講談社「日本の歴史」メモ1 原始・古代史の部

講談社「日本の歴史」その他 - Close to the Wall
以前記事にも書いたように、講談社学術文庫で文庫化された講談社版の日本の歴史を読んでいる。以前書いた記事の再掲も含まれるけれど、丁度区切りの良いところまで読んだので、いくらか改稿の上ひとまとめの記事にした。全巻のリストは以下等を参照。
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網野善彦 - 日本の歴史00 「日本」とは何か

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

第00巻、という例外的な巻を当てて編集委員網野善彦が「日本」について書いた一冊。私はまだ氏の著作というのは「日本の歴史を読みなおす」と対談本くらいしか読んでいないので断定的なことは言えないけれど、巷間網野史学の集大成とも言われるこの本では有名な無縁とか王権論とかについてはさほど触れていないので、基本的には「日本論」の総まとめとはいえても、集大成って感じはしない。

内容は日本単一民族神話批判や、日本均質社会幻想批判、百姓=農民説批判などなど、著者の年来の主張と思われるもので、見慣れた人も多いと思う。幻想、俗説の「日本」批判といえる。

単一民族神話はそもそもアイヌ琉球などがあるので成立しないけれど、ここでは東と西ではずいぶんと民族的な違いがある、という主張を行っている。ヤマト王権朝鮮半島、中国との関係は古代以来のものなので、そういう密接な関係を持つ西国と東国では言語的な違い以外にも差別問題やその他さまざまな文化的差異が見受けられる、という。そうした人類学者埴原和郎の議論を紹介した後、網野氏はこう書いている。

この見方に立つと、「日本人は単一」どころか、近畿人・北九州人と朝鮮半島人とは強い親近性を持つことになり、その差異は関東人と近畿人の差異よりも小さいことになるのである。41P

さらに、列島社会の交易を軸に辿ることで、北方、南島との交流をひろいあげ、海を中心とした人々の広がりを見いだす。今ある「日本」、という枠組みをはめてみてしまうと、そうした交易による広がりを見失いがちだ。

交易民に対する注視はまた、百姓=農民説への批判にもつながる。百姓が安易に農民に読み替えられてしまう状況は、日本が農業国であり、人口の90パーセントが農民だという「定説」が背景にある。しかし、網野は史料と実地での調査をもとにして、百姓とカウントされている家がじっさいには農業をしているのではなく、魚の商売をしていた、という発見をきっかけに、農業がほとんどできるはずもない場所で多くの人が百姓とカウントされている例などを指摘し、多様な生業に従事する人たちがまとめて百姓となっていることを突き止める。

人口の90パーセントが農民、というのは考えてみればすごい話で、他国の状況や比較できるデータを知っているわけではないけれど、それで経済が回るのだろうか。中世、近世の時代だってさすがにその割合はないんじゃないかな、と。ただ、ロシア史の本を読んでいたら農民が90パーセント以上という記述を見つけたので、近代以前はそういうものなのかも知れない。著者は百姓のうち、40パーセントが非農業民だと主張する。

こうした事例をさまざまに収集しつつ、「日本」という統一体が古来から続いてきたかのような錯覚を徹底して批判し、日本社会の多様性、広がりを論じ、これまで省みられなかった豊かさを強調する。

「貧しい漁村」という従来の通念が、海に関わる多様な生業の豊かさを無視し、「瑞穂国」に高い価値を置き、農業のみに目を向けてきた従来の研究姿勢がもたらした著しい偏見であったのと同様、「へんぴで貧困な山奥の村」といわれてきた山村の「常識」的イメージもまた、山の生業の驚くべき多様な実態、樹木の文化の豊かさを過小評価してきたこれまでの研究が生み出した重大な偏見といわなくてはならない。303P

偽書つかまされた下りとかがあったり、著者の主張が強すぎるところもあるけれど、やはり興味深い著作。

また、同時期の学術文庫のものと比べて字組がやけに読みづらいところが気になった。文字自体が肉厚で行間が狭いので、無理に縮小したような感がある。ページ数を抑えて価格を安めに設定しようと言うことなのだと思われるけれど、改版版の中公文庫版日本の歴史よりも字組が細かいのはどうしたものか。

村道雄 - 日本の歴史01 縄文の生活誌

縄文の生活誌 日本の歴史01 (講談社学術文庫)

縄文の生活誌 日本の歴史01 (講談社学術文庫)

第01巻はまるまる縄文時代だけで構成された巻で、これは通史全集ものとしては珍しい感じがする。考古学の見地から縄文時代の生活をできるかぎり再現してみる物語パートを含んでいる点が非常に特徴的。

ただ、その物語パートはやはり違和感が残る。テレビ番組などの再現映像を意識したものなのかとも思うけれども、蛇足の観が否めないのと、想像の割合が増えすぎる。

また、専門用語などの説明が欠けていることが多い。いきなり「エンドスクレイパー」がどうのこうのと、なんの説明もなく叙述されていくとか、どうも全体的に詳細ではあるのだけれど明快ではない印象があり、あまり論述がすっきりしない。物語部分のような一般性を狙った点とそうした叙述のアンバランスさが気になる。

丸々一巻を使うだけあって、いろいろ情報は多いし、縄文時代の食生活の多様性などは面白い。まあ、基本的に考古学の本で、歴史というか政治史が読みたいという期待には沿わない巻。それなりには面白いのだけれど、もうちょっと叙述を工夫して欲しいと思う。

さて、この本は実に数奇な運命を辿った本だと言うことは非常に有名な話だ。原本が刊行されてすぐに日本考古学会最大の事件とも言われる旧石器捏造事件がスクープされたことによって、藤村新一氏とかなり近い立場にあった著者が氏の業績に基づいて記していた内容に大幅な訂正を余儀なくされた。そのため回収のちに改訂版が出されるということになった。

改訂前のものは読んでいないのだけれど、目次がすでに違っているので、序盤の記述はかなり変わっていると思われる。そもそも、このシリーズで縄文だけで一巻を当てられているのは藤村氏の発見をきっかけにする考古学の盛り上がりが背景にあったんじゃないかと思うのだけれど、それを考えるとこの巻の不遇ぶりが際立つ。著者の後書きでもかなり参ってる様子がうかがえて身につまされるものがある。解説中で藤村氏に一度も敬称を付けていない。

しかし、藤村氏がゴッドハンドと呼ばれるほどの奇跡をみせたエピソードの数々は今から見ると、明らかに不自然な発掘の仕方のオンパレードで笑ってしまうくらいできすぎている。

寺沢薫 - 日本の歴史02 王権誕生

王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)

王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)

第02巻は弥生時代から古墳時代にかけてを扱う。稲作の伝来に始まり、徐々に列島に国と呼ばれる共同体が生まれはじめ、対立、敵対の政治的緊張を経て、卑弥呼共立によるヤマト王権が誕生するまでのダイナミックなドラマを描く。

これは当たりの巻だと思う。前巻はさすがに動きがなさ過ぎてやや退屈だったのだけれど、書名通りの「王権誕生」という動きのある歴史を扱うばかりではなく、もの言わぬ考古学的資料から当時、何が起こったのかをひとつの物語として描き出すプロセスが鮮やか。

著者は考古学者で基本的には考古学データを使って叙述していくため、前半は詳細なデータの応酬でやや地味なのだけれど、それらの絡まりが動きを見せていく後半になるにしたがってより面白くなっていくので、前半で退屈しても後半までは読むことを勧める。

また、早くても弥生後期、通常七世紀を国家の発生と見る定説に対し、弥生時代の首長制社会での国々を国家として捉えるなど、定説をかなり書き換えていくアグレッシブなところも面白い。

通説の書き換えとしては、奈良県桜井市纒向遺跡ヤマト王権誕生の地として、それを日本的「都市」と主張するところもそうだ。通常、条坊制を敷いた藤原京を最初の都市とするのだけれど、中国の二里頭遺跡などが城郭都市とされているのに対比されるべき日本の都市として纒向遺跡を見るべきだと主張する。

纒向遺跡の特色と成立事情は後にくわしく述べるが、この遺跡は規模が巨大なだけでなく、北部九州のイト倭国の時とは比較にならないほどの広域な交流の輪を拡げ、周辺に前方後円墳が築造され、古墳時代につながる諸々の祭祀が行われるなど、三世紀の日本列島でこれに匹敵する政治的、祭祀的な遺跡を他に探すことはできない。だから、この時期の「ヤマト」に権力の中枢を置く、倭国の新しい政体が誕生したことはもはや動かし難いのだ。私はそれをヤマト王権(政権)と呼ぶ。つまり、卑弥呼の共立によって新しく誕生した倭国(本書では「新生倭国」と呼ぶ)の実態がこのヤマト王権であって、纒向遺跡はその王都(都宮)であり、かつ日本最古の都市だというのが私の主張である。
250-251P

纒向遺跡ヤマト王権の王都だという主張についてはここにも載っている。
纒向遺跡 - Wikipedia

また、前方後円墳の「前方」部分は、王権継承の儀式を民衆にみせる祭祀の場だという説を述べ、祭儀のプロセスを推測する部分もなかなか面白い。ちなみに著者は邪馬台国畿内説を支持している。そして三角縁神獣鏡倭国製説を採るというやや少数派の立場のようだ。

文字史料がほとんどないなかで、さまざまなデータから王権誕生のドラマを再構築してみせるプロセスがかなり面白い。このシリーズの古代史巻中出色の一冊。

熊谷公男 - 日本の歴史03 大王から天皇

大王から天皇へ 日本の歴史03 (講談社学術文庫)

大王から天皇へ 日本の歴史03 (講談社学術文庫)

前巻までは考古学視点だったけれど、ここから歴史学視点になる、という印象の第03巻。王権確立の後、大化の改新壬申の乱までの時代を扱う。ちょうど天武・持統朝の直前ということになる。

ここでは、朝鮮半島と中国大陸との関係を描き出すことで、冊封体制の一員という立場から、「治天下大王」の治める国、という独立した世界観・イデオロギーを確立していく様子を見ていくことになる。

特徴としてはやはり半島との関係が重点的に述べられている点が挙げられる。倭国の「天下」観にとって、半島での勢力を維持することが非常に重要なこととしてあり、たびたび介入を図っている。さらに、自身の「天下」的世界の明証として、唐に蝦夷を連れて行ったりして、自身を中心とした世界像を作り上げていくのだけれど、そのなかで当然唐と対立し、白村江の戦いで敗北する結果となる。

現代でも微妙な問題となっている「任那日本府」はある程度丹念に論じられている。さすがに現在では「日本府(当時は倭府だろうという)」は統治機関であるという説は過去のものとなり、では何だったのか、ということについては諸説ある状態だという。著者は、新羅の侵攻によって制圧された「任那」を独立支援するための、軍事外交機関だった、という説を述べている。岩波ジュニア新書の「日本社会の誕生」では、「任那日本府」が統治機関だったという説は言下に切り捨てられていて、まあ今の研究ではそうなんだろうけど、どういう根拠でそうなっているのかが全然説明してなかったので、その不満はずいぶん解消された。

ところで、このシリーズの00巻、網野善彦の担当巻では「日本」号が中国から見て日の昇る方向だという説を前提として、愛国主義的に中国中心の世界観の「日本」という国名を大事にするってどうよ、という話があったのだけれど、この巻では「日本」というのは日の御子の統治するところという意味で、唐を主体とする解釈に異を唱えている。

「日本」とは、直訳すれば「日の土台」ということで、日神(引用者註・天照大神のこと)の真下にある国という意味に解するのがよいと思う。つまりは世界の中心にある国ということで、王権神話に裏打ちされた日本的中華思想の産物なのである。

もうひとつ、この巻の文庫後書きで、古墳で行われていた祭祀は折口信夫に由来する「首長霊の継承儀礼」だったとする論が考古学分野で通用しているけれども、古代史学会ではその論はすでに80年代から実証的に成り立たないというのが定説になっている、学会同士での対話が必要だ、ということを書いている。しかし、この前巻の「王権誕生」がそのものずばり「首長霊の継承儀礼」に基づいた叙述だったのを興味深く読んだ身からすると、後書きに書く前に前巻の著者と対話してくださいな、と言いたい。相互に異説を主張することができている自由さとも言えるけれど、これはもうちょっと編集側からなんとかできないものかなとは思った。

全体の叙述としては手堅く堅実で、ごく普通(に面白い)という印象。

以下余談。

最近はそうなのかも知れないけれど、ここまで読んでこのシリーズには継体以前の天皇がほとんど出てこない。雄略は倭王武、鉄剣銘とかで重要なので出てくるけれども、神武以降の天皇の系譜及び神話がこのシリーズではまったく出てこない。編集方針として、実証主義に基づいて、史学的な根拠のない神話を排除したと言うことなのかも知れないし、「新しい歴史教科書をつくる会」などへの対抗的なスタンスとして、皇室の正統性を根拠づけるものとしての記紀神話を排除したのかも知れない。どちらにしても、神話とその政治性についての言及はあった方がいいのではなかったか。その点、中公文庫版の井上光貞による一巻の構成(通読はしてない)や、別巻での井上と丸山真男の対談の主張は今でも有効に思う。

まあ、そもそもこれを読むような人は「古事記」と「日本書紀」くらいは読んでいるという前提なのかも知れない。そこら辺がこのシリーズと中公文庫のシリーズとの大きな違いか。この巻の第四章までの内容が中公だと第一巻に収まっていることなど、記述の重点の置き方がかなり異なっている。神話学がカットされ、考古学が重点的に叙述されている。さらに、各巻のページ数にしてだいたい200ページほど講談社版が少ないので、基礎的な記述が薄いところはあるだろう。そのうえ全26巻のうち講談社版はテーマ巻が5冊もあるなど、物量の点できわめて不利なところがある。いくつかの感想などを見ても、分かりやすさ、面白味に欠けるというところは指摘されている。やはり初心者向けとは言い難い部分はある。

渡辺晃宏 - 日本の歴史04 平城京と木簡の世紀

平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫)

平城京と木簡の世紀 日本の歴史04 (講談社学術文庫)

第04巻は天武天皇飛鳥浄御原宮を造営するところから、藤原京を経て平城京を都とした時期を中心に述べる。年号で言うと672年から、桓武天皇即位の781年あたりまでを扱っている。平城京を中心とは言っても、この頃は遷都に次ぐ遷都が行われ、飛鳥、藤原、平城以外にも、恭仁京 難波京 紫香楽宮といった都宮が造営されては放棄されていく奇妙な時代でもある。

序盤は天武・持統朝の律令国家確立期にあたり、そこから平城遷都、長屋王の変天平時代を経て、東大寺大仏の開眼、道鏡の出現と宇佐八幡の託宣事件へとつづき、桓武天皇が即位し、平城京を捨て、長岡京平安京への遷都を目前として終わる。

この時代の特色は、表題にもなっているように、史料における出土した木簡の占める割合が非常に多い時代だと言うことだ。日本書紀にはじまる六国史といった史料以外に、こうした生活の機微を語る大量の史料が発見されることで、誰がどこに住んで、どういう関係があり、どんな生活をしていたかということが分かってくるのが面白い。さらに、木簡と史書として残された史料とをつきあわせていくことで、より立体的な把握が可能になる。

そうした木簡史料を多用した平城京での生活を具体的に描いていく中盤はなかなか面白く、光明皇后がどこに住んでいたかとか、史料に少しだけ現れる人物のそれ以前の経歴がわかったりとか、木簡の情報を配置し直していくことで細かいところが具体的に跡づけられていく推理の過程はやはり楽しい。

この巻での主張としては、従来この時代は律令国家の衰退期に当たるとされてきたのだけれど、最近の研究ではむしろこの時期は中国の律令制を日本に適切なものに組み替えていく過程にあり、発展していく時代だった、という再解釈がある。「八世紀は律令制の衰退過程ではなく、日本型律令制を築き上げる過程であった」と述べている。

以前は、大宝律令によって律令国家が確立し、その後、律令の原則を崩すものとして墾田永年私財法が捉えられてきた。しかし、墾田永年私財法というのは、中国の制度を持ってきたものの日本の実状にあわず、制度が柔軟性を失っていた状況を改善するためにつくられたもので、むしろこれによって日本的律令制が強固なものになったのだという。

三世一身法にしても墾田永年私財法にしても、大宝律令を日本社会に適した法令に生まれ変わらせる努力の痕跡である。天平の時代とは、いわば日本型律令制の産みの苦しみの時代だったのである。231P

この証拠として、不動穀という稲穀の蓄積された過程を示す史料から、八世紀から九世紀末にかけて、稲穀の蓄積は順調に進んでいて経済力は衰えていないことを論じている。ここらへん、ずいぶん違ったイメージになってるなあと感じる。

ちょっと面白かったのは、ある木簡に「急々如律令」という記載があって、おや、漫画とかで陰陽師なんかが唱える呪文が何故ここで、と思ったら、著者が括弧付けで補足するには「「律令の通りに速やかに処理せよ」という漢代以来の法令用語。転じて「災いよ速やかに退散せよ」という意の呪句として用いられた」ものらしい。「律令」って律令国家の律令だったのか、と驚いた。この頃には既に呪符として用いられていたようだけど、こんなものすごい事務的な文がどうして呪文になるのか、とても奇妙。今でいうなら「可及的速やかに」とかになるのか。これは「律令」がその時代において呪術的な意味合いを何かしら持っていた、ということなのだろうか。

坂上康俊 - 日本の歴史05 律令国家の転換と「日本」

律令国家の転換と「日本」 日本の歴史05 (講談社学術文庫)

律令国家の転換と「日本」 日本の歴史05 (講談社学術文庫)

本書では八世紀末から十世紀初め、九世紀百年間が叙述対象となっている。奈良末から平安初期をカバーし、遣唐使が衰退する過程や蝦夷の討伐に、日本独自の帝国観念の有り様を探ったり、摂関制度の成立など平安時代の特徴的な要素が成り立つ様子を描く。

しかし、制度史、社会史、政治史が中心で、しかも前半の方で通史的叙述が終了し、後半はほとんど制度的議論に専念していく構成になっていて、面白い読み物、という面はほとんど無い。また、序文でいろいろ述べた割には文化史的な側面へのアプローチも薄く、たとえば在原業平に触れたのは一行のみ、というくらいだ。そして、この構成が徒になって、時間的順序関係、つまり通史的イメージがあまり頭に浮かばない。

ただ、遣唐使で唐に渡った高僧、最澄と円仁の求法の旅を述べた章は例外的に面白い。

確かに、徴税論理の転換、摂関制度の成立にまつわる部分は勉強になるのだけれど、一般書というよりは学術書、それも個別の論文集のようなものに近く、学術書の内容をやや一般向けにしただけ、という印象。どんなのが「通史」としてあるべきか、という問題はあるものの、これは無いんじゃないかな。おそらくこのシリーズは日本史をかなり習得していて、これ以外のシリーズをいくつか通読している、というような人に向けて書かれているような難易度だと思う。

なかなか興味深かったのは、考古学の研究成果を紹介して、古代の集落がどれだけ時代を経て存続しているかを述べた部分。

古墳時代から続くか、律令国家の成立期から続くかという違いはあっても、そして西の方がやや早いという程度の地域的な差はあっても、おおよそ九世紀から十世紀にかけて、それまであった集落の大半が消滅してしまったのである。逆に言えば、中世に続くような集落の多くは、若干の空白期間をおいて平安時代後期(十一世紀)に至って、ようやく本格的に営まれ始めるのである。この時期は、ちょうど荘園公領制という新しい所領編成が成立していく時期にあたっているが、このことと集落の再興・新展開とは表裏の関係にあると見てよいだろう。280-281P

これもまた、考古学的データと歴史学からの複数の視点から立体的な歴史像を組み立てる試みのひとつだろう。

大津透 - 日本の歴史06 道長と宮廷社会

道長と宮廷社会 日本の歴史 06 (講談社学術文庫)

道長と宮廷社会 日本の歴史 06 (講談社学術文庫)

第06巻は摂関期の最盛期といわれる道長の時代を扱っている。この時代のものとしては、中央公論の日本の歴史シリーズでも随一の名著といわれる土田直鎮「王朝の貴族」がある。

というわけで、以前の通史イメージにいくらか見直しを迫っているところはやはり面白い。まず冒頭では、摂関期の典型と評されるこの時代について、じつは道長はほとんど摂政、関白についておらず、一条天皇は親政を行っていることが指摘される。これはどういうことかというと、問題は摂関ではなく、天皇への奏上、宣下に先立って文書に目を通す「内覧」が重要だという。摂関の職はこの延長上にあり、左大臣道長が内覧により太政官を統轄して政治を行ったこの時期を摂関政治と見なすことは矛盾しない、と結論している。

文化面での記述がまた興味深い。鳳凰堂の阿弥陀如来のような巨像は、それまでのような一本の木からではなく、複数の木を組み合わせて作る寄木造で作られているけれど、この工法は中国の影響はあるにしても日本で独自に発達したものだという。これにより、容易に巨大な仏像を作ることが出来るようになり、ひとつの画期をもたらした。ここの図解入りの仏像の歴史のところは非常に面白い。

さらに、朝廷の重要な儀式が行われる紫宸殿にある賢聖障子には、中央に獅子、狛犬、文亀を書いて、その脇に中国の殷代から唐代までの賢人、聖人32人が描かれている。神殿で天皇の背景にあるのが日本の人物ではなく、中国の賢聖だということに著者は注意を促している。さらに、即位式にしか着ないものではあるけれど、天皇の正装は平安時代から江戸時代まで通じて、袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう。コンの字は本来は、「なべぶた」の下に「公」を書き、そこに「衣」の下半分を付けたような字体)という中国の皇帝と同様の服装だったという。賢聖障子に描かれたのは唐代初頭までの人物で、ここには律令制が唐の制度を模したことが受け継がれている、ということを指摘してもいる。この国風文化といわれる時代に中国文化の影響が見られることは面白い。
http://kitukemeijin.jp/m-24.html

唐を起源とするものとして「節会」とよばれる宴会の解説があり、それは「天皇と参列した官僚との人格的関係を確認する場であった」という。これは非常に大きな意味があるとして、天皇以外に皇后、東宮、大臣などもこのような催しを行っていたことを述べる。そこでさらに著者は

今日、役所の接待が問題になっているが、歴史的にいえば官僚制と宴会は密接な関係があり、官僚制がなんらかの人格的関係を基礎におく以上、宴会やコンパはなんらかの形で必要なのである。322P

と指摘していて、これはなかなか面白い話だった。

他には、これまで中央のぐだぐだの対応を示すものとみられていた、刀伊の入寇に対する対応会議の様子や「渡海制」について見直しをしているところは興味深い部分だ。

ただ、やはりこのシリーズは専門的、詳細な議論が続く場面が多く、おお、と思わせるような素人にも楽しめるような場面が少ない。個別論点の論文を通史っぽくに並べたような内容になっていて、しかも論点がやや専門的なので、そこで寸断されてしまって「通史」という印象がかなり薄くなる。

「一般向けの通史」としては非常に難のある編集のものが多いのはやはり私としてはつらい。中公とセットで読むほかはないだろう。セットでも難しいのだけど。

下向井龍彦 - 日本の歴史07 武士の成長と院政

武士の成長と院政 日本の歴史07 (講談社学術文庫)

武士の成長と院政 日本の歴史07 (講談社学術文庫)

第07巻は02巻以来久々の、これは!という出色の出来の巻だ。ただ、この巻が面白い理由の一端は内容構成の変則的な部分に由来していて、他の巻と比べて独自の位置にある。

普通、ここでは道長の時代を描いた前巻を継いで平忠常の乱、前九年、後三年の役とつづく奥州合戦から始まり平氏の滅亡でおわるはずで、この内容は中公版でいえば竹内理三による第六巻「武士の登場」に該当する。しかし、この本で平忠常らが出てくるのは第四章、巻のなかばになってからだ。

この巻では武士が登場する以前の律令国家の軍制にまで遡って、武士以前から武士の登場、そして武家が政権を掌中に収めるまでの武士の歴史、古代日本軍制史を通覧するという構成になっている。平安時代の巻で、将門、純友の乱は第七巻で詳述するため、ここでは割愛すると述べられていたのを見て、この巻がいわばテーマ史のような内容になっているだろうことは予期していたのだけど、これが非常に面白い。

第二巻を除く前巻までは、やたら詳細な議論が全体的な流れの見えないなかで続いているように思えて、ところどころ面白いけれどどうにも不満があった。今巻ではすべての記述が武士の成長と日本軍制史の観点から「ある流れ」を持って続いているので、基本的な叙述レベルはやや高度でも、まったく退屈せずに読める。シリーズ中これだけ取り出して読んでも充分面白いだろうと思う。

そして今巻で著者はやや独特の立場を打ちだしている。下向井氏は「武士」にかんして、領主が土地を守るために武装したとするこれまでの通説的な「在地領主論」に対し、「国衙軍制論」国衙軍制 - Wikipediaを主張し、その観点からの通史を試みている。これは過去、六、七十年代に石井進や戸田芳実による研究があったものの、武士職能論(これにはほとんど触れていない)の盛り上がりのなかで忘れられていたものを、下向井氏が引き継いだ形で展開している議論らしく、学界の通説というわけではなく議論もあるとはいえ、随所に独自の観点があって非常に面白い。

国衙軍制論、がどういう論なのかは私にうまく説明する能がないので、詳しくはWikipedia等を見て頂くとして、ここではいくつか引用してみる。

はじめに著者は、学会では在地領主ではない平将門を武士と呼ばないことを述べ、それはおかしいのではないかと問う。武士と在地領主とは分けて考えるべきだし、「武士は合戦絵巻の姿のとおり、戦闘を職能とする戦士であった。彼らは国家に反逆する者を追討する国家の軍事力だった」としている。この「国家の軍事力」として武士を捉えるのが「国衙軍制論」のひとつのポイントだろうと思う。

そして、この本の企図を以下のように述べる。

本書で私は、武士が出現して政権を獲得するまでの過程、すなわち平安中期の十世紀に地方で起こった武装蜂起を鎮圧する戦士身分として登場し、中央の軍事的官職や受領(地方官)を経験しながら政治的にも成長し、やがて国家の軍事司令官になった源氏・平氏が、平安末期の院政という政治構造のなかで、権力闘争の軍事的決着に関与することを通して国家権力そのものを掌握するに至る過程を、国家体制・軍制・政治構造・社会編成の変容のなかで捉えようと意図している。10P

上記は非常に簡潔にまとまった本書の梗概になっている。だいたいの流れは以上なので、いくつか興味深い箇所に触れてみる。

序盤で面白いのは奥州蝦夷の征服過程で生まれた多くの帰服蝦夷、いわゆる「俘囚」にかんする部分だ。俘囚は受領らによって生活を保障され、独自の位置を占めていた。それゆえに差別を受けてもいたのだけれど、そうした俘囚は群盗追捕のための傭兵的戦力としても利用されていたという。同時に、騎馬個人戦で威力を発揮する、俘囚独特の形状の柄を持つ刀が国内に持ち込まれ、以降の戦術、武器に影響を与えた。そして後に生まれる日本刀は、律令軍制の直刀ではなく、蝦夷の蕨手刀蕨手刀 - Wikipediaに由来すると述べられている。

意外な話としては、一般に「承平・天慶の乱」として知られる藤原純友平将門の乱だけれども、このうち純友が関与していたと言われていた承平南海賊の乱は、純友はこの海賊らを討伐した側だった、と述べている。天慶期に純友が反乱を起こしたのは、この海賊討伐での勲功に不満を持ったからだ、というのが著者の述べる経緯となる。ここで、純友、将門の乱は「天慶の乱」と呼ばれるべきだと主張している。

天慶の乱の重要性は以下の記述からも指摘できる。

源経基を始祖とする清和源氏平高望を始祖と仰ぐ桓武平氏藤原秀郷を始祖とする秀郷流藤原氏を代表として、中世武士の多くは、その系譜のなかで天慶の乱で勲功をあげた英雄たちを祖と仰いでいる。

逆に、そうでないものは「武者種胤」ではないものとして見られ、みだりに武芸を好むことはよからぬことと見なされていたのだという。この天慶勲功者の子孫たちこそが、武士身分として成立した、というのが本書での見方となる。

さらに、鎌倉幕府の母胎となる東国の源氏について、以下のように経緯を述べる。

平忠常の乱、前九年の役後三年の役、十二世紀に起こったこの三つの反乱の鎮圧を通して、頼信・頼義・義家の河内源氏三代は、王朝国家の軍事指揮権を媒介に東国武士との間に軍事的主従制を形成して王朝国家の軍事指揮官の地位を獲得し、「武家の棟梁」と仰がれるようになった。153P

この反乱鎮圧のなかで生まれた東国武士たちの結束の強さが後の平氏に対する優越を生み出し、平氏政権を打倒して鎌倉幕府が成立するかなり重要な要因として論じられているのが面白い。苦難を共にした結束の強さと、それが伝説として語られることで東国武士たちの主従関係を強くした、という。

そして在地領主論についてはこう裏返してみせている。

従来説かれたように在地領主が開発私領を守るために武士化したのではなく、国衙の凶党追捕に動員される戦士である武士がその武力を見込まれて群郷司に任命され、住民に対する徴税権・警察権をテコに群郷領域を所領とする在地領主になっていくのである。199-200P

本巻はこうした視点から叙述される古代軍制史で、中世の始まりといわれる鎌倉幕府の成立をもって終わる。同時に、対外侵略を想定する律令軍制から、それを放棄して儀礼国家となった王朝国家体制への転換という指摘もなかなか面白い視点だった。

議論は多いようだけれども、一冊の本として非常に面白いことは確かで、シリーズ中でも特筆すべき巻だと思う。

しかし、これはこの著者にこのテーマでこの内容を書かせたからこそ、ともいえ、そして通史の一巻としては変則的な構成になっているところはいろいろ考えさせる。普通通史全集は巻ごとに時代を区切ってそれぞれの著者に一任する形になっているけども、著者の得意分野を生かすとすれば本巻のような編集の方がいいだろうし、読む方としても面白いはずだ。

古い小学館の通史全集では、いくつかテーマ巻が設けられていて、なかでも石井進の「中世武士団」が名著としてよく参照される。私は未読だけれど、テーマ巻と通史巻を別とするとそれはそれで難がありそうだ。本書は通史巻とテーマ巻の折衷になっていて、非常にうまく行っている編集だと思う(ただ、本来天慶の乱が述べられるべき巻では割愛されているので、知らない人は困惑するだろう)。時代ごとに単純に区切ると内容に流れが生まれず、特に今シリーズみたいに議論がやや専門的だとぶつぎり感が激しく、もうちょっと編集で何とかならなかったのかとずっと思っていた。

そういえば、最近は平氏政権を武家政権として、幕府(福原幕府、あるいは六波羅幕府)と呼ぶべきではないか、という議論があるのを以下で知ったのだけれど、その点については特に触れられていなかった。平氏政権を幕府とする立場に立つと、中世の開始はそこになるのかな。

「鎌倉幕府」を「幕府」たらしめる「差分」について - 我が九条
「六波羅幕府」の検索結果 - 我が九条

大津透、大隅清陽、熊田亮介、丸山裕美子、上島亨、米谷匡史 - 日本の歴史08 古代天皇制を考える

古代天皇制を考える 日本の歴史08 (講談社学術文庫)

古代天皇制を考える 日本の歴史08 (講談社学術文庫)

通史としては前巻で古代史パートは終了し、今巻では「古代史の論点」として、テーマ別に書かれた六人の著者による六つの論文が収められている。

通史巻の多くはやや込み入った議論を展開する個別論文の寄せ集めという感が強く、その編集には私もさんざん不満を漏らしてきたけれど、今巻ではもともと各論文独立しているため、読んでいて特に不満な部分はなかった。各篇これは!という面白さはないんだけれど、どれもなかなか面白くはあり、興味深い点も多い(ここら辺は他の巻と同じ)。

とはいっても、この巻には序文も後書きもなく、ただ六篇の論文がばらっと載っけてあるだけ、というのはどうなんだろうか。この巻の編者は通巻の編者が担当しているのか、著者名が六論文の著者名の羅列になっていて、編者の名前はない。やっぱり編集が足りないという印象は強い。

各篇は、君臣の儀礼、民衆世界、夷荻、祭祀、院政、東アジア、というさまざまな視点から書かれている。儀礼、祭祀は当然として、やはり夷荻、東アジアなどの周縁との関係から帝国的秩序のありかたを問う論文が多い。民衆から見て天皇はどうだったのか、を「王化」をキーワードに論じる論文もその視点のひとつと数えて良いだろう。現代歴史学の潮流ってのはこういう感じになっているのかな、と思わせる。

ただ、言ってみればこの本全体で、古代において天皇天皇制がいかにして権力を握り、権力を行使せしめたか、ということを縷々述べているということになるわけで、「古代史の論点」の巻がこういう風に編集されるというのにはなんだか微妙な感じがなきにしもあらず。古代天皇権力批判をしているように見えて、実は古代の天皇の強大さを浮き彫りにしているように見えてしまうというか。いや、批判っていっても別に否定するために論じているわけでもないので、それは構わないのか。

古代史だと天皇が大きく取り上げられるのは仕方ないにしても、もっと違う視点はないものだろうか。その点では考古学的アプローチから政治史を浮き上がらせる02巻「王権誕生」や、木簡を精査して文献考証と付き合わせて意外な事実を追及する04巻「平城京と木簡の世紀」での手法は面白かった。

ここまでの雑感

考古学的データを活用して立体的な歴史像を描こうとしている巻があったり、東アジア圏ということを念頭に置いた国際関係が重視されている点はこのシリーズの特徴的なところだろうか。最近の歴史学界の潮流が反映されているのかも知れないけれども。

講談社版はこれでだいたい三分の一を読んだわけだけれど、ここまでで再三書いたように、私は編集に難がある結構難儀なポジションにあるシリーズだという印象。

編集といえば、編集委員が中世史の人ばかりなのが気になった。編集委員五人の内、中世史家が三人で、古代史がひとり、近世史がひとり、という面子。だからどうということはないけれど。

一般向けっぽくみえてずいぶん議論は専門的だし、基礎的な部分をすっ飛ばしているようなところも多い。これ以外に通史全集をいくつか読んでいたり、日本史にはくわしいぜ、という自信のある人でないと勧めづらい内容になっている。だから、私は学術文庫版のこのシリーズを読み進めつつ、他のシリーズで基礎部分をフォローするようにしているのだけれど、中公文庫版は分量が膨大で全部読むのは骨が折れる。私は五巻から十二巻の中世史を扱った部分までは読んだけれど、かなりだれてくる。他にある程度くわしく、基礎的な部分もおろそかにしないのはないものかなと思う。

日本史全集としては、基礎が充実しているが60年代という古さが気になる中公版の他に、70年代の小学館のもの(いくつか学術文庫で再刊されていたり、網野氏の巻は小学館文庫でも出ている)があり、これはやや専門的らしい。小学館ライブラリー版の「大系日本の歴史」は巻数はちょうど良い感じで、90年前後の出版なので、そこまで古くはない。最新の「全集日本の歴史」は分量は薄いけれど、かなり新しい視点を盛り込んだもののようで面白そうではある。集英社が90年代に出したものもあるけれど、これはあまり話題にならないな。

中世までは読んだので、江戸時代の通史を読んでおこうと思ったのだけれど、中公文庫版は長すぎてパス、とすると、簡便に基礎的な政治史部分をフォローするには、「大系日本の歴史」がいいだろうか。

近現代史岩波新書のシリーズを読んだのでそれでいいとして、岩波新書からは古代史のシリーズも始まった。講談社からは選書日本中世史という五巻もののシリーズも出ている。近世は?