中国広東省で母を失い孤児となった少年をイギリスから来たラヴェル教授が迎えに来るところから本作は始まる。ラヴェルは少年の元から持っていた名前をイギリス人は発音できないと却下し、英国風の名前を付けるよう要請し、少年は自分の名前をその場で決める。それがロビン・スウィフトだった。スウィフトは彼がよく読んでいた『ガリヴァー旅行記』からだ。教授がロビンを英国に招いたのは翻訳者として育成するためだった。翻訳の魔法によって英国は発展しているけれども、英語と近いヨーロッパの言語は使い込まれて力を失いつつあり、まだ使われていない別の言語で活性化する必要があったからだ。
主要人物は四人。主人公のロビンとカルカッタ出身のラミーの男子二人、そして英国人のレティとハイチ出身のヴィクトワールの少女二人。この多言語環境のなかにある男女四人がオックスフォードに入学し、大英帝国の力となるために厳しい学習を積み重ねていく。ロビンは北方中国語、ラミーはウルドゥー語、アラビア語、ペルシャ語ができ、ヴィクトワールはフランス語とハイチのクレオール語、レティは独仏語を専攻することになる。
こうした設定によって植民地主義――資源の利用・収奪のシステムを、「言語」や「学問」にフォーカスして再構成し、一つの小説のなかで扱えるようにしている。バベルという翻訳の力を使う帝国にとって周辺諸国の「言語」は資源にほかならず、その資源によって帝国はいっそう力を増していく。英国植民地などの諸国から有望な人間を集めているのがオックスフォード大学の王立翻訳研究所、通称「バベル」だ。主要人物は多くの言語の学習を進めることでその門をくぐり、そこで働くこと、銀工術に携わることを目指している。この塔が作中での英国の繁栄の象徴になっている。
現代の国際的な言語環境が英語一強の状態にあることを「英語帝国主義」などと言ったりするけれども、実際に言語が資源となる世界を用いて本当の英語帝国主義の状況を作り出しているわけだ。
ロビンはラヴェル教授からはこのような差別的な言動を受けたりもする。
「怠惰と欺瞞はおまえの同胞たちに共通する傾向だ。だからこそ、中国はものぐさで遅れた国のままなのだ。近隣諸国が急速に進歩に向かっているというのに。おまえたちは生まれつき、愚かで、心が弱く、努力を惜しむ存在だ。おまえはそうした傾向に抵抗しなければならんのだ、ロビン。おまえの血の汚れを克服する術を学ばねばならん」上巻65P
植民地主義はこうした差別に基づき人種を序列化する。
とはいっても本作のまず第一の魅力は、翻訳者となるべく教育を受け出身も多彩な同期たちが勉学に励み、お互いに仲を深め、そして浅黒い肌や性別によって嫌がらせや差別を受けたりというそれぞれの出自の違いへの理解や無理解を通して描かれる、青春小説としての物語の厚みにある。
そこがふたりの違いを際立たせる点だった。ロンドンにきて以来ずっと、ロビンは頭を低くし、同化しつづけようとしてきた。自分の異質さを小さく見せようとしてきた。目立たないようにすればするほど、人目を惹かないと思った。だが、嫌でも目立つしかないラミーは、逆に強い印象を与えようと決めたのだ。彼は極端なくらい大胆だった。ロビンはラミーをすばらしいと思ったが、同時に少しだけ怖いと思った。上巻84-85P
遠目から見れば白人に溶け込める肌の色のロビンと、インド人で肌が浅黒いラミーとの違いを描いた一節。
物語自体は大人の横暴に子供たちが団結して立ち向かう、という王道といってもいいものだけれど、その定型とも言える展開を上下巻の分量で丁寧に肉付けしていくことで、感情を引き出す力を持たせている。不利な出自であっても勉強することによって教授職にもなれる、立身出世を目指す学生たちの授業や課題や試験に明け暮れる青春。しかしその裏側には学生たちをまさに資源のように利用する英国の冷徹さがあり、学習者たち、特に国外の出身者はその欺瞞を拭うことができない。
そんななか、バベルに対して工作を行なう秘密結社ヘルメスが存在し、ロビンが偶然遭遇することで物語が本格的に始動していくことになる。バベルとヘルメスの関係が描かれるなかで、この言語収奪体制への抵抗のあり方の先例として奴隷制度がしばしば取りあげられる。これは、奴隷制度は倫理的な思考によって廃止されたのではなく、あくまでも実利や直接的な抵抗によってしぶしぶ廃止に向かっただけで、バベルを中心とするシステムを言論によって解体することは不可能だ、という議論になる。ここで原書副題の「暴力の必要性」という話になるわけだ。「Babel: Or the Necessity of Violence: An Arcane History of the Oxford Translators' Revolution」というのが原題で、邦題としては長くなりすぎるので省かれた部分が「暴力の必要性」となっている。
「暴力は、おれたちがどれほどのものを進んであきらめようとしているかを教えてくれる」グリフインは言った。「暴力こそ、やつらが理解している唯一の言語だ。なぜならやつらの収奪の制度は、本質的に暴力的だからだ。暴力が制度を揺さぶるんだ。そして制度はその衝撃に耐えられないんだ。自分にほんとうはなにができるか、おまえはわかっていないだろう。おまえが引き金を引かないかぎり、世界がどう変わるのかおまえは想像できないんだ」下巻110P
固められた収奪のシステムを言説や穏当な政治活動で崩すことは極度に困難で、なんらかの実力行使や破壊工作あるいは暴力によらずして革命は起こらない、と本作は示唆する。収奪のシステムという暴力に抗するには終極的には暴力で対抗するしかない、と。しかしロビンのまわりにはその暴力で傷つくものたちがあまりにも多く生まれており、暴力を駆動すればするほど敵対勢力からもより激しい暴力が襲い来ることになる。そして英国の白人と周辺諸国の人間では収奪のシステムへの賛否が分かれてしまう距離もまた描かれる。
本作では「翻訳」は力でもあり暴力でもある。銀工術とはある語と語のペアで翻訳がなされる時にそのズレによって力を生む技術で、また遠い言葉同士を繋いだ時により力が発揮されるようになっている。翻訳は元の言語が持っていたものを失わせる暴力でもあるけれども違う言語を繋ぐ架け橋でもある。
「翻訳とは、太古のむかしから、平和を促進させるものなのだ。その結果、外国人同士の外交や貿易、協力が可能になり、すべての人に富と繁栄をもたらす。
諸君はもう気づいているだろうが、バベルだけがオックスフォードの学部でヨーロッパ出身者以外の学生を受け入れている。この国のほかのどこにもヒンドゥー教徒やイスラム教徒、アフリカ人、中国人がおなじ屋根の下で学んでいるところはない。われわれは諸君を外国の背景があるにもかかわらず受け入れたのではなく、背景があるからこそ受け入れたのだ」上巻123P・太字は原文傍点
こう述べたプレイフェア教授はまた別の場所で翻訳の忠実さについてこうも言っている。
「翻訳とは、原典に暴力をふるうことにほかならない。元の言語を知らない外国人に向かって、原典を歪め、捻ることにほかならない」上巻230P
この両義性はさまざまな場面で本作の主軸をなしている。
交易を促し架け橋になるはずの翻訳は収奪の道具にもなり、力は即ち暴力でもあることと通じていて、言語の力は植民地を支える制度的暴力の源泉にもなる。と同時に植民地帝国イギリスそしてロンドンは言語や翻訳者という植民地の資源なしではその栄華を支えることができない。
「植民地主義はもっとも評価しているものを破壊するためにできている」下巻91P
このような状況下で1830年代、当時の中国・清朝と英国との交易が彼らの運命のなかで重大な意味を持っていくことになる。交渉、交易という翻訳を必須とする行為を核にしつつ、歴史の変動期に際会した彼らの運命を描くわけだけれど、本作が語る一つのメッセージは歴史は変えられるということだろう。現状をまったく固定された変えようがないものだと思うこと。植民地主義によって作られた制度・偏見・差別、それらがもたらす戦争の脅威をいかに抵抗して転覆させうるか。違う言語という別の見方に対して、違う歴史という別の見方を重ね、今ある歴史・構造を別様に見ること、ここに今作の趣向がある。
「生得的で、完璧に理解可能な言語なんてものは存在しない。そんな言語になりうる候補なんてない。いばりちらし、ひとつのものになろうとして吸収できるような言語はない。英語ではない。フランス語でもない。言語はたんなる相違なのだ。千もの異なる見方、世界の動き方がある。いや、ひとつの世界のなかに千の世界がある。して翻訳は――どれほど無駄であろうと、異なる世界のあいだを行き来するために必要な努力なのだ」下巻306P
「翻訳とはまさにそういうことなんだ、と思う。話すということはそういうことなんだ。他人の話に耳を傾け、自分の偏見を越えて、相手が言おうとすることをわかろうとすることだ。自分自身を世界に示し、ほかのだれかが理解してくれることを期待するんだ」下巻307P
翻訳という別の言葉を結びつける架け橋としての意味、奴隷制から人種差別や性差別に至る差別の問題、そして交易による暴力とそれを発端とする戦争に至る機運への抵抗。19世紀を舞台にしながら当然ここで描かれているのは現代における問題意識なわけで、その姿勢は明確だ。
本作は翻訳の過程を通じてさまざまな単語の歴史が註釈として触れられており、ストライキという言葉がもとは服従、帆船の旗を降ろして恭順の意を示すことだったのが抗議の意味で旗を降ろすことで不服従の象徴としての意味を持つようになった話など非常に面白く、さまざまな語学知識雑学としての楽しさもある。ネビュラ賞、ローカス賞受賞とうたわれた本作は読んでみるまでSFだと思っていたので、改変歴史ものというところ以外では実際には概ねファンタジーという感触なのに最初は意外に思ったけれど、語学という学問に基づいたフィクションという意味ではSFなのかも知れない。まあ実際には改変歴史世界で戦争を止めるという話の歴史は変えられるというテーマがSFによって表現されているというべきか。
しかし今作のような学校とその裏の闇みたいなのを描くのがハリポタ以来の「ダークアカデミア」というジャンルとして流行しているというのは知らなかった。というより、よくあるやつだと思っていてハリポタからの流れがあるというのに気づいてなかった。そしてこれがコロナ禍以後のブームにもなっていて、今作がヒットした要因はこのダークアカデミアもののとしての出来の良さがあるらしい。ハリポタは一切知らないけど、アニメやなんかでハリポタまんまじゃねえかと言われている作品はちょいちょいあるのですごく二次的な情報でおぼろげなハリポタ像が私にはある。
作者は中国広東州出身の女性で四歳の頃にアメリカに移住した、とある。名前のRはレベッカの略だ。作中のロビンはイギリスへ、だけれども作者の中国から英語圏への移民経験を映し込んだものでもあるだろう。というわけでとても良かったですね。ただ、非常に良い作品なのは間違いないとしても、大傑作とするには足りないような感触がある。なにか捉え損ねているかも知れない。
本書の訳者解説と、本作が話題となったヒューゴー賞検閲問題に関する記事。
二〇二〇年代を代表する作家のひとりになったと言っても過言ではない――古沢嘉通/R・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』訳者あとがき[全文]|Web東京創元社マガジン
古沢嘉通/人間的な、あまりに人間的な――2023年ヒューゴー賞騒動【紙魚の手帖vol.18 GENESIS掲載記事】|Web東京創元社マガジン
上巻は三刷を見かけたけれど下巻はまだ初刷しか見たことないな。

