『傭兵剣士』『あがない』『息吹』『年刊日本SF傑作選』その他最近読んだ諸々

最近というか半年前からのでブログにまとめてなかったものなど。

ジェームズ・ウィルソン、岡和田晃『傭兵剣士』

傭兵剣士 (T&Tアドベンチャー・シリーズ7)

傭兵剣士 (T&Tアドベンチャー・シリーズ7)

『トンネルズ&トロールズ』というRPGのソロアドベンチャー集、だと思う。ゲームブックというかRPGを一人で遊ぶためのものかな。ここらは全然知らないので最初ルールの複雑さに面食らったんだけど、キャラは付属の作成済みを使い、いろいろ省いてシナリオだけ読んだ感じに近い。表題作はシックスパックという岩悪魔がほんとうに食えないやつで油断すると殺されるのが笑った。この食えないパートナーと地下迷宮を攻略するんだけど、分岐や元いた場所に戻ったりを繰り返しているうちに、わけもわからずクリアできた、という感じで、これはこれでゲームブックらしい迷宮感覚を味わった。表題作とキャラを共有する岡和田さん作の「無敵の万太郎とシックス・パックの珍道中」三部作は、タイトル通りのデコボココンビで、シックスパックに酒を与え続けないといけないシステムになってたり、顔に時計がついてるキャラどっかで見たぞ感とか、「旧き神々」って一文があったり遊びが多い。付属の漫画はこのリプレイで、超速で進むのが面白かったけど、シックスパックが酒を飲む擬音が「しょごすしょごす」でオイやっぱりクトゥルーじゃねえか。

本書は岡和田さんから頂いたんだけど始め方を見てみたらあまりの手順の面倒さに尻込みしてて、今回も最初戦闘も手順通りにやってみたら一戦闘にすんごい手間が掛かってこれは果てしないぞ、と失礼とは思いながら戦闘を省いて冒険点計算も省いて、いろいろ省いてようやく進めた。ウェブのダイスロール使って、紙に戦闘のターンごとの数値を書き込みながらやるの、人力プログラム感がすごかった。きっちりこのゲームを進めていく人たちはすごい。ダイスや計算を手ずからやることで紙から世界や物語が立ち上がってくる手応えがあるんだとは思うけど。『ブラマタリの供物』は、親切なゲームブックだったんだな。

倉数茂『あがない』

あがない

あがない

  • 作者:茂, 倉数
  • 発売日: 2020/06/26
  • メディア: 単行本
表題作は解体業者で働く中年の男性を主人公としながら、薬物依存に陥った過去を持つ人の語りを随所に差し挾み、過去を贖うように真面目に働き独居老人の世話をしたりもする主人公の現在をさまざまな水のイメージとともに描き出しつつ、ある決断を描く中篇小説。解体業者で働く茅萱祐はある日現場で寝ていた男を発見し、警察と救急を呼ぶ。謎めいたその男は後日、なぜかとつぜん祐の会社の社員として働き始めた。祐は過去に薬物依存の果てに刑務所に入っていた過去を持ち、人と距離を取りながら生きている。随所に挿入される薬物依存に陥った過去を語る人々の話は、さまざまな事情で厳しい状況にある人が、そこから抜け出そうとしたり真面目に生きようとするあまり薬に手を出してしまった場合が多い。鬱病とも似た、生真面目さと気の弱さゆえにハマる罠だ。祐が解体業を丹念に務めることによって過去の罪を少しずつ少しずつ償うかのような描写とともに、作品には水のイメージが印象的なかたちで現われる。一日一日、頭のなかのガラスのコップに一滴一滴冷たい水をためていけば、コップから盛り上がることはあってもこぼれない、という想念。一日を過ごしながらどこかで表面張力が破れてしまう怖れが感じられるイメージは次の行で「いつになく連想が地の底を這う暗い水に移った。地下の水脈は決して途切れない。涸れず、已まず、いつでも人の目の届かないところを繋ぎ、流れ続けている」(18P)、と続き、ここに本作の主調が現われている。地の底を這う暗い水が、つねに真面目に生きようとする人間を罠に掛けようとしている。どこからともなくどこにでも現われる人生の落とし穴。祐は注意深くそれから距離を取ろうとしていても、薬物のような魅力的な人間として現われた罠に、周りの人間が一人一人と落ちていく。血が滴る死体袋のそのさらに下に閉じ込めたはずの橋本から手紙が届き、そして成島は橋本のもののはずの豚の記憶を語って、その「暗い水」としての「繋がり」を示し、「涸れ」ない水の流れが姿を現わそうとした時、祐は自分の罪過と向き合い、悪との戦い、真にあがないとしての剣を懐に忍ばせる。本作には本質的には幻想小説なものがリアリスティックな表面を借りて描かれているような感触がある。水のイメージが緊張感と不穏さをまとって現われているけれど、そういえば「文学+」に発表されていた荷風論も水のイメージについて論じられた文章だった。そして併載短篇が「不実な水」。水尽くしといっていい。窓ガラスを流れていく水滴の流れが、水滴宇宙と広がっていく子供の語りは印象的で、「暗い水」に対する生命の由来としてのそれのようにも感じられ、火にくべられるヒトガタと水の不定形さは対比的なイメージにも見える。「ふるふる」の擬音に「銀の滴」のアイヌ神謡の残響があるような、ないような。カバーをとった本体は淡い水色で、本書に底流している水のイメージがここにもある。本書は倉数茂さんに恵贈頂きました。ありがとうございます。

筒井康隆富豪刑事

富豪刑事 (新潮文庫)

富豪刑事 (新潮文庫)

本書を原作にしたアニメがやると聞いてずっと前に買っていたこれを読んでみたら、思ってたよりも富豪の刑事がまともな人間で意外だった。もちろん金でとんでもないことをするって面もあるけどむしろ膨らんだ資産を有用なことに使う、というのが動機にもなっている。推理小説としての側面とそれをぶっとばす富豪というアイデア、語りのカジュアルな実験などいろいろ面白い小説だ。で、いまアニメがやってるんだけど、主人公の設定も鈴江の設定も全然違ってて、話も原作とは関係なくて、それはそれでいいんだけど大助がいかにも金持ちのステレオタイプっぽくなってて逆に古くさい。タイトルとキャラ名と富豪という設定以外はいまのところ似てない。似てないのは良いんだけど面白くないのが一番の問題。一話に筒井自身が声優として出演していた。

草上仁『七分間SF』

7分間SF (ハヤカワ文庫JA)

7分間SF (ハヤカワ文庫JA)

前作より長めの30ページ弱の短篇11篇を収めた一冊で、古典的なアイデアストーリー風のSFが揃っており、スタイルとしては古くてもなかなか楽しめてしまう安定感がある。ドタバタを上手く収める「スリープ・モード」と、「パラム氏の多忙な日常」がよかった。とはいえ、一篇七分で読める、とかいうタイトルは全然そんな時間では読めないけど?煽ってんの?と思うし、各篇のアオリは要らないなと思う。作者は飛浩隆と一年違いの同世代で、SFマガジンに作品を発表してデビューしたのも同じ1982年だという。

北野勇作『100文字SF』

100文字SF (ハヤカワ文庫 JA キ 6-9)

100文字SF (ハヤカワ文庫 JA キ 6-9)

「限られた字数で語られる物語はどこか懐かしのSFらしさとともに認識、記憶、自己同一性、人類を問う現代SFでもありながら、フフッと笑わされてしまうユーモアと意外性に満ちている。」これで100字ちょうどのはず。帯で飛浩隆とかテッド・チャンの名前を出してるけど、ところどころ読み味が円城塔っぽくなる部分があるな、と思う。

島尾敏雄『硝子障子のシルエット』

葉篇小説集と副題がある通り概ね五ページほどの短い作品が並んでおり、夢を描いたような不穏なものから神戸から東京小岩に越してからの生活を描いた私小説的なものまでが収められる。私小説的なものは特に、ある日家に居座った猫との生活を描いたものが良かった。夢を描いたものは文章もなにか独特で危うい感じが良い。奇妙なロジックがどうしようもなく真実になる夢の感覚。表題作は自分の家を外から見た時に硝子障子に自分のコートのシルエットが映る、という作なんだけど、安部公房の「赤い繭」みたいな感触がある。

伊藤邦武、山内志朗中島隆博納富信留編『世界哲学史4』

世界哲学史4 (ちくま新書)

世界哲学史4 (ちくま新書)

  • 発売日: 2020/04/07
  • メディア: 新書
ちくま新書哲学史シリーズの四巻。とにかくトマス・アクィナスが重要な存在で、半数以上の章で言及されたり、唯名論実在論とかアラビア、イスラームの影響とかいろいろあるけど、特に面白かったのは本間裕之の三章でのオッカムによる「存在」と「本質」についての議論だった。存在と本質は、「同じものを表示しているが、一方は名詞的なしかたで、他方は動詞的なしかたで表示しているのである」とオッカムはいい、この二つが置き換えられないのは「表示対象が異なるからではなく、ただそれらの語が有している文法的機能が異なっているからである」(76-77P)と著者はいう。

垣内景子の朱子学を論じた八章も結句が面白い。「今日なおこうした問いかけを続けることは、朱子学の洗礼を受け、その素地のもとに西洋近代の諸学問を受け入れざるを得なかった東洋の我々が、現代において朱子学を過去の遺物として完全に葬り去るために不可欠な作業と言えよう」(203P)。これだって学問を現代に学ぶ意義云々の紋切り型と同じことを言っているとは言えるんだけど、これから学ぼうとする学問を「過去の遺物として完全に葬り去る」ことを正面から目的に据える思い切りの良さは中二心をくすぐるかっこよさがある。そんなことしか感想がないのか。今んとこ七巻まで読んだ。

テッド・チャン『息吹』

息吹

息吹

日本では17年ぶりの著者二つ目の作品集で、あえていうまでもなく面白い。特に異世界で科学が世界の不穏な真実を解き明かす大ネタのものや、SF的アイデアがきわめて日常的になった世界での人間性を描き出すものが印象的で、いずれも人間、知性とは何かを問う。表題作は気圧宇宙?ともいうべきこことは別の宇宙で機械じかけの知性体が自己自身の解剖を通して世界の終わりを見いだし、「オムファロス」は「若い地球」説という創造説が正しい説となっている世界での信仰を突き崩す研究結果が、といずれも知性が見出した真実を受容する知性の物語となっている。

真実の受容ということでは「偽りのない事実、偽りのない気持ち」もそう。カメラですべての経験が記録され自由に呼び出し可能になる技術と、文字のない民族における文字による記録の意味とを絡め、人類史におけるテクノロジーと人間の関係にまで視野を広げて問いつつ、記憶と記録の齟齬をめぐって人生を変えた出来事についての真実を知る物語で、語り手は「わたしは、デジタル記憶のほんとうの利点を見つけたと思う。核心は、自分が正しかったと証明することではない。核心は、自分がまちがっていたと認めることにある。」264Pと考えるに至る。

こうしたSFアイデアの日常への落とし込みでは、「オムファロス」での、創造説が事実だということが原始の貝殻の成長輪が途中までしかないそのなめらかな手触りで伝わるところが印象的で、「不安は自由のめまい」での多世界との通信が日常的な犯罪に用いられるようになるまで日常化した状況も面白い。「不安は自由のめまい」での、こことは別の決断をした世界が見えるとき、人は選択、決断の不安に取り憑かれるという観点は、「偽りのない事実~」でカメラからしか自分の過去を見なくなった時「自分という概念はどう変化するだろう」というのと同じことが問われており、そう選択する自己とは何か、という問いが露呈し、技術が人間の形を新たに描き直す様子が描かれる。

チャン作品でもっとも長い、中篇「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」は、VR世界での人工知能の育成を通じて、動物とAIの相似と相違、ひいてはAIを育てることが同時に人間とは何かに突き当たるような一作となっている。それは子育てというものもまた無数の選択肢からさまざまなものを選んでいく過程でもあるからで、選ぶことが育てられるほうにも育てるほうにも作用してそれぞれを形作っているという経験でいえば、「不安は自由のめまい」「偽りのない事実~」あるいは「商人と錬金術師の門」にも底流するモチーフだ。「ソフトウェア~」で大きな問題になるのがAIにおける「性」で、今作での結末はともかく、親はいつだって子供がセックスすることは考えたがらない、という意見に対して、親は子供の成長は止められないけどAIは止められるし、AIに性的な側面は必要ない、と反論する場面がある。この意見もまた反駁されるけれど、作中のAIは「ファック」という言葉を覚えたことで数日巻き戻されたこともあり、この箇所では動物、子供、AIとが類比的に考えられていて、AIの自己決定権の問題とともに、読者のあなたはどうするかと問われている気分になるところだ。アイデアが日常レベルに丁寧に落とし込まれることで、自分ならどうだろうかというのが問われているような感覚になる。それが作品の普遍性でもあるけれど同時に人生論というか教訓的な匂いも強いとは言える。いずれにしても非常に高レベルなSF短篇集だということは間違いない。

酉島伝法『オクトローグ』

オクトローグ 酉島伝法作品集成

オクトローグ 酉島伝法作品集成

著者の独立した短篇を集めたものとしては初めての一冊という三つ目の著作。八つの語り、ともとれるタイトルのもとに八篇が収録されており、多くの作品に寄生のモチーフがあるのは、造語による異質な文章が読者の現実認識を侵食していく、語りそのものが寄生を遂行していくからだろう。二篇ほど既読だったけど、著者の資質がわかりやすいのは解説でも言われているとおり「金星の蟲」。刷版会社に勤める社員が金星サナダムシに寄生され、徐々に現実が変容していく過程を描いていて、最初は普通の小説なのが次第に酉島世界に変わっていくまさに「寄生」を描いた一篇。とりわけ楽しく読めたのはラストの書き下ろし「クリプトプラズム」。ある星に現われた謎の物体オーロラから見つかった遺伝子の謎を探りながら、人間の意識のコピー、遠隔操作の義体、AR技術などが縦横に活用された未来社会の描写がなされ、そうしたコピーのモチーフが絡まっていく。異形の世界を異形の造語で語る文章はなかなか取っつきづらく、わかりやすいとも言いがたいけれど、まさに独特の世界が描かれていて圧巻ではある。

しかし、面白いしすごいとも思うけれど、ある瞬間、自分が本作をがんばって読んでることに気がついて驚いてしまった。なんというか、満腹なのに残してはいけないと口に詰め込むように。前著でも感じていたのはこれだったみたいで、どうも、相性が、悪いらしい。自分でも理由ががわかってないんだけど、なんというか、読んでて楽しくない。面白いとは思っている。造語で置き換えられたものをいちいち頭で変換するのが面倒というのが一因とも思うけど、それだけではないか。嫌いじゃないんだけど、好きでもないみたい。とはいえ、群像などに発表された短篇がまだ結構あって、そっちも気になるな。

大森望日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ』

2015年の短篇SFアンソロジー、第九弾。もう五年前だぞ。飛、伴名、酉島、上田、石川と五作品が既読だったのでそれ以外を読む。しかしそうすると本書のコア部分が抜けてしまうな。藤井宮内の20をテーマにしたものは軽妙で良かったし、高野作は弾けまくってて笑ってしまった。『屍者の帝国シェアードワールド小説と言うことでこれもまたパスティーシュ小説になっていて、ドストエフスキー『白痴』とアルジャーノンとマトリックスとなんかその他SF小説SF映画いろいろごちゃ混ぜで、まあSF詳しくなくてもいくつかネタに気づくだろうという多さ。速水作もいいけど、後書きで言及してる森見の別作が本書収録なのも面白い。伴名作もオマージュ先のユエミチタカが同居してたり。他も概ね楽しく読んだけど、本書最長の梶尾作が知らないシリーズの外伝的な一作なうえにちょっと緩い印象でやや微妙だった。

ヘミングウェイ老人と海

老人と海(新潮文庫)

老人と海(新潮文庫)

初めて読んだ。老漁師の海との戦い、孤独なプロフェッショナリズムでいえばテグジュペリ『夜間飛行』を思い出すな。シンプルで芯の太い一作。しかし、解説ではメルヴィルに言及がない。寓話的な読み方をされたというのは『白鯨』があるからじゃないのかな。どうなんだろ。何も知らん。

大森望日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 行き先は特異点

2016年発表作のアンソロジー。高山、上田、酉島が既読。ここを抜いても結構良かった。掌篇中篇漫画のバランスが良い。表題作の藤井の至近未来ものも円城の法螺話も宮内の煙草ものも谷の地味なやつも安定して良いし、倉田の中篇も新人賞久永も良かった。官能アンソロジーからの小林「玩具」はオチがそれかよとはなるけど死姦百合がぶちこまれててビビる。写真キャプションとして書かれた飛「洋服」は短くていいけど、秋永「古本屋の少女」はツンデレ警官も含めて小品ながら雰囲気が良かった。倉田タカシ「二本の足で」、AIスパムメールが歩いて家にやってくる奇怪な設定ながら、移民社会となった日本での民族マイノリティの境遇と、体をいじられてスパムとして行動させられているらしい嘘の思い出を語り続ける友達を名乗る女性が現われる中篇で、嘘、虚偽、表層、かなり印象的な一作。創元SF短編賞受賞作の久永実木彦「七十四秒の旋律と孤独」、ワープ航法中の防衛用AIという孤独な存在の語りによる一作で、30ページほどの尺に過不足なく詰め込んで鮮やかに突き抜ける爽やかな読み心地でなるほど上手い。漫画とかもそうだけど、同編者のアンソロからは拾わないとかの基準や尺や収録許可の問題もあって、ファンでも読み逃してしまうような幅広い発表元から拾い集めてくるバラエティ感が特色で、傑作選と言うよりレアもの採録やショーケース的な楽しさがあるのは美点でも欠点でもあるな。

米澤穂信『巴里マカロンの謎』

11年ぶりの新刊……。私も小市民シリーズ読むのは八年ぶりだった。そうそう、小山内さんのキャラが良いシリーズだったなこれは、というのを思い出したし、ラスト小山内さんがたいへん良い目を見たのでとっても良かったねという気分になれます。あげぱんの話が本篇最長の90ページ近い長さがあるんだけれど、ロシアンルーレット的に紛れ込んだ一つの辛いあげぱんを誰が食べたのかを延々状況を整理しながら探っていくという事件としては一番どうでもいいようなものなのが日常の謎ジャンルらしいというか、推理のプロセスがバカバカしさと表裏一体のような感じで笑った。オチも。チーズケーキ篇は体育会系のアレな描き方がちょっとなと思うところはあるけど、現実もだいたいそうみたいなニュースを見るとなんも言えねえな。ところで、冬季限定は、出るんですか?

二月公『声優ラジオのウラオモテ2』

声優ラジオを題材にした百合ラノベ第二巻。二人のやりとりとかの安定感は良いんだけど、前巻の事件の後始末篇で、いろいろ違和感が強かった。それまでやってたアイドル的キャラを、「嘘」とか「騙す」と語られるところもその一つで、声優が演じることを「嘘」だと言ってしまったらおしまいじゃないか、と思った。演じるというかキャラというか、以前までのオモテを否定してウラをオモテにしたことで切り捨てられてしまったそれまでのファンに対するけじめをつけるというのは順当とも思うけど、多かれ少なかれ人前に立つことは外行きの顔を作ることでもあるわけで、作中のロジックに釈然としない。

しかし本作ではキャラを作るという「嘘」をついたファンへの罪を償う禊ぎロードを歩むことになる。外的状況もあってそれまでのキャラを反故にしたのは問題だけど、声優のファンってアイドルキャラのファンなの?声や演技じゃないの?という疑問が拭えない。その人のキャラ含めてファンになるのは当然あるけど、キャラの比重が重すぎる。事件の影響もあって仕事が少なくなっているのもあるけど、ラジオを主題にしたことで声優のキャラクターが芝居以上に重要に扱われている。作中でも化粧が出てきて大きく印象を変えるけど、化粧をすることは嘘をつくことなんだろうか? 演じることは嘘をつくことなんだろうか? ウラとオモテを真実と嘘という構図に回収しているようにも感じる。この違和感、「アイドル声優」というものをどれだけ好きになったことがあるかどうか、という問題かも知れない。本作がアイドルの話だったらまだ納得できたか、どうか。○○が好きだとか何らかの属性をアピールしててそれが嘘だった、というならまだわかるけど、そうだったかな。

また終盤の本当の問題は厄介ストーカーの話だったのがすり替わってしまっている。何人も接触しようとした人が出てきたら母親の懸念を裏付けるだけでは。あと怪我人が出て警察沙汰になってるのはラジオで笑い話にできる? 危ないイベントを勝手に開催した形になってるけど。解決が解決になってない感じがする。というわけで私にはかなり釈然としない巻だった。最後の解決策もそれ解決になるか?と思ってしまった。運命共同体としての二人の結束を固める試練、ではあるけど。