無知を武器にバンザイアタックする人たち

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以下の記事にコメントしようとしたらえらく長くなってきたので、独立した記事に変更。
「知らないことに関しては調べてから言いましょう」がなぜか「だまってろ」に変換される問題 - ARTIFACT@ハテナ系
とりあえず、二つ目の例について言うと、手元にある情報、根拠からはどれだけのことが言えるのか、ということをまったく考えないで発言するという問題だと思います。無知ならば、断定的に言えることはきわめて些少のはずなのに、勘違い君と相手の主張を相殺できるものをみつけられるまでなら調べる人が典型的ですが、根拠がわずかなのに何事かを強い調子で断定してしまう(しばしばかなり間違っている)。

当然詳しい人からは厳しく批判されたり、バカにされたりするわけです。調べろ、と。そういうことを言われる、ということは、その主張をするには根拠が足りなさ過ぎる、あるいは少し調べればそれが間違っていることはわかるぞ、という意味なんですが、調べる気は全くないと言いたいのか、なぜかそこで「黙ってろ」と言われたことにされてしまう。自分の主観的感想やただの疑問を提示するだけではなく、専門的議論に無知を武器にバンザイアタックしておいて、よくもまあ被害者面ができるものだと感心してしまいます。

基本的にこの手のことを言う人たちは、虚心に学ぶ気はなくて(自分の間違いをそうそう認めないばかりかメタゲームを展開し出す)、単に優越感をゲットしたいとか、議論で勝ちたい(買ったと周りに思わせたい)だけなので困ります。議論をする意味がない人たちなので。


皆最初は素人で、調べ方も、調べた情報をどうすればいいのかも分からないものなのは当然だと思います。ですが、一部の人はなぜかそこから一足飛びで自分の知らない分野について断定をかましたりする。何事かを否定したり、断定したりするためには相当程度の説得力ある根拠が必要になるわけで、対象が専門的議論(多量の蓄積が存在する)であったりする場合、素人(肩書きの有無ではなくどれだけその蓄積を把握しているか)がそれを覆すのは非常に困難です。なぜなら、それは何が根拠となり、どういう論理でその理屈が成立しているかを把握できていないということだからです。

素人のくせに専門的議論に断定的な調子で首を突っ込めば、そりゃもちろん退場勧告されても仕方がない。素人を自認し、それでも考えるところあって何かを主張したいなら、当然きわめて慎重で謙虚な姿勢が必要になるはずです。わからないところはわからないと言い、質問したり、疑問を述べてみたりして、応答にきちんと答え相手の言うことをちゃんと聞く気を見せれば(当初の自分の思い込みをきちんと訂正できる)、そうそう黙っていろなんて言われることはないはずです。むしろ歓迎すらされるでしょう。

非常に単純な話なんですが、どれだけの情報、知識、根拠があるかによって、主張できる範囲は限定されます。それだけのことだと思うのです。何も知らないなら、感想以上のことは言えないし、少し知ってるなら、「これこれのことについてこれだけのことは言えるが、それ以上はよくわからない」となりますし、かなり知っているなら、「多数の根拠によってこれが他のものに比べて説得力ある説だろうと思う」とかになるし、最終的には「多数の者による検証、議論、蓄積に鑑み、この説は定説」になるわけです。こんなことは改めて言うまでもない論理的にごくあたりまえの話のはずなのに。


蓄積を持つ定説を覆すのはもちろんかなりむずかしい。覆せたときにはその人はいわば専門家と呼ばれる人になっているでしょう。


「よく知らない問題について鋭い指摘ができるほど自分は頭が良いと思いこんでいる困った人」問題とも言えます。というか、専門家も間違うことがある、ということと、「あなた」が正しいということとは無関係です。

ザ・ニセ科学

そういう人には相ま系(相対性理論は間違っている系)タグがオススメ!