2016年見ていたアニメ2

字数制限で引っかかった昨日に引き続き、後半。

2016夏

アンジュ・ヴィエルジュ
夏アニメベストの作品。第一話から尺の半分以上が風呂シーンという萌えエロ美少女系作品と思わせて、自分と他人のすれ違いを丹念にかつ正面から描いたピュアなお話を展開するダークホース。それでいてラストには放課後のプレアデスオマージュとしか思えぬ言葉まであって驚いた。いや、一話、ステラの飛行にエンジン音鳴ってたとき、プレアデスかよって感じた人多いと思うけど、あれほんとにプレアデスだったんじゃ、という。あの台詞回しはプレアデスだ思うのは我田引水過ぎるだろうか。元々スマホゲーだったものらしく、原作だとプレイヤー=αドライバーが男という設定だったものを女性にかえたことで、作品世界が濃密な百合空間に変貌し、それでいて仲間が敵側につく「闇落ち」という仕掛けは、くすぶっていた内心を吐露する本音でのぶつかり合いを展開するための鍵になっている。原作の関係で敵のストーリーを進めるのも難しいから、こういうのは自然仲間同士のサイドストーリー的なものになりがちだけれど、それを一歩進めて、一端敵対し、本音を喋って和解するまでのプロセスを必然のものとするために「闇落ち」が要請され、そのことでキャラの関係性をいっそう深める仕掛けがされている。裏切られたとかコンプレックスだとか、そういうものですれ違っていた感情を本気でぶつけ合う対立と和解のドラマ、これを展開するためにすべての設定が作られている企画コンセプトの詰め方が覚悟決まりすぎていて凄い。殴り合い系百合作品としては旅街レイトショー2話とかもあったけれど、今作は前提として本当は仲良くしたい、というのがあるから、感情的なやりとりでも露悪的だったりネガティブな感じにならずに、すごく爽やかに展開していくのもいい。血を吸うことが性交渉の隠喩としか思えず完全にハードルを越えられないカップルの話になっていたアルマリア回とか、二人とも闇落ちしているので行き着くところまでいってしまった姉妹百合描写とか、友情から性愛までの百合をぶち込んでいるのもいやすごいな、と。合体してしまえば一人になってしまうので仲良くなることは出来ないというアンドロイドの話のように、徹頭徹尾他人との相互理解の話を続けていた一貫性たるや。まあつまり裸の付き合い=本音でのやりとり、というダジャレみたいな設定ではあるけれど。対話だけで解決した回は凄かった。

タイムトラベル少女〜マリ・ワカと8人の科学者たち〜
これも意外なところから良作がぶん投げられてきたので驚いた作品。原作が科学ノンフィクションだったのでなんだろうと思っていたら、電磁気の発展の歴史を偉人伝的に各時代の科学者にタイムトラベルして出会っていく、というSFフォーマットに落とし込んだ作品だった。きわめてよくできたSFもので、NHKで昔やっていたSFアニメっぽさもありつつ、史実を大事にして科学的発見の経緯と、なぜその発見がなされたのか、という根っこのところを大事にし、キリスト教による弾圧などの歴史的背景も書き込んだ脚本が見事。序盤では、正解を知っているけれども過程の証明はできないマリと、仮説の証明をしなければならないと考えるギルバートのマッチングで、科学的仮説の検証を説き、次の話数では説得の重要さを描く。あるいは六話では、好きなものへのこだわりが世界を動かす偉人の話から、友人の少年のサッカーへの熱意を認め、勉強も必要なステップとして協力するなどよくできている。勉強の持続性の強調と、わからないから読んでいると突然わかるときが来るというシュンのセリフもいい。科学的発展を題材に、科学者が何を考え、何をしようとしていたかをも描こうとする意欲的な作品。有名キャストをあてた科学者たちを格好良く描き、乙女ゲーム的な枠組みが感じられ、美少女と美男子で男女両方にアピールする点も面白い。当初はパッケージ販売の予定もなかったようで、ファンの反応によってパッケージを企画していくツイッターが面白い。これ、どう予算回収する企画だったんだろうか。

アクティヴレイド -機動強襲室第八係- 2nd
一期は中々面白い、という感じだったけれど、これが二期になって各話数のレベルが格段に上がって毎回非常に面白くなった。ギャグに振ってもシリアスに振っても面白くできており、とてもよい。三話の炸裂的なギャグ回、一期の主人公だと思っていたあさみが関西に転任して破壊神のあだ名を戴くほどの暴れっぷりを披露したりするなど、笑える。かと思うと8話で、不法移民の男が、自国の独裁者を支援する日本国政府へのテロを繰り返すポリティカルな話も組み込んでおり、なおかつ雨のテーマもうまく演出してよくできた話だった。二期は作画がかなりつかれていたのがもったいないけれども、よかった。みほのヤンデレとしかいえない瀬名への偏執的な愛憎が、作中で最も危機的な感すらあったのが面白かった。最終回ラスト、騙されて不要の香典を持ったままの瀬名が、「お疲れ様でしたー」ってぼけっとした台詞の脱力感で幕切れになるの、そうそうできるものじゃないセンスだ。

モブサイコ100
ワンパンマンの作者ONEによる原作のアニメ化、原作はONE自身が作画しており、その素朴というか味のある絵柄を、ボンズの総力を結集したみたいな超絶作画で動かしまくるかなりの作画アニメワンパンマンも相当だったけれど、これもEDのガラスに絵を描く技法が本篇でも使われていたり、作画の技法というか多彩さというか、そういうアニメーションの技術レベルは作画に詳しくない自分から見てもたぶん飛び抜けたものだろうとわかるくらいにはすごい。作画だけではなく、話のテンポというか、見ていて退屈しない話運びもわりといい。この人はほんとアニメ化に恵まれている。基本的に、人より優れた能力に振り回されないことというか、たとえば人に暴力を振るってしまった後悔、その痛みが根底にあって、その点ワンパンマンよりははるかに話そのものに興味が持てる作品だった。人と違ったものを与えられてしまった異端者が、いかに普通になるか、という青春ものでもあり、武力をいかに使わないかが焦点になるあたり、なんか日本的なフィクションだなとも思う。EDの自由すぎるリードギターが面白くてPV動画を見てたんだけれど、別の曲を聴いたら聞き覚えがあり、ヘヴィーオブジェクトのOPを担当していたグループだった。

ラブライブ!サンシャイン!!
無印一期も二期も見ていたけれど、サンシャインはなぜか妙により面白く、かなり好きな感じだった。無印に比べて、サンシャインは基本、ミューズという圧倒的先行者に対する劣者の側から描く点が、とても沁みたからだろうか。一期が怖れることを知らない英雄の伝説だとすれば、サンシャインは普通の人たちの物語だろうか。ミューズ解散の海岸、そこで脱却と自立を決意する構図。都会と田舎の対比など、ミューズとアクアという作中ユニットは非常に対照的に描かれ、配置されている。津島善子の、油断すると中二病が顔を出すというキャラ造形、この手のものとしては逆パターン(普通は油断すると地の普通が出る)で、中二病こそ本体という描き方は良い。曜のヨーソロー活用もあざとい口癖の有効活用で面白かったし、だいたい全篇面白い作品だった。千歌と梨子の「大好きだよ」が英訳だと「I love you」になっていたらしく、やるなーと。しかしそのメインカップルの話の後に、運命的に現われたメインヒロインに好きな人を取られる幼なじみの立場としての曜、クレバーさゆえの不器用さ、鬱屈した恋情の描写は泣ける。ラスト、ミューズが実際に武道館、紅白まで出たグループだからこそ、作中においても伝説的存在としての権威を保ちうる、ということなど、現実とフィクションのリンクが興味深い作品でもあった。そしてモブキャストにノブナガンの武藤志織の名前が! 時々あの人どうしてるのかなと思い出す新人声優ナンバーワンだったので驚いた。2015年はひとつもアニメの仕事なかったけどどうしてたんだろう。NEWGAMEでも確認したので復帰したのかな。学校の制服がアニメ的ミニスカだったのと、実在の学校に取材したモブキャラが着ている制服は現実的なスカートの長さだったのが一画面に並んでいると、アニメの嘘、というのがよくわかって面白かった。

Fate/kaleid liner プリズマイリヤ ドライ!
シリーズ全部見ているわけではないけど、これは面白かった。はいふりに続いて、囚われの姫様を助け出す百合アニメ。九話で、ミユを救うか世界を救うか、どちらかだ、というトロッコ問題を提示するんだけれど、どちらかしか選べないという設問自体が間違っていると正しい回答を出していたのでよかった。トロッコ問題で倫理か何かを問うた気になる人は絶滅しないかなあ。世界を救う百合というお話でした。九話EDの情感は出色。終盤EDクレジットで、黒化英霊デザインに、私たちがやってる文芸同人誌幻視社で表紙を描いてもらっているゾウノセさんがいたのでビビった。

●NEW GAME!
働くって青春だ、青春は食べ物です、つまり働くとは食べ物です、ときわめて正しい言明に落ち着く。というのはいいとして、ゲーム会社に就職した主人公が初日からかなりの残業をキメていくなかなかにブラックな作品。ただ、主人公はとっても楽しそうにまるで文化祭かのごとくに働いていて、おいおいと思うこともあるけれど、GJ部、未確認の藤原監督による安定したできで楽しくはある。森永千才といえばアスタリスクですごい高音ボイスを披露していたのに、ここでは低めの演技をしておりビビる。コウとりんの社会人百合が炸裂しており、ラジオが主演の新人高田憂希ではなく、この二人のキャスト、日笠陽子茅野愛衣のコンビなのは、スタッフ私情過ぎやしないかとは思ったけど、まあ確かに聞きたい組み合わせではあり有能。

甘々と稲妻
妻を亡くした教師が小さい子供を抱えているところに、料理のできない料理屋の娘小鳥と出会い、一緒に子供にちゃんとしたものを食べさせようと奮闘する話。できていないウィンクなど、子供らしさの表現がいい。キャストも実際の子供で、これがとても良い。作者は百合漫画書いてる人だと思ったらBLも書いており、そしてこの子育て漫画がアニメ化、といろいろ書く人なんだなあ。

あまんちゅ!
百合ダイビングアニメ。ゴンチチによるBGMとか、よくでてきると思う。ポエミーというか、日常のさまざまを詩的に描いていく感じがあり、ものすごいメッセージ性が強いというか、いい話への圧がちょっと引けてしまうところはある。腰のラインが如実に出るこんな制服あるかよ、と思うけれど、マーメイドラインというそうで、なるほどダイビングだからか。

テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス
評判が悪いことだけは聞いていたけれど、見ていると原作ファンが不満だったところがことごとく良い感じに改変されているらしく、そこらへんの反応が凄い面白かった。ufoらしい画面の綺麗さ、王道ファンタジーものとして非常に良いと思うけど、原作はどんなんだったんだという気分になる。どこにおでかけするのかな、という金髪日傘少女が出てきて、画面が一気に華やかになるのがよかった。

この美術部には問題がある!
片思い美術部員少女の空回りを眺めるアニメ。野崎くんの千代とも似た小澤亜李の声が良い。千代よりもうちょっとクールで、フラットな早口での突っ込みなどよかった。大塚舞キャラデザインがいい。

タブー・タトゥー
人殺しの最中に中学生みたいなラブコメを差し込む安っぽさが徹底していて、レズビアン姫様とか、能力バトルとか、エロスとバイオレンス、お前らこういうのが好きだろう、俺も好きだ、みたいなものを満載に脈絡を無視しても突っ込んでくる、B級的キッチュを徹底する矜持が感じられ、ほとんどそこは美点だといえる。また、そう予算がありそうには見えないのに、回り込み等のアングル描写に命をかけているアクションがかなり頑張っており、背景動画も駆使した作画はかなりの見所だった。

初恋モンスター
ワルブレ稲垣監督による少女漫画原作のギャグアニメ。元々、好きになった相手が過剰に大人びた小学生だった、みたいな一発ネタで、成人声優を小学生役に使う声のついたギャグでもたせており、面白くはあるんだけれど、一発ネタ故に話の進行がいろいろ微妙になるところがある。最終話も気が狂っていて面白くはあった。ED、蒼井翔太の声の使い分けを生かした、蟹をゆでて食べるまでの歌が非常に良い。

レガリア The Three Sacred Stars
成長が止まった姉と女王となった妹の姉妹がロボットに乗って国を守るために戦うというロボットと百合を二つ柱とした作品。それぞれ対になっている百合カップルなどのキャラがかわいいのと、全篇手描き作画のロボットアクションはなかなかに見せ場でもあったけれど、何か物足りないところも残る。

斉木楠雄のΨ難
超能力を隠して生きているというとモブサイコもそうだったけれど、これはジャンプ掲載のギャグ作品。原作に沿っているのか30分尺の一話は五パートに分割されて朝の番組でショートアニメとして放送されていた。そのためテンポが非常に軽妙でなおかつギャグとしてもうまくいい話として落とすセンスもよく、非常に楽しく見ることができる。美狂乱のベースでもある桜井弘明監督のギャグ作品はやはりいいなと。十二話、沖縄に詳しいアピールをしだしたモブが、「オレなんか美狂乱のベースと友達だし!」って言うけど、それ監督のことじゃねーかと思ったら、別キャラが「美狂乱は静岡だろ!」と突っ込んでて笑ったし、十五話、斉木が超能力でダメバンドを演奏できるようにしたら、CV花江夏樹のキャラが花江夏樹のOPソングを女湯覗きたい歌詞に替え歌して歌って、作中キャラに「完全に花江夏樹だったよ! 赤眼鏡が見えたよ!」とか言わせるのは反則だと思った。

B-PROJECT〜鼓動*アンビシャス〜
西川貴教プロデュースの男性アイドルものアニメ。レコーディングの細かい具体的問題解決など面白くて見ていたけれど、独善的お偉いさんに理不尽に従わなければならないなど、現場ならではの苦みもあったり。しかし、これ完全に内部分裂しなかった場合のSMAP、というお話になってない? 私怨でアイドルとマネージャーを切り裂き飼い殺しにしようとするお偉いさんに対して、僕たちはマネージャーと一緒にやります、と反旗を翻す、ていうんだから。脚本納期的にあり得るのかどうか。事務所とマネージャーの亀裂は15年1月の週刊誌報道で知ってる人は知っている状態だったみたいだけれど、SMAPの分裂が一般に報じられたのは16年の年明けからだから、どうなんだろう。まあラストの詰め方は嫌いじゃない。

魔法少女?なりあ がーるず
ダテコー監督案件、声優アドリブで構成する作品だけれど、かなりグッダグダなので放送版の10分尺のを見るだけではかなりアレな作品でしかないと思う。生でアニメをつくるさま、というみならいディーバみたいなリアルタイムで作る生放送あるいは動画を見なければならず、それをどう放送できるものに編集したかを楽しむものなので。特にすごいのはグラスリップ主演の深川芹亜で、この人の下ネタはひどい。たこ焼き屋の場面で、トッピングによだれと下のハチミツどっちがいい?とアドリブしだすんだからひどい。「また事務所に怒られる」と深川さんがいい、ダテコー監督も「とんでもねえやつ来たな」と。もちろん本篇でよだれと「下のハチミツ」はカットされた。編集前動画を見るとはなび役古賀葵がたいへん好きになる作品だと思う。一杯一杯になったときの濁った声の感じがすごい良いし、少年声がとてもよかったと思う。演歌をやらされて、こぶしを馬鹿にしてんのかと言われたぐらいの無茶苦茶さに笑ったけれど、古賀葵ってアイカツスターズで作中演歌を出したことになってる芦田有莉の声でもある。

●どうかと思った作品
planetarian〜ちいさなほしのゆめ〜
ジョジョの監督津田尚克がジョジョやっている最中にもかかわらず念願のアニメ化、ということでかなり力が入っており、大幅に尺をオーバーしてしまっているらしい。確かに、プラネタリウムのロマンは良いし、途中までは良かったんだけれど、最後に出てくる「天国を二つにわけないでください」というプラネタリウムロボットの願い、が本当にしらけてしまった。それで感動させようというのか、とがっかりした。ロボは人間ではなく、人間ではない存在に人間に憧れさせ、死しても奉仕しようという流れで感動を演出されても一気に引いてしまうだけだった。AB以来、key案件は見ないことにしてるんだけれど、とは言え麻枝じゃないし、見てみるかと見てみたらやっぱりどうか、と思ったので、うーん。もはや晴れることのない荒廃した世界で、プラネタリウムによる夜空の星へのロマンが語られる構図などなど、悪くはないんだけれど。

2016秋

まだ最終回見ていないものもいくつもあるけれど、現時点で。

フリップフラッパーズ
2016年ベストワンはこれかなあ、と。進路に迷う少女ココナが、あるとき不思議な少女パピカと出会い、ピュアイリュージョンと呼ばれる世界への冒険へと向うこととなる。最高の「アニメ」って感じで、不思議な友達との友情と冒険という児童文学チックな展開を、作画力でフルスイングしてくる。幻覚的な世界観と不定型なフォルム、変転する色彩感覚、さまざまな変身のファンシーなファンタジー。かと思えば三話ではマッドマックス風砂漠でドラゴンボール的な戦闘をセーラームーンみたいな変身で戦い、スケバン刑事みたいな仮面を被ったりとオタク的パロディも豊富にぶち込まれており、懐かし気なオタクっぽさを感じる。各回で訪れる世界によって美術が大胆にかわり、なおかつスペースダンディで釣り回を担当した監督もあってか、きわめて闊達に動きまくる。第五話の百合ホラー回、六話の悔恨の記憶を追想する回といった話のできもとてもよい。この二話は2016年のベスト話数に入る。五話の百合的耽美さと恐怖が同居する感じは百合好き脚本の好きなものを詰め込んだ感がすごい。ループする学園世界はそのまま成長への足止めでもあり、六話で、同じ一つのものを対になる視点から見る切り返しと、悔いの残る記憶をプレゼントに託された思いによって捉え直して、前を向くことが出来るようになる、という架けられた橋、「忘れ物」をめぐる物語もよかった。六話は楽しい記憶と嫌な記憶を暖色と寒色の対比で描きながら最後に色を取り戻すところや、ハッピーエンドに見えながら、ピュアイリュージョンの謎と危うさをラストの長めの曲間の暗転で暗示する演出などが鮮やかだった。そしてそれが現実の人物が別人のごとくなってしまった不穏さへと繋がり、七話で、複数のパピカを出現させながらその人の変わらないものは何か、をココナに問う連繋がよかった。「ココナが変わっても好きだよ」と「私の知ってるパピカじゃない」の、背中合わせで縦画面にして顔半分ずつ対称的に映すカット。それがさらにパピカにとってココナとは何か、を捉え返す展開が良かった。そこへココナの幼馴染みだったヤヤカがパピカへの嫉妬を炸裂させる百合三角関係の情念のこじれ方といったら。ヤヤカの足技主体の動きは非常に良い。終盤、パピカとココナが二人してウェディングドレスみたいな変身をして、百合の力が世界を救うアニメになる。最終話、現実に帰ったと思わせてそこが迷い込んだピュアイリュージョンだったというのは面白かった。視聴者が最も現実的だと思ったものは現実とは限らない、幻想と現実の相対性が示される。終盤はエヴァを母子密着と自立のテーマに再編したかのような構造を持っており、やや説明感はあれど、やはり傑出したオリジナルアニメだろう。EDのメルヘンさと作画もすばらしい。楽曲がメルヘン風SFの人類は衰退しましたも担当した伊藤真澄、このセレクト。劇伴は伊藤真澄、テクノボーイズパルクラフトの松井洋平クラムボンのミトらによるユニットという相当なメンツが担当しており、ZAQのOP挿入歌ともどもよかった。正直、最初の二話で期待したメタ児童文学のようには進まなかったけれども、また後半話数で綾奈ゆにこが降板していなかったらどうなっていたんだろうとは思う。黒幕久保田民絵おばあちゃん、というセレクタウィクロスの伏線がフリップフラッパーズで回収されたのは面白かった。

響け!ユーフォニアム2
続篇ともなると一話から飛ばしてきた。部での軋轢とその表裏一体の親密さという人間関係の濃さ、ハイレベルな作画に乗せてぶち込まれる百合演出のとてつもない圧力。破壊的な攻撃力がある。作画もそうだけれど、久美子役黒沢ともよの演技がやたら印象に残った。部での「おはようございまーす」の砕けた言い方や「浴衣何処だっけ〜」など家では気の抜けた低い声が面白い。おお、家と外で声を使い分けてるなと思っていたら、麗奈と二人で花火見てるとき、家でのように声から気が抜けていて、気を許しているという感じが口調からわかる、ようになっていた、と思う。麗奈は微妙に危うい感じを出しているし、そこで二人の時間を冷凍保存したい、って心中系百合みたいなこと言うし、久美子は調子に乗っていると黒沢さんが言っていたように、つきあいはじめたばかりの人みたいだ。階段を上る麗奈のひかがみをじっと見つめる久美子の視線など、いろいろと濃い。のぞみとみぞれの軋轢について、女子的には納得感が高いらしく、ラジオで種崎さんがみぞれ役についてどれも実際に体験したことで、わからないことが一つもなかったと言うばかりか、同情で一緒にいるの、という言葉も実際に言ったことがあり、友達に優子と同じように怒られたという。いろんなところでユーフォのリアルさを裏付ける証言が出てくるのはすごい。プール回、あすかと香織が色違いの水着着ているのも面白かったけど、アニメでよくあってどうかと思う胸の小ささを気にするくだり、今作ではそれが子供っぽさを気にしていることとして描かれており、すごい納得感があった。九話は全体にアングルが変則的。ちゃぶ台を囲んだ真上からのカットで長回ししたり、執拗に足を映したりしていたけど、足を映したのはあすかが部屋でタイツを脱いでいるということを強調するためだろうか。着替えるのではなくタイツだけを脱いでいるこの素足に演出的意図が窺える。で、その前、香織があすかの靴紐を直すシーンの不穏さも凄くて、あれが甲斐甲斐しさと表裏一体の束縛が、あすかの母親とダブる危うさを描いたものだとすれば、プールでの水着もまた多義的に見えてきて良いですね。みぞれとのぞみも、お互いの相手への思いの重さが全然違うことをみぞれが理解してはいて、という関係で、描かれる百合関係がもうどれも重い! 麗奈に、滝先生の奥さんがもう亡くなっていることを告げ、私応援してるよ、と久美子が言うシーンとか。繊細で生々しくて良いですね。宿泊先の夜、女子二人が画面端でお手玉を投げ上げる間に手をぶつけあう妙な遊びをしているカットがあったけど、あれもああ、ああいうのやってるよね、という感じが。京アニは、たとえばモブサイコみたいに動かしまくるとかいうのとは違った意味で作画がすごいというか、丁寧さが異常なレベルにあるというか。TVでできるとは思えないクオリティがある。黒沢ともよは、なんというか、一人アニメのリアリティレベルの外側から投げてくるような、生々しい演技をいれてくるので驚くことが多い。「あ、ごめん」のリアルさ。

灼熱の卓球娘
女子卓球部を描いた作品で、概ね咲-saki-に近い百合感あふれるものだけれど、咲が「麻雀って楽しい」だとすれば灼熱は「卓球って気持ちいい」となっており、卓球の試合を汗が噴き出る身体ともども露わな性的な隠喩のうちに描き出すかなりフェティッシュな百合案件。アニメも汗の描写から理解度が窺える。序盤は、幸福の基準が他者評価になってしまっている者と、楽しいから卓球をしている絶対評価の対比という王道展開。漫画版の一話を三話かけてものすごく丁寧にあがりを追い詰め、展開している。原作になかった描写を膨らませて、4.5ページ分の原作を一話にしているのがすごい。今作は全身を投げ出すような勝負の熱気があって、愛と卓球を一つの行為として描く発明がある。「これが私だよ」という自己の全部、全身をさらけ出すことで、チームメイトとの絆を深める、というシステム。最後まで見ても、ここまで恵まれたアニメ化って珍しいという感じだった。巻数も少なく区切りにいいところでは尺の足りない原作の、描かれなかった各試合を丁寧に膨らませて描写し、ここぞという時の演出作画も気合いが入っており、作画も崩れない。ラストの合宿回も大きく膨らませて、後輩との関係が描かれた点とてもよい。最終日に後輩に教えてランキング戦するところまるまるアニメオリジナルだから凄いわ。これで部内戦と練習試合しかしてないんだよねえ。最後の最後で動かしてくるなあ。OPのカップリング、V字上昇Victoryは、バッキングの気持ちよさがすごくて、何度も聴いてる曲だけれど、挿入歌として使われたのも良かった。そういえばキネマシトラスって見ただけでもゆゆ式ブラック・ブレットごちうさくまみこ、卓球娘と小さい子あるいは等身の低いキャラへの熱いエネルギーでできている点でとても信頼できるスタジオだと思ってて、新作もなるほどさすがだな、と思いました。

ステラのまほう
きらら系列の、女子同人ゲーム部の活動を描く四コマのアニメ化。この手のには珍しく、キャラ間の距離感をちゃんと描いているのがいい。というか、ほかのきららアニメに比べてリアリティのデフォルメがあまり掛かっていない感じ。キャラは丸っこいけど、すごく丁寧にたまきのモチベーションのありようを描いている。というか、NEWGAMEでは描かれなかった、ゲーム制作というものをなぜやるのか、というモチベーションの根源を繰り返し問い直すハードなテーマ性がある。同人ゲームというただ好きで作っていることだから創作に強制がない。音屋の離脱騒ぎで、逃げ出す人を追う理由がないと部長がいう通り。仕事でも義務でもなく、だからこそ、ではなぜ描くのか?がつねに突きつけられる。そして中盤の新キャラ水葉は絵が珠輝よりうまい。鬼のような追い込みだ。水葉は、絵が上手く、脚本への思い入れも強く、圧倒的に主人公よりゲーム製作に参加する必然性を持っている。彼女の存在自体が、主人公の部における存在理由を脅かしかねない。同人だからこそ、自分自身が理由を見つけないといけない。そしてその水葉は、実家がゲーム制作などに理解を示さず、部活禁止になりかける、という外圧がかかる。この時、親などの権威者を出さず、そのためドラマチックな解決などなく、誰がやってもいいものだし、そこまで意地を張ってやるものでもないでしょ、というものすごくダイレクトな軽視と直面するのが生々しい。そこで関あやめが創作をするのは食事をするのと同じ、生きるために、自分に誇りを持つためにやるんだ、と根源的に言い返すのはよかった。また、主人公珠輝は、小学生にスキルを指導されるポンコツぶりで、水彩画スキャンを画面に載せるだけで部員は沸くし、アニメ画においても素人っぽさがよくわかるようになっていて、キャラと作物のスケール感が身近だ。作ったものの不出来さをネタにして笑いにするでもなく、ただ自分たちが作ったという小さな達成を見守る雰囲気がある。しかし、幼馴染みと自分を男性化してBL妄想しだすゆみねさん、相当だ。ものすごく、同性愛的な情念をBL化させてそらしているようなセクシャリティの屈折を感じる。珠輝はファザコンぶりが創作への原点だし、ウェブ配信された漫画特別篇で藤川は音楽を辞めた姉(ユーフォと相似)への憧れが音楽のモチベーションとなっており、それぞれのキャラの創作の動機に、近親者がいるのは意図されたことだろうか。なかなか業が深い感じがある。また珠輝の声の高さに合わせてか、他メンバーが皆低い声で演じているのが非常に良い。悠木さんは時々聴くけど、村川さんの真柴直よりもっと、ここまで低い声ってあんまり馴染みがなくてつい部長の声誰だっけと思う。しかし九話、そんなOPかぶせ方ないだろっていうすごい絶妙のセンスだったし、八話の絶望的なごめんなさいからのCM入りとかかなり面白いけど、これ、田中くんはいつもけだるげのOP入りやアイキャッチをを思い出すからやっぱり川面監督のセンスなのかな。EDが最高。

ユーリ!!! on ICE
フィギュアを題材にする選択によって、男子を繊細に色っぽく描いたりBLっぽく描いてもいいどころか、それが圧倒的に正しいという枠組みを作れた時点で企画の勝利という感じがある。説得力がある。そこに神撃のバハムートGenesisでも圧倒的なクオリティを見せたMAPPAのハイレベルな作画を全力投入。すごい。魔性のカツ丼とかオモシロワードのパワーすごいし、スケートシーン三つ連続するのに、崩れる体勢すら描いて緊迫感を出す演出、ヴィクトルの台詞回しとか、ほんと出来が良いなと。中盤で、さすがに作画に疲れが見えたと思ったら、その話数は全篇フィギュアシーンの連続で、ここまで連続させてもこの程度に抑えられるとは、と思った。劇中のフィギュアシーンは、ものすごい細かい動きを書いていてすさまじいのだけれど、その出来の良さゆえにか、氷上を滑っているように見えない時がある。人物作画と背景が乖離して見える。現実のフィギュア動画を見ると、加速度のマジック、物理運動の魅力があるけれど、アニメだとダンスな以上繊細な表現の手描き作画にこだわるため、アニメは物理運動という感じが薄れていて、やはり別の表現になる。加速度の運動という側面と、ダンスという表現の側面があるからか、フィギュアってむちゃくちゃアニメにしづらいものなのかも知れない。ラスト、勇利、ユーリ、ヴィクトル、と三人の関係がうまく出来上がっているのがよかった。

競女!!!!!!!!
水上のフロートで、胸と尻のみを使って相手を倒すか水に落とすことで勝敗を競う架空の競技を描くトンデモ格闘もの。基本お色気枠のはずなんだけれど物語自体は少年漫画的格闘ものの枠組みを丁寧にたどっており、しかし胸と尻で戦うという前提が狂いすぎているので、その土台に組み立てられるすべてが狂気の産物となっておりギャグの破壊力が凄絶。随所で野原しんのすけがちらつく光景でエロさを感じられるかというと謎いものの、所々そういうシーンを入れてくるので困惑もする。土台だけが狂っているため、真顔で繰り広げられる練習、技の開発、戦いのシーンすべてが異様な笑いの破壊力に充ち満ちており、笑わずに見ることはできなかった。マジシャンキャラがパンと叩くと尻からシュッとトランプが出てくる場面など、意表を突く小技を効かせたり、対戦者同士で熱い対話がなされていても尻でぶつかり合ったままそれをするので絵面が間抜けすぎていたり、なにをしても面白い画面ができあがる設定づくりが既にして勝利。作者は間違いなく何らかの意味での天才。ここまでギャグの破壊力の高い作品は、近年希なレベル。動きと音をつけたことでより破壊力が増していると思う。そこまで人気でもない原作に複数の制作会社からアニメ化のオファーが来た、というのもうなずける。しかし、競女でツイッターフォロー検索したら自分が一番熱心に語っていたときどうしようかと思った。

Lostorage incited WIXOSS
Selectorを引き継いで製作された、ウィクロスの新作アニメ。引っ越しで別々になった幼馴染みが、お互いへのこだわりを絡ませあいながら闇のゲームに身を投じていく、という作品で、ウィクロスは作中では負けたり時間オーバーすると記憶を失うという理不尽なゲーム。千夏のこじらせた友情以上の感情と、どこまでもストレートなすず子の関係で描かれる百合ストーリー。だから、前作からの変更点として登場した男性キャラは、中身が全員ルリグすなわち女性に変わり果せることになる。百合アニメでは男がトランスセクシャルするわけだ。どういう発想でこうなったんだろ。しかし、出会い系の胴元みたいなのが出てきて、やればやるほど泥沼にはまり、果ては人格が消えてしまうというのはつまりこれウィクロス=ドラッグの隠喩であいつ売人じゃねーか、とは思ったね。カードゲーム販促アニメで商品をドラッグと重ねてみせる企画のクレイジーさ比類ない。死者が出るなどやたら陰惨になって、未解決の部分も多く残るから、続きがあるだろうと思ったら、最後のLostrage conflated Wixossの文字、これ二期予告だとすると、conflateって(異本を)校合してまとめるという意味があるから、一期や外伝とかが合流するってことなのか? アニメかどうかも未知だけど。もうラジオにも久野ポンはいないし、鎌倉デートした人と違う人と結婚した人もいない。

終末のイゼッタ
最後の魔女が幼い頃に助けてくれた姫様のために、自ら戦場に赴き、戦況を覆そうとする、という第二次大戦欧州を舞台にした百合ミリタリーアニメ。事前のビジュアルからわかるように、百合とミリタリーがやりたいんです!という熱い意欲をやりきった感がある。改変歴史物としては物足りないという話もあるけど、まあ本筋は11話みたいなラブシーンだよな。魔法少女が雪や槍、果ては戦車やミサイル、そして最終的には電車やエッフェル塔までをもぶん投げて戦う絵面の荒唐無稽な爽快感は良かった。近衛兵とかが全員姫様とイゼッタが大好きだし、男はだいたい災厄を持ってくる存在でわりと死ぬので、話の意味が明確でよろしい。

装神少女まとい
スタジオwhite foxの初オリジナルアニメで、和風魔法少女、という感じで、服を神に捧げるので変身後は裸になりますみたいなからっとした深夜アニメセンスと、ゆまのキャラクターとかが面白いものの、やや地味かなとは思っていた。しかし、十話、ゆまが父親に「といちゃんを泣かせたな!」と激昂するさまを見た瞬間、ゆまのこれまでの騒々しい「反省しない」態度が、母を失ったまといを悲しませない、何一つ暗いことを考えさせないためのもので、それが幼い頃からずっと続けられていたんだろうことが、バーッと想像できて泣きそうになった。中々悪くない作品だなくらいで見ていたら、不意打ちのように突き刺さってきて驚いてしまった。このワンシーンで、ゆまが元々はこんな性格ではなかったのが、まといの事件を経て、今のようになる幼少期サブストーリーを想像した。それを考えていたらまたちょっとぐっときてしまった。次の話数での父親とまといとの別れのシーンなど、後半に向けてすごく上手く盛り上げて駆け抜けた佳作だった。ゆまが雑に画面ジャックしていった回も面白かった。

ブレイブウィッチーズ
ストライクウィッチーズシリーズの別部隊で、ストライクと比べて魔力がなくて天才とはいいがたい、対照的な主人公の苦闘、という感じでわりと暗めの印象。高森さんがエイラみたいな声を出しているのが非常に良かった。自分、甲高い演技をしている人の低音演技が好きっぽい。エイラ、サーニャも出てきたけど、佐伯監督担当回はないっぽいので残念。そんなに悪くはない気はするけど、キャラ立ち、戦闘作画にそこまでの派手さはないか。

Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-
空想科学ものの新作で、オカルト順列都市みたいな感じ?てーきゅうを30分尺でやってるみたいな情報量の洪水で、まあ面白いか。アングル凝りまくっていた神戸守コンテ回とか、我聞の動きが実写トレースみたいに動きまくっていた西井凉輔一人原画回とか、中々良かった。

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
モビルアーマーが制御不能の破壊神として目覚めたくだりでラスボス登場の感あってすごい面白い。MA撃退のためにガンダムがある設定が明かされ、動力がなぜ「エイハブ」リアクターなのかがわかるのも熱い。しかし、リゼロから続いて今年は「白鯨」モチーフのアニメが二つあるのか。

SHOW BY ROCK!!#
ショートからの二期だけれど、ショートの作風でやったほうが面白いような気もする。二期は悪くはないんだけれど、やや薄味というか。しかしラスボス幼少期のフェチポイントだけを的確にくりぬいたあざとい衣装なんなん。

●ショートアニメ
てーきゅう、飽きた気はすれども、やっぱり結構面白い。魔法少女なんてもういいですから2nd、開始何秒で江畑諒真だと気づいたか選手権という感じだ。私は5秒目あたりの走り方で、あれ、これは、と思って10秒頃の門を出た時の反動で確信した感じ。プロなら2秒目の腰の動きでわかりそう。あにトレ!XX 、最終回で全キャラのフラグを回収していくハーレムエロゲみたいな流れになったと思ったら最後に全員なぜか水着で空気イスしながらクリスマスパーティーを開催するクレイジーな絵面を展開しておりなおかつ夢オチで面白すぎた。信長の忍び、テンポ良くガンガン進む進行。OP曲が好き。奇異太郎少年の妖怪絵日記五十嵐裕美も、いまさらそんなので喜ぶはずもないと思っていたけど、さすがに主演が決まると結構嬉しいんじゃないか自分、と言っていたアニメ。独特の原作の画風をアニメでトレースはできないけれど、キャラデザがとても良い。バーナード嬢曰く、メタ読書家漫画のアニメ化、読書にまつわる自意識をコミカルに描く作品で面白い。後半百合アニメになってた。怪獣娘-ウルトラ怪獣擬人化計画-、変身シーンで別に等身上げなくても良いと思う。デフォルメキャラの方がデザインが良いので。ザンドリアス役湯浅かえで、声優だけでなく、撮影スタッフにもクレジットされていて、どうも元々アニメ制作会社出身の人だという。学園ハンサム、凄かった。雑さ荒さをすべてネタにするBLギャグアニメ。毎回ゲーム版、アニメ版キャスト両方見てたけど、コンセプト的にプロでないゲーム版キャストのほうが面白くなるのは必然だった。というか、鳩とかなんか女性向け作品ってネタ濃度が異様に高いものが多い気がするのなんなんだろう。

●どうかと思った作品
魔法少女育成計画
まどマギがこうなってたら続きは見てなかっただろう展開、というか、いちばん嫌な系統のたちの悪い残虐趣味にしかみえず、そもそも見るかどうか迷う案件だけれど、佐倉さんが魔法少女に変身する少年役と聞いてとりあえず見て、最後まで見たけど、話については一言で言うと最悪だな、としか。かわいいものを惨殺して、人目を引く、というセンスというか、まあ魔法少女もの忍法帖、という発想だけれど、キャラは結構良いにしろ、これは。能力バトルものとしてわりと面白いんじゃない、とは思うけど根本的なセンスの時点で私は見るべきではなかったな。美少女が理不尽にむごい目に遭うならウィクロスとかもそうだけれど、自分のなかではかなり違う。陰惨グロテスクもそれはそれで必要とする人もいるんだろうけれど。

最後に 話数ベスト10とアニソンベスト10

年間を通じての評価としては、このすば、コンレボ、聖戦ケルベロスアンジュ・ヴィエルジュアクティヴレイドタイムトラベル少女フリップフラッパーズ、ユーフォ2、卓球娘あたりなんかが良かった。三者三葉ステラのまほうを入れてベスト10でもいいか。ベストワンフリップフラッパーズ。笑撃力ベストは競女。なんか、企画のメインコンセプトに百合がある作品が非常に多かった覚えがある。良いと思うけど、どうした?という気もする。

話数ベスト10とか参加したい気もしたけど、あまり話数単位で考えてなかったので記事にするほど考えてない。10挙げるとなるとややマイナーよりを選んで、このすば1話、プリパラ105話、大家さんは思春期4話、アクティヴレイド二期8話、境界のRINNE28話、旅街レイトショー2話 聖戦ケルベロス7話、ジョーカーゲーム11話、アンジュ・ヴィエルジュ7話、フリップフラッパーズは6話の人が多いので私は5話かな。基準は印象に残っているもの、見返しているわけではないのでじっくり時間かけて再選好したら顔ぶれが変わるだろう。

アニソン10選を挙げると以下。
キズナイーバーED「はじまりの速度
学戦都市アスタリスクED「愛の詩 words-of-love」
あんハピED「明日でいいから」
アイカツスターズ!挿入歌「Dreaming Bird」
初恋モンスターED「君に捧げる鎮魂歌」
フリップフラッパーズED「 FLIP FLAP FLIP FLAP
灼熱の卓球娘挿入歌「V字上昇Victory」
ステラのまほうED「ヨナカジカル」
ディメンションWOP「Genesis
小麦ちゃんR挿入歌「ときめきドリーマー」
次点として、このすばED「ちいさな冒険者」、ユーリ!!! on ICEOP「History Maker」、モブサイコ100ED「リフレインボーイ」なんかもいいけど。

お疲れ様です。
1/5.人名タイトルなどの誤記修正

2016年に見ていたアニメ1

年末のアニメ感想。今年はクールごとにまとめた。だいたいクールごと好きな順から並んでいるけれども、上位以外はそんなにちゃんと決めていない。良いと思ったものと、当該クールでどうかと思ったもの一作を取り上げるという感じ。四万字を越えてしまった。さすがに長すぎる。見ながら適宜メモったものやツイッターで書いたことを編集してたら、やたら長くなってしまった。ショートもの除いて70作品くらい。

2016冬

この素晴らしい世界に祝福を!
今期トップクラスに面白かった。異世界転生ものというウェブ小説で流行しているジャンルの初アニメ化作品ではあるらしいけれど、冒頭から「トラック転生」という、トラックにひかれて異世界に転生という定型シーケンスを捻ったトラクター転生――トラクターなので誰かが轢かれそうになったわけでもなく、また自分が轢かれたわけではなく、心理的なショックで死亡――という無茶な展開で構成する、ジャンル定型を意識したギャグ作品になっている。転移で持って行けるアイテムは何でも良いと言われてショック死したことを笑った女神をそのアイテムに指定するなど、メタギャグを連発しつつ、アイキャッチがゲームのPAUSE画面を模したものになっているなど細かい工夫もあり、無一文の転移者だから住むところもなく馬小屋で肉体労働に従事し、労働者たちと仲良くなって酒食に興じて嘔吐するありさまを壮大な音楽に乗せて描写する一話クライマックスは素晴らしい。おおむねテンションを落とさずに、金をギャンブルに費やすダメ男みたいなポンコツ女神や、火力一点集中すぎてつねに残弾一発の魔法使い、マゾが高じて防御力しかない戦士などの人材に恵まれたパーティでの異世界ファンタジーを描いており非常に楽しい。一点突破の能力を持つダメというかアレな人たちが、寄り集まってダメなまんまなんとかして生きていくっていうさわやかな作品。異世界転生ハーレムものを捻ったギャグにしているので、そうしたものが好きではない層にもリーチしたんじゃないかなと思う。雨宮天のギャグ演技がすばらしく、福島潤のアドリブもいい。サキュバス回での茅野愛衣の「ぶっ殺してやる!」は緩急も相まって素晴らしい演技でしたね? EDも牧歌的で雰囲気がよく、OPでは曲調が変わる間にサブタイトルが表示される印象的な演出は、金崎監督恒例ものだ。レイヴンズはコンテが別人なのにそうだったのでOPの間にサブタイトルを入れるのは監督の方針だろう。基本のキャラ絵が原作から比べてかなり見劣りするのが難点というか、濡れた服を着ているみたいな胸をやたらと揺らしたりする描写に力が入ってたり、アクアの尻丸出しのノーパンノーブラとしか思えない服装とか、なんでそんな描写を入れるのかわからない部分もあるけれど、OPの爆弾岩を切りつけるところとか、表情や顔の崩しが魅力になっている作画なのは間違いない。モブとかだと顔より明らかに体のほうが線多い絵になってたり、こだわりを感じるのは確か。たいそう期待度の低い企画だったらしいんだけれど、キャラデザ含め、スタッフの好きなようにできたというところが大きいんだろうと思う。

ファンタシースターオンライン2ジアニメーション
冬でわりと好きだったのがこれ。ネットゲーム内アニメではなく、ネトゲをしている学生を主人公にしたネトゲプレイヤーアニメで、主人公に目をつけてPSO2をやらせる生徒会長泉水リナのキャラクタが非常によかった。表向きは優秀な生徒会長なのに本質はぼっち気質で、ネトゲではソロプレイでレベルを上げまくって、プレイヤーたちのあいだでは「孤高さん」と呼ばれているとかいたたまれなさがきわまっていて、仲間がほしいけど言い出せないみたいなもどかしさに悶える会長萌えアニメ。しかもネトゲアバターがCV玄田哲章諏訪彩花CV玄田哲章、とかいう素晴らしいキャラ設定が萌えキャラ玄田哲章を生み出し、序盤は勉強もネトゲも充実だ、みたいな進研ゼミマンガみたいなトンチキ感、ネトゲ入門アニメみたいなオモシロ感があった。恬然とネトゲ実名プレイの主人公の大物ぶりや、友達がネトゲで荒らしをやってたエピソードでのリアルとゲームの両面を知ることで仲良くなれる、とか驚くほど健全な話運びもいい。後半、玄田哲章の出番が少なくなるのが最大の欠点。アニメではゲームがゲームではなかった、という話なのに、同時にやってた原作ネトゲ版のPSO2では、現実がゲームだった、という話をやっていたらしく、面白いギミックだ。ファンタシースターは4をメガドラでやっていたので思い出深いゲームだけれど、4しかやったことはない。ダークファルスが出てきてびっくり。

灰と幻想のグリムガル
異世界転生ものといえば、これもそう。元の世界の記憶が無い転移タイプ。「あいうら」の監督キャラデザによるそれを彷彿させるフェティッシュな身体描写、水彩風の背景も良い雰囲気。背景は静止画と思わせて複数レイヤーで細かく動かすなど凝っていた。一話の「これは命のやりとりなんだ」というなんか恥ずかしいセリフを二度繰り返したあたり、これは現実は厳しいぞ系のきっつい作品か、と思ったらそれほどではなかった。異世界ものを、リアルよりにアレンジしたものという意味で、このすばと好対照をなす。フィクションにありがちの女風呂のぞきを実際にやったらむっちゃ空気が悪くなって関係にひびが入るリアルさはわりと面白かったけれど、ランタの暴言は普通に人として付き合いたくないレベルなので、追放しろよって思えてなあ。このすばと同じく、ゲームベースのファンタジー世界観のパロディ的側面がある二作だけれども、どちらもスキルを覚えて、安宿に泊まり、労働して飲んで喰ってという日常性が前景化する共通点がある。ギャグに振ってもリアルに振っても日常を維持する労働の大事さが出てくるのは時代か。11話で昔の仲間にディスペル、と涙声で唱える安済知佳の演技が印象的だった。話題の落合福嗣も木訥声としてなじんでた。企画の関係かでヴォーカル曲を何度も劇中に流すのは曲は悪くないけどちょっとアレで、マナト葬送のときはあれはむしろ無音で見るべきかとも思った。

紅殻のパンドラ
士郎正宗原作六道神士作画というマンガをろこどるの監督でアニメ化するというなかなか妙な組み合わせの作品。アンドロイド少女と全身義体化少女のコンビが、ある島で出会い、そこでのわりあい深刻なトラブルに巻きこまれたりするって感じで、お互いがお互いの姫にして騎士でもあるというアツい百合で話が進んでいく。士郎作品にはくわしくないけれど、六道作品ならではの要素が色濃いように思われ、オタク的濃さというかギャグというか、わりあいブラックなギャグというかエロをまぜつつ、ほんわかした二人とそのわりには結構陰惨な事態が起こっている。魔法少女もののコンセプトを持っており、人助けが主目的だけれども、大事件の際にでた死者に特に注意を払う描写がない、というのは、これは六道のバランス感覚だろうか。ブラックでしたたかな印象がある。まあサイバー百合アニメとして楽しく見られる作品だ。EDのTECHNOBOYSPULCRAFTGREEN-FUNDは、トリニティセブンのEDの人でもあって、ポコポンって感じの音をよく使うのでそれだけでこいつらだ!ってわかる。

ディメンションW
超エネルギーが日常化した近未来での事件を解決するSFミステリっぽい作品で、コイルという別次元からエネルギーを供給するアイテムが世界観の核になっている。このコイルを使わず、違法コイルを回収する仕事をしているアナログ男のもとに、電子の塊アンドロイド少女が転がり込んできて、というデコボコバディもの。パンドラと同クールにやっていたのが面白い。原作をかなりハイペースで進めたようだけれど、ロボ少女ミラのかわいさで一点突破な魅力がある。ツンデレオッサンと素直なロボット、これ鉄板の組み合わせってやつだ。面白かったと思うけど、あんまり書くことがないな。OPがコンテ演出動画検査までやってる梅津泰臣で、見事なダンスを披露しているし、Studio3Hzといえば天体のメソッドだからかEDが江畑諒真の一人原画だったりとかわりとすごい。上田麗奈ポンコツロボット感がよかったし、ラジオも面白かった。上田麗奈があんな人だったとは。

アクティヴレイド-機動強襲室第八係-
近未来、パワードスーツによる犯罪が多発するなかで警察もそうした装備を用いて犯罪対策に当る状況で、その警察組織を主人公とする作品。ヒーローものと公的組織ならではの面倒くささを笑いにしつつ、アクションバトルにコメディを加味した雰囲気が良好。事前の「正義執行」だとかのキャッチはどうなんだと思ったけど。主人公の女性が空回りはしても能力自体は高いということを描写するくだりは良い。自衛官になった瀬名の元カノが、別れたことを根に持っているけれどもプライドが邪魔をしてよりを戻せないいらだちを瀬名にぶつける面倒くさい人ですばらしい。瀬名に謝罪させることで気持ちよくなる変な人になっている。西田亜沙子キャラデザ作画監督による絵がいい。

霊剣山 星屑たちの宴
これ妙に面白い。全篇仙人になるための修行のお話なんだけれど、ネット小説らしく、日本のそれのようにきわめてゲーム的な世界観で作られている。ある村で課題をクリア出来る条件を満たしてもクリアせずにおき、住人全員の好感度をマックスに高めてからイレギュラーな手段でクリアしたので、あり得ないほどのクリアボーナスアイテムを手に入れる主人公とか、まさにチートそのもの。日中合作アニメで、最初はやや見方に迷ったところもあるけど、三話あたりでこれはずいぶんちゃんと面白いぞとわかった。中国はやはり感覚が違うのか作家作品の個性なのかわからないけれど、ゲスさや下品さがかなり激しく、翻訳でそうとうおとなしくはなっていても、なかなかのもの。まあみんながわりとクズなので、良い感じに毒はあっても不愉快にならないバランスではある。友人との関係をゲイ友なの?と聞いてきたり、男もレズパートナーもいないとか陰口をたたかれた女性がやってきて決闘することになるけど、私たちの関係も行き詰まってきたし、勝負がついたらわたしたち(女性同士で)結婚しようか、と言い出したりして、どうも同性愛も日常だからレズがどうのと言う罵倒が差別にならない、というバランスのつもりっぽくて、どうかと思わないでもないけど面白い。いやまあほんとゲスいギャグが満載なんだけれど、異文化理解的に面白い。このすば、グリムガル、霊剣山とゲーム的世界観ファンタジーが揃い、うち二つはネット小説発というクールだったわけだ(PSO2というネトゲアニメも含めて良いかな)。ゲーム的世界観と仙人が融合するところさすが中国って感じだ。

●大家さんは思春期
二分のショートアニメでタイトルから想像されるようなエロはなく、あるアパートにすむ男女ふたりがその大家の中学生少女を愛でる話。四コマ原作を詰め込んだなかかなかにハイスピードテンポでほのぼのストーリーを描く好作。作画レベルが高く、特に四話は今クールでも必見の話数。冒頭の主人公の肩から方向転換する前のめりの動きとかもうそこから違っている。人の話を聞きながらでも、表情だけでなく体も動くあたりとか、何処をとっても誰かが動いている。人は静止などしないという鉄の意志がある。濱口明の一人原画で、この人次クール三者三葉の作画が凄い回でもいた。まあ、このアニメ全部じゃないけどだいたい原画は一人で回してるはず。下着を買いに行く回で女性一人原画だったりとかしてた。OPのクレジット演出で石浜真史かと思ったら吉原達矢だったという。そういや手法が結構違うか。この監督、ディメンションW一話に原画参加していて驚いた。

最弱無敗の神装機竜《バハムート》
学園ハーレムバトルアクションラノベ原作アニメ。ダンデライオン以上に春日歩イラストをうまくアニメ絵にしている印象。わりとそれだけで見られる。ガンガンオンラインの漫画版を拾い読みしてみると、作品の重要な背景をすっとばしているので、印象がかなり変わってくる。機龍を操れることが前帝国の人体実験にかかわっているらしいこととか、兄との確執とか、世界設定の骨格が見えづらくなっているきらいがある。ヒロイン個別回がラノベ一巻、に相当してしまうので、キャラを揃えようとすると超ダイジェストになるという小説とアニメの相性の悪さが突出するのが宿命だなあ。良い点は、クルルシファーが胸のことでいじられたりコンプレックスを持たされたりということがないところ。この手の作品ならまずそこでキャラ立てすることが多いけれど、凜々しい雰囲気のまま通しているのが、あまり類を見ないセンスで良いと思う。ただ、そのコンプレックスネタは解説役の妹が担当していた。女装ネタはこの主人公ならやるとは思ったけど、EDのヒロインに混ざっていたのは笑った。主人公も女性キャストだからメインキャストが全員女性という空気。

プリンス・オブ・ストライドオルタナティブ蒼の彼方のフォーリズム
架空競技によるスポーツ、片方は男性向け18禁ゲーム、もう一方は女性向けいわゆる乙女ゲーム、という非常に好対照な作品が同クールにて放送されていて、とても興味深かった。大橋彩香もプレイしていたというストライド、これはパルクールとかフリーランニングとかの街を自在に走り回るアレを競技に落とし込んだもの、というショートカットありの変則リレー走と思えばいいけれど、このバトンタッチのタイミング出しをする係が主人公で、男同士の絆を繋ぐ女性主人公、という位置づけはなんとも面白い。競技のわかりやすさや主人公の位置づけの重要さがきちんとしていて、新宿駅近辺とかの見慣れた場所を走っているシーンとかは結構面白いけれど、道なき道を体さばきで突っ走るような通路の概念をハックしていく面白さはあまりなく、後半はちょっと微妙に感じた。なもので、ルールは非常にわかりづらいけれども、競技そのものの考え方を変えていく展開で盛り上げていったフォーリズムが後半は非常に魅力を増していった。エロゲー原作らしいユニフォームだったり、恋愛要素をカットしたので主人公の位置づけが曖昧になってるところはあったけれども、その分競技ものとしての純度を中心に展開していったのはよかったし、同じ部員同士での天才肌と努力家のライバル関係は百合だなーって。エロゲと乙女ゲーでプレイヤーキャラとの恋愛ルートをカットしたため、両方とも同性の関係が煮詰まってくる。

ラクエンロジック
カードゲーム原作アニメで、人間と女神的存在がキスしてトランスという名の合体をして戦う、という合体がふつうに性的で、主人公コンビ以外がおおむね女性同士なので百合っぽいのとか、キャラデザとか画面の色彩感とかがわりと良い感じだけれど、盟約者と女神というセットで出てくるキャラが多すぎて関係性を把握しづらいのとか、そのコンビの信頼関係の描写とかが物足りないとか、なんかいろいろもったいない。唐揚げを何故か色っぽく食うシーンとか、ところどころよく動くシーンが面白かった。ショートアニメらくろじ部も画面の色彩とか面白いしこっちを長くやっても良いな、と思ったらまだやってる。興味深かったのは数少ない男性同世代キャラオルガで、彼一人だけが契約相手を見つけられずくすぶっていた。相手を見つけて他の女性メンバーとも仲よくなっていく主人公と、その対照的位置としてオルガがおり、戦力外なのに上から正論を言ったりするオモシロキャラだったのが、後半、女性に囲まれる主人公と、そこから疎外されるオルガ、という位置づけがオルガをラスボスへと向わせていき、しかし、オルガを気に掛けて正面からぶつかってくるのはヨシチカだけで、彼のカード散逸を防いだのもヨシチカだった。ヨシチカのカードは女性陣が守ろうとするけれども、一枚逃してしまう。ハーレムものにおいて、誰にも選ばれなかった者を露骨にライバルにするという展開は意図したものなのか。メタハーレムもの的意識でもあるのかな。

●だがしかし
いつぞやのサンデー改革の時によく言及されていたので漫画を読んでみたら、匂い立つほどうすた京介臭がするギャグ漫画なところが面白かったのだけど、アニメではそこらへんが脱臭されていて残念。悪くはない。

ナースウィッチ小麦ちゃんR
タツノコ2chネタで受けたアニメをいまやる、というのは何なのかわからなかったけれど、ふでやすかずゆきとかが脚本を書く、深夜でやるキッズ風ギャグアニメといえばだいたいわかるのではないかと思う。積極的に見るほどでは、という感じはあったけれど、ブリとバラ肉のカードゲーム「ブリバラ」とかいう自社アニメを積極的にパロっていく姿勢、悪くない。小麦よりもつかさというキャラのほうが主人公していて、そのボーイッシュなキャラクターのせいか、周囲の人物がつかさの好きなのは小麦かここなだと百合方向に勘違いしているというの、あまり見ないパターン。つかさの男性的と思わせて内面は乙女チックというもの自体はベタだけど。スペースダンディにでてた佐武宇綺のリリアというキャラがラスボス的に出てくるんだけれど、このキャラのダンスシーンは突出してたと思う。渡辺明夫キャラデザのタツノコプロCG班による制作なので、プリティーリズムっぽさが感じられ、足の動きや飛んだりはねたり、振り付けが激しく、プリパラとかでは見ないような印象。プリパラのダンスシーンもかなり出来が良いけれど、リリアのダンスシーンぐらい見返したものはなかった。

無彩限のファントム・ワールド
作画レベルなどが非常に高いのは確かだけれども、このクオリティでハーレムお色気ラノベアニメをやるという試み自体になんか嫌味を感じてしまう。まあ一話のエロを過剰に盛り上げてギャグにしていくセンスはよかったし、幻想のギミックを使った話に悪くないところはあり、久野美咲メイン回のファンシーっぷりとかには、スタッフはこれをやりたかったんじゃないかと感じられるものがあったりはする。どちらかというと一話以外エロ要素が中途半端かな。胸は揺らしてもパンツは見せない、というルールなところとか、抑制があるのは京アニらしいか。キャスト陣が面白い人ばかりだったので、ラジオや動画番組がちょう面白かったという印象。田所あずさはこういう人だったのか、とか宣伝動画でのかわいがられる久野美咲とか。下野紘の安定感はやはり得がたいものがある。もっとも人に胸を触られた声優、女性ならたかはし智秋だろうと思うけど、男性は下野紘だろう。ラジオ、月に1200通メールがくるらしいけど、すごいな。

ハルチカ〜ハルタとチカは青春する〜
同じ男の先生を好きになった幼なじみの男女、が吹奏楽部の部員集めに謎解きをするミステリアニメ。ずいぶん前に原作を読んだことがある。そのときから、その変なデリカシーのなさ、人のプライバシーに土足で踏み込む印象があったけれど、二話で思い出した。説明する前に人を押さえつけて遺品に絵の具を塗る、というのはショウアップを前提にした悪趣味ではないか。殺人事件でもないのに、妙に劇的な見せ方をしようとしているズレがある。まあそれで続刊を読まなかったシリーズだったんだけど(某人お勧めの似鳥鶏の葉山くんシリーズと米澤穂信の学生ものの二シリーズは続きを読んだ)、キャラデザ西田亜沙子のキャラが良いのでまあ見ていたら、五話は沈黙によって真実の傲慢さを見据えた話だったような気がする。難聴で補聴器をつけているツリ目芹澤さんのキャラデザがよくて、11話のチカの明るさによって芹澤さんが難聴を恢復させてゆくという百合展開そしてラストの表情演出が細かくていい。そこらへんは良かった。どうでもいいけど、大家さんは思春期、と人物関係が綺麗に対照的だなって思った。年長者男女二人が中学生女子を愛でるのと、高校生男女が年長者男性に恋慕する、そして男女間では恋愛関係で描かない、と。

●弱酸性ミリオンアーサー
去年から始まってるショートアニメだけれど、ちょぼらうにょぽみのキレた原作を、キレた監督がキレた声優で作る、という無茶な作品。本気でやってる宴会芸みたいな勢い。

旅街レイトショー
二話が、不良少女と優等生の自分を作ろうと無理する少女との同族だからこその接近と喧嘩のすえに、つばを吐いて別れた相手のことが大人になっても忘れられない、というすっごい百合(殴り合い)エピソード。本当の友達になれる人はあとからわかるかも知れません、とナレーション。三話の子供の話、四話の老年恋愛と、なかなか面白い切り口で描かれた全四話の紙芝居ショートアニメ。

ヘヴィーオブジェクト
全体的にアメリカ映画っぽい気の利いたやりとりをさせようとして喋りすぎている感があるけれど、ミリンダめあてに流し見っぽく見てたら、16話、ある少女が戦闘中に歌うシーンで同乗の主人公の悲鳴が合いの手になってたシーンは笑いが止まらなかった。そこだけで記憶に残る作品。

●どうかと思った発言
「この素晴らしい世界に祝福を!」はコンプレックスまみれの視聴者を徹底的にいたわった作品? - Togetter
この時期もっとも怒りを感じたのはこの一連の発言だった。美少女アンドロイドが落ちてくるハーレムアニメのEDを真似てパンツを飛ばしたり、「もう日本国民は小隅レイでまとまっているといってもいいぐらいです」というヴォーカロイド萌えや技術者に都合の良い展開じゃねーかという側面がある小説書く人がどういうつもりでこんなことを言ってしまえるのか意味不明だし、三分見ていればわかるメタ・パロディものをそのメタ性ギャグを無視した批判の的外れさ。人から見た恥ずかしさばかりが基準にされる言説の余りの恥ずかしさ。コンプレックス商法じみた煽りを許容しうるわけもないし、作品の基本コンセプトすら読み取れていないうえに、フィクションを読者の主人公投影モデルでしかみない読解の貧しさ。去年の記事でアスタリスクと落第騎士の比較の仕方について私が書いた危惧にも近い思考だ。こういう考えが結局悪書追放に帰結する以上、やはり萌えアニメハーレムアニメを擁護していこうなって感じる。いろんなアニメがガルパンを参考にすればいいとも言っているけれど、萌えミリタリーなんて「良識」派からすればこのすば以上に「悪書」だろう。「悪書」などという概念そのものを破棄しなければならない。こんなものは恣意的で能天気な啓蒙でしかない。そもそも、人に向上心を説く前に目の前の作品をきちんと見る努力が必要だと思う。*1
https://twitter.com/nojiri_h/status/765738602328240128
以上を書いた後で、最近再度言及しているのを見つけた。つまりはろくに見ていないアニメを勝手にカテゴライズしたうえで、そのカテゴリ批判をこのすばにあてはめてたら、批判殺到で見当違いだったらしいので方針転換し、カテゴリへのレッテル張りだけは正しかったと自己正当化している。しかし、当初の発言はそういうものではなかったし、異世界チートハーレムなる「悪書」を具体的に読んだ形跡はない。冒頭に書いたように異世界チートハーレムはアニメになっていないのに、そのパロディがアニメになった、と話題になっていたわけで、アニメで見た可能性もない。せいぜいまとめサイトで嘲笑的にネタにされているのを見た程度ではないか。あるいは自衛隊アニメに批判的だったから、それだろうか。
http://twilog.org/nojiri_h/search?word=%E7%95%B0%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%88&ao=a
正直、異世界チートハーレムものについて氏が言っていることは矛盾だらけでただただ偏見が垂れ流されているのがわかるだけだ。世界一かっこ悪い文化だという根拠はただ見た目つまり偏見。ガルパンや、軍艦を美少女化しダメージを受けると着衣が破れる艦これのような萌えミリタリーと異世界チートハーレムの見た目に、どれだけ差があるというのだろう。百を超える美少女キャラを部下にできて、結婚できるシステムと聞いたけれど、外から見ると異世界チートハーレムとなんか違うのか? そもそもオタク趣味なんて、かっこ悪い幼稚だといわれる趣味を大人になっても続けているようなかっこ悪いものと見なされていたんではなかったか。異世界チートハーレムだけを自らと切り離して差別しようなんて。一方的な決めつけで相手が何をするべきか宣下するこのパターナリズム。若者がそんな頭ごなしの説教を真に受けると思っているのだろうか。

●プリパラ
もう三年目なのでここで。サイバー世界で人気のアイドルが勝負に勝って権力を手に入れたら階級的独裁体制を敷いたので、それに対抗するため主人公たちは地下レジスタンス活動をはじめ、最終的に独裁者を倒してアイドル民主制を取り戻す、という筋書きはこれもうサイバーパンクだな。ボス格ひびきのセリフ「革命には犠牲がつきものだ」とか、あからさまに革命を意識した楽曲等、設定筋書きがわりあいハード。仮想空間内で人々の集合意識が具現化したボーカルドールなる仮想人格というSFギミックが主軸となった1stシーズンからかなりSFしてる。ひびきはボーカルドールになりたがった独裁者で、女神はアイドルになるために赤子に転生するし、「みんなアイドル」のスローガンが物語展開を支える理念になっており、革命と人と人でないものの境界を融解するアイドルサイバーパンクといえるのかも知れない。ガァルルとアロマゲドンのチーム結成を描いた104-106話あたりはとてもよかった。ちょっとキャラ増えすぎてきたかな。シオンの扱いがおざなりに感じる。巨漢少女ちゃんこが、ちゃんと3Dモデルつきのライブシーンを作られていたのが凄かった。自分の身体に圧倒的自信を持つちゃんこの描写は、女装少年レオナの平然たる描写とともに、特筆ものだろう。次期からリニューアルするようだけれど、主人公続投でどうなるのか。ニコ生で配信されたプリティーリズム劇場版も四ルート見た。男子アイドル回の熱さはよかったしこれがキングオブプリズムになったんだなと感慨がある。キンプリはラインライブで配信されていたのを見て、これがかあ、と楽しく見ることができたけど、明らかに90分尺作品の前半で終わっていたので、続篇制作は喜ばしいニュースだった。黒川冷が浮いていたTV版から見ていると、いつものじゃないかという感じはあるけれど、そのいつものがもうアレなので、やたらなテンションと濃さはなかなかのものだった。

2016春

コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜THELASTSONG
ボンズ會川昇を原作とする、昭和のパラレルワールドとしての「神化」の日本を舞台に、さまざまなヒーロー、超人、怪獣、妖怪が遍在する世界を描いた作品の2クール目。特撮やアニメにおける「正義の味方」を通して、サブカル史、昭和史を描くという多様な視点から読める作品で、2015年から16年にかけての特筆すべき傑作のひとつだと思うのだけれど、なにぶん私には元ネタがかなりわからず、また間を開けて放送される間にいろいろ忘れてしまっており、かなり細部を読み落としてしまっているのであまり突っ込んだことは言えないけれど。爾朗の姿を通じて、「『正義は人の数だけある』なんて使い古された言葉」、と正義の相対性のまえで立ち止まることを批判的に描き、「現実を変えることなどできないと笑う」シニシズムへの批判を姿勢として、昭和のヒーローを読み直す。戦後日本を舞台とする本作の特徴のひとつは、数多の昭和史的事件、学生運動などの政治的運動を通じた政治性・社会性の導入だろう。一貫して挿入されてきた「歌」、二期や最終話サブタイトルにも使われた歌というのも、そういうニュアンスじゃないかと。デビラ回では広場を通路と変えることで、集会を禁止するという「合法的」なデモや集会の排除という歴史がデビロへの警官の対応や「新宿西口地下「通路」」という張り紙にきっちり書き込まれていたのが印象的だったし、劇中ではしきりに政治運動が描かれていた。なかでも、金嬉老事件をモデルにした立てこもり事件が出てきたのに驚いた。朝鮮を言外に示している、という使い方ではなかった気がするけれども。それとあわせて非常に面白かったのは、ラスボス里見は超人と一般人を反目させて、追い詰められた超人たちを日本から追放しようというマッチポンプの計画を立てていたことが明かされるけれど、これ、ちょうど『北朝鮮へのエクソダス』を最近読んだこともあって、在日朝鮮人の帰還/帰国運動の歴史が重なってくる。職を求めて、あるいは労働力として戦時動員された朝鮮人は戦後一方的に国籍を剥奪されて貧困に落ち込む人が多くなりそれによる生活保護が増え、そうした人々が左派化することを政府が懸念して帰国運動という棄民政策への流れをお膳立てしたわけだけれど、これが里見と重なりまくる。帰国運動は1959年から80年代まで続いていて、舞台になる年代とも重なるけれど、さて、どこまでこれは意図されたことなのか。80年代、シニシズムやしらけともいわれる時代の前までで終わるのも、現在に至る状況を準備したものとしての七〇年代を描く意図だろうか。原爆の化身としての爾朗、これにゴジラが重ねられていて、原子力などのエネルギーと超人が重ねられている問題も主軸だったりするんだけれど、そこらへんはやはり原発問題への意識だろう。ツングースカ隕石の化身里見がソ連に擬されており、それをチェルノブイリと繋げる見方があるけれど、私は長崎の化身はいないのか、と思った。皮肉な運命に悩みながら正義の味方に憧れる爾朗の思い、それを肯定するラストは良かった。これで超人幻想のタイトルは回収したけれど、「コンクリート革命」って由来とかどっかで説明されていたっけ? 構成が凝っているので、充分に把握するのは難しいけれど、一話完結話数も充分面白く、それが全体にも生きてくる。ボンズらしくアクション作画もみどころで、特に柴来人関連の作画はさすがだ。ところで23話でアースちゃんが墜落した場所は、御茶ノ水駅のお茶の水橋で、後藤明生『挾み撃ち』で語り手が立っていたところ。講談社現代新書全学連全共闘』を読んだら作中事件がばんばん出てくるので、わりと今作のサブテクストとして見通しが立つかも知れない。ただ出てくるのは学生運動だけではないので、もうちょっと別の昭和史、政治運動史をさらう必要がある。

●聖戦ケルベロス竜刻のファタリテ
良作が多かったように思う今クールにおいて、やや埋もれている感があるけれどもとりわけ個人的に推しておきたい作品がこれ。「聖戦ケルベロス」というスマホゲームのアニメ化、ということで、レヴィアタンやら戦国コレクションなどの、オリジナル要素の強いアニメ化をされることが多いスマホゲーム原作アニメとして気になってたのだけれど、ネタ的に見ても真面目に見てもとても良い。三国が緊張関係にある大陸で、十年ほど前の邪竜ダガンゾートの封印失敗のさい、両親を亡くした主人公ヒイロが従者ギルーとダガンゾート打倒の旅を続けている、という導入なんだけれど、一話で通りすがりの者として非道を見過ごせず、敵に斬りかかるもまったく敵を倒せず、無茶苦茶弱いことが露呈するという本当の最弱主人公なのがすごい。このとぼけ感がちょっと面白かったのと、一話は敵の褐色亜人少女シャリシャルーが明らかに作画で贔屓されている動きがよかった。これ次を見るかどうかどうしようかな、と迷っていたけれど、二話から本格的に私の好きなトンチキファンタジーだとわかってからは非常に楽しく見ていた。イクシオンサーガDTとか、レヴィアタンとかの感じというか、B級感というか。主人公を家に招いた少年との、「厄介になってやる」「厄介なんだよ」「厄介になってやるといっているのだから、厄介だ」というやりとりの浦沢脚本のカブトボーグ感というか。スライムにすら勝てない最弱ぶりはものすごいし、竜の口から出てきたヒロインの電波セリフに仲間たちがひいて普通に置き去りにして逃げ出していく展開とか、「蟻地獄だ、気をつけろ! 助けてくれ!」「だがな、俺の剣が黙っちゃいない、あれ、剣が無い、しまった……!!」とかのセリフが秀逸で、松岡禎丞による強そうな主人公ボイスでクソ間抜けなセリフ言わせるのが面白すぎる。敵側にいる博士が「誰かが捕まってないとお前が困ると思ってな」といって、捕まっていたヒイロを逃がした椅子に自分が座っているのを敵ボスに見つかるシーンの面白さはヤバい。ネタやギャグをきちんと話に繋げて進ませていく脚本は理知的で、7話、ヒイロの親の死を回想させた後に、従者ギルーはオークと人間の女が両親だったけれど、女のせいで村が人間に襲われたとして両親が処刑される場面を回想し(井戸の演出が細かい)、そこへ人間とオークを融合させた怪物が襲ってくるという風に展開する脚本が秀逸だった(今年亡くなった井内秀治コンテ)。この話数で見られた、オークと人間、竜と人などのハイブリッドな存在というテーマが最終話できっちり回収されていたのは感動した。竜の心臓を持つヒイロ、人造人間サラート、オーガと人間の混血ギルー、362歳で虎と融合させられた亜人シャリシャルー、トカゲ男パルパ、猫耳女エリン。人間と人間でないものとのハイブリッドという全体モチーフが綺麗に統合されている。聖戦ケルベロスというタイトルは、三国で緊張状態にある様子を三つ首の獣に喩えたものらしいけれど、竜刻のファタリテとしての本作ではそれを異種混交・融合のモチーフとして組み込んでいる。それでいて、設定や展開に埋め込まれている異種混交のモチーフを、台詞なり演説なりで言葉として語ったりはしていないところが奥ゆかしい。このモチーフはもしかしたら原作ゲームのシステム由来なのかも知れない。最終回、ボスに協力し、この物語の元凶だっけれど、いちおうサラートの親でもあったバッハロッパ博士の墓前で「めでたしめでたしですな」とかいうギルーは畜生すぎる。なんにしろ注目すべき傑作のひとつ。ちょっとチープでギャグも効いてて最後に綺麗にテーマを回収して終わる旅するファンタジー、この居住まい、懐かしい90年代の夕方アニメって感じがした。

三者三葉
十数年の連載期間を持つきらら系の古参漫画で、以前未確認の感想でこれをアニメにすればと書いたら未確認のヒットがあったのか、見事にアニメ化。三人の女子高生を中心に描いた四コマなんだけれど、セリフのやりとりが毒気いっぱい、というか思ったことをストレートにいう人たちだらけで構成されていて、毒舌一杯だけど建前の面倒くささをすべて取っ払うさわやかな原作を、しかし主要三人の毒舌をかなり抑え気味にしたのが、何故そんなことをするのかと釈然とせず、序盤はかなり評価に迷った。特に「葉子様」は、金持ちだったときの気分が抜けず、ふと他人に高慢高圧的に振る舞ってしまうというドS行動がほぼカットされており、「葉子様」と呼ばれている所以と整合しないという箇所がいくつか出てしまっていた。とはいっても第一話からどうしてこんなにと思うほど作画に相当の枚数をかけており、仕草の芝居の細かさはほとんどクール随一なくらいすごかった。デフォルメされた猫が蟲師の蟲みたいなフルアニメかよって動きしているのも笑う。二話の動画にスタジオカラーがあるのはどういうことか。毒舌要素を緩くして、萌え路線というか売れ線に寄せようとしたのか、と思わせるところはあるけれど、中盤からは薗部などのキャラクターも増えて毒々しさも充実し、作画の充実ぶりもあいまってかなり楽しい作品だったと思う。原作つきるまでやってほしい。特に印象に残るのが双葉役の金澤まい、この声は井澤詩織以来の衝撃があるな。私服デザインの担当がいて、これは双葉のロングスカートがキャラ性の裏をかいてきてよかった。葉子のバイト衣装も。ED曲名を「ぐう畜パレード」って呼んでる人がいるのは作品とマッチしすぎて笑ってしまった。歌詞で三人の個性を表わすとき、「笑顔になれるもの ごはん お金 ここでは言えない」のくだりは面白すぎた。また、田中将賀野中正幸、濱口明、谷口淳一郎といった作監キャラデザ級の人たちが集まって、監督木村泰大自身もコンテ演出原画で参加のOPがすごい。

ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?
ネットゲームで結婚というシステムを使ったら、その相手がリアルとゲームを区別せずに、現実でも結婚したものと思い込んできた、そしてそれが実は同じ学校の生徒で、というような導入のネトゲものラブコメなんだけれども、異様に感覚がまとも。タイトルはそもそもが、現実とゲームが別だと思った?という意味でもあり、同じ人間が操作しているものが別などということはあり得ない、というわけでヒロインアコは最初からその区別をしていないからこそ、虚像や嘘に騙されない。そのアコは不登校だったわけだけれど、そのことに真摯に向き合う主人公の健全さ。現実とゲームの区別を認めないヒロインによって、執拗にそれらは別だと強弁する主人公のそのこだわりが妄執でしかないのではないか、ということを露呈させていく。まあそういうのはいいとしても、日高里菜ブロント語を喋らせるアニメというたいへん愉快な作品。数多あるネットネタも、どれもが十年くらい古かったりして、やや懐かしのものなので、ネットスラング多用が恥ずかしくなっていないのは面白い。いやしかし、ブロント語は文法的におかしすぎるのだけれどそれゆえに気分はダイレクトに伝わってくる類いのあれで、非常に印象的なネットスラングのひとつだ。「俺の怒りが有頂天」とか「黄金の鉄の塊」とか、この作品とかでベースになってるのはラグナロクオンラインとかみたいだけど、ブロント語含めたFF11ネタとかは東方陰陽鉄とかで知った。

田中くんはいつもけだるげ
基本は無気力男子と母性的男子の夫婦チックなコンビに萌えるBL感あるコメディだけれど、二話以降女性キャラも増えて、男女ともにターゲットに収める作風。原作はガンガンオンラインでたぶん最初から読んでたはず。川面監督、飯塚晴子大塚舞シルバーリンクののんのんスタッフとある程度かぶる。それゆえ、のんのん的な間を使った演出がこなれていて、OP入りのタイミングやアイキャッチなどが面白い。長身でちょい威圧感ある男子が実はスイーツ大好き、というのは少年メイドともかぶる、女子受けする男子像だろうか。性欲はないわけではないけれど、面倒だから恋愛はしない、という田中のバランス感。宮野役の高森奈津美が小動物系ハイテンションで盛り上げまくる。すばるみたいな子犬系(元気な)、という感じ。川面監督と聞いて、のんのんからこれか、と意外に思ったけれど、見てみるとのんのんで培った作風がじつにうまくはまっていて、非常にいい雰囲気の作品。飯塚、大塚という作監ラインナップはすげえ、と思ったけれど大塚舞が小物デザイン担当で作監は序盤しかやってなかったのは次期の美術部アニメでキャラデザ作監だったからなのか。出雲神社行こうとして、「どこかわかってるのか」、「鳥取でしょ」「島根だ」のやりとりが好き。

ふらいんぐうぃっち
東北青森を舞台にした、魔法使いが普通にいる世界の日常生活を描いており、とても落ち着いた雰囲気の作品。東北弁といえば秋田にいた祖母からの電話を取ったことがあるけれど、何を言っているのか何一つわからなかったことを思い出した。OPのマルフクの看板、非常にいいネタなんだけれど、コメントとか見るともしかしてこれネタわかっていない人がいるのか。まあしかし、魔法使いの猫の名前がユーゴスラヴィアの建国の英雄とは意識が高い。一話を見てから、原作を見てみると、これが露骨なくらいよつばとの影響下にあって、アニメではそれが綺麗に消えているのは驚いた。序盤は間をオチに使うのに頼りすぎてうまくないなと思ったんだけれど、そこらへんはよつばとフォロワーっぽかったかな。これも私服バリエーションが多く、そして上品な作風に見せかけて、足や下半身アングルのフェティッシュさとか、ローブを着ているのに体型が出ている犬養とか、じつはそうとうにエロい作品だと言うことは忘れてはならない。等身が高いだけに生々しいところがある。細部へのこだわりは、そうした部分だけではなく、人間や小動物の仕草の丁寧な描写や、普通は省略されるような行動をいちいちシーンを割いて描くことで、のんびりとした間を演出しているのは良い点。三者三葉は動画枚数が凄かったけれど、こっちはコンテ段階で工夫があるように思う。もふもふで夜には人間に戻る獣人とか、萌えの粋を集めたようなキャラの犬養と主人公の姉の酔っ払ってべたべたしてるシーンの官能的な百合っぽさは印象的。10話の受粉に使うマメコバチを男女で指を伝わせていく描写は、これは隠喩的なものだと理解していいんでしょうか? 関東人が東北に来たことで体験する地方の生活の目新しさと、魔法を使うことで見えてくる世界が特に千夏に新鮮に映るという双方向的な日常を描いていく。

キズナイーバー
人の痛みを共有させられてしまう、キズナシステムの被験者にさせられてしまった少年少女の悩みを通じて、友情を描く、というとても真摯なジュブナイル風青春アニメで、小説とかでこういうのありそう。繊細なタッチによるキャラデザが秀逸で、TRIGGERアニメにしてはノリが上滑りするような退屈さがなくて、非常に好印象。岡田麿里作品って、学生を主人公にしても学園に対するフェティッシュがなくて、今作もシステムを強制することに対する抵抗がずっとあって、その感覚のまともさに安心する。ニコはエキセントリックなキャラで、久野美咲としてはちょっと異色のキャラな感じはするけど、非常に良い。後半、勝平が法子を救出に行くシーンの演出とBGMは良かった。突出したところはないけど佳作だなと思ってたら、以下のような批判記事を見てびっくりした。
http://anond.hatelabo.jp/20160522084213
この記事を見た後に当該話数を見たけれど、千鳥が「素敵になってきた」と言うシーンって、セリフだけ残して対立関係にある組織の紋章を映して重ねている演出がされている場面だ。上の記事ではまったく単純な他意のない情報しか提示していない、とか言っているけれど、その指摘しているシーンはまさに画面演出全体で他意、を表現しているシーンなわけ。唖然とした。画面をまったく見ていない。作品で描かれていることを、これくらい描いておけよ、と批判しているナンセンスな文章。
http://anond.hatelabo.jp/20160522202733
シーンについてこの記事で詳細に書き起こしてあるように、前後を見ればこれくらいは文脈がある。こんな普通に画面を見ていたら言えるわけがない破綻した論拠をもとにした中傷が、なんとなく同意されてそこそこ流通してしまうのが恐ろしい。ブックマークコメントでも、明確に読解の甘さを指摘したのは数人しかいない。世にあふれる「クソアニメ」言説というのはこういう読解がベースになっているのかと思うと、いろいろ腑に落ちると同時に、やはり作品は実際に見ないとならない。OPはブンブンサテライツの遺作になるのだろうか。ED「はじまりの速度」がとても良い。

くまみこ
東北地方で田舎に住む巫女と、喋るクマとのシュールコメディ。田舎でなおかつ離れでほぼ一人で暮らしているマチは中学生で、脱田舎をこころざし都会に出たいと思っているけれど電化製品が使えず、電車にのるのも勇気が要り、衆人環視に耐えられないという田舎オリエンテッドな少女で、それをデジタルガジェットを駆使するクマのナツが生暖かく見守る、というコメディ。特徴的なのはこの都会アレルギーとタブレットを使いこなすクマ、という取り合わせのシュールさにある。アニメとしては少女マチのかわいさを全力で描こうというようなこだわりが感じられるところがあり、動画工房グロス担当した三話などのアングルや作画はハイレベルだった。最終話近辺でかなり批判が盛り上がったけれど、じつはそこで批判されたことって、前半部分を見た時の私の感想と近かった。そもそも、このまちとナツの関係って非常に共依存的で、しかもまちは都会で生きて行くには不器用すぎるので、外から見るとナツが正しいように思うけれども、ナツ自身、田舎でしか生きていくことができないように仕向けてもいるようで、まちは田舎を嫌って都会を目指す気持ちもゆらぎがちだ。つまり田舎というのはそうした抜け出せないものとして二人の共依存関係があるということだとすれば、抜けたくても抜けられない場所として田舎を描いているという田舎ヘイト作品としてはかなり周到に感じたわけだ。田舎ヘイト、というのはラジオとかでもよく使われていたけれど、それはまちの田舎コンプレックスネタでもあると同時に、作品の特徴を確かに掴んでいる。「ノーハート」よしおは、まちの近しい親族として貴重な存在だけれど、そのよしおはまちを着替えさせるために無理矢理服を脱がせるような犯罪者じみた無神経さで、よしおの存在は田舎ヘイトとしての本作の最大の特徴でもある。そして、終盤特に露わになったけれども、ナツも微妙に距離を取っているし、よしおはノーハートだし、そしてまちにはなぜか両親がいない。彼女には無条件で味方になってくれるような存在がいない。よしおがまちを、村の生け贄的に発言したのが原作者からも非難をかったけれども、構造的には正確な読解ではないかと思う。そういう意味ではアニメスタッフの原作読解は個人的には評価しうるけれど、大方の視聴者はそうは見てなかったみたいだし、9話やラスト2話のオリジナル話数において、原作のシュールさというか雰囲気のトレースに失敗しており、そこがアニメラストのブラックなオチへの批判を招いたと思われる。まあそもそもあまり中身のないだるい話を引っ張って盛り上げて最終回っぽくするのは区切りがちょうどよくない原作のアニメ化につきまとうものだけど、それもあった。OVAにおいて後日談なりが描かれ、それを見てほしいと言われるけれども、未見なのでなんとも言えない。しかし、圧倒的に脚本家が批判されているけれど、こうした全体構成にかかわる決定権は当然プロデューサーレベルにあるはずだろう。九話はまさに、そうしたスポンサーの横やりが作品を台無しにする、という話だったのを考慮する必要がある。まあこの話が通っている以上そう単純に上からの横やりがあったとは言えないけれども。

学戦都市アスタリスク
派手さはなかったかも知れないけれども、近年の学園能力バトルものラノベアニメとしてはかなりいい。要所要所でのアクション作画もかなり動かしていて最終話もよかった。2クールで六巻程度を費やしたようで、わりあい原作を大切にしたアニメ化だろう。掘り下げられたキャラが集まって、ここからが本当の戦いだ、と盛り上がるところで終わる。この作品かなり気を使って作られていると感じる。基本が学園ごとの対抗戦というスポーツっぽい枠組みになっているし、一話で下着を目撃し胸に触ってしまう出会いから始まったのにもかかわらず、決勝に勝っても缶コーヒーで乾杯して膝頭をこつんとぶつけて締めたあたり、いやはや健全だ。また、一見ハーレムものっぽくて最後に結成したチームは主人公以外全員主人公狙いのヒロインで固められていてこれはもう毎日が修羅場の常在戦場チームになっているけれど、じつは百合描写が多いのも面白いところ。二期一巻のジャケを飾った沙夜と綺凛もこれは公式がそれをわかっているようだし、ウルサイス姉妹の吸血百合とか、擬体化で助けられたカミラがエルネスタに自分は半分お前のものだという関係とか、各勢力内でのキャラを百合っぽく関係づけるのはかなり自覚的にやっているはず。これ、東方とか艦これを参照してるんじゃないかと思ったけど気のせいかな。まあ、だからツンデレヒロインと化したレスターをもっと出さなければいけないね。ユリスが助けたいと思っている孤児院時代の親友オーフェリアは、改造された結果毒素をまき散らして植物も育てられない体にされており、つまりユリスが技を披露するときほころべ、咲き誇れといいながら花の名前を叫ぶのは、この花の開花がたどる過程を示す叫びひとつひとつが、すなわちオーフェリアへの祈りでもあった、というのは良い伏線回収だ。キャラとしてはやはり紗夜が面白い。ダウナーに見えて積極的、クールに見えて少年のような稚気あふれるメカニック。どどーん。バハムートのリーシャと仲良くなれるな。二期EDも非常に良かった。

Re:ゼロから始める異世界生活
ネット小説の書籍作品のアニメ化、ということになるのか、異世界ものとループものを組み合わせたもので、死ぬとある特定地点まで戻る能力を持つけれどそれ以外は凡人という主人公が自分を助けてくれたある少女のために奔走する、という筋書き。自分が死ぬことになる原因を突き止め、解決策を模索するというミステリ的な趣向もあり、なかなか面白い作品。冒頭、異世界転移をすぐには理解したのに、ループにまったく気づこうとしないのは、まさにこのループしていることこそが本筋で手早くやれなかったからだ。異世界という枠組みがここではとりあえずの枠組みでしかないということで、異世界ものというジャンルの特質がうかがえる。主人公の自分の視点だけで一方的にまくし立てるアレっぷりは、主人公の能力が人に知られてはならないものだということの反映でもあり、自分の知らないところでヒロインが死ねば対処不可能になってしまうため、どんなことをしてもそばにいなければならないということが軋轢を生み出す後半の展開を準備する。この主人公の性格のアレな感じはいろいろ賛否あったけれど、この主人公にこんなに腹が立つのは、これは小林裕介の芝居が上手いからだと植田佳奈田村ゆかり堀江由衣に評価されたのはラジオでのトークでとはいえ凄いな。とはいえ、さんざん宣伝的に煽った18話が個人的には最も退屈な回だったあたりで、作り手側との非常な齟齬を感じたということはあった。今年いわゆるラノベアニメとしてもトップクラスの人気になったこの作品を知っていれば、川なんとかのラノベではいま売れるための絶対の方法は主人公に努力させないことです、などという詐欺師の口上みたいなでまかせを真に受けることはなくなるぞ。

ジョーカー・ゲーム
戦前日本にはD機関というスパイ機関があった、というIFからはじまるスパイものミステリ小説のアニメ化で、これはなかなか良かった。青年中年男性ばかりの登場人物だけれど、わりと柔らかな絵柄の作画と、ベテラン男性声優を集めたキャスト陣も安定しており、基本一話完結で見やすいのもいい。戦前日本の超優秀スパイが主人公というのはどうなるものかと思っていたら、アニメを見る限り、この作品は合理性に基づいたD機関の理念によって、非合理精神主義の日本帝国陸軍的なものを徹底して批判する構図で描かれたものだった。初回前後篇の話もまさしくその点が死角としてオチになっていたわけだし、中野学校だったか、陸軍主導のスパイに完全勝利する中盤の話とか、むしろこの図式が露骨すぎる感すらあった。最終話も、D機関が女を採らない理由を、無駄に人を殺すからだとミソジニー的に描きつつ、機関トップの温情や、ある女性への思いでD機関を辞める人間を、合理的になりきることはできない、というアイロニーにおいて描くことで相対化してみせる。D機関そのものが、戦前日本の精神主義批判のためのIF、という感じ。あまり右翼だ左翼だと喧しくなったりしなかったので、うまい案配に落とし込めたんだろう。原作はどうかは知らない。下野紘が格好いい役を貰っている、と思ったらメインを張る回で冒頭以外喋らないのが、こう、不遇というか、しかし単独回としては特に印象的な回ではあったので、なんというか。

はいふりハイスクール・フリート
ミリタリ美少女もの海バージョン。ひとつの軍艦を女性数十人で動かす、という楽しさがいい。ただ、萌香を助ける、という全体目的と、海上スキー的なスキッパーによる救助シーケンスの鮮やかな印象からすると、基本的なコンセプトって海難救助もののプロットに見えるんだけれど、そこに意味不明のタイトルトリックをしかけたことで、いつキャラが死ぬのか、的な作品の主旨とは逆の期待ばかりが投げかけられてしまった不幸がある。「はいふり」は実は「ハイスクールフリート」でした、という騙しは、本当に意味がなかった。ここまで意味不明で視聴者に無意味に悪いバイアスをかける広報戦略もない。じっさい私も序盤はゆゆゆみたいなことをやるんじゃねーよな、とどう見たらいいか曖昧に見ていたところがあり、戦闘シーンの劇伴の妙な明るさとか、意図的な攪乱を入れてきているように感じて、どうもよくわからないと思っていた。途中からは、これは美少女殺してシリアスでしょ的作品ではないことはわかったので概ね楽しく見られたし、パラシュートを使った軍艦ドリフトのあたりとかの無茶さは面白かった。赤道祭の学生たちが自主的にやってるレクリエーションの微妙な感じもそれっぽくて非常によい。パンツを見せるなんてことはしないけれども、スカートの裏にあるペチコートが存在を主張するペチコートアニメ。のんのんびより原作者のキャラと作画は安定していた感じ。ただ、やはり企画や宣伝の仕掛けと作品になにか齟齬があるような違和感がある。

少年メイド
母親を亡くした少年が、母の弟で服飾デザインをしている男の家に住み着くことになり、その家事ができない彼の代わりに家事大好きな少年がメイドとなって、という作品で、こう、趣味全開なんだけれど、穏当なコメディに収まっていて見やすい。同じ大切な人を亡くした者同士、共有するものもありつつ、距離もあるという関係を組み立てながら死の痛みを解きほぐしていく優しい作品。キャラデザがよくて、男子も女子もひたすらかわいらしい。OPは江畑諒真でその歩き方、動きですぐわかる。楽曲は神田沙也加のユニットで解散してしまったらしいけれど、曲は良いと思う。この家でのゴキブリの隠語が髭男爵なので、キャストに髭男爵本人を使うというネタ笑う。

境界のRINNE
二期も地味にとっても面白い作品でよかった。役所のクズっぷりを丹念に描く28話とか、リフォーム詐欺とか悪徳商法を題材にするなど、生活に密着した話の展開がRINNEらしい。49話は貧乏が人の心から余裕を奪っていく痛ましい話だった。ヒロインは食べ物をくれるし金を貸してくれるから天使だ、と話しているところを本人に聞かれて失望されるとか、りんね自身はクズ過ぎる父親よりよほどまともなのに、それでも貧乏ゆえの余裕のなさがここで墓穴を掘る。金持ちのプレゼントは貧乏人に無意味という価値観の違いが笑えるというか笑えないというか、この金と貧困のリアリズム、だからこそNHKで放送される価値があるのかも知れない。同性の友人がりんねに「恋にも勝る友情を育んでみせる!」と叫ぶのは、名言過ぎてすごい。昭和ネタの数々もはじけていて、砂浜でバブル期の幽霊が作った砂の建物が「バブルの塔」と呼ばれ、波にさらわれ「あ、バブルが弾けた」のくだりなどなど。というか、31話、ペットのワニが花澤香菜で飼い主が能登麻美子というキャスティング、何だったんだろう。やってる限りは見る。

ビッグオーダー
最初はもうこの人のはいいかな、とは思ってたんだけれど、このトンチキさとシリアスな顔して繰り出されるギャグが渾然一体となった面白さは、なんか得がたい資質ではある。不死身だからといって死に芸を繰り返すヒロイン、攻勢に転じるところでジャズ調の軽快なBGMになってオモシロ加減が加速するありさま。想像妊娠で本当にその場で瞬間的に腹がふくれるヒロインその他、意表を突くセンスで結構面白くはあった。久野美咲ヤンデレ妹がよかったですね。

坂本ですが?
以前漫画を試し読みしたとき、何一つ面白くなかったので見るつもりがなかったんだけれど、高松信司監督というのもあり、ふいと見てみたら案外面白かった。ベテランを揃えた声優陣とか、結局上手いところに収まっていく悪人を作らない感じのギャグとか、悪い気分にはならないでき。十話、OPを街中のBGMとして流す演出は非常に面白い。イントロのナレもそのままで、時間が無いというわけではなさそうなので、やってみたかった演出、だと思う。カスタマイZは解散してしまったけれど、K二期と今作OPあたりは作品ともマッチした良い曲だったと思う。シドニア二期のはちょっとな、とは思ったけど。一部の人にはH・A・M・A、HAMAだよ、のグループとして記憶されるだろう。

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない
言わずと知れた作品だけれど、特に十話レストラン回、億泰の高木渉が面白すぎる。説明の合間の気の抜けた相づち、緩急、「バカ軽ぅー」とか「肩こりがなくなったァー」とか最高。30話とかも、すごい面白いギャグ回だ。ナレーターが猫フラワー役やってて面白い。猫の化身の花とスリリングな戦闘を演じるボス、面白すぎる。四部は吉良の日常を維持したいという目的から、ちょっとしたことが深刻な危機になるので、ものすごいちまいことに全力投球するので超面白い。新OPで、作詞にエンドケイプさんの名前を見つけて超ビビる。十年前から文学フリマでの同人誌に小説を書いてもらってて、会場にもよく来てくれる人なので。作詞もする人なのは知っていたけれど、ここでこうして遭遇するとは意外すぎた。

アイカツスターズ!
無印はまったく見ていないけれど、ちょうど良い機会に新作としてスタートしたので見ている。プリパラと比べて対象年齢が高めだな、と感じる話運びで、8話に香澄真昼役、ビルドアップする宮本侑芽が出てきて沸いた。GJ部だ。時々あの人どうしてるんだろうと思う新人声優だったので喜ばしい。また白銀リリィの楽曲「Dreaming Bird」がとんでもない変拍子プログレアニソンなので必聴。イントロ6拍子、Aメロ3拍子、A'メロ4拍子、Bメロ7拍子からの早口8分3連符で4拍子のサビに繋げる構成を二分に圧縮という濃さ。初期EDのEDMっぽい曲調も良かった。小春の位置づけが非常に良いと思っていたら途中で抜けるからだった。ガチ百合だと評判の劇場版を挾んだあとの話数でゆめとローラがやたらカップル感を出していたのは面白かった。

●ショートアニメ
鬼斬は、オープニング、視聴者の目を引きつけつる胸が揺れるカットを小分け、小出しにして、実際以上に動く部分を少なくして時間を持たせる作画テクニックに感心する。ショートアニメらしい、ギャグ展開で悪くはない。パンでPeace青春は食べ物です、という力強い曲名のOPが印象的。少年アシベ GO!GO!ゴマちゃん、ごまちゃん東山奈央、でアシベ父が津田健次郎というキャスティング、それでいて佐倉綾音が男の子とその母親をやったり、いろいろ面白く、数人の人物以外、キャストに役名がまったく記されないので、なんかすごい声優(当て)アニメという感じがある。博愛固めとか、なんか微妙にBL感ある作品だねこれ。

●今期のどうかと思う作品
あんハピ
色彩やら絵やら基本的な部分はわりと好きではあるんだけれど、この作品、さまざまなマイノリティを不幸だと分類して特別クラスに収容し、特別の課題を与えて「幸福」になってもらう、という設定でこれはとんでもないと思った。二次元愛好、虚弱、重度の方向音痴等の「不幸」属性は明らかに障碍や性的マイノリティじゃないか。どんなに不幸な境遇だとしても、世界を美しく見ようとするなら幸福じゃないか、という悪い意味で宗教的思想に見えるところがある。学校制度が前提にされているのでなおさらだ。主人公たち的には仲の良い友達を得て、というのはあるにしろ。しかし、そもそも、たとえば主人公のはなこは、不運でも自分を不幸だとはまったく思っておらず、そのことはこの作品において重要な意味を持つはずだけど、継続中の原作ものなのでそこまでは展開していない。メインキャラも多くは自分が不幸だとはあまり思っていない。でも学校は特別クラスに収容し、その時一部の生徒はその横暴に反抗するわけだけど、教師は威圧し沈黙、以後、生徒たちはこのカリキュラムに従うことになる。学校は思想洗脳装置だ、という批判をしたいわけでもなさそうだし。まあ教師がわりと自覚的に悪役を買って出てるところがあるけれど。当時見ていた時から、あんハピに何か微妙な違和感があり、それを上手く言葉にできないな、と思っていたけれど、その違和感をとりあえず書いておくと、こういうことになる。私が不幸だなどとは誰にも言わせない、とは何故誰も言わないのか、というか。「不運な少女は現実を受け入れる」というあんハピレビュー記事タイトルを見て、私の今作への違和感が集約されている言葉だと思ったので、この項を書いている。とはいえ、ED「明日でいいから」は今年ベスト楽曲候補のひとつ。

長すぎて字数制限に引っかかったので、続きはこちらで。
2016年見ていたアニメ2 - Close to the Wall
1/5.人名タイトルなどの誤記修正

*1:ただ、「異世界転生チートハーレム」と揶揄されるようなものの実例って見たことがない。魔法科高校、はチートといえるけど、ハーレムかっていうとちょっと違うしSFだし、自衛隊のは未見。この揶揄、魔法科高校に向けていれば支持されたんじゃないかな。作者が同様の理路で叩かれていたし

2016年読んでいた本

今年は後藤明生論をずっとやっていて後藤ばかり読んでいたので、候補がそもそも少ない。とはいえわりとあったので、カテゴリごとに五冊程度ずつ挙げた。

日本文学

刊行された単著全部を追っている現役の作家二人のうちの一人。『水晶内制度』とおんたこシリーズをつなぐ連作短篇をまとめたもの。ひょうすべとは「表現の自由がすべて」の略で、差別の自由、少女との性行為の自由、暴力の自由などをとなえ、加害の当事者にありながら自らを抑圧された被害者の側におく言説構造を徹底してグロテスクに描き出す。近作はTPPによる「自由化」による薬価高騰へのおそれが、自身の膠原病とダイレクトにリンクし、薬を買えなくなって死ぬ老婆が描かれたりしており、日常を暮らす小説家の身辺にこそ、政治の大状況が絡んでくる状況をも描いている。それは、過去のイラク派兵反対集会とのすれ違いを書いた短篇や、放射性物質を寓意した怪談などとも通底する。TPP反対を明確にとなえ、政治的直接性を躊躇しない希有な態度は、本の帯をプラカードと模したブックデザインにも反映されている。一昨年の野間賞授賞式では、新人賞選考で保坂和志が木村友祐の『聖地Cs』を政治的なことを書くことについて批判を述べていた覚えがあるけれど、笙野さんはそれを果たしてどう思ったのか。本書は笙野さんに恵贈いただきました。所収短篇初出についての記事など。
ひょうすべの約束、おばあちゃんのシラバス人喰いの国ひょうすべの菓子、ひょうすべの嫁

ドン・キホーテの消息

ドン・キホーテの消息

樺山三英 - ドン・キホーテの消息 - Close to the Wall
行方不明になった戦後裏社会の首領(ドン)を捜索する探偵と、400年の時を経て現代に甦ったドン・キホーテサンチョ・パンサの遍歴を交互に描き、現実と虚構、正気と狂気、書物からインターネットへ至るメディア環境、民主主義における「みんな」と「わたし」の問題を一挙に連繋させていきながら、『ドン・キホーテ』とともに生まれた民主主義の未来、つまり「ドン・キホーテの消息」をも幻視する、異様なる現代ハードボイルドSF小説。『ドン・キホーテ』とその研究史をも丹念に踏まえた叙述から、現代ネット社会や原発といったアクチュアルな話題へと繋げていく飛躍ぶりも鮮烈なきわめて挑戦的な傑作。(SF大賞エントリーに投稿した文章)石川博品 - メロディ・リリック・アイドル・マジック - Close to the Wall
刊行された単著全部を追っている現役の作家二人のうちのもう一人石川博品のもっともポップでメジャー性のある作品。アイドルを題材にしているけれども、半分くらいパンクな雰囲気があり、野良アイドルが簇生する沖津区という街を舞台にした、反商業主義自家製アイドルを描いている。アイドル、というのは意外な方向から来たな、と思ったけれども、読んで見るとまさしく石川博品としか言いようのない、しかしこれまで以上にポップな作品になっていて、既に言われているようにとても入りやすい、そして石川作品としても相当上位という出来になっている。パンクな抵抗精神と、さまざまなネタを突っ込むコミカルかつ繊細な文体、女性キャラが総じて攻めのセリフを吐きまくったり、裏と表をキュートに描くヒロインの魅力などとともに、懸隔のある二人を描くラブコメの手法、親との関係など、これまでの石川作品にもあった要素がそれぞれバランス良く取り込まれた、非常にスマートな傑作だろう。アイドルとは選ばれることではなく自らを選びとることという力強い自己肯定への志向が刻まれた一作。一部から絶大な支持を受けつつも売り上げが振るわず続刊が出せないというなかなか苦しい位置にある作家さんなので、この文を読んだら買えよな。→短篇集
石川博品 - トラフィック・キングダム - Close to the Wall

美濃 (講談社文芸文庫)

美濃 (講談社文芸文庫)

自分の年譜を作ろうとする知人との関係をはじめ、郷里美濃をめぐる人間関係とともに、年譜が話題になるとおりメタフィクショナルな脱線、脱臼を試み続ける異色の長篇。何を言ってるんだという困惑を味わいたい人にはぜひ。
穴 (新潮文庫)

穴 (新潮文庫)

淡々とした叙述のなかに奇妙な違和が忍び寄る日常的幻想小説。土地と嫁、あるいは生殖をめぐるテーマが配置された短篇集。下の方に感想あり

東欧文学

時の止まった小さな町 (フラバル・コレクション)

時の止まった小さな町 (フラバル・コレクション)

ボフミル・フラバル - 時の止まった小さな町 - Close to the Wall
〈フラバルコレクション〉第三弾で、『剃髪式』の続篇とも言える、ペピンとフランツィンが出てくる一作。戦中から戦後へかけて、時代が変わって様変わりしてしまった町、失われた町へのレクイエムとしての一作。

メダリオン (東欧の想像力)

メダリオン (東欧の想像力)

ゾフィア・ナウコフスカ - メダリオン - Close to the Wall
〈東欧の想像力〉第十二弾で、ナチスの犯罪調査委員会にいた作者による、世界最初期のホロコースト文学。証言者による証言を聞きとることを主軸とした証言文学で、その極限を体験した人びとは、その現実を耐えるために現実を切れ切れにせずにはいられなかった、という状況を描く。

ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)

ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)

ナーダシュ・ペーテル - ある一族の物語の終わり - Close to the Wall
戦後ハンガリーを少年の視点から描くことで、スパイなり政治なりの状況が不分明になっているありさまを描き出す長篇。あるいはキリストを信じられなかったシモンの末裔のユダヤ人としての来歴を継承する祖父とそれを裏切る父の存在にからむ、裏切り者の物語。

ある子供

ある子供

トーマス・ベルンハルト - ある子供 - Close to the Wall
トーマス・ベルンハルトの自伝的五部作の一作で、 生まれた頃から、十三歳までの出来事、特に八歳頃のことを中心に、その頃の子供の視点から家族との関係、祖父との親密な交流、戦争とナチスが忍び寄る戦前を背景に描く作品となっている。子供の視点から語られる、子供たちの楽園、地獄の息苦しさ、人生の指針ともなる祖父への親愛が描かれた、自伝小説の佳品。

ラデツキー行進曲(上) (岩波文庫)

ラデツキー行進曲(上) (岩波文庫)

ハプスブルク帝国落日の歴史を、フランツヨーゼフの命を救ったことで貴族に叙せられたソルフェリーノの英雄の孫を主人公にして、 汎ヨーロッパ主義の理念が民族主義という新興の宗教によって損なわれていく時代を描く、多民族共存の帝国に対するレクイエムともいうべき大作。ここでロートは民族主義ナショナリズムの弊害を描いていて、ナチス勃興の1933年ドイツという場所では正しい視点のようにも思えるけれども、「少数民族」そのものの概念まで否定するのはどうか。作中では「同化」を別の意味で解釈する興味深い観点もあるけれど。イタリア独立を制圧したラデツキーをたたえるこの曲は、民族融合の理念を称える曲として解釈されるというけれども、それはそれで疑問があるような。

東欧の想像力

東欧の想像力

叢書〈東欧の想像力〉を補足する濃密なブックガイド。東欧文学に的を絞った貴重な一冊。
奥彩子、西成彦、沼野充義編 - 東欧の想像力 - Close to the Wall

朝鮮・引揚げ・移民

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫)

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫)

流行作家梶山の重要な系列として存在する朝鮮ものの代表作を収めた短篇集。日本の朝鮮支配の罪責を問う、完成度の高い作品。わりとアンソロジーにも入っている古典的な作品だ。水野直樹『創氏改名』では「族譜」における創氏改名の細部の史実との違いが指摘されており、川村湊編のより収録作の多い『李朝残影』では、詳細な解説が参考になる。

戦後日本における、炭鉱事業の縮小のなか、あぶれる坑夫たちをブラジルなど南米に送り出す棄民政策の顛末を丹念な直接取材によって描き出した大部のノンフィクション。

北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる (朝日文庫)

北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる (朝日文庫)

同じく、戦時中に労働力として集めた在日朝鮮人を、北朝鮮へと送り出そうとした出国帰還事業が、政府の画策による棄民政策だったということを明らかにするノンフィクション。

植民地主義あるいは引揚げをめぐる論文集。

〈他者〉としての朝鮮 ― 文学的考察

〈他者〉としての朝鮮 ― 文学的考察

日本文学における他者像としての朝鮮表象をたどる大部の文芸評論。戦前から戦後まで広範な作品をカバーし、かなり参考になる大著。戦後に限ったものとして、磯貝治良「戦後日本文学のなかの朝鮮韓国」もあり、この二書における評価の違いをとりあえずは比較しておくと面白い。

引揚げ研究でも知られる研究者による、日本本土以外の場所での敗戦によって何が起こったかを描いた新書。

J・G・バラード短篇全集と後藤明生コレクション1が未読。バラードは今年は読めないのがわかっていたけど、後藤コレクションも全篇既読だったので、他の後藤作品を優先してしまって読めていない。解説月報は楽しんだけれどさすがに読んだ本、ではないので挙げていない。

向井豊昭アーカイブ更新 2016.12

向井豊昭アーカイブ
今回は向井豊昭のエッセイです。じっさいは歌人鈴木佐知さんとの往復書簡のうち、向井執筆部分にあたるものですけれど、自然の仕組みをうまく取り込んだ非常に穏和なエッセイで、教師のときはこんな話を生徒にしていたのではないかな、というのがうかがえるものだと思います。

同時に、私は以前未來社のPR誌「未来」に、岡和田さんの『向井豊昭の闘争』の書評を書いたことがありまして、今回はその原稿も公開します。今見ると直したいところなんかもあったり、鶴田に引き寄せすぎかとも思いますけれど、私自身は今読んでも嫌いではない、と思っています。

「放課後のプレアデス Blu-ray BOX発売記念スペシャルイベント」メモ


ツイッターで概ね書いていたのを、ブログにまとめるのを忘れていた。遅くなったけれども、ロフトプラスワンに二ヶ月ぶり、表題イベントに行ってきた、その記録を。
放課後のプレアデス / SUBARU x GAINAX Animation Project:Blu-ray BOX発売記念スペシャルイベント
前より一時間遅いスタートながら、終る時間はだいたい同じくらい。今回は前回ほどの長丁場ではなく、トークイベントそのものは一時間ちょっとだったけれど、初見の企画段階での資料や作詞別バージョンなど貴重なものが見られた。

司会陣はいつもの塚本氏と稲田氏によるもの。臨時ゲストの監督(出るよって返事したつもりがしてなくて、発表が遅れたために臨時となった模様)はじめ、リアルでは初見の牧野由依藤田咲、作詞家くまのきよみ各氏のほか、ラッピングカー製作のゼロスポーツの人、ラッピングカー現オーナーといったゲスト陣も登壇。あとラッピングカーのデザインの人なんかもいたような気がするけれど、ちょっと詳しく思い出せなくなってる。

しかし、監督がほんとに喋らない人だった。人前だからではなく、仕事でも口数少ないらしい。けれども言うこと自体は印象的だったらしく、たとえば彼女たちは何者でもない、という監督の言葉をOPでは核になっていること、知る人にはおわかりの通り。ただ、監督はもうちょっと大きい声でお話しいただくと言っていることがこちらに聞こえるようになるので、お願いしたいと思います。

しかし監督、作詞家に詩の意味をダイレクトに聞く暴挙に出たのは面白かった。いやー、前回の時(ここでキスしますか、というアレ)といい、それを聞きますか、ということを聞くなあ。OPのAメロ、喧嘩した夜は星が優しい、というのはどういう意味か、を聞いて、それは本当は読んだ人それぞれの解釈でいいんだけれど、私としては涙でにじんだ星がそう見える、ということだとくまのさんは語っていた。

八話の挿入曲、Reminiscenceは椅子に座ってギター弾き語りみたいに歌って収録したらしく、藤田さんもあまりない経験だった模様。曲のイメージとして監督からこういう曲の感じで、といわれた曲は以下のものとのこと。

声優陣からはオーディションの話で、役をシャッフルしながらいろんな役を試し、あおい役の時の演技がななこに合うのではないかと藤田さんに決まったとか。本決まりになった役を受けてなかったというのは牧野さんだったか藤田さんだったか。プレアデス星人のキャラクターは藤田さんがおおむね決めたという話も。藤田さんがイヤー、あのときのことはよく覚えてますよ! と言った直後に他の人と話に齟齬が出てきて、いいえ、全然覚えてませんでした、というのが笑ってしまった。

というか、藤田さんの半袖ワンピースが冬なのにすごいな、と思っていたら濃紺の生地に星と月をあしらったデザインなのに気がついた。スカートには馬あるいはメリーゴーランドの馬があった。プレアデスだからこその服のはず。登壇者みんなノータッチだったけど。

今回ロフトのコラボメニューは結構な部分を藤田さんが考えて提案したものだったらしく、その草案がかなり本気で驚いた。素材を自分で注文して実作してから提案したりしていて、造形なども凝っていたけど、これは大量の注文に対応できないのが見てわかる凝りようだったので、実現可能レベルに簡略化されてた。あれはなかなかのものだった。そのうちレシピ画像をツイッターに上げるという話だったけれど、あれはどうなったんだろう。

牧野さんは、ひかるのキャラデザが発表されたとき、表向きは活発で言葉遣いも荒いひかるの、リボンが黒いところにお嬢様らしさを見た、と言っていて、いやこれはなかなか鋭いなと。確か藤田さんに「ニッチな見方」だと言われていたけど、確かに黒いリボンは珍しいし、キャラクタの配色としてぐっと落ち着きが出る。

しかし、さすがプロというか、声優陣のトーク力がやっぱり違うんだなと思った。声量もあるし、たぶん他の誰よりも人前で話す経験が違うというのもあるからだろう。塚本氏らも司会はたくさんやってるはずだし、じっさい回せているんだけれど、プロ声優さんはちょっと違うなって。

ゼロスポーツの人が登場して、二台目ラッピングカーの販売開始とか、公式サイトでグッズを最大四割引で販売とかなどの情報も。これはもう終わってるかな。
http://shop.zerostyle.net/
トーク部分はわりとさくっと終わって、今回はプレゼント抽選にかなり時間を割いていた。ロフトはメニュー二品目以降を頼むと一枚ずつ抽選券をもらえるので、それを最後に抽選するシステムで、前回は時間が押していたので五人だけにさっさと当てて終わってしまったのを、今回は四十人以上ぐらいにプレゼントを用意していた。私は前回ワンドリンクだけしか頼まなかったので、今回はなんか頼もうかと思っていたけど、座ったところが机も何もない場所だったので、追加メニューを頼んでも置く場所がなく、ワンドリンクのカップをずっと手に持っていたありさまだったので、何も頼まなかった。抽選に参加しておけばよかったかなと思うと同時に、もし次回があれば座るところを考えないとならない。

最後、イベントが終わった後、レジに列ができている間、つなぎがてら司会塚本さんと稲田さんがトークを続けていて、稲田さんがプレアデス関連を拾うためのツイッター検索窓を画面に出して、リアルタイムでいいね&RTをしていく様はかなり受けていた。インタラクティブイベントだ。

プレアデスBDBOXはその日届いたので、行く前に外伝小説を読んだ。最終話まで見た後に読むべき話で、本篇のあいだをちょっと埋めていくらか本篇をリミックス的にというか自己引用しつつ、あおいのエピソードを掘り下げながら、本篇では書けなかったことを書いていく、という外伝らしいサービス精神。

OVAであおいエピソード待望と前書いたことがあるけれど、それに近い風合い。そうか、イラストの意味はそれか、となる。実は前からちょっとした小文を書こうとしていて、それは「放課後のプレアデスの夢の権能」という題だけが決まっているんだけれど、それこの外伝小説だわ、と思った。

魔法とともに重要なのは、第四話のように自他の夢の境界を越える夢の力、それこそがプレアデスのある種の魔法ではないかというようなことを書けないかと思っていたんだよね。本篇第一話で目覚めるすばる、外伝小説で目覚めるあおい、夢から覚めて、夢を忘れない。

この構想で核になるのが四話での夢の混信で、これは五人が出会った次元の越境ともリンクしていて、また夢のなかで他人の二面性と出会うという、プレアデス全体の枠組みのミニチュアでもある。夢はつまり、プレアデスにおけるすべての可能性の根源でもあり、なんでもできる魔法の別名となっている。これは五話における劇中劇が作品全体の枠組みのミニチュアでもあったように、個別回における展開は、作品全体となにがしかのリンクを繋いでいる。こんな感じの草案があって、結論もある程度出ているんだけれど、ちょっと本篇再見して書く時間はないな。

チケット販売は前回の反省を生かして時刻ちょうどにトライしたのに、30秒経たないうちに完売となって驚愕したけれど、これはあるいは転売対策で初期人数を絞っているのでは、という噂もあるけれど、どうだろうか。

笙野頼子 - 人喰いの国

「文藝」2016年冬号に掲載された笙野頼子による「ひょうすべ」連作第五作。「ひょうすべの嫁」「ひょうすべの菓子」「ひょうすべの約束」「おばあちゃんのシラバス」と続いた四年越しの連作はこれで完結し、今月末には単行本が予定されている。
笙野頼子 - ひょうすべ連作とトン子 - Close to the Wall
笙野頼子「ひょうすべの約束」「おばあちゃんのシラバス」その他 - Close to the Wall
↓こちらでは強烈な作者コメントその他の情報をまとめてあるのでご参照。
「文藝」2016年冬号に中編「人喰いの国」
女性や弱者を虐殺する権力の構造をえぐる基本軸は変わらないけれども、食べ物に混ぜられた粉がひょうすべの子を産む、という描写をもつ最初の二篇ほどは原発事故以後の日本に重点が置かれていたのが、四年を経てTPPという「約束」が大きな問題として現われている。TPP批准(まさに今現在のこと)後の医療と農業が崩壊したあとの日本を、だいにっほんシリーズや『水晶内制度』のウラミズモとも関係させ、グロテスクな世界像を描き出す笙野未来史とでもいうべき作品群を構成するようになっている。

連作の概要としては以前の記事を参照してもらいたい。下との約束は破ってもいいとか、「新たな価値判断」で公約を反故にするとか、先行き不安で年寄りは金を使えず、若者は正社員になれず、マスコミは世界企業の奴隷となり「ひょうすべ」を撃つことはできなくなり、世代間対立を煽るばかりで、妊婦は狙われ、子供は生まれなくなった、という日本の現状への批判とともに、投資家という人喰いのために国家が組み換えられた状況を描いていく。

そのなかで生きていく埴輪詩歌の生涯がこの連作の中心になっており、今作では祖母が死に、父は少女遊郭に入り浸った挙げ句そこで殺されたようだけれど「失踪」扱いとなっており、母親も「ひょうすべ以前なら生きられたガンで」死ぬ。その彼女が出会ったのが「火星人落語」という火星人が地球で受けた酷い扱いを批評性を抑えて淡々と語る、という芸能のトップの埴輪木綿造だった。

詩歌には人工授精でできた男児木綿助がおり、そして木綿造との間にはいぶきが生まれた。みたこ教団に入れ込む木綿助の存在、そして一家の「だいにっほんシリーズの通り」のその後など、だいにっほんシリーズへのあいだをつなぐものとなっている。

終盤のウラミズモ首相候補からの手紙にある、ストーカーによって従姉妹を殺されたことによって、「予防国家」構想を語る下りが興味深い。リゾーム国体を構成し、ヘイトスピーチを戦争煽動として扱い国家反逆予防罪により殲滅し、さまざまな犯罪を予防、そしてウラミズモの「男性保護法」は「男性犯罪予防法」でもあると語るこの国家構想、予防拘禁の原理を政策の中心に置いたきわめて不穏なものだ。ディストピア性とユートピア性がないまぜになったウラミズモらしい方針でもある。

しかし、詩歌の元に届いた手紙の意味やウラミズモの占領、について、これがどういう意味を持つのか、今ひとつわからないのはだいにっほんシリーズを忘れているからか、それとも単行本で続きが描かれるからか。『水晶内制度』やだいにっほんシリーズと、ひょうすべ連作のつながりがどうなっているのかいまいち理解し切れていない。単行本でまとめて読んでからか。しかし、シリーズ全部関係してくるとなると、そこまで含めた再読できる時間はないなあ。

単行本の目次を見ると、第一章と第五章が書き下ろしなのか、見たことのない章題となっている。第五章は「埴輪家の遺産」と題されており、今作の続きになっているようだ。

個人的な余談

で、このウラミズモという国家は男性を拘禁し保護の名の下に管理しているという設定があり、ウラミズモの産業のひとつは、少女の身体データの輸出だったはずだ。読んでいて思うのは、ある種の美少女フィクションとウラミズモがきわめて相似形になっていることだ。近年の漫画アニメでは説明もなしにまったく男性が出てこない作品があり、アイドルものにしろバトルものにしろ、女性が女性同士で交流したり競争したり戦闘したりするものが多々ある。女性がさまざまな趣味、仕事で活動するさまを描く作品も相当増えた。これがある種、少女の消費として批判される傾向を持つことは否定しないけれども、同時に男社会の解体でもあることも否定できないと思う。たとえば去年「ヴァルキリードライブ・マーメイド」というアニメがあったけれども、これは露わなレズビアニズムがポルノ的表象とともに描かれた作品で、同じプロデューサーの以前の作品では男性が中心にあったゲーム的人物配置が消えて、もっぱら女性だけの社会が描かれていた*1。ウラミズモという国家の存在は、原発を中心に置き、ポルノを輸出しつつ女権国家を維持するというものだったけれど、たとえば美少女アニメが作中では男性を排除しつつ女性同士が主体的に行動し、交流する関係を描き、作品外ではそれを性的に見る目線で受容される、という構図によって成立しているのとそっくりに見えるわけだ。作中で原発が「フィクション」とされていることは、この点きわめて示唆的。

そして、自称萌えオタクとしては、萌え文化が非常に一方的に男性による女性への暴力として戯画化されているのは気になる。美少女を描く、というときに持ち込まれるセクシズム的コード、表象、展開にまみれているというのは否定できないとして、と同時にもちろんそれだけではないのはこのブログでも書いてきたと思う。女性作家によるセーラームーン等の戦う女性表象をはじめジェンダーロールの攪乱をさまざまに描いてきたのも、そうした作品ではなかったかと思うからだ。そもそも漫画アニメ的美少女表象は、結構な割合で少女漫画文脈に影響されていると思うし、エロ漫画エロゲー等のポルノそのもののジャンルにおいても女性作家はかなりの割合で存在するのはよく知られている。それは名誉男性として排除して良いとは思わない。昔知り合いの女性が百合BLエロゲー等々まで嗜んでいたので、安易な男女二元論で考えられるとも思わない。百合はBLともども女性によって担われてきたジャンルだったわけだし、女性をエロティックに描く女性とそれを受容する女性の存在を無視して良いとは思わない。作品と受容には一見不可解な関係性がある。男性中心のハーレムものと、少女だけが登場するものとで、たとえば男性視聴者読者の受容は違うのか、同じなのか、それすら簡単には言えない。さまざまな欲望にあふれたキッチュポップカルチャーだからこそ、面白いというところがある。

たとえば「リョナ」が今作では女性を虐待する直接的暴力とイコールで使われているけれど、じっさいの愛好者の受容はかなり複雑なものを含んでいるというのは以下の発言からもよくわかる。暴力表現を読む時、時折これは作者の被虐願望ではないか、と思うときは時々ある。
vtuberかもしれない神ヤヤネヒ on Twitter: "あと、性虐待表現についてずっと思っていたこと、長くなるので別ツリーで。"
今作のような描写に一端の正しさを認めつつ、萌え文化愛好者の一端としてのこうしたアンビバレントな違和感も同時に持ちながら読んでいくことになる、というのはタコグルメの感想の時にも書いたような気はする。翌日追記――しかし、死体人形愛好者たちの「幻視建国」を描いた『硝子生命論』があるように、あるいはホラー漫画を愛好していたことをエッセイで書いていたはずでもあり、作者がマイノリティ趣味に無理解だというわけでもないことは書いておく。

しかし笙野頼子は以前からネットスラングをよくよく多用する作家だけれど、最近は2ch用語より、ツイッターぽいスラングが多いような。というか、取材している言説がわりとツイッターぽくて、ツイッターROM民感がある。「リョナ」はちょっと違うけど、「バブみ」や「ケチみと攻撃み、嫌みとすけべみ」という「み」用法はツイッター由来だろうし、美少女兵が政治家を守らされている状況で「提督」という言葉が出てくるのはまあ艦これで、ただ政治家ではなく美少女兵が「提督」と呼ばれているのはなぜかよくわからなかった。提督はプレイヤーを指した言葉のはずだけれども。と思うと、「馬鹿なの? 死ぬの?」ってこれは割合古いネットスラングだったり。

「文藝」は笙野頼子さんにご恵贈いただきました。ありがとうございます。

事実誤認の箇所を削除し、一部追記した。

*1:その社会が閉鎖された島で実験施設だったとか、男装の女性が中心にいたとかいろいろ設定はあるけれども

『後藤明生コレクション』(国書刊行会)刊行記念、いとうせいこう × 奥泉光 × 島田雅彦 × 渡部直己トークイベント

いとうせいこう × 奥泉光 × 島田雅彦 × 渡部直己トークイベント | 青山ブックセンター
もう先週になってしまうけれど、表題の後藤明生トークショーに行ってきた。コレクション編集委員が集まる貴重な機会ということで、それはもう即座に予約した。二代目後藤明生を襲名したいとうせいこう、『挾み撃ち』を扱った文芸漫談コンビの相方奥泉光と、後藤が入れなかった外語大の露文出身の島田雅彦、既にいくつも後藤論を書いている渡部直己のこの四氏は後藤が学長を務めた近畿大学文芸学部のつながりでもある。

90分にわたるトークショーの内容は非常に興味深いものだった。蓮實重彦の後藤論がやはり大きな影響を持っており、しかし後藤本人は最初は何が書いてあるのかわからなかったと平岡篤頼に言っていたということを島田氏がばらしてみたり、カフカを最も理解していた日本の小説家は安部公房でも倉橋由美子でもなく、後藤明生だ、という渡部氏の持論は、以前後藤論でも書いていた。

散文と情緒

トークショーでの後藤観で核心にあったのは、後藤明生は隠喩的ではなく、換喩的な散文性をもち、小説から詩を放逐した、というものだ。後藤は散文にこだわり、普通は走った方が楽で早いのに、競歩のように(これは誰の比喩だったか)抑制を効かせてポエジー、情緒、叙情に流れない。しかし、ここぞというところでエレジーを歌っているところがある、とその印象についても語っている。『挾み撃ち』では敗戦時の朝鮮でレコードを歌いながら割るところとか。

そして、この後藤観において、中期の回想と私小説性の強い時期を『思い川』問題として批判的に取り上げる構図があったことが興味深い。渡部氏にその時期への論及が少ないのはそういうことかと得心した。後藤論を書きつつある身としては言いたいことも多く、特に後藤の引揚げをめぐる原稿を書いている私としては、『思い川』、『夢かたり』等の引揚げ三部作といった中期を軽視する訳にはいかないので、ここら辺鋭く対立する感じになるようだ。

別の対立点としては、後藤のポエジー排除、というのは実は後藤自身結構ウェットだからではないかと私は思うところだ。若い頃詩を書いていたことや、『挾み撃ち』等に顕著な先行文学者への敬意と憧れ、その情緒性を自ら転倒させるところに後藤の屈折、つまり方法があるのではないかと思っている。大杉重男が後藤はロマンチストだといい、種村季弘が後藤はロマン派文学者に逆接している、と指摘したように。

非常に言いたいことは多かったし、ここではやはり挙手すべきだと迷った末に手を挙げて、最後に、私小説的な中期の後藤は父=朝鮮の問題をずっと書いていて、それがこの時期の重要なテーマで、そしてそれは『壁の中』までつづく問題だというようなことをどう考えられるかと質問したけれども、父と子の問題というベタなテーマに回収してしまうのはダメじゃないか、との返答を頂き、それはその通りだと思います。あ、でもその問題は今気づきました、と答えてくれたのはいとうさんか奥泉さんどちらでしたっけ?

じっさい後藤の70年代はほぼ父のことを語っていたわけで、そのテーマをどう描いているかの分析は必要だと思う。それは「未来」の連載で、学生時代のデビュー作「赤と黒の記憶」自体が、後年の記述を見るに、父の死と相即的に書かれている、と指摘したように、以後もこの線で続ける予定なので、結局私の原稿を読んでくれ、というところに落ち着くけれど。宣伝です。朝鮮に対する屈折した態度は私の後藤論の中核部分でもあるので。

『夢かたり』とか感動的な場面も多く、その情緒性はさくっと切り上げられるけど、その切り方がなんか、良いわけです。「鞍馬天狗」なんか普通の意味で感動的な作品ですよ。『挾み撃ち』のレコードの場面は後藤作品でもっとも切実な調子があり、だからこその代表作でもあるわけで。その情感の由来はどこか、といえばやはり朝鮮=敗戦=引揚げ体験という屈折にある。まあたぶん私は「小説」よりも「後藤明生」を読もうとしている、感はある。

今回編集するさい初めて読んだ作品も多かった、と発言があったのは、なるほどと。私はまあだいたい(小説の単著ならすべて一度は)読んだことがあるので、作家の全体像について結構な食い違いがある。聞いていて事実誤認や注釈を入れたいと何度も思ったこともあり、この点、出発点がオタク的な私と編集委員の四氏とではそうとう見方が違うとは思った。

気がついたのは、渡部氏は表現しながらもずらした、ということに重点を置くけど、私は、ずらしながらも書かなければならなかった、という風に重点を置く読み方をしていることだ。後藤はこれまでずっと方法的に読まれてきたけれど、もっと愚鈍に具体的に何が書かれているか、を読むことも必要だと思った。

事実関係について

トークの内容についていくつか事実関係の指摘をしておきたい。初期は一人称ばかり、と発言があったけれど、コレクション第二巻は「男」という三人称の作品がいくつも収録予定になっている。これについては後藤自身、『疑問符で終る話』後書きで「私」と「男」の使い分けをしていることを記しているので、おろそかにできない。二巻編集担当の島田さんが来る前の発言だったけれど、いたら訂正されたのではと思う。単行本『書かれない報告』収録作はすべて「男」だ。

また確か、首塚、しんとくあたりで部屋から出歩くようになる、的な発言があったけれど、最も外に出た韓国紀行小説『使者連作』が見落とされている。というか、部屋から出ないような団地ものも確かにあるけれど、後藤の小説って多くが旅行したり人を訪ねたり出歩いたりしたことを書いていて、歩くことは重要なのに、忘れられたのは何故だろうか。『挾み撃ち』は歩く小説だ。

あと、中期を批判的に語る流れでその頃にはロシア文学のろの字もない、とあったけれど『夢かたり』の表題作及び連作の一篇「片恋」は、ともにツルゲーネフ二葉亭四迷訳から来ていることは作中にも書いてある。猫小説『めぐり逢い』のタイトルも、おそらく四迷訳ツルゲーネフ「奇遇」の別題「めぐりあひ」からだろう。で、『思い川』のタイトルが笑い混じりにいかにも私小説的、と言われたけれど、これは宇野浩二が由来だと後藤自身が書いていて、さらにその引用元が和歌にあることを以下の論文が指摘している(このPDFは数ページ脱落していることに注意)。まあ引用の引用だとしてタイトルが和風情緒なのはその通りで、だからこその『思い川』は後生には小説ではなく随筆のジャンルに入れて欲しい、と後藤自身が語った訳だけれど(「現点」のインタビュー)。
http://kurepo.clib.kindai.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN1018193X-20140331-0001

なにぶんオタクだから、こういう些細な事実の指摘にこだわる。

打ち上げで

倉数茂さんに連れられて、渡部直己さんに一言挨拶し、拙稿の載った「未来」をお渡ししたのだけれど、果たして読んでもらえるかは不明だ。さっき質問した人で、とは紹介されたけれど、まあ明らかに渡部さん的には無視か批判されそうな論だとは思っている。

また打ち上げにも参加させてもらいまして、偶然にも後藤明生夫人暁子さんの隣に座ったので、いろいろと貴重な話を伺いました。もう片方が中沢忠之さんで、いろいろ話が出来てよかったです。正面に石川義正さんがいて、私のブログを読んでいたと言われ、何故、と。連載すると聞いてびっくりした、というので、それ以前から読んでくれていたことになるけれど、電書あわせで後藤明生再読記事を書いていたからだろうか。またしばしば岡和田さんの話で盛り上がる。倉数さんと知り合ったのは岡和田さんの『北の想像力』以来なので。編集委員の方たちは編集会議ということで別席だったので話す機会はなかった。

いくつか隠し球を持って行っていたのだけれど、その一つが暁子さんが明生の癖について語った、四十年くらい前のエッセイ。これは暁子さんにごらんいただき、なんでこんなものを!という反応をいただけました。もう一つは「犀」に載ってたおそらく単行本未収録エッセイで、これらはわりと満足してもらえたと思います。あと、倉数さんや同じく編集協力している江南亜美子さんを驚かせたヤツがあったけれどこれは秘密で。

そうして話しながら、私のサイトの創作年譜の話題になった。あの年譜は、論考を書くにあたって後藤の小説を全部時系列順にリストアップし、時間的先後を確認しながら順々に読んでいくために作ったもので、これは鶴田知也についても作っており、作家論を書くときにまずはじめに着手する作業なんだけれど、周囲の人たちは誰一人そうしてる人はいない、と言われてちょっと驚いた。好きな作家がいたら、まず全部読もうとする、という行動、これオタクだからか、と納得した。まあ全部読まないにしても、全体を見てこういう作品がある、ということはとりあえずチェックするので。

いや、何にしてもものすごく楽しかったですね、はい。もっとも後藤明生で盛り上がっていた場だったと思うし、そこに自分も参加できたというのが嬉しかったですね。今なら後藤についてはいくらか詳しいので、話にがんがん突っ込んでいけるわけで。

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