北原みのり編『日本のフェミニズム』、日比嘉高編『図書館情調』

 北原みのり編『日本のフェミニズム

日本のフェミニズム

日本のフェミニズム

百ページちょっとで、表題通り近代以降のフェミニズムの歴史を概説し、廃娼運動、売春防止法、リプロ運動、レズビアン運動史、80年代性の自己決定、性暴力AVの各七章をコンパクトにまとめた手頃なハンドブック。人物図鑑やコラム、年表、ブックガイドや、笙野頼子インタビュー、松田青子、柚木麻子のエッセイなど現代女性作家の試みも収録されており、各章には丁寧な脚注も付された一冊になっている。女性たちの戦いと連帯が縷々綴られた歴史。一読印象に残るのは、フェミニズムが戦ってきた歴史では女性が問題とされているけれど、それは実際には男性の問題にほかならないことが常に無視されている、ということだ。性売買の問題では女性ばかりが管理の対象になり、売ることが罰されても買うことは等閑視される。興味深かったのは沢部ひとみレズビアン運動史の章での、レズビアンの定義を「女と生きる女」とするところ。これはなかなか面白い。性的志向を定義から外して、ライフスタイルに焦点化しているのはどういう意図があるのか、理由をもうちょっと聞きたい部分だ。

笙野頼子はインタビューで、上野千鶴子との軋轢やフェミニズム観を語っている。『レストレス・ドリーム』を清水良典が「フェミニズムを超えた」と評したことで上野千鶴子に煽られ、松浦理英子ともども「娘のフェミニズム」と呼ばれ、そのシンパたちにアンチフェミニストでセックスを差別するミソジニストだと中傷されたという話はなかなかすごい。特に惹かれたのはこの一節、「考えてみたら、私は要するに、普通に女性がして幸福になるぞと世間で言われていることを一切やってこなかった。だから、私はいま幸福なんです」(110P)。(ちょっと違うけど最近、自分は恋愛・結婚をしたいと思う人間でなくて良かった、とか思ってたので分かる気がした。逆に、いまそういうことをやってさらに子供を育てたりするのが非常に大変だということをいろいろ聞いて、それはそれですごいと思う。経済的にも一人育てるのに精一杯みたいな環境だったりなんだったり)一人前の料理を食べられなかったり、選挙に行くことすら冷笑されることのない一人前の人間としてあることを阻害するものについて、あるいは女性をつねに少女か娼婦か妻か母かにカテゴリ化する暴力、についてをつねに自分の当事者の視線から見る、というスタンスを徹底し、当事者の視界に即くことで、逆に自分より大きなものを予測したり描いたりすることのできる、ということを自身の文学の方法として考えていることなどが語られている。本書は笙野頼子さまより恵贈頂きました。

日比嘉高編『図書館情調』

図書館情調 (シリーズ紙礫9)

図書館情調 (シリーズ紙礫9)

 皓星社のアンソロジーシリーズの一つ、図書館文学をセレクトしたもので、菊池寛宮本百合子中島敦中野重治笙野頼子の小説や、高橋睦郎宮澤賢治の詩や短歌を収める。とはいえ竹内正一、新田潤、小林宏という聞いたことのない作家の作品がなかなか面白かった。菊池寛の「出世」は、図書館利用者の語り手と靴を預かる下足番の関係が、後に出世した語り手と受付係という陽の当たる仕事に出世した男との時間を経た関係が描かれていて面白いんだけど、勝手に下足番側から読んでいたのでその同情に苛立つところがあった。哀れまれる仕事だったのか。宮本百合子「図書館」は、図書館に婦人閲覧室があった時代と戦後の図書館が対比されるんだけど、暗いところに隔離された女性だけの喧噪たる空間が、婦人室を無くす運動の生まれる場所でもあったということが語られていて、非常に面白い。

宮本百合子 図書館

新田潤「少年達」は、図書館で働いていた少年達とその後を描いたものだけど、菊池宮本と並べると、図書館という場は若者達のその後の足がかりになる、青春小説の格好の舞台になるんだということがわかる。解説では時間を超える図書との関係から語られているけど、学校とも似た教育機関としての性質があるわけで、将来に向けての勉強や学問の場所だからこそ、成長したあとにその場所が回想されるんだろうと。笙野頼子「S倉極楽図書館」は私小説から一転さらりと幻想小説になる佳篇で、本屋で買える本だけを扱う評論を批判するくだりなどが挾まれる。出典を見ると加筆されてるらしいので見比べると、内容的には変わってないけど、数文字をくわえたり削ったり、会話を細かく直したりしてある。

巻末の四十ページある図書館文学史概説ともなる日比嘉高の解説が非常に充実している。そこで引用されてる入沢康夫散文詩が面白かった。分類に収まらない本が増えてきたので、背表紙の色で分類する配列法を採用した、というやつ。Twitterで最近よく見る。

本書も笙野頼子さまに恵贈頂きました。