石川博品 - 「耳刈りネルリ」シリーズ

耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)

耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳 (ファミ通文庫)

このブログでラノベ記事を上げるのは初めてだ。
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全く知らない作品、作家だったけれど、この人が面白そうに紹介していて、またどうもソ連みたいな多民族が混在する学園生活、というのが基本設定だと言うことを知り、東欧関係を調べていた時だったので俄然興味がでてきたのだった。

で、これがとても面白い。いかにもオタクな妄想トークが暴走したりするトリッキーな語りは今風なんだと思うけど、物語的にはむしろ王道の、あるいはほとんど古風な学園ものというべき作品で、最近のラノベに良い印象を持ってない人こそ読んでみると良いんじゃないか。中二系能力バトルでもなく、日常系部活ものでもなく、キャラ萌えで引っ張るのでもない、学園群像劇。

二百六十八もの王国や「自治活動体」を内部に抱える活動体連邦というのが舞台で、これは明らかにソ連風。そして「本地民」でじつは中央活動委員(この活動、とか委員会とかがとっても社会主義体制チック)の父を持つレイチ・レイーチイチが全寮制の高校に入学するためにやってくるところから話が始まる。この高校はもともと本地民には野蛮だとみなされている王国民らのための学校で、レイチはいろんな因果でここに入学することになり、そこでシャーリック王国王女、ネルリ・ドゥベツォネガと知り合う。ネルリは二百年前に反乱を起こした大逆賊の末裔だという。元ネタはモンゴルじゃないかという説が。

この小さな王女がまた野性的というか大仰な言葉遣いと王女ならではの高踏さを持ちつつも、ちょっと文化的に違うところからきたせいで、出会って早々野外で小便に及ぶというインパクトを与えてくれる(後にゲロも吐きます)ので、放尿ネタについてのはてなでの儀礼的に有村氏をコールしておかねばならない。id:y_arim

クラスには他の王国から来た人もいて、言葉が通じなかったり、既婚の同級生がいたりといった異文化コミュニケーションあふれる学園生活となっている。私は、アルバニアのイスマイル・カダレがソ連ゴーリキー大学に留学していた時のことを書いた「草原の神々の黄昏」を連想した。ゴーリキー大学には共産圏や連邦内部から、ラトビアアルメニアギリシャグルジア各地から学生が集まってくるわけで、作者もこうした連邦国家ソヴィエトの多民族ぶりを下敷きにしているのだろう。

草原の神々の黄昏

草原の神々の黄昏

本地と政治的に対立している王国からも人が来ていたり、クラス内で本地民と王国民のあいだに溝があったりする。ここら辺は第一巻の中心軸で、クラスが次第に仲良くなっていくのが描かれているあたり、王道学園ものといっていいんじゃないか。

そこへさらに、パンツがどうだとか言う語り手の妄想ネタトークがぶちまけられているのだけれど、この語りは語り手自身の本心(というかかっこよさげな振る舞いへの照れ隠しというか)をごまかす韜晦としても機能している。

今はあまり言わないようだけれどジュヴナイルといわれたジャンルのものに近いように思う。第一巻では学校の自治委員というのがキーになっていて、そこで囚われている友人のために戦う話だし、二巻の劇対決も同じく、クラスの仲間たちと力を合わせて権力側や大人に対して一泡吹かせる、という構図があって、これを読んでいて随分昔に一冊だけ読んだ宗田理を思い出した。

二巻では父との微妙な関係が本筋と絡んで語られ、進路の問題も出てくるし、最後には各キャラのその後までを描いているあたり、モラトリアムとしての学園生活というものを正面から書いた、ある意味で非常に古典的なスタイルの話だと思う。で、そこに異国の王女様とのロマンスが絡まるわけで。ただ、それだと今の時代受けないんだろう、現代的な妄想語りを重ねることで、今のライトノベルとして成立させているのではないかと思う。

語り手の韜晦は自分の本心を隠す機能を持つと同時に、今風でない物語を現代的なラノベとして成立させるための小説としての戦略でもあると思われる。

読んでいて面白いのは、今シリーズ全体では主人公のいるクラスそのものが主役として立ち上がってくるところだ。上記リンクでもあるように、クラスメイトたち全員と過ごしたような感覚がある。最終巻の寂しさはなかなかのもの。

日常的な世界にいる主人公の元に、別の王国から来た王女が現れ、親しくなっていくうちに、等身大の世界から、少女を介してより大きな社会、世界や冒険の世界が開けてくる、というのは少年が夢見る冒険、ボーイミーツガールものの大定番だ。大長編ドラえもんがこの路線の典型的なもので、本作もファンタジックな大冒険こそ起こらないものの、そうしたボーイミーツガールものの定番の構図を採用した作品だろう。ある懐かしさとともに、モラトリアム期の高校生がどう自分の人生を考えるかということを真面目に扱っている点が非常に好印象で、良い意味で教育的というか、まさに高校生にこそ読んで欲しいと思わされた。

わたしが「ジュヴナイル」という言葉で思い浮かべるのは、こうした懐かしさを感じさせる定番の構図と、大人になった作者が子供に向けて子供の問題を真面目に問うていく教育的な要素、というのが感じられる時だ(一般に言う意味とは違うかも)。その意味で、本作は現代ライトノベルの形を借りつつ、ジュヴナイルを語りきった作品だと私は考えている。


きわものと見せかけて文章もしっかりしているし、バックボーンがちゃんとある人なんだろう。劇中劇がやけに面白いと思っていたら元ネタがプーシキンの「大尉の娘」だったりするし。

その意味で面白いのは一巻の三章目にある、「旧共和制語」文章を現代語訳する授業で、明らかに「枕草子」ぽい「恋枕」の「もの尽くしの段」を「スイーツ(笑)」調に翻訳したり、授業で翻訳演習をしている古文調の文章の元ネタが携帯小説だったりして凄まじい。ちょっと引用。

ギヤ! グツワ! 待チタマヘ! 待チタマヘ! 翁ハ叫ベリ。許シタマヘ! 入レムト欲セシノミナレバ。バキツ! ボコツ! 刑部卿(ケン)ハ構ハズ打チ続ケタマヒケリ。ヒツー! 助ケヨ! 助ケヨヤ!

これ、携帯小説家yoshiのものとして知られている以下の文章を翻訳したもの。出典は「DEEP LOVE」だそうだ。

「ギャ!グッワ!待ってくれ!待ってくれ!」
 オヤジは、叫んだ。
 「許してくれよ!入れたかっただけなんだから」
 「バキッ!ボコッ!」
 ケンはかまわず殴り続ける。
 「ヒッー!助けてー!助けてー!」
 オヤジが悲鳴に近い叫び声をあげた。
 「お前みたいな奴がいるからいけないんだ!」
 ケンが叫びながら殴り続ける。
 「ギャー」
 オヤジの血があたりに飛び散った。ケンのコブシも血で染まっている。
 「世の中!狂ってんだよ!狂ってんだよ!」
 ケンの形相は、もうフツウではなかった。その様子を見ていた、ミクも従業員も言葉を失ってしまっていた。思わずミクが言った。
 「店長!それ以上やったら死んじゃう!」
 「ガッシ!ボカ!」
 ケンには、まったく聞こえていない。オヤジも失神したのか動かなくなった。
 「キャー、やめて!」
 ミクが叫んだ。
 「あっ……はい」
 従業員が後ろからケンを押さえた。

上記の部分が丸ごと翻訳されていて、全部引用してみたいくらいだけどやめておく。個人的には「世の中!狂ってんだよ!狂ってんだよ!」が、「末法(マツホフ)の世! 乱レタルゾ! 乱レタルゾ!」になってんのが好き。元々の文章が軽快なものだから、古文にしてもやたらにテンポがよいのが面白い。で、これをレイチのクラスで現代語訳するんだけれど、生徒が何がなにやらわからないと苦闘しているのがわらえる。

現代の文章を古文調に翻訳して、劇中でそれをさらに現代語訳させるという訳のわからないひねりが加えられているのがポイント。この、現代的すぎる砕けた文章と翻訳という点で最近話題になった某ラノベを思い出させる。

まあそれはいいとして、奇抜なタイトルとトリッキーな語りとは裏腹に、とてもしっかりとした青春学園ものを物語るというアクロバットを成立させた非常に興味深い作品。作者はこれ以降ほとんど動きがないのだけれど、今後の動きが気になる人だ。