クリストファー・プリースト - 夢幻諸島から

プリースト六年ぶりの長篇翻訳。長篇というか、掌篇程度のものから中篇近いものまで、バラバラな長さの島にまつわるガイドという体裁の三十五の短篇を、「夢幻諸島」のガイドブックとして編集された本という形式にぶち込んだ一冊で、これは連作長篇と呼ぶべきだろうか。

「夢幻諸島」とは、これまで「夢幻群島」と訳されてきた*1プリーストのライフワーク的な作品群“Dream Archipelago”のことで、短篇のいくつかは国書刊行会の『限りなき夏』にまとめられている他、雑誌やアンソロジーに訳されたままのものもある。他にも1981年に“The Affirmation”という夢幻諸島ものの長篇があるのだけれど、未訳のままで、夢幻諸島ものの長篇が訳されるのは2011年発表の“The Islanders”『夢幻諸島から』ではじめてとなる。

国書刊行会の『限りなき夏』を読んだ人のために書いておくと、本書は全篇初訳で、国書の短篇集に入っているものと被るものはない。また雑誌等既訳のものとも被っていない。けれども、『限りなき夏』訳者後書きで触れられていた未訳の夢幻諸島もの短篇は、改稿されて本書に収録されているとのこと。というわけで長篇をのぞいては夢幻諸島もの短篇はすべて訳されている、と言えるだろう。

SF的設定の小説的形式化

で、本書について。既に書いたように、夢幻諸島という不思議な世界についてのガイドブックという体裁で書かれており、長めの序文を持つ本書は、島ごとのガイドとして書かれた短篇群を集めたものとなっている。ガイドといってもそこは小説なので形式は非常に自由で、ある程度普通のガイドブック的なものから完全に短篇小説になっているものまであり、誰が書いたのか不明瞭なものもあり、きわめて雑然としている。プリーストという作家を知るものならば当然予測できるように、各短篇のつながりもまた一筋縄でいくものではない。

どういうことかというと、この「夢幻諸島」という世界は非常に混沌としており、まずもってこれは現実の地球とは異なる*2。北と南に大陸があり、北の国は戦争をしていて、その戦争は南の大陸を舞台にしている。そして夢幻諸島はその戦争へ行く部隊が通過していく場所となっており、ファイアンドランドとグロウンド共和国という戦時国家の緊張が諸島にも影響している、という政治的背景を持つのとともに、夢幻諸島は地図や海図を制作できない時間的歪みがあり、誰にも全体像を俯瞰できない、という特徴を持っている。時空が歪んでいるせいで、島の総数、配置、また島々を旅することにも困難を抱えている。

このSF的(もっというと『逆転世界』的、か?)設定をしつらえて、プリーストは諸短篇を配置していくわけで、当然この設定は作品の語りにおいても影響を与えざるを得ない。つまり、時空の歪みによって俯瞰が不可能、という設定は、各短篇においてそれぞれ語ることが食い違っており、作品全体を矛盾なきものとして読むことができない、という形で作品化されている。

この、設定・ガジェットと作品の形式との相即性はプリーストが『魔法』あたりからずっと試みてきたことだ*3。SFと現代文学とのクロスオーバーというか、SF的設定を突き詰めていくと、語りや形式においてもその設定を適用してみるべきという風に進んだのではないかと思う。プリーストの面白い所は、ガジェットを作品内容のレベルにおいてだけではなく、語りや形式のレベルにおいても用いようとする所だ。

「真実」の不在

プリースト作品には、『奇術師』、『双生児』という作品があるけれども、奇術師も双子も、本作では重要な意味を持って現われる。特に双子や替え玉(酷似した別人)というガジェットは、本作での事実関係をひっくり返しかねないものでもある。ある場所で誰が、として書かれた叙述が、実は別の誰かだった、というトリックの可能性を示唆するからだ。これは同じく、不死の技術が実用化されている、というエピソードもそうで、死んだはずのある人が他の所に現われている、というのは単なる矛盾なのか、あるいは整合的に理解可能なものなのか、という曖昧さを生んでいる。

だから、読み終えてみるとこれは最初から読み直さないと、という気になるトリッキーな作品でもあって、数々の矛盾が実は整合的に理解可能なのではないか、というチャレンジ心を沸きたたせるところがある。ミステリ畑の読者なら、どう読むだろうか。私としては、先に書いた俯瞰不可能、という設定上、全体を整合的に整理できる理路は存在しないのではないか、と思っている。これは、古沢氏がこう言っているように、

また、序文で以下のようにある通り。

真の現実は、あなたのまわりであなたが関知するものである。あるいは、幸運にもあなたが自分で思い描けるものなのである。P22

本作は、島それぞれの物語はそれぞれが真実で、全体としての「真実」などない、という作品ではないか、と思う。とはいえ、これらのつながりと食い違いは、さまざまな示唆をもたらすだろうし、矛盾を単に放置していい、というわけではなく、積極的な能動的な読書を旨とするというプリーストとしては、絡み合った糸をほぐしていく再読、再々読を期待しているはずだ。

また、そのさい注意した方がいいと思うことは、本書はそれまでに書かれてきた夢幻諸島ものを前提としている部分があるということで、これだけで完全に独立した作品ではなく、だから、本書の情報だけを前提に考察をおこなおうとするのは難しいんではないかということだ。モイリータ・ケインはアンソロジー『アンティシペイション』所収の「拒絶」にも出てくるし、また「シーヴル」のトームとアルヴィは『限りなき夏』所収の「奇跡の石塚」にその娘が出てくるなど、本書の外へと繋がっている糸がいくつもある。本書もまた夢幻諸島ものの一作という、ひとつの「島」なわけで、既に二つある他の未訳長篇や諸短篇ともあわせて読んでみる必要があるだろう。私も、SFマガジンの「観察者」は未読なので、『限りなき夏』の諸篇もあわせて読み直してみたい。またずいぶん違った感想が得られると思う。

眩惑という形式

いくつか感じた所を書いておく。短篇によって書かれた長篇、ということで、さまざまな謎がそのままにされたり他の短篇に持ち越されたり、俯瞰不可能さゆえに未完結とならざるをえない部分があり、あれ、この話はこれで終わりなの、といった不全感がどうしても出てくるところがある。もちろんそれは作品としての企図と不可分のものでもあって、全体が曖昧さと謎とで覆われてくるようになると、どの記述も怪しさをかかえた緊張感とともに読めるようになるわけだけれど、そういうきらいはある。塔の謎、島の謎、さまざまな謎が明快な説明によって明かされる、ということはほとんどないので、そういう読み方をしていくとハシゴを外されるということは覚えておいた方がいいだろう。そういう謎は本書全体へと広がっていく糸を形成しており、この糸はまた別の作品へもつながっていくもので、張りめぐらされたこの糸が夢幻諸島シリーズをつないでいる。

しかし、いくつかの短篇、「火葬」のような昆虫ホラーや、地図作りの男女にまつわる三角関係、塔の調査のなかで起こった幻覚*4などなどの印象深いエピソードがある。短いものでも意外に強い印象を与えるものもある。なかでも、本書では芸術家の登場が多いのだけれど、最初からたくさん出てきたトンネルにかんするエピソードが最後の最後で島そのものを用いた幻想的アートとして結実する展開はとても感動的だった。何かの話の結末が明らかになるようなラストではないのだけれど、レーモン・ルーセル作品での発明品を連想させられたこの島アートは長篇を締めくくるにたるものだった。

いつもながらの完成度の高い小説で、夢幻や眩惑を話の内容だけではなく小説の構造として体験できる大作だった。そして、これまで短篇しか邦訳されてこなかった夢幻諸島シリーズの長篇がようやく訳されたことで、このシリーズの真価が見えはじめてきたように思う。これを読むことで、既訳の短篇がまた違った様相を現わしてきて、以前読んだ時はそうでもなかった作品が、とても興味深く読めるようになった。最新作もそうだけれど、夢幻諸島ものの第一長篇にして現在の作風の起点とされる“The Affirmation”の翻訳がぜひとも待たれる。『限りなき夏』後書きでは次はそれ、という風な文章があったんだけどなぁ。『双生児』は文庫化されないし、売り上げが厳しいのだろうか。訳されるように、みんな、買って読んでね。

最新長篇、2013年の“Adjacent”はこれまでで最長の大作とのこと。タイトルは「隣接した」、というような意味のようだ。古沢氏はプリースト作品おなじみのモチーフが詰め込まれている、といい、そこに第一次第二次世界大戦やウェルズもあるんだけれど、同時に夢幻諸島もののでもある、と言っていて、つまりこれは作中作あるいは、隣合った世界、か何かの形で夢幻諸島が出てくる作品なのかな、と予測。

既にある感想が考察含めいろいろ参考になる。
「夢幻諸島から」感想まとめ - Togetter
お気らく活字生活 『夢幻諸島から』 クリストファー・プリースト 早川書房
『夢幻諸島から』クリストファー・プリースト: わたしがSF休みにしたこと

単行本未収録夢幻諸島もの短篇について

●「娼婦たち」安田均訳 季刊NW-SF1980年9月第16号
本書でも娼婦たちの島として登場するウィンホーを舞台にした作品。傷病休暇にある兵士が、五年前、この島で短い付き合いのあったスレンジという娼婦ともう一度会いたい、とウィンホーを訪れる。しかし、誰に聞いてもスレンジは死んだ、という答えばかりだった。この島は、敵国の占領下にあったとき、さまざまな残虐行為を被り、また、男たちが連れ去られてしまっていた。兵士は、そこで出会った別の娼婦を買い、その娘が一人で赤子を育てているのを知る。そして彼は船の訪れと共に島を離れる。話としてはそれだけだけれど、注目すべきは戦争に巻き込まれた島の生活、という背景がみえることと、この兵士が被ったものが、「共感幻覚ガス」で、「知覚が混乱」している、ということだ。知覚の混乱、というモチーフはプリースト年来のもので、『ドリーム・マシン』などもそうした夢と現実の相互浸食をあつかったもので、読んだ時はディック的だな、と思ったものだったし、未訳の“The Extremes”は、「仮想現実ソフトに浸食される現実」を扱ったものだそうで、このモチーフと相互の語りが食い違う、というメタフィクション的な手法の親和性は見ての通り、本書にも通じるものだ。

●「拒絶」安田均サンリオSF文庫『アンティシペイション』所収
作家モイリータ・ケインの登場する作品。大陸での戦争において、国境警備を務める兵士はモイリータ・ケインの大ファンで、彼は仕事で派遣されてきたケインに面会を申し込む。ケインは生計を立てるために意に添わぬ劇作をやらされており、戦時下の作家の立場の難しさを描きつつ、兵士とケインとで作中作“The Affirmation”について語りあう。本作では『受容』と訳されているその長篇では、壁がひとつの象徴となっており、それは国境に立てられた壁ともつながる。兵士ディックは、ケインとの会話や『受容』を読みながら、ケインが自分に壁を登れ、と言っていることを理解する。戦争への抵抗が色濃く出た作品。「拒絶」とは、読まれずに終わったケインの作中作の短篇で、『受容』の対義語でもある。ケインはこの短篇のなかで軍による「感覚ガス」の使用を暴露したことで、軍による尋問を受けているようだ。ガスの話は「娼婦たち」にも出てきているし、ケインがこのガスについて書いているというのは、『夢幻諸島から』にも出てきた。夢幻諸島ものとしては非常に重要な設定ではないかと思う。これは再読だけれど、前はイマイチと思ったのに、今回はかなり楽しく読めた。

ちなみにSFマガジン1988年3月号の「観察者」は入手できず。国会図書館にでも行くしかないかな。

*1:なぜ変えたのかは言及されていないけれども、群島、というと狭い地域に集中している島々、という含意があるためか、より作品内容に即して広範囲を対象にした諸島、に変更したかと思われる

*2:とはいえ、名前や生活の様子など文明的には現代世界のものを援用している

*3:実際は未訳の“The Affirmation”がその転換点とのこと

*4:これはそれぞれの見た幻が食い違う、という形で本書のモチーフの縮図でもある