季刊「未来」の後藤明生論第六回「夢の話法」について


最終回が掲載された「未来」が届きました。
字数で削った註釈などを以下補足として。

冒頭の夢の論理の部分。後藤はカフカの『変身』が夢から目覚めて始まっていることに注意を促していて、だからこそ、現実は夢ではないけれども方法として夢の論理によって書かれている、と指摘している。『挾み撃ち』も、目覚める話から小説が始まっている。

註釈2について、『円と楕円の世界』の「原因不明の世界」を参照したけれども、文中で言及される「消滅の文学」(「文芸」一九五七年二月号。「消去の論理」と改題され『小島信夫文学論集』晶文社、一九六六年所収)には、後藤が紹介する内容とはかなり違う論旨で、この評論をそう読んだのか、別の文章があるのかわかっていない。小島の文章で消去されていくのは「肉体」。

「夢」を題に含んだ小説についての註釈7について補足。『嘘のような日常』(七九)の帯には「嘘や夢のように、日常が見えてくる……」とある。そしてこれらの他に「夢」が題に含まれる作品はない。第一回で書いたように、「嘘のような過去とほんものの嘘」という作品が一九六〇年に懸賞小説に応募・落選している。

なお今回で第一部了としました。後藤論としてはあと二部三部の全三部構成ですけれど、連載はここで終了です。なので、最後の十六節「朝鮮引揚者の戦後と方法」では、終章として書いていた文章のダイジェストをぶち込んでみました。テクスト論から作家論に引き戻す感じで、まあ反動的と言われかねないなと思わないでもないですけど、拙論の趣旨でもあるかと。

そして今回の連載は未來社の編集さんとともに、岡和田さんにも原稿の第一読者になってもらって、さまざまな助言、指摘などをもらって改稿を重ねてきました。企画の立ち上げから、査読にいたるまで、未來社の編集さんともども、本稿の成立には不可欠の存在でした。これでいいのか、と思いながらも岡和田さんがチェックするから、という安心感で書けた部分もあります。掲載の場をいただいた未來社さん、岡和田さん、たいへんありがとうございました。