ファトス・コンゴリ『敗残者』

敗残者 (東欧の想像力)

敗残者 (東欧の想像力)


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敗残者〈東欧の想像力17〉 | 松籟社 SHORAISHA

松籟社〈東欧の想像力〉第17弾はアルバニア文学としてイスマイル・カダレ以来二人目となるファトス・コンゴリが1992年に発表した第一作。91年、国外脱出の船を出航前に降りた主人公が、幼少期の暴力やその復讐、国外逃亡者の叔父を持つための迫害、恋人や友人を失い、そしてすべてを失うまでの敗残の人生を回想する長篇小説。

カダレが外への希望を描いていたとすれば、コンゴリの今作は自らの罪を引き受けて内に留まることを描いているように見える。共通するのはアルバニアの閉塞感だ。コンゴリは一党体制下では作品を書かず、新政権において初めて本作を発表し、アルバニアにはカダレ以外の作家もいると国際的に評判となったらしい。

東欧革命の流れのなかで、国内の混乱と困窮で西側諸国への脱出者が大挙した91年を現在時に、その船に乗り損ねた男を語り手として二十年ほど時を遡る告白が語られるわけだけれども、ここで大きいのは、父からも殴られたことのなかった平穏な彼を襲った教師の暴力と、復讐としてその教師の娘の美しい少女、ヴィルマが飼う子犬を毒殺したことだ。この件は彼についてまわる因縁の一つになるけれども、この頃の主人公にはもう一つ別の罪が降りかかる。

「お前が生まれる数か月前の話だ。お前の叔父さんは国境で兵役に就いていたが、他の兵士二人と一緒に国境を越えたんだ。これは逃亡であり、敵対行為であり、我が一家にとっての恥だ。私たち全員にとって、そうだ。お前にとっても、あいつはもう存在しない。そしてお前も、あいつを憎まなければならない!」44-5P

こうして彼は生まれる前の知らない人間を、絶対の秘密のうちに憎悪せよという任務を命じられる。語り手はじつは子犬殺しには罪悪感を覚えておらず、彼にとっての最初の罪とはこの「亡霊」を憎悪せよという「危険な秘密」を抱え込むことだった。そして彼の世界は、ヴィルマの白と、自分の黒、という二つの世界に分かたれる。子犬殺しとこの不条理な罪は絡み合うように彼の人生を支配する。

大学時代に知り合った党の高級幹部を父に持つラディと、十歳年上の未亡人ソニャとの出会いと彼女との恋は彼の人生を上向かせるけれども、叔父の件を知る閣僚の息子の党員査察官が彼を執拗に追いつめようとする。そしてとつぜんラディの父が人民の敵として逮捕されてからは、大学も辞めざるを得なくなる。「裏切り者」の叔父、語り手の後ろ盾ともなっていたラディの父の理由の分からぬ失脚によって、彼に原因があるわけでもない突然の転落を余儀なくされる不条理さは、いわばカフカ的な迷宮感があり、カダレの『夢宮殿』を思い出せるところがあるのは社会主義国家のならいだろうか。

党員査察官の象徴的な「灰色の目」に見つめられながら、主人公はそうして転落していき、採石場での労働に従事するようになる。ここからまたさらに彼は絶望を味わうことになるけれども、それは略すとして、この親族の事情と子供の頃からの人間関係から逃れられないどん詰まり感は甚だしい。当時のアルバニアの空気というのはこういうものだったんだろうか。主人公の人生は「狂人ヂョダ」に始まり「狂人ヂョダ」と再会して終わる今作の「円環」的な構成は、生まれた時から運命づけられた閉塞感と切り離せない。と同時に、彼がアルバニアを離れないのも罪の意識からでもあって、「狂人ヂョダ」は子犬殺しその他の象徴ともなっている。

解説で社会主義リアリズム的ではないと指摘されている主人公の弱さがある。彼は英雄でもなく、かといって罪のない善人でもない。「灰色の目」に立ち向かうこともできずおめおめと生き残り、どこにも出口はないと認識するしかない。そして党の支配する国で生きてきたなかで犯した罪責とともに、アルバニアを離れることを辞める。

「いつまで俺たちは壁に頭をぶつけてなきゃならないんだ?」
「頭をぶつけたって壁は壊れないってことがわかるまでよ」249P

このアルバニアを離れることと留まることの対比は、カダレとコンゴリ自身を思わせるところがある。解説にもあるようにカダレは91年、党第一書記に改革を要望したものの拒否され、フランスへ亡命することになった。党とアルバニアをめぐって二つの道が分かたれたことが本作の背景のようにも見え、カダレとコンゴリはアルバニアをめぐる岐路を象徴するようにも見える。

「人間というのは残念ながら、美ではなく権力にひれ伏すものなのだ」(109P)というシニカルな一文のように終盤、勝負を挑むこともできないのは、そもそも「狂人ヂョダ」への復讐が子犬に向いたこととと無縁ではない。だから彼は冒頭でそれと向き合うことになる。

自分がこの生に留まり続けるのはそこから逃れることが不可能だからだ(中略)自分自身の無力さ。恐らくそれは、この町のぬかるみの狭間で、凡庸と卑俗の中で生き延びて、他人の苦痛や悲劇を耐え忍び、断罪されつつやり過ごしながら歳月を重ねていくことなのだと言えるだろう。死は永遠の眠りだ。生きながらの死は永遠の拷問だ。
235P

新政権のなかの自由と裏腹の混乱のなかで、一党体制下の灰色の生活が想起されるこの作品は当時のアルバニアに生きる人々のリアリティの巧みな形象化なのかも知れない。

作中の重要な色でもある灰色の写真と白ベースでの装幀がかなり決まっている。〈東欧の想像力〉は11弾から仁木順平が担当していて、フォーゲルとかアンドリッチとか、これまではもうちょっと抽象的、記号的な意匠だったけれど、一転してシリアスな方に振って新鮮な印象がある。

なお本書は松籟社木村さまより恵贈いただきました。ありがとうございます。