笙野頼子 - 神変理層夢経3 猫文学機械品 猫キャンパス荒神(前編)

すばる 2012年 03月号 [雑誌]

すばる 2012年 03月号 [雑誌]

序章の完結編を年始に発表して以来、人の道連作を単行本化した以外はほぼ休眠状態だった笙野頼子が久方ぶりに復帰しての「神変理層夢経」連作の第三部前編。

読者ならうすうす気がついていたように、この沈黙は猫こと「伴侶」ドラの死が大きく影響しているようだ。小説冒頭は、そのことを受けての語り手自身の状態を内省する様子から始まっている。

心は一枚の紙のようになった。それでも私の言葉は動き続けている。今も私の書く「機械」は止まろうともしない。「こんな時代」でも。

末尾の「時代」、というのは昨年三月の震災について、そして国についての言及だ。千葉に住んでいるはずだけれど無事だったようで、故障なく生きていることについて語り手は度々「申し訳ないと見知らぬ方々に思う」ということを書いている。

この震災を背景としながら、以前からも触れている、自身の来歴がひっくり返ったことと、猫の死等の自分自身の「外も内も」を見つめながら小説は進んでいくことになる。

十六年八ヶ月、ずっと一緒に書いてきた伴侶をなくした。またその一年前に自分自身の十代までの「歴史」も、郷里との関係もほぼ全部初期化された。

それでも、書くことは止まらない。最初の引用にもあるように、入り込んでくる他者の声、自分がこれまで書いてきた作中人物の声を代筆するように書く機械となって書き続けている、という状態が描写されている。これまでも、文体において、構成において、そして「神」もそうだけれど、他者の声、複数の声というのが重層的に入り乱れてきたのが笙野の小説だった。今作でも、語り手の人生を見えないところからちょいちょい介入してきた「荒神さま」の存在が露わになっているように、私というものが私だけではないということ、私の書くものが私だけによって書かれているのではないということが繰り返し書き付けられることになる。

猫の死を受けて、それはさらに強まっているようで、語り手はこう述べる。

 こうして今の私は何種類もの「書き」を発動させる容器そのものだ。私自身がひとつの機械的筆記具のようだ。心の中に、どこからかやって来て住み着いた魂がごろごろ生活していて、それらが私という筆記機械を使って、勝手に書いている。
 昔からそういう傾向があるにはあったけれど、今の私はもうその傾向に乗っ取られている。

こうして、「哲学の奇書『千のプラトー』」、『批評と臨床』が、彼女の身近になってくる。「外」、「リゾーム」、「アレンジメント」という言葉からヒントを得て、勝手流に理解して活用していく。『千のプラトー』は数年前から笙野作品の重要な参照項になっているわけで、私もそろそろ読むしかないかな。

で、前編の核になっているのは、この部の本来予定されていたタイトル「猫ストリート荒神」で、なんとこれは小説内小説としてスタートする。荒神「若宮にに」のプロフィールと共に、笙野の買った家に就職してからの経過をユーモラスに書いている。同時に、猫を見つけてS倉に家を買うあたりからこれまでの笙野作品(『愛別外猫雑記』『S倉迷妄通信』、『金毘羅』等を経て最近作まで)を、荒神視点からすべて繋げていく試みでもある。

ドゥルーズ=ガタリの「機械」等の書くことに対する自省と、同時にこれまで書いてきたことに別視点を加えて再配置(アレンジメント?)していくこと。さらには自己史の再編というシリーズ最初からのテーマも加わり、「笙野頼子」を総捲りで再編集するような勢いになっている、というのはもう既に書いたことか。

語り手の身辺についても、文学博士の訴状とか本とかその対応に追われたことや、新たに大学で授業を持ったことが書かれている。修士課程で小説を書くことを目標にしているということで、テキストには『千のプラトー』や自作の他に伊藤計劃虐殺器官』が挙げられているのが興味深い。ちなみに問題の本は、一読、事実関係を感情的(誰と誰が仲がよいとか、意図を勝手に決めつけたりとか)に見過ぎていて、週刊誌的ジャーナリズムみたいな邪推でストーリーが作られており、問題外だと思った。
webちくま
http://wwwj.rikkyo.ac.jp/kyomu/in/01bun/Jj0/195_0_1.html
とはいっても、笙野氏の反論の仕方も、「論争」のやり方としてはどうにも支持しきれない。以前はブログでよく論争じみたことをした身としては。

とりあえず、一年の沈黙を経てようやく連作再開となりそうで、是非とも続きが無事に続いて欲しい。まあそう言っても無事に済まないのが笙野の笙野たる所以ではある。

いつもの素早い感想。『猫キャンパス荒神(前篇)(「すばる」2012年3月号掲載)』(笙野頼子):馬場秀和ブログ:So-netブログ