笙野頼子 - 未闘病記――膠原病、「混合性結合組織病」の

群像に掲載された『未闘病記』の単行本化。細かい文言の改訂があり、また病気の記述に関しての正確を期した修正はされているらしいけれども、大きな加筆はないようなので、改めて再読はしてない。内容に関しては以前の記事を参照。
笙野頼子 - 未闘病記 ――膠原病、「混合性結合組織病」の 前篇 - Close to the Wall
笙野頼子 - 未闘病記――膠原病、「混合性結合組織病」の 後篇 - Close to the Wall
ただ、カバーにもあるように、章扉や最後に猫写真が掲載されており、また、書き下ろしの後書きが追加されている。前後篇のバランスが妙だと思ってたら、症状のせいで一挙掲載ができなかった、ということだったらしい。

後書きでは、病院近くのバス停のベンチについて書かれているところが印象的。バス停の屋根の下に、腕ほどの太さのパイプが四本通っているだけ、というベンチがある、と書かれる。座ってみると、「冷たくてお尻に食い込む。体重を掛けるとしんどくて緊張する」。そして、関節に痛みのあるらしい女性が、あまりにキツイので座っても、すぐ立ち上がってしまう、という場面にも遭遇する。

これは、いわゆるホームレス排除のためにつくられた「排除オブジェ」のことだ。近年、様々な場所、特に公共的な場所での座れそうなところ、寝転がれそうなところ、つまりは公園やバス停のベンチなどが区切られたり、妙なデザインになっているのは、主にホームレスが横になったりしないためのもの。

リウマチ膠原病患者千二百人の集まる停留所の、これは椅子なのか、何か理由があるのか?

ここで描かれているのは、ホームレスを排除すると言うことは、同時に、体の弱った人をも排除することになるという当然の状況だ。社会的弱者と身体的弱者とがここで交差している。それが病院の停留所にある、という強烈な皮肉。

内面と社会性の圧殺、社会主義の失敗について書きながら、末尾において書かれる、「身体性は私の社会性だから」、という宣言がすばらしい。これこそが笙野頼子だろう。

群像 2014年 09月号 [雑誌]

群像 2014年 09月号 [雑誌]

同時に、群像の今月号で、インタビュー、岩橋邦枝追悼エッセイ、そして清水良典氏による本書の書評などが掲載されており、小特集の趣を呈している。インタビュアーは小島信夫論で群像新人賞をとった千石英世

インタビューでは、病気のこと、病気という「告白」をすることで変わったこと、金毘羅が千石氏の訳した『白鯨』へと繋げるところ、色々あるけれど、本書にとって重要な意味を持つのは以下の笙野の発言だろう。

そして病名がついたときに、じゃ、私のこの病気は十万人に何人だから、あとの九千九百九十いくつの人たちにはわからないだろう、ということは言うまいと思った。だって伝えてきたんですよ、いままでずっと。わけのわからない痛みや、わけのわからないネオリベラリズムへの怒り故に、身辺と身体で幻想を描いたんだ。私自身を武器にすることで、私自身も知らないことを書いていたんですね。201P

身近なことを徹底して凝視することで、名前のないものを言葉にし、それを人に伝えることができていた、ということ。

あと、小島信夫の短編集成が出ます、と千石氏がさらっと言ってるところがある。出るのか。批評集成は高すぎて買えないけれど、「短編集成」はどうなるか。そして、千石氏が、小島信夫にある「風刺」ということを言っていて、今日本文学で風刺をがんばっているのは笙野さんぐらいじゃないか、ということを言っている。そして、小島は坂口安吾に見出された人で、安吾牧野信一に見出された、として、漱石、牧野、安吾、小島、そして笙野、という風刺の系譜を数え上げている部分は、非常に興味深い。

そして、『未闘病記』は同病の人に配慮して、できるだけ「暴走」を抑えた文体にしているという。ただ、続篇では思いきりやるらしい。これは期待しておこう。『金毘羅』の話と同じ作品のことなのかな。

で、『未闘病記』の「未」は上掲記事で予想したように、症状がそれほど重くない自分が「闘病記」というのは、という遠慮だからか、というのはそのまま正解だったようだ。