朴裕河 - 引揚げ文学論序説

引揚げ文学論序説 - 株式会社 人文書院
人文書院のサイトには各種書評へのリンクがある。
2008年以来朴裕河が発表してきた引揚げ文学に関する論文や講演を一冊にまとめたもの。著者の言に従うなら「引揚げ文学」についての始めてまとめられた書籍になるだろうか。

著者は十人に一人が引揚者だったという体験の膨大さに比べてその記憶はあまりにも忘れられていることを指摘する。引揚げが日本において「国民の物語」、「公的記憶」にはならなかった理由を、植民者たちという「加害者」のものだったこと、また引揚者は戦後帰還した内地において、差別、蔑視されたことなどがあるとしている。そして引揚げが文学事典の類いに記載がないことを指摘する。

しかしながら、「帝国」と「帝国後」をとらえる引揚げ文学の存在は、「内地」中心の文学観をアジアに広げる視点になりうるのではないかと著者は言う。引揚げ文学の研究は「「内地」中心主義と混血文化の切断と「定住者」中心主義の上に築かれた、「日本近代文学」と「日本現代文学」の組み替えさえ迫るかもしれない」という。そうして戦後国内における「異邦人性」を持ち続けた存在としての引揚作家たちが本作で論じられる対象となる。

著者の引揚げ文学の総論部分は、原型が立命館大学のサイトに公開されているので、まずはそこから読んでみるのがいいだろう。
「引揚げ文学」に耳を傾ける - 立命館大学

本書には漱石『明暗』に出てくる小林が朝鮮行きになっていることについての講演や、小林勝の諸作、湯浅克衛「移民」についての論考などがあるけれども、とりわけ丁寧に論じられていて、本書の核となっているのは後藤明生論だろう。

著者は、「植民地や占領地以外には「故郷」がないと感じていたひとたち」、つまり典型として「敗戦当時の少年少女たちこそが、「引揚げ文学」の主役なのである」(15-16頁)と言う。この場合、漱石はもちろん、植民地で育ちながらも引揚げを経験していない湯浅よりも、敗戦まで内地体験のほとんどない後藤明生が「引揚げ文学」の恰好のモデルケースになる。

その後藤明生『夢かたり』(76年刊)についての二つの論考は、子供の目から見た植民地の光景における、植民者と被植民者の関係を丁寧に取り出した「内破する植民地主義」と、植民地で育った者の戦後の身体感覚について論じた「植民地的身体の戦後の日々」。二つ合わせて朝鮮にまつわる過去と現在から照射したかたちだ。

いずれも、作品の語りのなかから、植民者が必ずしも優越的地位に安住できたわけはなく、その優越意識が不安にさらされていること、朝鮮と日本の境界が相互に浸食されている状況を取り出す。子供故にその禁じられた境界を越え出て行く場面や、植民地育ちの人間にとって気づかないうちに日常語に朝鮮語が入り交じっていることなど、植民地の日常においてはどうしたってお互いに影響し合う。これは当時においてもそうだし、そして数十年経った現在時においても引揚者が自分の日本語にどうも自信がない、というような状況をもたらすアイロニー、「内破する植民地主義」を指摘する。

そもそも中期後藤明生について長い論考はほぼないので、この論はそれだけでも貴重だし、引揚者後藤明生についての論としても拙稿の重要な先行研究となっている。国会図書館の関西館にしかない「日本學報」という韓国の学術誌に載っていて参照が難しかったのが一般書として刊行された点、とても意義がある。

『夢かたり』のほぼ前半について論文二本を費やして論じたことで丁寧な読み取りがされているけれども、反面、『夢かたり』論としては作品後半への踏み込みがされていない憾みがある。朝鮮在住時を主に描いたのは前半なので妥当ではあるけれど、後半は同郷ながらも語り手とは違うスタンスの人たちが出てきて、語り手の認識を相対化していくからだ。従姉や特に母の存在等、この別視点は三部作にかけてのテーマとなるわけだけれども、本書では母や従姉や同郷の友人らが語り手に対して持っている意味があまり意識されていない。

それともかかわるけれども、たとえば本書のなかで気になったのは、148Pにある「チョコマンナノーソク」のくだりだ。朝鮮人の子供のつたない日本語を日本人少年が笑いものにした場面があると述べた後で、「チョコマン」が朝鮮語だったことでそれが言葉の混交の場面だと著者は言うけれど、この場面はもっと別の意味がある。

「カミサマニ、タテマツル、チョコマンナ、ノーソクハ、アリマセンカ?」(小さいロウソクのこと)

という朝鮮人の子供の不慣れな日本語を節回しや手真似をして「大笑い」したこの場面は、語り手もまた「コウゴグシンミンを笑ったコウコクシンミン」にほかならなかったことを示しているはずだ。そしてこのことを語り手はまったく覚えておらず、何十年ぶりかに再会した田中から聞くことで知る、という過程が重要だ。自身もまた無邪気に差別構造に乗っていたわけで、その「笑った」ことが無意識にされたものだったからこそ、加害者としての意識が容易に忘却されていたことを露呈した場面だからだ。

もっといえば、「朝鮮人くさい」という父の言葉が分からない、と語られたりして、積極的には差別に荷担したことがなかったかのような叙述が続いたなかにあって、語り手もまた植民地における差別的振る舞いとは無縁ではなかったことがわかる場面だ。著者は「少年がまだ差別意識に汚染されていない」と言うけれども、これは語り手を無垢に見ようとしすぎている。小学生ころの少年が差別意識と無縁なわけがあるだろうか。植民地の差別構造をまだ内面化していない子供、という書き方をしているところもあるけれども、子供こそ無邪気にその、周囲の環境にある差別構造を体現してしまうものではないか。

著者は「内破する植民地主義」で触れたこの場面について、「植民地的身体の戦後の日々」のほうで、きちんと加害体験に気づく過程だと指摘している(176P)けれども、これがノーソクのくだりと同じ場面についての指摘だとはわかりづらい。笑いものにした加害の場面だということはきちんと指摘してはいるけれど、この場面についての著者の言及の仕方は私には少しばかり違和感がある。

それと、著者は『夢かたり』について、後藤の個人的な体験が時空間の領域を広げて「国家」や「世界」の体験となり、結果として「歴史」となることを目指している、と書いている(136頁)けれど、これは明確に違う、と思う。むしろ後藤としてはこれは歴史あるいは政治とは違う、あくまでも個人的な体験として局限して語っている。ここらへんは私の後藤論の第二部のテーマになるので、ここでは書かないけれども。

もう一点細かいところだけれど指摘したいのは、159Pの注11において、川村二郎が後藤を批判したという記述だ。「植民地に対して日本人がどういうことをしたか」を「問題的に書こうということは、一切しない」と川村が批判し、坂上弘が擁護したと著者は書いているけれども、川村は先の一文に続けて「だから、しないことによって、個々のイメージ、あるいは風景というのは、とても鮮明に出てきています」として、「その鮮明さが僕には好ましい」とむしろ好意的に評している。川村はこのアンビバレントな事態について、それでいいのか、とはいうけれども、川村と坂上は順接して話している(「文藝」76年6月号)。川村のこの発言は私も好意的なものとして引用したのですぐわかったけれど、これはややアンフェアな引用ではないか。

本書に収められたのは『夢かたり』論だけれども、当然後藤の引揚げ体験としては『挾み撃ち」やその他の諸作も重要で、特に『挾み撃ち』での土着からの疎外体験は「定住者中心主義」を批判する著者にしてみれば重要な論点になるはずだ。また後藤はずっとマンションアパート住まいの、根っからの非定住者だったことなど、著者によって書かれるべき本論はまだまだあると思われる。

私は私で初期からの後藤を引揚げの視点から通時的に検討した拙稿でカバーしたつもりなので、挾み撃ち以後を論じる第二部をそのうち発表できればな、と。そこで同郷の友人や母の存在について引揚げ三部作を通して扱ったので。

全体についていえば、『明暗』の小林がそうだったように、貧困故に移動していった人々の存在を指摘し、植民地という場所は内地の増えすぎた人口を放出するための帝国日本の棄民の場所だったと論じ、その記憶が見落とされていたことは、最初の棄民に続く〈記憶の棄民〉になっていたとする指摘は重要だろう。この二重の忘却は後藤明生の論じられかたを見るにつけ、正しいと思う。後藤の引揚げ体験は論及においてほとんど中心に捉えられることがなかった。

この忘却の問題として、本書で扱われた小林勝や湯浅克衛は、短篇がアンソロジーで読めるくらいで、著書が現行きわめて入手困難なのは一例だろうか。

渡邊一民や磯貝治良などによる、日本文学のなかの朝鮮を探る試みなどはあったけれども、それとはまた違い、植民地から本国へ移動した引揚者による引揚げ文学という視点はまだこれからだろう。その意味で小著ながらも重要な一冊。

また、著者は「日本學報」2012年11月号に、「「引揚げ」と戦後日本の定住者主義」という論文を発表している。文学論ではないので本書未収だけれど、今めくってみたところ、本書のなかで見た文章が散見されるので関連のある部分を引っ張ってちりばめてあるようだ。

なお一点、「植民地的身体の戦後の日々」の註16、「植田康夫の書評クリニック」の出典は、「諸君」1979年3月ではなく、79年7月。

そういえば本書でも引かれる成田龍一の論考は「引揚げ」と「抑留」を論じたものだけれど、抑留文学、というカテゴリはあるのか。抑留者の文学、というと石原吉郎が浮かぶけれど(拙稿と同じ季刊「未来」に現在郷原宏の石原論が連載されている)、石原は帰還したとき、両親を亡くしていたため親族の元にむかったら、まず「赤」でないことをはっきりさせ、「赤」ならばつきあえないこと、精神的な親にはなれても、物質的な親にはなれないこと、祖先供養をしなければならないことを最初に言われたという話があり、引揚者のそれにくわえ政治的な排除も受けていた。石原論のように、個々の作家の抑留体験を見るものはあるとして、抑留者の文学を横断的に見たような研究はありそうだけれど。
シベリア抑留者たちの戦後 - 株式会社 人文書院
これはちょっと違うか。

渡邊利道/J・G・バラード『ハイ・ライズ』(村上博基 訳)解説(全文)[2016年7月]|Science Fiction|Webミステリーズ!
また、この植民地上海出身のJ・G・バラードの解説で渡邊利道が書いている、朝鮮出身の後藤と満洲出身の安部公房、そしてヌーヴォーロマンの作家が植民地出身だったりすることを指して、「みな戦争や植民地での体験によって古典的な人間性に強い懐疑を抱き、十九世紀風のオーソドックスな小説技法に積極的に揺さぶりをかけ続けた作家たち」だとする指摘は興味深い。

しかし、本書を読んでも、著者がなぜ慰安婦問題で大きな事件を抱え込んだのか、ややわかりづらいところがある。右派的な植民地主義の肯定者ではないし、ジェンダー問題についても踏み込んで論じており、問題意識もある。ただ、この記事を書きながらぽつぽつ読み返してみるとき、日本人と朝鮮人のあいだの境界がくずれ、言葉が混交し、またお互いに助け合った人たち、あるいは日朝の子供同士のほほえましい場面、といった支配関係を越え出る瞬間に着目する方向性は、行きすぎれば注意を要する議論ではある。当該書籍は読んでいないので触れるべきではないかも知れない。とりあえずのメモとして。