2017年読んでいた本

仕事関係とかいろいろ除いて、今年読んだ本から10冊挙げてみる。

笙野頼子『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神

笙野頼子の闘争的メッセージが掲げられた長篇。妻とも呼んだ猫ドーラの生をフィクションのなかで保存する語りのなかで、歴史には残らないような女の歴史を語り、母への追悼と慰霊そしてその女の歴史の舞台となったキッチン、食卓が政治的抵抗に繋がる回路を語る。
笙野頼子 - さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神 - Close to the Wall

石川博品『先生とそのお布団』

売れない作家の苦難を描きながら、書くことの意味を再確認する作家小説で、文学的伝統を象徴する喋る猫「先生」という装置を用いつつ、先生との暮らし、という石川的モラトリアムの幸福とその別れを描いている。面白さとともに、こんなに身につまされる作品もないな。作中「先生」が「オフトンはずっとそんなはなしを書いてるな。仲良しこよしの一時的な集団を」と言う。これはネルリや百合物帳、あるいは帰宅部もそうだったし、後宮楽園球場もそうだろう。そしてこの作品自体もそうだ。短篇「七月のちいさなさよなら」もそう。ずっと卒業の話を書いているともいえる。なので、後宮楽園球場は帰るところとしてのベンチから卒業するところまで読みたいんだけれど。乙女場所(後宮楽園球場のこと)が二巻で二度目の打ち切りを食らったり、集大成と自認するアイドルマジックが一週間で打ち切りになる売れなさ、リアルタイムで読者たる私たちも舐めてきた苦難を、作者の側からの思い入れ込めて描かれると、もうこんなつらい話あるかよって。カクヨム短篇版よりも生々しい。企画会議通ってない原稿を書いて全没になって、決まってない原稿を書くのは嫌だと編集に文句言ったら石川さんは売れないので、と返されるとか。尾崎クリムゾンは尾崎紅葉で和泉美良は泉鏡花のもじりか。クリムゾンからもらい受ける喋る猫は漱石、つまるところは文学的伝統の象徴なので、「先生」だ。書くことの受け継ぐものと残していくものとの話。以前ブログにも書いた短篇版からはかなり改稿されてて、私がブログで引用したところはだいたい残ってなかった。To LOVEるにひっかけたところや、書き出しの書き直しのところとか。今作の改稿のくだりはより細かく、具体的になっていて良いけど、カクヨム版の魔法のような鮮やかさもよかった。

クリストファー・プリースト『隣接界』

隣接界 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

隣接界 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

300頁超えるくらいまでは退屈ではないけどちょっと、って感じだったんだけど、400頁ぐらいからぐっと面白くなって読み終えるととても良かった、となる。死んだ人、消えた人が生きていてくれたら、という祈りを叶えるようなロマンチックな小説。『魔法』あたりの騙り、というよりは『双生児』以来のズレや食い違いが分岐、可能世界として増殖あるいは合流する感じの手法で、ある人間が、さまざまな時間、場所でさまざまな可能性を生きている、というような印象が生れてくる。隣接、という本書のタイトルは、隣接性兵器というどうも別次元へ飛ばすようなもののことでもあり、時代や場所を越えて似た人間が別の場所に出現する本書の手法のことでもあり、テロや戦争に引き裂かれた相手がじつはすぐ近くにいるのではないか、ということでもある。近未来のイギリス、第二次大戦の航空機乗り、奇術師、夢幻諸島、さまざまな場所での物語が、不思議な形で絡み合う奇妙なSF幻想小説。良いんだけど、でもやっぱりこう、前振りを読まされてる感じがしてだるいところがあった。必要な部分ではあるんだけど、どうも長すぎる。短篇「青ざめた逍遙」あたりの、SF的ガジェットによる障壁を組み込んだ、ロマンティックな恋愛小説の背骨が通っていて、そういうプリーストが味わえる作品でもある。しかし、妻を気にかけながら、会ったその日に女性と関係をもつ展開多すぎない? ヨーロッパの似た名前で連繋を作るんだけど、登場人物の各スペルが知りたい。クリスティーナとカーステーニャはスペルも似てるだろう。また、メラニーのあだ名マリナがいろいろ繋がっていって、スピットファイアの「マーリン」・エンジンに至るのが良かった。

朴裕河『引揚げ文学論序説』

文学史から省みられなかった旧植民地からの引揚げ体験者による「引揚げ文学論」を提唱する著作で、後藤明生を論じており重要。他に漱石、小林勝、湯浅克衛などが扱われる。国会図書館関西館にしかない雑誌の論文など、参照が手間だった論文が収録されておりその点でも良い。
朴裕河 - 引揚げ文学論序説 - Close to the Wall

メルヴィル『白鯨』

ようやく読んだメルヴィルの代表作。長いけど読みづらくないし、ピークォド号の多人種のるつぼ的なところとか面白い。ここで挙げたリストのうち、これで半分読んだことになる。

小島信夫『城壁・星』

小島信夫の戦争小説集。不思議な味わいがある。水声社の短篇全集を買わないとな、と思ってもハンディなこっちを読んでしまう。

山野浩一『鳥はいまどこを飛ぶか?』&『殺人者の空』

鳥はいまどこを飛ぶか (山野浩一傑作選?) (創元SF文庫)

鳥はいまどこを飛ぶか (山野浩一傑作選?) (創元SF文庫)

殺人者の空 (山野浩一傑作選?) (創元SF文庫)

殺人者の空 (山野浩一傑作選?) (創元SF文庫)

今年逝去したニューウェーヴSFの重要人物による短篇選集。一読、ハッと思い当たったんだけど割りに言及する人がいない点として、短篇群に明らかに革命の暗喩がある、というか、運動の挫折を経て書かれていることだ。ちょっと読んだのがしばらく前でメモも書いていなかったのでややおぼろげだけれど、日常性への考察や「鳥はいま〜」などの別世界の含意するものというのはかなり直接的に革命、政治と密接に絡んでいるはずで、登場人物が学生運動経験を持っている人物もいたし、「殺人者の空」は直接的に運動の内ゲバが題材になっている。ニューウェーヴ運動における革新性、ってじつはかなり直接的に政治的革新とも連繋するものなんじゃないかということを考えていた。たとえばポストモダンやフランス現代思想の政治的文脈っていうのはわりと最近強調されるように。

二葉亭四迷『平凡・私は懐疑派だ』

『其面影』もいいけど、『平凡』がいかにして私は文学を捨てたかっていう文学批判の文学で面白い。下宿先の女との恋愛関係が『浮雲』の逆を行っていて反転させた再演になっていてかつ、文学の空想性と遊戯性ひいては当時の文壇まで批判している。ものすごい皮肉で、「矛盾が私の一生だ」という通りの自己矛盾的小説。後藤明生がなんども参照する、送別会の送辞に答えて私はどうも文学には本気になれない、外交的翻訳紹介はするけれども、文学を自分のミッションとすることは出来ないと当時の並み居る文学者たちにむかって言ったという逸話そのまま。そもそも、「近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、聊も技巧を加えず、有の儘に、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行るそうだ。好い事が流行る。私も矢張り其で行く。」から始まっているわけだから皮肉もきつい。

中村光夫二葉亭四迷伝』

二葉亭四迷伝 (講談社文芸文庫)

二葉亭四迷伝 (講談社文芸文庫)

四迷繋がりでこれも。非常に読ませる評論で単純に面白いけど、宿命論的なところが気になったような。

蓮實重彦夏目漱石論』

夏目漱石論 (福武文庫)

夏目漱石論 (福武文庫)

読んでなかった蓮實テマティスムの代表作? 横たわることとかさまざまな仕草や代理、報告、鏡、水、明暗、遠近などの諸要素からテクストを読んでいくの、やはり非常に面白い。模倣、報告などテーマの節々が後藤明生を想起させるところもある。