2020年に読んだ本

今年読んだ本を10冊プラス10冊挙げてみる。

上田早夕里『深紅の碑文』早川書房

『華竜の宮』の姉妹篇。人類に迫る、プルームの冬と呼ばれる地球凍結の危機を目前にしたなかで、救援団体、反抗する海上民、ロケット打ち上げ事業を軸に、血で血を洗う抗争、飽くなき交渉、空への夢、人間とは何か、さまざまなテーマを簡潔で淀みなくスリリングに、極限状況での言葉と交渉の意思とともに描く傑作。
上田早夕里『深紅の碑文』『夢みる葦笛』 - Close To The Wall

オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』白水社

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)

『プラヴィエクとそのほかの時代』の次に書かれたトカルチュク四作目の長篇小説。ポーランドの国境近くに住み始めた「わたし」や人々の生活、聖人伝、独立性のある短篇など100近い断章(解説などでは111とある)によって構成された、昼と夜、夢と現実、男と女、ポーランドチェコ等、さまざまな「境界」そしてその流動を描いている。
オルガ・トカルチュク『昼の家、夜の家』とその目次 - Close To The Wall

木村友祐『イサの氾濫』未來社

イサの氾濫

イサの氾濫

表題作は、東京で転職を繰り返してた男が震災を機に地元東北で荒くれ者として知られていた叔父イサについて調べながら、東京からもこぼれ落ちる「まづろわぬ人」として己を自覚し北からの怒りを叫ぶ叛逆の狼煙だ。切り捨てられる地方からぶつけられる濁音の響き。
木村友祐『イサの氾濫』『幸福な水夫』『聖地Cs』 - Close To The Wall

笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』講談社

会いに行って 静流藤娘紀行

会いに行って 静流藤娘紀行

作者が新人賞を取った時は知らなかった藤枝静男。彼が推挙してくれたことで世に出た作者が、私小説を突き詰めて私小説から大きく逸脱する私小説、という彼の影響を受けた方法によって藤枝を語る、「私小説」ならぬ「師匠説」と称するその文学的恩への返答。作者についてはこの記事の一番下の件も参照のこと。
笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』 - Close To The Wall

藤野可織ピエタとトランジ〈完全版〉』講談社

ピエタとトランジ <完全版>

ピエタとトランジ <完全版>

名探偵にして殺人誘発体質を持つトランジと、彼女と出会ってからが人生の頂点だというピエタの二人が、女は子を産め結婚しろという抑圧を拒否し、感染する殺人誘発体質で人類を破滅させながらそれでも二人一緒に生き続けることを選ぶ、強烈な百合黙示録。
百合ラノベ、百合SF、百合ミステリその他、百合小説約30冊を読んだ - Close To The Wall

テッド・チャン『息吹』早川書房

息吹

息吹

日本では17年ぶりの著者二つ目の作品集で、あえていうまでもなく面白い。特に異世界で科学が世界の不穏な真実を解き明かす大ネタのものや、SF的アイデアがきわめて日常的になった世界での人間性を描き出すものが印象的で、いずれも人間、知性とは何かを問う。
『傭兵剣士』『あがない』『息吹』『年刊日本SF傑作選』その他最近読んだ諸々 - Close To The Wall

林京子祭りの場・ギヤマン ビードロ講談社文芸文庫

長崎で被曝した作家の初期作品集二冊の合本。75年に発表され群像新人賞芥川賞を受賞した「祭りの場」は三〇年前の被爆の壮絶な様子を淡々とした調子で描き出す。原爆文学で芥川賞を受賞したのはこれが初めてだという。『ギヤマン ビードロ』は12篇の連作で、なかでも三〇年後の同級生らとのかかわりから記憶の断片が繋がる瞬間が印象的。
原爆、引揚げ小説四冊 - Close To The Wall

パウル・ゴマ『ジュスタ』松籟社

ジュスタ (東欧の想像力)

ジュスタ (東欧の想像力)

松籟社〈東欧の想像力〉叢書の第18弾は現モルドバ共和国ベッサラビア生まれのルーマニアの作家パウル・ゴマの、1985年に書かれた自伝的長篇。著者は今年、亡命していたパリでCOVID-19によって亡くなった。主な舞台は1956年ハンガリー事件の頃、秘密警察「セクリターテ」や協力者による告発が頻発している全体主義社会のルーマニアで、主人公と、彼が正義=ジュスタとあだ名を与えた女性の関係を描きながら、彼女の受けた仕打ちに、おそらくはルーマニアの「正義」の頽落を重ねている。
パウル・ゴマ『ジュスタ』 - Close To The Wall

石川博品『ボクは再生数、ボクは死』エンターブレイン

ボクは再生数、ボクは死

ボクは再生数、ボクは死

石川博品二年ぶりの新作。近未来VR世界で特注の女性アバターをまとい風俗通いに勤しむ主人公が、高級娼婦にハマって資金を捻出するためにならずものアカウント殺害動画配信をして稼ごうという話で、帯文通りエロスとバイオレンス濃いめでもあるんだけれど、VR設定によって切実さとともに軽薄なコミカルさも失わないバランスが素晴らしい。
石川博品『ボクは再生数、ボクは死』 - Close To The Wall

イボ・アンドリッチ『イェレナ、いない女 他十三篇』幻戯書房

ユーゴスラヴィアノーベル賞作家の初期散文詩、代表作『ドリナの橋』の核となる短篇や表題の幻想小説等の短篇小説、ニェゴシュについての講演等のエッセイ、年譜や長文の解説含め、多民族の入り交じるボスニアに生まれた作家の彼岸への理想を託した橋の詩学を集成した一冊。
イボ・アンドリッチ『イェレナ、いない女 他十三篇』 - Close To The Wall

もう10冊

10選ぶと上のようになるけど、もうちょっと挙げておきたいのがあったので延長線。
セアラ・オーン・ジュエット『とんがりモミの木の郷 他五篇』岩波文庫

ウルフとともに『レズビアン短編小説集』に収録されていた作家で印象的だったジュエットが岩波文庫で初の単独訳書が出たのを見てつい買ってしまっていたもの。1849年生まれの作家による作品集で、老若問わず男性に依存しない女性同士の親密な関係が、地方の自然描写とともに描かれる。メイドの令嬢への愛を描いて感動的な「マーサの大事な人」は120年前の主従百合の古典的傑作。
中里十『君が僕を』ガガガ文庫
君が僕を~どうして空は青いの?~ (ガガガ文庫)

君が僕を~どうして空は青いの?~ (ガガガ文庫)

  • 作者:中里 十
  • 発売日: 2009/07/17
  • メディア: 文庫
どろぼうの名人』二部作の中里十の商業作品としてはいまのところ最後のシリーズだろうか。「恵まれさん」という現金に触れずに他人にものを恵んでもらうことで暮らしている少女とその執事を任じる同級生がニュータウンの学校に転校してきたことで語り手と出会うことから始まる百合ラノベ。資本主義、宗教、同性愛そして言葉のやりとりをめぐる思弁的小説。
上掲二冊は以下の記事に本文あり。
百合ラノベ、百合SF、百合ミステリその他、百合小説約30冊を読んだ - Close To The Wall
青来有一『爆心』文春文庫
爆心 (文春文庫)

爆心 (文春文庫)

長崎に住む人々を描く六篇の連作集。必ずしも原爆の被爆者ではない語り手を置くことで、土地に根付く歴史と記憶の断面がかいま見える、長崎に生きるということについて書かれている。浦上天主堂が表紙にあるように、原爆とカトリックキリシタンが基調の連作だけれど、他にも共通するのは家族の崩れが描かれていることで、原爆という切断、空白、途絶の影響はカトリックの信仰にも家族にも亀裂を入れる。
原爆、引揚げ小説四冊 - Close To The Wall

藤枝静男『凶徒津田三蔵』講談社文庫

明治二十四年、警察官がロシア皇太子を切りつけた大津事件の首謀者を描いた1961年の表題作と、その事件をめぐる畠山勇子、明治天皇、児島惟謙の行動をまとめた72年作の姉妹篇「愛国者たち」が併録された講談社文庫オリジナル編集の一冊。
藤枝静男『凶徒津田三蔵』、『或る年の冬 或る年の夏』 - Close To The Wall

倉数茂『あがない』河出書房新社

あがない

あがない

  • 作者:茂, 倉数
  • 発売日: 2020/06/26
  • メディア: 単行本
表題作は解体業者で働く中年の男性を主人公としながら、薬物依存に陥った過去を持つ人の語りを随所に差し挾み、過去を贖うように真面目に働き独居老人の世話をしたりもする主人公の現在をさまざまな水のイメージとともに描き出しつつ、ある決断を描く中篇小説。
『傭兵剣士』『あがない』『息吹』『年刊日本SF傑作選』その他最近読んだ諸々 - Close To The Wall

ファトス・コンゴリ『敗残者』松籟社

敗残者 (東欧の想像力)

敗残者 (東欧の想像力)

松籟社〈東欧の想像力〉第17弾はアルバニア文学としてイスマイル・カダレ以来二人目となるファトス・コンゴリが1992年に発表した第一作。91年、国外脱出の船を出航前に降りた主人公が、幼少期の暴力やその復讐、国外逃亡者の叔父を持つための迫害、恋人や友人を失い、そしてすべてを失うまでの敗残の人生を回想する長篇小説。
ファトス・コンゴリ『敗残者』 - Close To The Wall

アドルフォ・ビオイ=カサーレス『モレルの発明』水声社

ボルヘスの盟友として知られるアルゼンチンの作家の1940年作。政治犯受刑者の語り手が逃げ込んだ孤島に、突然複数の男女が現われ、その一人の女性に惚れ込むけれど、なぜかいっさい反応が得られず、そんな時島には二つの太陽、二つの月が現われ、というSF幻想小説
薄い本を読むパート2 - Close To The Wall
石川宗生『ホテル・アルカディア集英社
コテージに閉じ籠もった女性プルデンシアを外に出すために、ホテルに泊っていた七人の芸術家が数多の物語を語っていく枠を持つ連作掌篇集で、『千夜一夜物語』と天岩戸を思わせる設定通り、奇想小説のなかにさまざまな世界文学を思わせる言及が織り込まれてもいる。
石川義正『政治的動物』河出書房新社
政治的動物

政治的動物

  • 作者:石川義正
  • 発売日: 2020/01/23
  • メディア: 単行本
1979年から2017年までに日本語で発表された小説のなかの「たがいに他者同士である形象」としての動物たちを、「社会の周縁に排除されてきた女性やマイノリティ、障碍者、そしてさまざまな被差別をめぐる形象」に近づいたものとして捉える批評で、特に第一部はほぼ女性作家論集にもなっているのはテーマからも必然的な構成だろう。
エリック・マコーマック『雲』東京創元社
雲 (海外文学セレクション)

雲 (海外文学セレクション)

メキシコで見つけた『黒曜石雲』という奇怪な天候現象を記した本の舞台がスコットランドにある主人公の若き日の失恋の思い出の土地だったという偶然をきっかけに、孤児から生まれた孤児がこれまでの人生をたどり返す、不穏な感触を湛えた長篇小説。
上掲三冊は以下の記事に本文あり。
秋から年末にかけて読んだ本 - Close To The Wall

ライター仕事

今年は以下の二冊の書評を図書新聞に書いた。
オルガ・トカルチュク『プラヴィエクとそのほかの時代』
図書新聞にトカルチュク『プラヴィエクとそのほかの時代』の書評が掲載 - Close To The Wall

荻原魚雷『中年の本棚』紀伊國屋書店
図書新聞に荻原魚雷『中年の本棚』の書評が掲載 - Close To The Wall



最後に。

この記事で笙野頼子の一作を挙げるにあたって付言しておかねばならないのが以下の一件について。


ネットでは以前からあったものの、お茶の水女子大でのトランスジェンダー学生の受け入れ決定を機に反トランスジェンダーの勢力が活発化したり、「現代思想」掲載論文が反トランスだと批判された件などはある程度知られているかと思う(ものとして以下進める)。そんななか上掲の発言があり、ここ数年笙野さんから著書をお送り頂いていて、折に触れ作品を読み、感想をブログにも上げて積極的に支持していた読者ゆえにこそこれは看過するべきではないと思い、上記のように反対の旨を表明した。そうすると笙野さんからメールを頂いていくらかやりとりしたのだけれど、その文面は私には差別主義としか評価できないものだった。それなりに理解できる議論も含まれつつも、全体的にはいかに男性特権を持ってうまれた「強者」のトランス女性が女性という「マイノリティ」の脅威となっているか、という視点からのみ世界の情報をパッチワークしてできあがった、おぞましいヘイト言説としか思えない。私信の内容を明かすことはしないけれども、こうも典型的に差別のロジック、それもレイシズムに酷似したロジックを使ってしまえるという差別への警戒感のなさには唖然とした。「女性」性を身体に還元し、その「女性」のわずかな不利益になるかも知れない可能性を全力で排除し、それがいかに自ら望んだものではなくとも男性性を持つ者を排除すべきだという、セクシズムを根底に持つ、フェミニズムを仮装した差別主義というほかない。男性を叩くための、女性の側からのセクシズムではないか。巷間TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)と呼ばれるスタンスが性被害や現存する女性差別への抵抗としてあるとはいえるけれども、差別主義にもとづいた言論は人権というフェミニズムの正当性が依拠する基盤そのものの破壊でしかない。「トランスコリアン」などといいだした反トランスの人がいるけれども、差別的発想がベースにあるからそりゃそうなるだろうし、トランス排除の言説はアイヌ民族を「自称アイヌ」などといってアイヌ差別を繰り返すレイシストの言説そっくりだった。氏が撤回などしない限り、以後、私にとって笙野頼子はこのトランス差別の問題を別にして評価することは難しくなった。私に送られてきたネット右翼レイシズム言説のごときメールは、二十年近く読んできた私の氏に対する印象を破壊するに充分以上の力があった。
 付言すれば、ツイッターフェミニズム的な言動する人やリベラルな論者のなかには結構な割合でセクシズムとしか思えない発言をするものがおり、TERFと非常に親和的でじっさいに一部は同居している、というのが私の感想だ。「萌え絵」についての議論において、二言目には女性の作り手に「名誉男性」といいたそうな連中……。以前、氏の小説について、「萌え文化が非常に一方的に男性による女性への暴力として戯画化されているのは気になる」と書いたことがあるけれども、その延長にこの事態はあると思っていますよ私は。だから以前から懸念自体はあったといえるけれども、しかし。
笙野頼子 - 人喰いの国 - Close To The Wall
百合ラノベ、百合SF、百合ミステリその他、百合小説約30冊を読んだ - Close To The Wall