岩田正美「現代の貧困」ちくま新書

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

これは非常に面白い。貧困というとどうも古い言葉、というイメージがあるが、それは決して過去の問題ではなく、本書では貧困が現在進行形で起こっているいまの問題であることを示している。本家ブログでも、ホームレス問題とかについて記事を書いたが、ホームレスをはじめとした広範な形で「貧困」という問題があるということには思い至らなかったので、この本は非常に興味深いものだった。

貧困の固定化や、貧困などの経済的問題がさまざまな社会問題に影響を与えていること、日本の社会保障の仕組みそのものが持つ問題点など、「貧困」という観点から見た現代社会の多くの問題が論じられていて、古くて新しい視点の重要さを実感させられる。

こうした社会問題に興味のある向きには必読だと思う。


最近格差社会論が活発だが、いわば個々人の生き方の問題とも言える格差、ではなく、社会がその是正を行わなければならないものとしての「貧困」が、いまの社会に厳然として存在していることをこの本では強調している。格差が相対評価であるなら、貧困は絶対評価であり、ある基準を下回るものについてはひとしなみに救済策がとられるべきだという。


●貧困のリスク要因
では、貧困とはどういう状況か、ということについてから説明が始められ、貧困調査の基礎知識などが解説されなかなか面白いのだが、それは措いておく。

最近ワーキングプアなどの問題で実は貧困問題についてはいろいろ報道もあるのだが、ワーキングプア問題がそうであるように、これはある種特定の世代や年齢層の問題として語られがちで、それは一面正しいにしても、見過ごされている点がある。著者はこう書いている。

「若年期から中年期にかけての女性の貧困は、学歴や就業のほか、婚姻関係や子どもの数とも結びつきが強い。結婚して子どもがなく、本人が常用で働き続けている場合がもっとも貧困経験から遠く、単身継続、離死別、子どもが三人以上で貧困固定化の危険が大きくなっている。
 つまり、現代日本では、標準型からはずれた人生を選択した場合、貧困のリスクが高くなっているとも言える」92

日本では貧困調査の蓄積が少なく、女性に関しての調査をここでは採用しているが、これは男性にも見られるという。

そのほかの事実から裏付けされていることは、現代日本で貧困に陥るのは、特定の人びとだという。それはある不利な状況にある人びとで、現代では格差の進行により、そうした人びとが貧困から抜け出せなくなり、固定化している。

一つは学歴であり、ホームレスでは未就学か義務教育までの人が占める割合が七割を超えている。若年女性についても、大卒とそれ以外で二極化し、さらに高卒とそれ以下でさらに二極化し、一度貧困におちいるとなかなか抜け出せなくなるという。これはそもそも、低学歴だから貧困になる、というよりは、義務教育以上の教育を受けられる環境になかった、つまり親も裕福でなかった、という理由が考えられる。因果関係ではなく相関関係としてとらえるべきだろう。

二つ目は婚姻経験。貧困が結婚を阻んでいるという問題と、未婚のまま親元から独立すると貧困に陥る、という二つの可能性を著者は指摘している。なお、「20代男性は年収500万円を超えると、30代男性は年収300万円を超えると、既婚率が50%を超える」というデータから、著者は、近年の晩婚非婚は、結婚したくない人が増えた、というよりは経済状況が結婚を許さないという状況があることを指摘している。

離婚もまた貧困と強い関係がある。これは直感的にわかることだが、貧困だから離婚する場合と、離婚したから貧困になる場合がある。特に後者の女性の場合、シングルマザーとなると、働きながら養育費教育費、そしてたいていの場合住居費も負担しなければならなくなるわけで、しかもシングルマザーの年収は平均212万、「常用」の四割が200万を切っており、パートタイマーでは五割が100万以下という低さ。

転職も貧困状況と関わっている。低賃金労働者ほど、雇用期限の短さや、労働条件の劣悪さのために、職を転々とせざるを得ない。

こういう状況がそろっても、ただちに貧困になるわけではない。資産や家族の存在が、貧困への抵抗力として働くからだ。逆にそうしたものを持たない人が、貧困のリスクを多く抱えていることになる。

●貧困という問題
上記のようにして貧困のリスクを見ていった上で、著者は、貧困がきわめて大きな問題であることを指摘する。様々な社会問題は、こうした貧困、経済状況を大きな要因として発生していると示している。

貧困という状況下では、経済的な困窮のため、安定した労働が行えないという不安要素が増大する。そうしたなかで、病気になりやすくなったり、自殺してしまったりするという問題がある。特に、自殺の要因の三割は生活、経済問題が占めており、近年の中高年男性の自殺の増加ともあわせて大きな問題といえる。

また、児童虐待をする親についての調査で、特に重い虐待を行った親については、育児不安や性格、精神疾患等が指摘される他、地域社会からの孤立や実父が無職あるいは転職を繰り返すなどして不安定であることも指摘されている。「豊かな社会」の病理であるといわれたりする児童虐待だが、長時間労働にもかかわらず貧しい生活を送っている親のストレスといったことを考えなければならないのではないか、という児童福祉司の言葉を紹介している。

著者は、様々な社会問題と貧困との関わりについてこう書いている。

「本章で論じたことからだけでも、貧困が単に貧困だけで終わらないこと、現代日本で「不利な人びと」は貧困とはまた別の問題を同時に背負って生きていかざるをえないことが分かるのではないか。別の言い方をすれば多くの社会問題は、貧困問題の解決を視野に収めないとアプローチできな部分を、かなりのところ持っているのである」185

そして、現代社会、メディアが、豊かさの病理ばかりを喧伝し、貧困が社会問題と大きな関わりのあることを無視してきたことが、その解決を遅らせているのではないかと指摘している。


●福祉の偏り

「日本の福祉国家の仕組みは、高学歴かつ正規雇用者で資産も家族もある人々には「やさしい」一方で、低学歴で未婚もしくは離婚経験があって非正規雇用で転職も多く、資産も家族もない人には「やさしくない」と見ることができる」189

OECDによる国際比較で、日本の低所得層が再配分によって得た所得のシェアは、先進諸国19ヶ国中下から二番目だという。税や社会保障による所得の再配分がかなり低機能だ。

そのような日本の福祉社会の問題点として、保険主義の徹底がある。保険制度ではもともと掛け金を払わなければ支給を受け取れないうえ、高い保険料を払うほど給付も高いが、保険料の支払いに窮する者は悪くすると保険の対象にすらならない場合がある。この保険主義が徹底されたため、それに代わる所得保障がきわめて手薄になっていると著者は指摘する。

シングルマザーやホームレスといった人々にとって必要であろう住宅手当や失業扶助といったたいていの先進国にある保障制度がない。住所がなければ生活保護や職安の対象にすらなれないホームレスの存在を考えるとこれは致命的な問題だと思われる。

また、生活保護が働ける年齢層にはかなり厳しく、掛け金を払わなければならない保険と、生活保護の適用基準とのあいだの落とし穴にはまってしまう人が多いという。

そこには、日本における自助努力の重視、自己責任観念の強さが指摘されている。生活保護を受けることは卑しいという観念が強く、保護を受けることを恥とするあまり餓死した例が過去にあったが、そういうことも含めて税による保障が進まない。年金を税方式にすることに強い抵抗があるのはこれもあってのことだ。

また、子供を持つ親に対する所得保障が弱い。近年、シングルマザーに支給されていた児童扶養手当が、シングルマザーの自立を妨げるとか離婚した夫から養育費を取れ、とかいう声に押されて、かなり過酷に制度改革されてしまった。

少子化と騒がれている割には、政府は子供を持つ親に対してはきわめて冷たい態度を取っていることがわかる。ネオリベ的な企業に優しい改革をする一方、非正規雇用やシングルマザーといった低所得層や子供を作らない女性に対して侮蔑的な発言を繰り返す政府要人の態度は、どこに問題の所在があるかを隠蔽する最悪の弥縫策に見える。


著者は、解決策として、「不利な人々」に対する積極的優遇策を主張する。生活保護社会保険の谷間に落ち込んでいる人に対する失業扶助や、職業訓練の機会の保障、また住宅手当の創設や生活保護の一部を低所得層に広げる案などが出されている。そして、正規雇用者だけに優しい制度の改革が必要だという。

ここで著者が問題にするのは、公平論の存在だ。シングルマザーへの児童扶養手当改革の時にもあったが、そうした優遇策をとることへの、強い批判がある。生活保護での母子加算が廃止された背景には、保護を受けずにがんばっているシングルマザーと比較しての公平論があったことが指摘されている。しかし、そうした形で公平性を主張しても、それは貧困者同士の公平性であり、豊かな層と比べた公平論は出てこないと著者は指摘している。豊かな層からは、生活保護へもそうだが、俺たちの税金でのうのうと暮らしているとかいう批判が出てくる。我々/彼らという二分法的発想がしみついているので、そうした貧困層を救済するという発想が出てこない。


●社会の安定
著者は、そうした公平論への反論として、社会保障の充実は、低所得層の人権ばかりを配慮したものなのではなく、社会の安定と統合のために必要とされるのだと言う。

福祉国家の歴史が証明しているように、国家が貧困対策に乗り出す大きな理由の一つは、社会統合機能や連帯の確保にあった。階級や階層ごとに分裂した社会を、暴力や脅しによってではなく福祉機能によって融和と安定に導いていくことは、国家それ自体の存在証明にもなることであった」207

近代日本でも、貧困あるいは経済問題が社会不安の元となっていた例は多い。反乱や騒擾の原因の多くはそうした形で追いつめられた民衆が蜂起して起こったものが多かったと思うが、貧困の拡大は明白な社会不安を増大させる。人権概念と社会安定の双方の観点からも、こうした貧困問題を積極的に解決していくことはやはり重要なことだろう。



●余談

本題からずれるが、しかし、公平論的な主張はこうした社会保障関連の話題で必ず目にするのだが、こうした主張の裏にあるきわめて貧しい感覚には辟易する。おれたちの税金で暮らしている、みたいな貧乏性な発言が、納税者としての当然の権利のように思われてるのが不思議でならない。しかも、だいたいが、生活保護の不正受給とかのレアケースをもって保護制度全体を非難したり、制度の縮小を唱えたりする。近代国家に生きる人間として、もう少し紳士的な態度を身につけてはどうか。身も蓋もない本音をいうのが正しいという風に勘違いしている人が多すぎないか。個々の具体的な問題について云々するのはいいとしても、現代社会で公の場で、人権概念そのものを否定してしまうような伊勢崎の萌えないジャンヌ・ダルクが議員でいられる日本という国は、やはり「民度」が低いといわれても仕方がない。

建前と本音、とはいうが、建前を尊重できない人間はただの子供ですよ。



紙屋研究所の記事に良いものがあったのでリンク
岩田正美『現代の貧困』、および「前衛」07年7月号