パヴェウ・ヒュレ『ヴァイゼル・ダヴィデク』

〈東欧の想像力〉第19弾はポーランドで1987年に発表された長篇。23年前の夏、「僕」が、不思議な能力を持つユダヤ人の少年ヴァイゼルとの日々を回想し、彼が一体何者で、何故突然失踪したのかを考え続けながら、決して解答に至ることのない「美化なしに語っている物語」を描く。

ヴァイゼルはドイツ語で賢者、つまりタイトルは「賢者ダヴィデク」とも訳せる。ダヴィッド(ダヴィデクはその愛称)はユダヤ系の名前だという。舞台はポーランド西部国境地帯のグダンスク近郊。語り手を含むポーランド人の少年三人の前に、ある日不思議な少年が現われる。

いなくなった人々

その夏は旱魃におそわれ、遊びに行った海では魚の死骸が腐臭を放つ異常事態が起こっていた。そんなとき戦争ごっこで遊んでいた三人に、サビだらけのシュマイザー自動小銃を渡したのがヴァイゼルだった。どこからか現われる本物の銃火器もさることながら、後には爆薬の実験を行なったり、サッカーで超人的なプレイをみせたり、動物園の黒豹を手懐けたり、空中浮揚を行なったり、次第に彼は特殊能力を持つカリスマ的な存在として少年達を魅了していく。そうした不思議な体験とともに、語りはさらに二つの時間軸があり、ヴァイゼルの失踪後、校長や教師や軍服姿の男たちにヴァイゼルや彼に付き従っていた少女エルカがどこに行ったのかと尋問される夜と、それから23年後、大人になった語り手が当時のことをこの書物として書き記している現在だ。失踪後の学校では、監禁され爆薬の出所を問われたり最後にヴァイゼルたちを目撃したのはいつかということや、本当は二人は爆発で死んだのではないか、と誘導尋問によって一つの「真実」に到達することが目指される。少年達はヴァイゼルとの約束として秘密を守りながら、厄介事を葬り去るためか大人たちにとって都合の良い、ヴァイゼルたちはある日爆発の実験で吹き飛んだ、という経緯をでっちあげることに協力することになる。

そして現在、あの夏から遠い時間が経った今、語り手ヘレル(作者ヒュレの綴りのアナグラムになっているという)は不思議な夏をできるだけ詳しく思い返しながら、しかしヴァイゼルが消えた以上、彼が何者で何をしようとしていてそして何故突然消えたのか、という決して解き得ない謎に直面しながら叙述を続けていくことになる。仲間三人のうちピョートルは、70年のグダンスク造船所から始まった抗議運動の様子を見に出た通りで流れ弾(おそらくは鎮圧に出た軍隊の)に当たって死に、もう一人のシメクは別の街に移り住み、ヴァイゼルに付き従っていた少女エルカも、生物の教師もポーランドからドイツへと移民していった現在がある。エルカに会いに行ってヴァイゼルのことを問い、死んだピョートルの墓で彼と話し合う幻想的な場面でも謎は明らかになることはない。あの夏の出来事は詳しく思い出せても、何も明らかにならない。

パランプセストとしての場所

この徹底した不可解さが描かれるのが本作で、ポーランド西部国境地帯という場所からユダヤ人が消えたと要約しうる謎は、ナチスホロコーストの記憶や土地から異民族が消えた歴史的経験にも射程を伸ばしているようにひとまずは読め、美化も解決もしないという語りの倫理性は、そのことに対する態度として採られている。ヴァイゼルとの行動のなかで、グダンスクを含む近郊の土地の様子が細かく描かれるのはそのためで、いつもは海水浴ができる腐臭を放つ海辺や、いくつもの爆破された橋、語り手の近隣住民の様子、解体される建物や、ヴァイゼルがグダンスク生まれのショーペンハウアーゆかりの場所を説明したり、第二次大戦での攻防が行なわれた郵便局が出てきたり、土地と歴史についてさまざまな叙述が埋め込まれている。「Mスキ」と呼ばれる生物教師が土地の生き物を採集して回っているのが描かれるのも、そうした土地の描写の一環だろう。そして、その生物教師やエルカのように、リスクを負ってでもこの土地から消えた人というのがヴァイゼル失踪の謎の支流ともなっており、語り手以外の主要人物は現在時、全員がここにいない。この土地を離れた人々に、応答はなくとも向き合い続けることが本作の語りを成している。

解説にも言及があるけれど、訳者の別の論文では本作以後ポーランド西部国境地帯は幾度も書き換えられ以前の文字の痕跡を残す羊皮紙を指す「パランプセスト」と呼ばれるようになったとある。当時の事件とその後の尋問調書、そして現在の回想と幾重にも重ね書きされた記憶のみならず、国境地帯ひいてはポーランド自体が幾度も国境・領土を書き換えられた場所でもあり、ユダヤ人を始めさまざまな人々が追われ、あるいはやってきた土地でもある。ヒュレはグダンスク生まれで、同じグダンスク(ダンツィヒ)生まれのギュンター・グラスダンツィヒ三部作を思わせる箇所があるというのも、そうした重ね書きされた記憶にまつわる技法の一端だろう。なお、東部の国境地帯となるウクライナリヴィウは、本叢書で既刊のデボラ・フォーゲルゆかりの場所だ。

しかし、ヴァイゼルの奇跡や行状はやはり謎めいているし、印象的な腐る魚(魚はキリストの象徴だという)の海や、主人公たちの宗教的行事に関わらないヴァイゼル、ピョートルの死に納得できない主人公に対していらだつ司祭の様子など、多分に宗教的な要素がある。作中で「反キリスト」と言われている「黄色い翼の男」という精神病院から抜け出してきた男が聖書を引用しながら演説をする場面など、キリスト教の相対化の描写もしばしばある。作中一度だけ、シメクがシモンと表記されてる箇所があり、ここには「シモン・ペテロ」と訳注があり、三度の否認で知られるシモンを示唆しているらしい。イエスの変容を目撃し、尋問にイエスを三度知らないと答えるというのペテロの逸話は本作とも重なるところがあり、とするとヴァイゼルにはやはりキリストあるいは反キリストの影が重ねられているんだろうか。また、銃火器の調達や爆発の実験など、戦後間もない状況での遊びなのかテロリズムなのか判別のつかない行動も謎めいている。ヴァイゼルがいなくなると海の魚の腐敗が終わるというのはとても象徴的だ。

東欧の想像力叢書だとコンゴリ、ゴマ、ヒュレとここ三作続けて鬱屈した回想を主軸にした作品で、そうした歴史と政治、その責任にまつわる暗い回想の色調が東欧の歴史のなかで語られている。言ってみれば「風の又三郎」的な不思議な少年との出会いを描いたマジカルな小説という側面もあるけれど、そこには歴史と民族の問題が重ねられている。

ギュンター・グラス(『ポーランドの歴史を知るための55章』より) | エリア・スタディーズ 試し読み | webあかし
本書訳者の井上暁子によるグラスのポーランドでの受容についての記事。グラスとも関係のある本作のサイドリーダーにもなるし、『ブリキの太鼓』のオスカルとグラスの銅像があるのが、本作のまさに舞台となったヴジェシチ地区だ。

作中時系列について

解説と帯文に「1967年の夏」と記載があるけれど、これは誤りではないか。本書74Pにはヴァイゼルの生年が1945年で12歳で失踪したと記されており、それが1957年8月だったと明記されている。1946年にアブラハムソ連から送還されたという時系列的にもここは誤記ではなさそう。また23年後と幾度か現在時が示されていて、ヴァイゼルとの夏が67年だったら本作発表の三年先に現在時が設定されていることになるけどそれもちょっと変だ。また、少年の頃の部分でスターリンと思われる人物の肖像画が街から消えたという描写があり、スターリン批判の頃だと思うのでやはり57年では。1957年はパヴェウ・ヒュレ自身の生年でもある。1927年生まれのグラスのちょうど30年後。解説の誤記が帯に採られたパターンではないかと思う。

リンク

グラスについては以下のヒュレが取り上げられている本にも項目が立てられている。

東欧の想像力

東欧の想像力

  • 発売日: 2016/02/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
上で言及した訳者による「想起される地域――現代ポーランド語文学における国境地帯の表象」という論文にも本作についての言及がある。
東欧地域研究の現在

東欧地域研究の現在

  • 発売日: 2012/10/01
  • メディア: 単行本

トカルチュクについて
図書新聞にトカルチュク『プラヴィエクとそのほかの時代』の書評が掲載 - Close To The Wall
デボラ・フォーゲルについて
デボラ・フォーゲル『アカシアは花咲く モンタージュ』 - Close To The Wall

本書は松籟社木村さまから恵贈頂きました。ありがとうございます。