後藤明生再読 - 笑いの方法 あるいはニコライ・ゴーゴリ

後藤明生にとって非常に重要な小説家がニコライ・ゴーゴリ。卒論の対象に選び、また彼の「笑い」観の中枢にあたる作家でもあり、初の書き下ろし長篇において中核となる先行作として選んだのもゴーゴリの「外套」で、その後藤のゴーゴリ論ともなれば後藤を読むに当たってもまたきわめて重要な一作と見なさなければならない。

ちなみに、後藤が単著の作家論を書いたのは、ゴーゴリカフカドストエフスキーの三人で、文学紀行として『雨月物語』論、対談本としてプラトン論がある。そして、後藤が翻訳をした作家は、ゴーゴリ上田秋成の二人だけとなる。

喜劇と上京

本書は1981年頃までに書かれたゴーゴリに関するエッセイを集成しており、他のエッセイ集と重複している文章もある。中心になっているのは「第三文明」に連載した「笑いの方法」と、河出書房新社ゴーゴリ全集月報に連載した「ペテルブルグの迷路」(「ゴーゴリとの二十年」改題)だ。ここには、後藤のゴーゴリ論の核心があり、また『挾み撃ち』の核心もある。

ここで後藤はゴーゴリ論をはじめるにあたって、「文学」と「笑い」について考えを進めている。そこで基点となるのは、「笑い」は「文学」の部分ではない、ということにある。「文学を考えることはすなわち笑いを考えることであり、笑いについて考えてゆけばすなわち文学について考えること」という「結びつき」が重要だという。そして、「笑いの中に世界全体を、人間の存在そのものを、すっぽりと捉えてしまっている文学」について考えていこうとしていると宣言する。レトリックとしての、ギャグとしての笑いではなく、構造としての、世界としての笑い。

そこで出てくるのがゴーゴリの「鼻」で、ある日突然パンの中から鼻が出て来た床屋、そしてある日突然鼻を失った八等官のスラップスティックともいうべき短篇だ。これを俗物としての八等官を描き出した諷刺として評価するベリンスキー的評論に対抗して、後藤はより深く、現実そのものを、あるいは現代までをも描いたものとして捉えようとする。鼻の消滅も出現も全てがとつぜんで、原因などわからないし、追求しようともしない、そこにおいて<世界>が捉えられていると後藤は言う。鼻の消滅と出現に原因を考えようとし、それを八等官への諷刺として捉えたのがベリンスキーだった。

しかし、わたしの考える意味での喜劇は、そもそも何故だかわからないから、喜劇なのである。そこに出現する事件、そこにある現実は、いわゆる因果律を超えた世界である。「何故」鼻がなくなったか? 「何故」鼻がとつぜん出現したのか? その「何故」が笑いなのではない。「何故?」が喜劇の主題ではなく「何故」だかはわからないが、人間の顔から鼻が消滅すれば滑稽なのだ、ということが問題なのである。52-53P(以下頁数は中央公論社版による)

原因が分かるのならばそれは悲劇で、「喜劇であるためには、原因が不明でなければならない」。原因が不明なままに押し寄せてくる「とつぜん」の波、その中に巻き込まれることは喜劇でなければ何だろうか、ということで、これは御存知の通りそのまま『挾み撃ち』の核心部分でもある。

何故だろうか? もちろん、わからなかった。わからないから、とつぜんなのだ。なにしろ、わたしが知らないうちにとつぜん何かが終ったのであり、そして今度は早くも、わたしが知らないうちにとつぜん何かがはじまっていたのである。

というのは『挾み撃ち』の一節だけれども、ここに後藤の「喜劇」観が現われている。唐突でとつぜんな原因不明の世界、それが現実だという認識が彼にとっての「喜劇的精神」の一端を成している。ここにもう一点、誰もが誰かを笑い笑われるという関係の相対性が重要だけれども、それは世界の自明性、絶対性が崩れたということと表裏一体のことだといえる。

「笑いの方法」という連載と『挾み撃ち』はほぼ同時期に並行して書かれており、ともにゴーゴリを基点にしているという共通性から、お互いの内容は驚くほど似ている。自作自解の様相を呈しているほどだ。その点で重要なのは、後藤が繰り返しゴーゴリの上京体験を論じていることで、ゴーゴリにとってペテルブルグは迷路だったのではないか、と指摘しているところは、そのまま上京者後藤明生の体験でもあったのではないかと思わせるものがある。「ネフスキー大通り」のピスカリョーフは自分だ、と思い、それに笑いの衝動を覚えた、とも書いている。

後藤がつねに論じるゴーゴリ作品は、初期の『ディカーニカ近郷夜話』や『ミルゴロド』*1といった「ウクライナもの」ではなく、「外套」、「鼻」、「肖像画」、「ネフスキー大通り」といったペテルブルグものばかりだ。

田舎からやってきた者が都市に来て迷宮のように翻弄される、その体験を、後藤は以下のように書いている。

そしてゴーゴリにとって、ペテルブルグは現実そのものだった。つまり現実そのものが迷路であり、迷路がすなわち現実だったのである。ゴーゴリにとって最もファンタスティックなもの、それが現実そのものだったからだ。115P

田舎者の上京と、迷路としての都市を描く小説、つまりは『挾み撃ち』のことでもある。

後藤明生ゴーゴリ

このゴーゴリ論はロシア文学池田健太郎の急逝を惜しんで創設された第一回池田健太郎賞を受賞している。文庫版解説で沼野充義が、当時やそれ以降もまだ諷刺やヒューマニズムを重視するエルミーロフ的な評論が強く、あるロシア人はゴーゴリ後藤明生のような読み方に対して明らかに批判的意見を示していたりという状況をスケッチしているように、おそらくはこのゴーゴリ論のような、ロシア・フォルマリズムを経た方法論的な読解は新鮮でもあった。じっさい本書は非常に面白い。後藤明生の著作と言うことを抜きにして読んでも面白いだろうと思う。

けれども、後藤明生との関わりで読もうとすると自作自解としての誘惑に近づきすぎてしまう。また、小説をその作者の評論で読み解こうとすると、小説としての記述の膨らみ、プロセスを捨象して作者のスローガンに小説を従属させることになる。それはそれとして、上で書いたように、『挾み撃ち』との並行作業と思われる執筆過程のためもあろうか、両者は似すぎている。つまりそれは、後藤明生がそこまでゴーゴリを自分のものにしている、ということでもある。ゴーゴリを読むことで作家としての自分を作りあげてきたということがわかるような本だ。

ということで、本書には後藤がゴーゴリを自分のものとするために、かなり露骨に強引なあるいはよく意味の分からない議論をしている箇所がある。

ゴーゴリプーシキンに、何でもいいから題材をください、「純ロシア的なアネクドート」を、そうすればとんでもなく滑稽な喜劇を書きます、と手紙を書いた話は有名で、じっさいそれで書き上げたのが「検察官」だった。「外套」もそうしたエピソードを人から聞いて書いた作品だった。ここで、ゴーゴリは話を聞く前から喜劇を書く、と言っていることに後藤は注意を促している。ここは、つまりゴーゴリはあらゆる逸話を滑稽に描き出す語りの技法を持っている、ということだと思えるけれども、後藤はそうではない、という。

わたしの考えでは、ゴーゴリが<純ロシア的なもの>という呼び方で求めたのは、要するに<ロシアで実際にあった話>すなわち<実話>なのではあるまいかと思う。<実話>であれば何でもよい。「滑稽なものであろうとなかろうと」、そこから彼は「とんでもなく滑稽なもの」を創り出す自信を持っていたのである。もう少し正確にいえば、<実話>でさえあったならば、必ずその中に滑稽なものを<発見>できるはずだという認識が、彼にはあった。62-63P

これがどうにも納得できない。ゴーゴリの書簡を読んだわけではないのだけれども、文面からしても、「実話」を指しているとは思えない。これは、ゴーゴリを明らかに後藤的世界観に取り込むための強弁に見える。後藤にとっての、現実そのものが「原因不明の世界」で、相互の関係は喜劇的な様相を呈している、という認識に、ゴーゴリを重ねようとしているのがここではないか。無理矢理なだけに後藤の観点がよく出ている箇所だとは思う。

もう一点、上田秋成との比較をしている箇所がある。上田秋成後藤明生の単独訳書がある唯一の作家なんだけれども、ゴーゴリ上田秋成という二人の作家について、「吉備津の釜」と「外套」を比べて、題材としての悲劇が、かたや怪談に、かたや喜劇になるという不思議さについて、以下のように書いている。

すなわち秋成は悲劇の材料を一旦「喜劇」化し、それを「怪談」に変換させた。然るにゴーゴリは悲劇の材料を一旦「怪談」化し、それを「喜劇」に変換させた。この変換は、異化という言葉を使ってもよいと思うが、とにかくこれが両者の怪奇性の相違であり、同時に共通する方法ではないかと思う。感情移入とは、反対の方法である。173P

この下りは読み返してみても意味が分からない。他の箇所で詳しい説明があるわけでもなく、後藤の言う通り、自分なりの得心、なんだと思う。特に、秋成が悲劇を一旦「喜劇」化するというところが一番わからない。どこに喜劇が介在しているのか、説明もない。どちらも結果的に悲劇を喜劇化する操作を介しているというのが後藤にとって重要だということはわかる。つまり、悲劇への没入を自ら批評しようとする運動が重要なのではないか。悲劇を喜劇として変換し、受け入れるというのは、後藤なりの敗戦体験の受容方法ではなかったか。事態の悲劇的受容を拒否し、笑いとして受け止めること。笑いの方法とはつまりその後藤の現実認識の方法を指してもいるだろう。


本書で論じられていた、ペテルブルグを舞台にした都市小説としてのゴーゴリ、あるいは、原因を欠いた夢の論理によって書かれた、夢のリアリズムとしてのゴーゴリ、という観点は、それぞれ後の『ドストエフスキーのペテルブルグ』と、『カフカの迷宮 悪夢の方法』というあわせて海外作家論三部作を成すことになる本に結実する。後藤明生の小説論の大元にもなっている。その意味でも重要な本だ。

ゴーゴリ翻訳比較 横田瑞穂 後藤明生 吉川宏人 浦雅春

それで、これを機会にゴーゴリを読み返してみたけれども、確かに面白い。そして、なんといっても「外套」のアカーキイ・アカーキエヴィチが印象に残る。彼は、役所で書類の清書をするのが生き甲斐という人物で、貧乏ながらも、字の清書をすることだけで充足しているような人物だ。ある種の仙人のようでもある。一見まるで恵まれないけれども小さな幸福に充足しているあり方、にはひどく引きつけられて、語りとしては喜劇的なのに、どうしてもアカーキイ・アカーキエヴィチへの共感を拭うことは出来ずに、彼の死の下りには涙が出そうになる。新入りの字はアカーキイ・アカーキエヴィチほどは整っていなくて、字が傾いでいた、という描写とか。後藤の論点も踏まえてなお、「外套」が「涙を通しての笑い」によってヒューマニスティックに人間を語った一面もあり、そう読んでも非常に面白いことは間違いないと思う。ただ、語りによってその一面は確かに突き放されてもいる。ヴォネガットのように、そのほうが沁みるということもあるわけだ。

こんな人物に何か覚えがある、と思い出したのは、ジャン・パウルの「陽気なヴッツ先生」やフラバルの「あまりにも騒がしい孤独」だったりする。と思ったらまさにフラバルの記事で、同じことを五年前にも書いてるな私は。

では、せっかくなのでここで「外套」の手元にある翻訳の比較をしてみたい。手元にあるのはゴーゴリを初めて読んだ文芸文庫『外套・鼻』の吉川宏人訳と、集英社の1970年版「世界文学全集19巻」からの横田瑞穂訳、学習研究社1978年『世界文学全集35巻』の後藤明生、横田瑞穂共訳、光文社古典新訳文庫『鼻・外套・査察官』の浦雅春による落語訳。以下とりあえず冒頭を列挙する。傍点はすべて太字に置き換えた。

外套・鼻 (岩波文庫)

外套・鼻 (岩波文庫)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000207/files/357_22446.html
平井肇訳(1938)
 ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。今日では総じて自分一個が侮辱されても、なんぞやその社会全体が侮辱されでもしたように思いこむ癖がある。つい最近にも、どこの市だったかしかとは覚えていないが、さる警察署長から上申書が提出されて、その中には、国家の威令が危殆に瀕していること、警察署長という神聖な肩書がむやみに濫用されていること等が明記されていたそうである。しかも、その証拠だといって、件の上申書には一篇の小説めいたはなはだしく厖大な述作が添えてあり、その十頁ごとに警察署長が登場するばかりか、ところによっては、へべれけに泥酔した姿を現わしているとのことである。そんな次第で、いろんな面白からぬことを避けるためには、便宜上この問題の局を、ただ≪ある局≫というだけにとどめておくに如くはないだろう。

横田瑞穂訳(1970)
 ある官庁の局に……といっても、それがいったいどんな官庁においてであるかは、はっきり言わないでおくほうがいいだろう。あらゆる種類の官庁の局、連隊、事務所――つまり、ひと口に言ってあらゆる種類の役人階級くらい腹をたてやすいものはないからだ。また今日ではもう、あらゆる個人が、自分のことを言われると、まるで社会全体が侮辱されたようにとってしまうからだ。こんな噂がある、なんでもつい最近、どこの町にだったか、よく覚えていないが、とにかくある町の、ある一人の郡警察署長から一通の嘆願書が提出されたというのだが、そのなかで彼は、いまや国家の諸法令が危殆に瀕している、郡警察署長という神聖な職名が、まるで三文の値打ちもないように人々の口の端にのぼっているとはっきり述べているそうである。また、その証拠として彼は、なにかこう小説めいた文章のとほうもなく分厚な一巻を、その嘆願書にそえて提出したというのだが、その本には十ページごとに郡警察署長というのがでてきて、しかもある箇所では、それがまるでへべれけの酔態で登場するというのだ。そんなわけだから、いろんなおもしろくないことがおこってくるのを避けるために、いまここで問題にしようとする官庁も、ただある官庁の局とだけにしておくほうがいいと思う。

横田瑞穂、後藤明生共訳(1978)
 ある官庁のある局に……しかし、それがどこの何局であるかは、言わない方がよいと思う。あらゆる種類の官庁の局、連隊、事務所、つまり、一口に言ってあらゆる種類の役人階級くらい腹をたてやすいものはないのである。また今日ではもう、誰も彼もが、自分のことを言われると、まるで自分の階級全体が侮辱されでもしたように、とってしまいがちなのである。こんな噂がある。何でもつい最近、どこの町だったか、よくおぼえていないが、とにかくある町の、ある郡警察署長から一通の嘆願書が提出されたという。その中で彼は、いまや国家の諸法令は危殆に瀕しており、郡警察署長という神聖な職名が、まるで三文の値打ちもないように人々の口の端にのぼっている、とはっきり述べているそうである。また、その証拠として彼は、何か小説めいた文章の途方もなく分厚な一巻を、その嘆願書にそえて提出したというが、その本には十ページごとに郡警察署長というのが出て来て、しかもある箇所では、それがまるでへべれけの酔態で登場する、というのである。そんなわけだから、いろんな面白くないことが起こってくるのを避けるために、いまここで問題にしようとする官庁も、ただある官庁のある局とだけしておくほうがよいと思うのである。

外套・鼻 (講談社文芸文庫)

外套・鼻 (講談社文芸文庫)

吉川宏人訳(1999)
 このお話はお役所の……ただしいずれの役所かは言わないほうがよいだろう。この世でいちばん怒りっぽいのは、お役所、軍隊、官庁等など、つまりはお国の組織であるから。近頃は市民一人一人も自分のことで社会全部が侮辱されたと考えたりする。噂によるとごく最近、名は忘れたが、どこかの町の警察署長が陳情書を書き、国家の法は崩壊寸前、神聖なる我が職名が何ともみだりに叫ばれている、とはっきり述べているそうだ。その証拠にと添えて出したのがあるロマン主義の大部の小説、そこでは十ページ進むごとに警察署長が登場し、それもしばしばぐでんぐでんに酔った姿で出てくるらしい。だからもめ事は極力避けて、ここで話題のお役所はあるお役所と呼ぶことにしよう。

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

浦雅春訳(2006)
 えー、あるお役所での話でございます……。まあ、ここんところはそれがどこのお役所であるのかは申上げないほうがよろしいでしょうな。なにしろ、省庁にしろ、連隊にしろ、官庁にしろ、ひとことで申しまして、お役人ってえ人ほどこの世で気のみじかい人はございませんから。きょうびどんな人でも、ご自分が侮辱されるってえと、すぐさま自分のお仲間までが侮辱されたと受け取っちまう。なんでも、つい先だっても、どこの町だかはおぼえておりませんが、ある郡警察署長から苦情書なんてものが舞い込みまして、そのなかで当の署長は、このままでは官庁は危殆に瀕するにちがいない、神聖なるその人の名がみだりに取り沙汰されていると訴えているそうであります。その証拠に苦情書には、ばかでかい小説の一書がそえられておりまして、そのなかで十ページおきに、あまつさえところによってはへべれけの酔態でその郡警察署長なる人物が登場している。というわけで、あたくしも不愉快な目にはあいたくあいりませんので、これからお話しする役所についても、とある役所とよばせていただくことにいたします。69-70

語りが前面に出ている「外套」のほうが「鼻」に比べて訳の差はわかりやすい。後藤明生の共訳は、文面から見て、横田訳を下訳として、後藤が文章の体裁を整えた形でなされたものだろうと推測できる。『笑いの方法』でも、横田訳をひらがなが多すぎる以外は良い、と言っていたように、漢字を多めにするのと、言葉づかいを後藤的に変えているところが目に付く。「がよいと思う」「のである」といった後藤文体が多くなっていて、文章の区切りも多い。古屋健三が『「内向の世代」論』で論じていたように、「〜からだ」という、理由、原因を示す言葉をカットしている。「原因不明の世界」性を強調する翻訳だ。ただそもそも、横田訳自体「からだ」が他訳に比べて多い。

なかで目立つのは吉川訳の短さだ。語りのくだくだしさをカットしすぎているのではないか。簡潔ではあるけれど、それは「外套」らしくないのではないか。また、「ロマン主義の大部の小説」は他と比べると誤訳に見える。ロシア語でどうなのかはわからないけれど、フランス語のRomanは小説を指すこともあるので、「小説めいた」という意味でRomanにあたる言葉を使っているのをロマン主義を指しているのと取り違えたのか。吉川訳が正しい可能性もあるとは思うけれど、ここでロマン主義が出てくるのは唐突なので。

あと、訳を見比べて気づいたのは、平井訳で言うこの箇所。

今日では総じて自分一個が侮辱されても、なんぞやその社会全体が侮辱されでもしたように思いこむ癖がある。

「社会全体」というと漠然としているけれども、後藤訳「まるで自分の階級全体が侮辱され」や浦訳の「自分のお仲間までが侮辱された」だとよくわかる。原文はどういう言葉なんだろうか。分かりやすいほうは、意訳しているのかな。

落語訳は特定の語り手がいる「外套」にはなかなか合っているように思う。面白い。そもそも、後藤明生と対談した江川卓も、外套の落語訳をやりたいと語っていたことがあり、日本の露文学者でこの企画を考えていた人はわりに多いのではないか。

後藤明生訳は、日本語として非常に明快になっていて、長文なんかもバッサリ切って整理しているのがわかる。『雨月物語』の翻訳も、敬語等を略して簡潔でわかりやすくしており、逐語訳的な学者訳に比べて非常に身近に読める。「文学的」派手さとは別の形で、後藤の文章もかなり上手い。

*1:隊長ブーリバ」「昔かたぎの地主たち」「イワン・イワーノヴィチとイワン・ニキーフォロヴィチが喧嘩をした話」「ヴィイ