飛浩隆 - 象られた力

象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)

象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)

ハヤカワSFシリーズJコレクションのなかでも、飛浩隆の「グラン・ヴァカンス」はとりわけ印象深い作品で、その時の感想を以下のように書いた。
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ここで私はJ・G・バラードを引き合いに出しつつ、「グラン・ヴァカンス」は「逆回しにした「結晶世界」」ではないか、と評した。「ヴァーミリオンサンズ」的なバラード作品の風景と似たものを感じたから出てきた感想なのだけれど、当のご本人はなんとほとんどバラードを読んでいないと書いていて、何という私の的外れブリ、と恥じ入る次第。
2009-03-29 - 題材不新鮮 SF作家 飛浩隆のweb録
そんなわけで、五年も積んでいた「象られた力」をやっとこさ読了した。廃園の天使の第二長篇もまだ出ていないので、この読書ペースでも問題はなかった。

しかしまあ、この人はなんとサディスティックな小説家だろうか。

またここでバラードを引き合いに出して言うと、確かに用いる素材に共通するものはあると思うのだけれど、その料理の仕方が真逆に近いとは言える。バラードの作品には、時間への偏執があるのはよく言われるけれど、それは「結晶世界」や「ヴァーミリオンサンズ」のように無時間的なものの希求、「沈んだ世界」「奇跡の大河」等の熱帯、繁茂する植物等、原始的なものへの遡行という側面がある。

たいして飛浩隆の作品世界においては、美しいもの、調和したもの、というのは破壊されるためにこそ緻密に彫琢され、そしてグロテスクに破滅する。「グラン・ヴァカンス」での時間が止まったかのような空間に訪れる惨たらしい破壊、「デュオ」での天才的な双子ピアニストとその顛末、「夜と泥の」での現れるたびに蚕食される少女、「象られた力」は言うに及ばず、この破滅の愉楽が諸作に充満する独特の生々しさを生み出している。グロテスクで、えぐくて、しかしそれだからこそ同時に美しい、というある種のホラー漫画にも見受けられる美意識が感じられる(高橋葉介が何故か思い浮かぶ)。

解説でも「逆転の構図」と評されている飛作品のこのダイナミックな特質は、あえていえばスタティックなバラードとはある面で似てはいてもある面では逆方向を向いている。

しかし、飛作品は読んでいてあまりSF、という印象がない。上掲文にもSFの殻を被った幻想小説だ、と書いているけれど、この印象は不思議とぶれない。いわゆるSFとは違ったことをやっている感があるけれど、うまく言葉にならない。

「象られた力」なんかは現実ともう一つ別の次元を措定して書いている(静的なものの「かたち」に轟然たる「ちから」が息づいているという視点。)ところがあって、そこが通常リアリズムに基づくSFと別の印象を与えているのかなとも思う。「グラン・ヴァカンス」は人間の居ないヴァーチャル空間での事件だったし。今ある現実の相対化というのはSFの一つの機能だと思うけれど、飛作品は通常のSFとは異なるやり方でそれを行っている感触。非常に独特。幻想小説というにはSFすぎるし、SFというには妙。


今ある著書としては廃園の天使シリーズの短篇集「ラギッド・ガール」があるけれど、初期作品等の短篇は本にならないのだろうか。そして小出しにされている「空の園丁」はいったいいつになるのか。二年ごとに著書が出ている計算になるので、そろそろ出ても良い頃合い。