吉田裕「日本近現代史6 アジア・太平洋戦争」

アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書)

アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書)

この本は対米戦争開戦時から記述されているので、昨日の「日中戦争」から続けて読むとうまくつながる。また、開戦直前の世界情勢についてもある程度説明されていて、そのなかで、日本がいかなる方針で戦争へと向かったかが述べられている。

ここで先に感想を言うと、この本は結構良いと思う。類書をほとんど読んでいない私が言うのも難*1だが、基本的に読みやすくて、また時勢柄歴史修正主義的議論に対する牽制を随所に含みつつ、当時の行為を「批判的」*2に見据えながらも、戦時体制がもたらした女性の社会進出という副産物なども評価しながら記述されていて、冷静な歴史叙述だと思われる。

ネットでは歴史修正主義的言説が幅をきかせていて、どうにもうさんくさいが、歴史に詳しくなく、どこが変だと具体的に判断できない、という人あたりは通説的歴史認識の一例として参考になると思う。ハルノート真珠湾奇襲、自衛戦争、植民地解放戦争、大東亜共栄圏構想といった論題についてもきっちりと押さえていて、参考になる。議論のネタになる代物が集中的に存在する時代だけにとても面白く読めた。

まあ、歴史修正主義的言説にかんする各論的な批判については、Apemanさんのブログhttp://norevisionism.ring.hatena.ne.jp/の各ブログを参照すると良いのだけれど、通史的な理解もやはりあった方がいい。


いくつか本書での議論を拾ってみる。

まず、「ハルノート」について、これはもともとハル国務長官の覚え書きとでもいうべきものであり、最後通牒と見なすこと自体に無理がある、という議論を紹介している。ここで、交渉の余地はあったのに、それを放棄してハルノート最後通牒と見なして戦争に突入していく日本の姿は、昨日の小林英夫の分析を援用すると、初っぱなから「ソフトパワー」を軽視し、「殲滅戦」的な戦略に突入していったと言える。また、ハルノート以前に開戦を決意していたということを、十一月五日の御前会議とそれ以降の軍が戦闘態勢に移行したことから指摘している。そう見ると、ハルノートを開戦のきっかけとするのは、見え透いた言い訳に過ぎないことになる。まあ、そもそも満州、中国に進出しておいて、そこの権益を守ることを「自衛」というのも無理あるようにしかみえないが。

真珠湾奇襲についても、ハル国務長官に手渡すのが遅れたという最終覚書が、そもそも宣戦布告を宣したものではなく、奇襲前に渡されたとしても国際法違反は避けられないものだったと指摘している。これは知らなかった。また、最近の研究では、従来出先の日本大使館の過失で覚書の手交が遅れたという理解だったが、そうではなく、外務省自身が最終結論部分の発電をギリギリまで遅らせた上、「至急」「大至急」の指定無しに、「普通電」として発電していたことが分かってきたという。無警告奇襲攻撃を重視する陸軍の意図がそこに働いているのであり、計画的な奇襲だと言える。

また、開戦時には、イギリス、オランダ、タイに関しても違法性の強い戦闘をしかけている。なんと、「日英戦争の場合には、外交交渉も最後通牒もないままに、真珠湾攻撃の一時間ほど前に、いきなりマレー半島への強襲上陸を開始しているのだから、国際法上の違法性はこちらの方がきわだっている」という。オランダ、タイに対しても、石油資源の都合や進駐に対する同意がとれなかったという理由から宣戦布告なしの武力干渉が行われている。

大東亜共栄圏構想がそもそもの後付の理由(自存自衛と食い違う)なことはある程度知られていると思うが、実際に占領した地域においては「国防資源取得と占領軍の現地自活の為民生に及ぼさざるを得ざる重圧は之を忍ばしめ」、「現住土民に対しては皇軍に対する信倚肝炎を助長せしむる如く指導し、その独立運動は過早に誘発せしむることを避くる」と、資源獲得を重視し、独立運動を抑圧する占領政策が取られていた。これにかんしてはサンフランシスコ講和会議でのアジア諸国の発言をまとめた面白い記事があるので、やっしゃんさんの以下の記事を参照。

◆ 美しい壺日記 ◆ サンフランシスコ講和会議にみる「アジア解放の戦争」という怪

日本、ボコボコですがな。

敗戦後に著者は戦没者の推計を行っているのだけれど、まず日本はだいたい310万名で、これは上方修正されるべきだろうと書いている。諸外国での戦没者数、だいたいで書くと、アメリカ10万弱、ソ連いろいろ合わせて2万6千、イギリス3万弱、オランダ2万7千。で、重要なのは以下の記述だ。

交戦国だった中国や日本の占領下にあったアジアの各地域の人的被害は、もっと深刻である。しかし、これについては正確な統計資料が残されていないため、各国政府の公式発表などを基にしたおおまかな見積もりにならざるをえない。そのような見積もりのひとつとして、中国軍と中国民衆の死者=一〇〇〇万名以上、朝鮮の死者=約二〇万名、フィリピン=約一一一万名、台湾=約三万名、マレーシア・シンガポール=約一〇万名、その他、ベトナムインドネシアなどをあわせて、総計で一九〇〇万名以上という数字をあげておきたい(小田部雄次ほか『キーワード 日本の戦争犯罪』)。いずれにせよ、日本が戦った戦争の最大の犠牲者が、アジアの民衆であったことは間違いない。
221P

ボコボコに非難される理由もむべなるかな、と言ったところだ。


ちょっと面白いのは、東條英機の当初の人気の高さだ。しきりにメディアに姿を現し、積極的な言動と行動の人というイメージを作り上げ、それが非常に支持されていたらしい。ここらへんのメディア論的な状況は現代との共通性を思わせるものがあり興味深い。

他にもいろいろあるが、印象深いのは後書きに記載されている一枚の写真だ。それまで絶望的抗戦の記述が続き、大量の死者や餓死者を出した戦争の終わりに、日本に帰ってきた兵士たちが、これ以上ないくらいの満面の笑みを浮かべてカメラに写っている写真がある。戦争が終わり日本に帰ってきたという喜びがとても鮮烈に伝わってくる非常に良い写真だ。左下にポカンと間抜けな顔で映っている人がいるのもユーモラス。

是非、通読してこの写真を見てもらいたい。なかなかに感動的。

*1:ここ、「何」と「難」と仮名の書き方を見るが、どれが正しいのかわからん

*2:否定的、じゃないよ