の「誤用」あるいは近代とポストモダン思想の結託こそ、笙野頼子が激しく批判していたことだったことを想起する。近来の笙野のドゥルーズ=ガタリの援用は、その延長線上にあるということは笙野読者なら当然分かっていることだったか。

というわけで、もっと短く書くつもりだったのに、第一章の要約を書いたらその分量で他の章も書く感じになってしまってやたら長くなってしまった。

平凡社選書で出たのが十年くらい前で、今品切れになっているのだけれど、ぜひとも平凡社ライブラリーで再刊してほしい。

2018.12追記。書き忘れていたけど新版が出ている。

*1:なお、この種の先住民族の生活展示が行われた博覧会に参加するため上京したアイヌのコポアヌ婆に、金田一京助ユーカラの質問をしたのがきっかけで、彼がアイヌホメロスと賞賛したワカルパに出会うことができたというエピソードがある

*2:そのひとつは大戦時に暗号兵として活躍したナヴァホ族の土地だった