後藤明生『四十歳のオブローモフ【イラストレイテッド版】』

つかだま書房から再刊された後藤明生初の新聞連載小説で、旺文社文庫版には掲載されていたものの単行本にはなかった山野辺進の挿絵を大判で再録した一冊、この機会に再読した。
挾み撃ち【デラックス解説版】

挾み撃ち【デラックス解説版】

装幀は黄色と黄緑でいくらかデラックス解説版の『挾み撃ち』と似たところがあり、じっさいこの二作は似た題材を違うやり方で書いたものと言える。方法的に編み上げられ焦迫感がある『挾み撃ち』と、新聞小説のリズムで日々の出来事を描くオブローモフの伸びやかさ。本作は、四十の誕生日を迎えようとする男の日常と「帰郷」をめぐって、松原団地と敗戦後引揚げた郷里九州とを二つのポイントとしながら、シベリア旅行の回想なども紛れ込み、「不惑」のはずなのに迷い惑う男の姿を描き出す長篇で、九州福岡の故郷と土着の問題を引揚者の視点から考えるところは両作で似てるんだけれど、体験の回想の仕方などはずいぶん異なっていて、傑作という点では『挾み撃ち』だけれど、『四十歳のオブローモフ』には人好きのする親しさがある。そういえば「未来」連載の後藤明生論で、『挾み撃ち』と『四十歳のオブローモフ』の同じような体験を書いた箇所の書き方の違いに触れたことがある。なお、『四十歳のオブローモフ』は72年に新聞連載しているので、初めての長篇小説は本書。『挾み撃ち』は初めての「書き下ろし」長篇小説、ということになる。書籍刊行は二つとも73年だけれど、オブローモフが二ヶ月早い。

後藤明生らしく妻や娘とのものなど会話が結構独特で、噛み合ってるんだか噛み合ってないんだかわからないような進行をするし、久々に会った同級生との会話なんかも途中から自分をモデルにしたらしい同人小説の話の説明になって、本題がはぐらかされたまま終わったりする独特の味わいがある。また、作中で父の剣道仲間に会いに行った小説を書いた、という「父への手紙」への言及をしたり、四十歳の誕生日に綾瀬川を散歩してつくしを採った、という「思い川」と同じ話が別様の描き方で出てきたり、『思い川』収録作品ともども、四十歳連作ともいえるようなリンクがある。

また、内心では時折怒りを表現するんだけど、実際にはそれを表に出さないことがほとんどで、本間宗介はしばしばそうして自分の感覚に疑問符をつけることになる。歴史作家がいつも同じ文句を書くのに対し、宗介は毎回色紙に書く文句に迷い、シベリア旅行の船で出会った同級生を誘うかどうかにも迷い、部屋に誘ってもそれから先にはたどり着かない。ズレながらの関係は解決されない。

厄年、前厄の話題が出るけれども、厄と役の掛け詞は、後藤の一種の主題ともいえる演技と仮装の問題にも繋がっている。「「演技」ほど宗介にとって恥かしいものはなかった」という宗介は「演技」をことさらに嫌い、仲人に相応しい、幸福な夫婦と思わせる「自然な態度」を言う。

「平凡に徹するべきだといっているわけじゃないか。へんに個性なんか出さずに、最も平凡な型に、自分をはめ込めばいいんだ」252P

と宗介は言う。しかし、個性をださないはずだった仲人の演説はメモを忘れたことで頓挫し、メモを忘れた演技をしたという風に受け取られてしまう。これはそのまま、九州土着の「チクジェン」訛りの習得に失敗した過去と同根でもあって、演技を拒否した平凡への仮装は挫折する。前半で登場する「変身」や「形式」への着目もこの「演技」や「型」と相似形に見える。蓮實重彦の『挾み撃ち』論の「模倣と仮装」に繋がるようなそうでないような……

またこれは挫折を通じて個性が獲得されるというのとも違い、一種の運命として甘受するほかないものとしてある。野球部を辞める時の宗介はこう言ってしまう。

「もう、なにもしたくなくなったとです。どうもすみません」
 筑前ことばと植民地標準語のチャンポンである。193P

このようにあるほかない運命。「もう、なにもしたくなくなったとです。どうもすみません」というセリフは後の『使者連作』で金鶴泳がソウルのシンポジウムで発した「イルボンから来たキム・ハギョンです」という日本語と韓国語の混成語とほとんど同じものでもある。外地で敗戦を迎えた引揚者の「四十歳」。

ただ、今読むと気になるところもあって、調査を名乗って女性の性生活を聞き出そうとする「怪電話」の話題で、迷惑だという妻に対して宗介は女性が楽しまなかったという証拠はないじゃないか、と反論して擁護の論陣を張るところがある。不倫しかけるところよりこっちが気になる。セクハラという言葉がない時代だからというのもあるけど。

こちらの旺文社文庫版は表紙が挿絵と同じ人で、表紙絵は人物の手前に置いてある本の表紙絵としても描き込まれていて、入れ子構造になってる。文庫版を持ってるけど、単行本版は挿絵がついてなかったというのは荻原魚雷の解説で知った。

なお文庫にはない後記で主人公の名が漱石からの引用とあり、同じく新聞連載小説の『めぐり逢い』ともども漱石オマージュなのがわかる。漱石と言えば新聞小説だからだろう。猫小説の『めぐり逢い』、『夢と夢の間』と、後藤の三つある新聞小説はさらっと書いた感があり、主要作品と見られてはいないんだけれどその分気軽に楽しめる系列になっている。

そういえば後藤明生ほど四十歳について語った作家も少ないのではないか、と思っている。初の連載長篇は『四十歳』(『四十歳のオブローモフ』)だし、題だけ見ても四十代について書いたエッセイが四つある。他に年齢を題にしたエッセイはないにもかかわらずの、この四十代に対する異様なこだわり。これはたぶん父が四十代で死んだことと無関係ではない。「父への手紙」の冒頭は自分が四十歳になって、父の享年、数え年47歳まであと何年、という話をしている。父だけではなく、ゴーゴリも、二葉亭四迷も、漱石も、横光も安吾も四十代で死んでいて……。後藤作品において父の主題が主軸になるのは、この72年から79年あたりまでで、ちょうど後藤が四十歳になってから父の享年を越えるあたりまでに重なることは、偶然じゃないだろう。