青月社編『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち』に寄稿しました

ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち いま読みたい38人の素顔と作品

ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち いま読みたい38人の素顔と作品

9/16日に刊行予定の青月社編『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち』という本の、イスマイル・カダレの項目を担当しました。およそ十枚くらいの原稿です。どうぞよろしくお願いします。

この本は表題通り、ノーベル文学賞候補と目されている作家・詩人についてのガイドブックです。いわゆる世界文学のガイドとしてはこれまでにもいろいろあり、ノーベル文学賞をテーマにした本もありますけれど、類書に比べて珍しいのは、対象を候補と目される作家と限定した世界文学ガイドだという点です。つまり、刊行時点で存命で、ノーベル文学賞をとっていない文学者が対象になっています。この手のガイドとしては目玉となりうるノーベル文学賞受賞者を除外するわけで、なかなか興味深いセレクトではないでしょうか。

また基本的に訳書がある程度出ている作家をメインにしているので、こんな作家がいたのか、と知って、すぐに読むことができるというのもあります(新刊入手できないものもあるので、古書なり図書館なりを使うとして)。

それで、まあ書いてる人達がなかなか凄くてびっくりしました。著者校が出るまで誰が書くのかは聞いていなかったのですけれど、その作家の訳書を出しているような人や、大学教授、講師、また今博士課程にいる新進の研究者といった人たちが並んでいて、なんで私がこんなところに、と感じるばかり。書き手の豪華さはAmazonその他で御覧になってもらうとして、まったく大学などに在籍してない肩書きフリーの私の雑魚ぶりがものすごい。あまつさえ外国語読めないでこの本に書いてるのは私だけでしょう。

ピンチョンの項目は、あれこの本まだ出てないのに訳書に列挙してある、と思いながら読んでいたら、最後で書いていたのは佐藤良明氏その人だということがわかって驚きました。冒頭で、佐藤良明訳『重力の虹』が日本語で読める訳書リストに載ってるのはおかしいぞ、と思ったら、御本人様だったという。あ、翻訳作業終わったんですね、お疲れ様です、と思いました。佐藤良明訳『重力の虹』今月末刊行です。

また、トム・ストッパードは名前だけは知っていたのですけれど、彼が元はチェコ出身で、トマーシュ・ストラウスレルという名前だったのは初めて知りました。それにかかわり、『コースト・オブ・ユートピア』と『ロックンロール』というロシア東欧を扱った戯曲があり、東欧文学関連として俄然興味が湧いてきました。で、『コースト・オブ・ユートピア』というタイトルにあれ、と思って樺山三英『ゴースト・オブ・ユートピア』を開いてみたら、エピグラフがここからの引用だったので、納得。

興味のある作家はだいたい一冊くらいは買ってあったりして、知らない作家というのはあまりいなかったのですけれど、女性作家、ジェバール、アレクシエヴィチ、オーツ、マライーニといった人や、ケニアグギ・ワ・ジオンゴはいずれ読みたいと思いました。

ポップな装幀からもわかるように、わりあいに一般向けにわかりやすく魅力を伝えるという方針で書かれたものとなっておりますので、気軽に御覧いただきたいと思います。

拙稿について

カダレの項目は、「幻視社第五号」でほとんどを私が書いたカダレガイドの部分をベースに資料を再検討し、また新たな資料の情報を細かく盛り込みながら、本文九枚のなかにカダレの邦訳全作品への言及を入れつつ、アルバニアの現代史とカダレ作品の関係の解説を試みたものとなっております。カダレ作品は多くの場合、アルバニアの現代史を背景としていることが多く、しかし、アルバニア史はやはりマイナーなので、読者としてはよくわからない部分が多くなってしまいます。アルバニアの歴史的状況という、作品のおかれた文脈を情報として提供し、死者、ドルンチナ伝説のモチーフの意味をそこから捉えてみたものです。原稿全体が作品を現代史から読む、というアプローチに偏りすぎた感はありますけれど、あとは他の読者さんの多様な読みを待つ、ということで。

しかし、『夢宮殿』は再読するたびにこちらの認識が少しずつ変わっていく作品でした。今回印象に残ったのは、夢の回収というのは、デビュー作『死者の軍隊の将軍』での遺骨回収とその記憶の掘り起こし、と強い類似性を見せていることに気づいたことです。これは作中でも示唆されてもおり、カダレの一貫性がより印象づけられました。

もう一点、80年代にはアルバニアの独裁者、ホジャと、首相メフメト・シェフの政治的対立があり、シェフはホジャからの厳しい批判の後急死する事件がありました。これは後に疑惑通り暗殺だったことが明らかになるのですけれど、この事件は『夢宮殿』でのある事件を連想させるところがあり、もしかしたらカダレはこの首相暗殺事件をモデルにして書いているのではないか、と考えたのですけれど、作品末尾には1981年と書かれており、シェフ暗殺は81年12月なので、『夢宮殿』が予言的だっただけかも知れません。ただ、発表年月がどうも確定できないので、断定的なことは言えません。

今回の原稿での参考文献を一覧しておきます。
井浦伊知郎『アルバニア・インターナショナル』社会評論社
中津孝司『アルバニア現代史』晃洋書房
NHK取材班『現代の鎖国アルバニア日本放送出版協会
トム・ストライスグス『目で見る世界の国々62 アルバニア』国土社
中津孝司『新生アルバニアの混乱と再生(第二版)』創成社

NHK特集 現代の鎖国アルバニア

NHK特集 現代の鎖国アルバニア

特に面白いのはNHKスペシャル取材のために、社会主義時代にアルバニアに入国した時のことを書いた『現代の鎖国アルバニア』です。制約や監視がありつつも、いろいろなところを見てまわる様子や、現地の人にインタビューしたり、厚みのあるレポートになっています。この時代の取材記録というのは貴重だと思われますし、他では見られなかった歴史叙述もいくつかあり、アルバニア本としては必読の一冊でしょう。

あと、紙幅制限で原稿から削ったのが、『砕かれた四月』の紹介と「血讐」「ジャクマリャ」の話です。これは私も素材を持っていないので書きようもないのですけれど、『エクソシスト』の原作者W・P・ブラッティによる『ディミター』など、この因習を題材にした小説があることに触れておきたかったな、と。『ディミター』は冒頭でアルバニアのジャクマリャを描いていて、また作品としてもかなり面白いのでお勧めしておきます。

逆に、これは駄目だ、と思ったのが初瀬礼『血讐』です。映画化を前提にした日本エンタメ小説大賞、という賞の優秀賞受賞作品なのですけれども、まあいかにもべたなサスペンスストーリーに、物珍しいアルバニアの因習を絡めた、というだけで書かれた作品です。読み応えがないにもほどがある、というくらいの薄い小説で、そのうえに校正がひどい。全体的に文章の推敲がとても甘いのが目についてしかたないし、さすがに「中でもアルファベットのCの文字の下に何かがついている文字は、文字自体、初めて見る文字だ。」(232P)という「文字」四連発はどうにかならなかったのか。カダレを参考文献に挙げるなら、『砕かれた四月』がないのは何故なのか、とか、どうにも。

そういえば、国書刊行会の『世界×現在×文学 作家ファイル』では、カダレの項を平岡敦さんが書いているのですけれど、見ていたら、カダレの『死の軍隊の将軍』が恒文社から直野敦訳で近刊予定と出ているのを見つけました。直野さんはそういえば、アルバニア語入門等の語学書を出しているので、アルバニア語が出来る人だったんですね。そんな予定があったのか。

まあとにかく、カダレ作品がより多く訳されることを願って。よろしくお願いします。