イスマイル・カダレ - 死者の軍隊の将軍

死者の軍隊の将軍 (東欧の想像力)

死者の軍隊の将軍 (東欧の想像力)

というわけで、カダレのデビュー作。松籟社の「東欧の想像力」叢書第五巻。

戦後二十年ほど経ったある国の将軍が、戦死した兵士の遺骨回収を命じられて、アルバニアの地を踏むところから話は始まる。将軍、それとアルバニア語を解する司祭の二人を中心人物として物語は進む。将軍は戦時中にアルバニアを占領していたイタリアの軍人であろうことは歴史的経緯からも確実なのだけれど、作中では一度も明示されない。作中では一貫して、将軍、司祭、技師、中将、兵隊さんといった呼ばれ方をしている。固有名で呼ばれるのはアルバニア人あるいは一部の女性ばかりだ。

この作品が書かれたのは1963年。作中での時間とほぼ差はないだろう。二十年前という時間は、戦ったことを忘れるには短すぎ、死んだ兵士を掘り起こす作業は、アルバニア人の微妙な敵意を呼び起こす。ひどく暗い、徒労感にあふれた作品で、物語には断絶が刻み込まれている。

戦後の二十年という時間が遺骨の発掘を難しくし、敵国同士の遺恨は消えず、生者の将軍が率いるのは青いナイロン袋に入った死者の軍隊で、言葉の壁もあり、さらには同行する司祭との仲も離れていく。この圧倒的な溝の深さには唸るほかない。死者を掘り起こし、死者の記録、村人たちの記憶に触れ、同行する男の死に見舞われ、延々と死に近づいていき、将軍はさらに自分の身長が遺骨を持ち帰らねばならぬ大佐と同じ一メートル八十九センチであることに気がつく下りは怖気を震う。かといって彼は死者ではなく、孤独のなかに突き放される。

面白いのはこの断絶を書くに当たって、カダレはイタリア人将軍の目からアルバニアを描いた、というところだ。アルバニア人が異国に赴くというのでもなく、アルバニア人であるカダレが、イタリア人の目からアルバニアを描く、と言うひねりを加えた方法がとられている。そして描かれるアルバニアがまたなんともいえず野蛮さや後進性を強調したものになっている。

司祭は言う。

アルバニア人というのは、粗暴で後進的な民族ですよ。彼らは生まれたばかりの頃から、揺りかごに銃を置いてもらっていて、だからこそ銃は彼らの生活に欠くことのできない部分になっているのです。
―中略―
アルバニア人はいつだって、殺し、殺されたいと望んでいるんですよ。彼らは殺し合いますが、戦う相手が誰であるかはどうでもいいのです。彼らの血の復讐について、お聞きになったことは?
36頁

司祭はこうしたアルバニア人を蔑んだような持論を繰り返し展開する人物で、かなり執拗だ。かと思えば、アルバニア人技師が「復讐でアルバニア人の心理が説明できると思う外国人は時々いますがね、失礼ながらそんなものは、ただのたわごとですよ」と釘を刺す。

司祭に対して将軍はもうすこしアルバニアに親しもうとしている。ただそれもやはり断絶に押し返されることになる。

自虐的なようでいて強烈な皮肉のようであり、アルバニアの前近代性を批判しているように見えて、逆のようでもある。かなりアンビヴァレントなものが見え隠れする書き方で、国外留学組の知識人が自国を批判するというような単純な構図ではないだろう。ここら辺は後の「砕かれた四月」「誰がドルンチナを連れ戻したか?」あたりにも感じる。これらの作品では「アルバニア」とは何か、という問いがつねに大きな背景として存在している。自国を肯定的に見る目と批判的に見る目とがねじれて繋がっているような印象だ。もう一冊の訳書、「草原の神々の黄昏」も、国外留学の時の話に関わる自伝的作品らしく、「アルバニア」というのが各作品を貫く大きなテーマとしてあるように思う。

トーンは常に暗いのだけれど、そのなかでも印象に残るエピソードが二つ。街に娼館ができ、そこに軍人が出入りするようになって、というものと、脱走兵が脱走先の農家に雇われて、そこの娘に恋をする話。どちらもやはり暗い結末なのだけれど、巻末の解説を読むと、娼館の話の舞台になっているジロカスタルという街はカダレの故郷で、これはたぶん実際の話なのだろう、と訳者が書いている。

印象としては「砕かれた四月」に近い。死が大きなモチーフとして迫ってくるところもそうだけれど、鬱屈というか、断絶というか、そうしたことがらの重さが圧倒的なところが特に。山岳地帯、とか復讐とかのモチーフが作中にさらっと出てくるところは後の「砕かれた四月」を予示しているようで興味深い。


さて、カダレの新しい訳書はこれからも出てくれるだろうか。この叢書なら期待できると思うのだけれど。というか、訳者のサイトで既に訳されているものがあるからそれから読めば、という話か。でも長いのが丸々訳されているのは「怪物」だけで他は短篇と第一部だけ、とかだ。
井浦伊知郎web
「怪物」は三章まで読んだところ、なぜか町はずれにトロイの木馬があって、そのなかにいるオデュッセウスとかいう男たちがクダ巻いているという奇怪な話で面白い。