2016年読んでいた本

今年は後藤明生論をずっとやっていて後藤ばかり読んでいたので、候補がそもそも少ない。とはいえわりとあったので、カテゴリごとに五冊程度ずつ挙げた。

日本文学

刊行された単著全部を追っている現役の作家二人のうちの一人。『水晶内制度』とおんたこシリーズをつなぐ連作短篇をまとめたもの。ひょうすべとは「表現の自由がすべて」の略で、差別の自由、少女との性行為の自由、暴力の自由などをとなえ、加害の当事者にありながら自らを抑圧された被害者の側におく言説構造を徹底してグロテスクに描き出す。近作はTPPによる「自由化」による薬価高騰へのおそれが、自身の膠原病とダイレクトにリンクし、薬を買えなくなって死ぬ老婆が描かれたりしており、日常を暮らす小説家の身辺にこそ、政治の大状況が絡んでくる状況をも描いている。それは、過去のイラク派兵反対集会とのすれ違いを書いた短篇や、放射性物質を寓意した怪談などとも通底する。TPP反対を明確にとなえ、政治的直接性を躊躇しない希有な態度は、本の帯をプラカードと模したブックデザインにも反映されている。一昨年の野間賞授賞式では、新人賞選考で保坂和志が木村友祐の『聖地Cs』を政治的なことを書くことについて批判を述べていた覚えがあるけれど、笙野さんはそれを果たしてどう思ったのか。本書は笙野さんに恵贈いただきました。所収短篇初出についての記事など。
ひょうすべの約束、おばあちゃんのシラバス人喰いの国ひょうすべの菓子、ひょうすべの嫁

ドン・キホーテの消息

ドン・キホーテの消息

樺山三英 - ドン・キホーテの消息 - Close to the Wall
行方不明になった戦後裏社会の首領(ドン)を捜索する探偵と、400年の時を経て現代に甦ったドン・キホーテサンチョ・パンサの遍歴を交互に描き、現実と虚構、正気と狂気、書物からインターネットへ至るメディア環境、民主主義における「みんな」と「わたし」の問題を一挙に連繋させていきながら、『ドン・キホーテ』とともに生まれた民主主義の未来、つまり「ドン・キホーテの消息」をも幻視する、異様なる現代ハードボイルドSF小説。『ドン・キホーテ』とその研究史をも丹念に踏まえた叙述から、現代ネット社会や原発といったアクチュアルな話題へと繋げていく飛躍ぶりも鮮烈なきわめて挑戦的な傑作。(SF大賞エントリーに投稿した文章)石川博品 - メロディ・リリック・アイドル・マジック - Close to the Wall
刊行された単著全部を追っている現役の作家二人のうちのもう一人石川博品のもっともポップでメジャー性のある作品。アイドルを題材にしているけれども、半分くらいパンクな雰囲気があり、野良アイドルが簇生する沖津区という街を舞台にした、反商業主義自家製アイドルを描いている。アイドル、というのは意外な方向から来たな、と思ったけれども、読んで見るとまさしく石川博品としか言いようのない、しかしこれまで以上にポップな作品になっていて、既に言われているようにとても入りやすい、そして石川作品としても相当上位という出来になっている。パンクな抵抗精神と、さまざまなネタを突っ込むコミカルかつ繊細な文体、女性キャラが総じて攻めのセリフを吐きまくったり、裏と表をキュートに描くヒロインの魅力などとともに、懸隔のある二人を描くラブコメの手法、親との関係など、これまでの石川作品にもあった要素がそれぞれバランス良く取り込まれた、非常にスマートな傑作だろう。アイドルとは選ばれることではなく自らを選びとることという力強い自己肯定への志向が刻まれた一作。一部から絶大な支持を受けつつも売り上げが振るわず続刊が出せないというなかなか苦しい位置にある作家さんなので、この文を読んだら買えよな。→短篇集
石川博品 - トラフィック・キングダム - Close to the Wall

美濃 (講談社文芸文庫)

美濃 (講談社文芸文庫)

自分の年譜を作ろうとする知人との関係をはじめ、郷里美濃をめぐる人間関係とともに、年譜が話題になるとおりメタフィクショナルな脱線、脱臼を試み続ける異色の長篇。何を言ってるんだという困惑を味わいたい人にはぜひ。
穴 (新潮文庫)

穴 (新潮文庫)

淡々とした叙述のなかに奇妙な違和が忍び寄る日常的幻想小説。土地と嫁、あるいは生殖をめぐるテーマが配置された短篇集。下の方に感想あり

東欧文学

時の止まった小さな町 (フラバル・コレクション)

時の止まった小さな町 (フラバル・コレクション)

ボフミル・フラバル - 時の止まった小さな町 - Close to the Wall
〈フラバルコレクション〉第三弾で、『剃髪式』の続篇とも言える、ペピンとフランツィンが出てくる一作。戦中から戦後へかけて、時代が変わって様変わりしてしまった町、失われた町へのレクイエムとしての一作。

メダリオン (東欧の想像力)

メダリオン (東欧の想像力)

ゾフィア・ナウコフスカ - メダリオン - Close to the Wall
〈東欧の想像力〉第十二弾で、ナチスの犯罪調査委員会にいた作者による、世界最初期のホロコースト文学。証言者による証言を聞きとることを主軸とした証言文学で、その極限を体験した人びとは、その現実を耐えるために現実を切れ切れにせずにはいられなかった、という状況を描く。

ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)

ある一族の物語の終わり (東欧の想像力)

ナーダシュ・ペーテル - ある一族の物語の終わり - Close to the Wall
戦後ハンガリーを少年の視点から描くことで、スパイなり政治なりの状況が不分明になっているありさまを描き出す長篇。あるいはキリストを信じられなかったシモンの末裔のユダヤ人としての来歴を継承する祖父とそれを裏切る父の存在にからむ、裏切り者の物語。

ある子供

ある子供

トーマス・ベルンハルト - ある子供 - Close to the Wall
トーマス・ベルンハルトの自伝的五部作の一作で、 生まれた頃から、十三歳までの出来事、特に八歳頃のことを中心に、その頃の子供の視点から家族との関係、祖父との親密な交流、戦争とナチスが忍び寄る戦前を背景に描く作品となっている。子供の視点から語られる、子供たちの楽園、地獄の息苦しさ、人生の指針ともなる祖父への親愛が描かれた、自伝小説の佳品。

ラデツキー行進曲(上) (岩波文庫)

ラデツキー行進曲(上) (岩波文庫)

ハプスブルク帝国落日の歴史を、フランツヨーゼフの命を救ったことで貴族に叙せられたソルフェリーノの英雄の孫を主人公にして、 汎ヨーロッパ主義の理念が民族主義という新興の宗教によって損なわれていく時代を描く、多民族共存の帝国に対するレクイエムともいうべき大作。ここでロートは民族主義ナショナリズムの弊害を描いていて、ナチス勃興の1933年ドイツという場所では正しい視点のようにも思えるけれども、「少数民族」そのものの概念まで否定するのはどうか。作中では「同化」を別の意味で解釈する興味深い観点もあるけれど。イタリア独立を制圧したラデツキーをたたえるこの曲は、民族融合の理念を称える曲として解釈されるというけれども、それはそれで疑問があるような。

東欧の想像力

東欧の想像力

叢書〈東欧の想像力〉を補足する濃密なブックガイド。東欧文学に的を絞った貴重な一冊。
奥彩子、西成彦、沼野充義編 - 東欧の想像力 - Close to the Wall

朝鮮・引揚げ・移民

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫)

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫)

流行作家梶山の重要な系列として存在する朝鮮ものの代表作を収めた短篇集。日本の朝鮮支配の罪責を問う、完成度の高い作品。わりとアンソロジーにも入っている古典的な作品だ。水野直樹『創氏改名』では「族譜」における創氏改名の細部の史実との違いが指摘されており、川村湊編のより収録作の多い『李朝残影』では、詳細な解説が参考になる。

戦後日本における、炭鉱事業の縮小のなか、あぶれる坑夫たちをブラジルなど南米に送り出す棄民政策の顛末を丹念な直接取材によって描き出した大部のノンフィクション。

北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる (朝日文庫)

北朝鮮へのエクソダス 「帰国事業」の影をたどる (朝日文庫)

同じく、戦時中に労働力として集めた在日朝鮮人を、北朝鮮へと送り出そうとした出国帰還事業が、政府の画策による棄民政策だったということを明らかにするノンフィクション。

植民地主義あるいは引揚げをめぐる論文集。

〈他者〉としての朝鮮 ― 文学的考察

〈他者〉としての朝鮮 ― 文学的考察

日本文学における他者像としての朝鮮表象をたどる大部の文芸評論。戦前から戦後まで広範な作品をカバーし、かなり参考になる大著。戦後に限ったものとして、磯貝治良「戦後日本文学のなかの朝鮮韓国」もあり、この二書における評価の違いをとりあえずは比較しておくと面白い。

引揚げ研究でも知られる研究者による、日本本土以外の場所での敗戦によって何が起こったかを描いた新書。

J・G・バラード短篇全集と後藤明生コレクション1が未読。バラードは今年は読めないのがわかっていたけど、後藤コレクションも全篇既読だったので、他の後藤作品を優先してしまって読めていない。解説月報は楽しんだけれどさすがに読んだ本、ではないので挙げていない。