講談社「日本の歴史」その他

日本の通史ものの概説をいろいろ読んでいたので、まとめて。

網野善彦 - 日本の歴史00 「日本」とは何か

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

第00巻、という例外的な巻を当てて編集委員網野善彦が「日本」について書いた一冊。私はまだ氏の著作というのは「日本の歴史を読みなおす」と対談本くらいしか読んでいないので断定的なことは言えないけれど、巷間網野史学の集大成とも言われるこの本では有名な無縁とか王権論とかについてはさほど触れていないので、基本的には「日本論」の総まとめとはいえても、集大成って感じはしない。

内容は日本単一民族神話批判や、日本均質社会幻想批判、百姓=農民説批判などなど、著者の年来の主張と思われるもので、見慣れた人も多いと思う。幻想、俗説の「日本」批判といえる。

単一民族神話はそもそもアイヌ琉球などがあるので成立しないけれど、ここでは東と西ではずいぶんと民族的な違いがある、という主張を行っている。ヤマト王権朝鮮半島、中国との関係は古代以来のものなので、そういう密接な関係を持つ西国と東国では言語的な違い以外にも差別問題やその他さまざまな文化的差異が見受けられる、という話をしている。

さらに、列島社会の交易を軸に辿ることで、北方、南島との交流をひろいあげ、海を中心とした人々の広がりを見いだす。今ある「日本」、という枠組みをはめてみてしまうと、そうした交易による広がりを見失いがちだ。

交易民に対する注視はまた、百姓=農民説への批判にもつながる。百姓が安易に農民に読み替えられてしまう状況は、日本が農業国であり、人口の90パーセントが農民だという「定説」が背景にある。しかし、網野は史料と実地での調査をもとにして、百姓とカウントされている家がじっさいには農業をしているのではなく、魚の商売をしていた、というのをきっかけに、農業がほとんどできるはずもない場所で多くの人が百姓とカウントされている例などを指摘し、多様な稼業に従事する人たちがまとめて百姓となっていることを突き止める。

人口の90パーセントが農民、というのは考えてみればすごい話で、他国の状況や比較できるデータを知っているわけではないけれど、それで経済が回るのだろうか。中世、近世の時代だってさすがにその割合はないんじゃないかな、と。著者は百姓のうち、40パーセントが非農業民だと主張する。

こうした事例をさまざまに収集しつつ、「日本」という統一体が古来あったかのような現在と過去を逆転してみるような錯覚を徹底して批判し、日本社会の多様性、広がりを論じていく。

偽書つかまされた下りとかがあったり、著者の主張が強すぎるところもあるけれど、やはり興味深い著作。

また、同時期の学術文庫のものと比べて字組がやけに読みづらいところが気になった。文字自体が肉厚で行間が狭いので、無理に縮小したような感がある。ページ数を抑えて価格を安めに設定しようと言うことなのだと思われるけれど、改版版の中公文庫版日本の歴史よりも字組が細かいのはどうしたものか。

村道雄 - 日本の歴史01 縄文の生活誌

縄文の生活誌 日本の歴史01 (講談社学術文庫)

縄文の生活誌 日本の歴史01 (講談社学術文庫)

第一巻はまるまる縄文時代だけで構成された巻で、これは通史全集ものとしては珍しい感じがする。考古学の見地から縄文時代の生活をできるかぎり再現してみる物語パートを含んでいる点が非常に特徴的。

ただ、その物語パートはやはり違和感が残る。テレビ番組などの再現映像を意識したものなのかとも思うけれども、蛇足の観が否めないのと、想像の割合が増えすぎる。

また、専門用語などの説明が欠けているのが目につく。いきなり「エンドスクレイパー」がどうのこうのと、なんの説明もなく叙述されていくとか、どうも全体的に詳細ではあるのだけれど明快ではない印象があり、あまり論述がすっきりしない。物語部分のような一般性を狙った点とそうした叙述のアンバランスさが気になる。

丸々一巻を使うだけあって、いろいろ情報は多いし、縄文時代の食生活の多様性などは面白い。まあ、基本的に考古学の本で、歴史というか政治史が読みたいという期待には沿わない巻。それなりには面白いのだけれど、もうちょっと叙述を工夫して欲しいと思う。

さて、この本は実に数奇な運命を辿った本だと言うことは非常に有名な話だ。原本が刊行してすぐに日本考古学会最大の事件とも言われる旧石器捏造事件がスクープされたことによって、藤村新一氏とかなり近い立場にあった著者が氏の業績に基づいて記していた内容に大幅な訂正を余儀なくされた。そのため回収のちに改訂版が出されるということになった。

改訂前のものは読んでいないのだけれど、目次がすでに違っているので、序盤の記述はかなり変わっていると思われる。そもそも、このシリーズで縄文だけで一巻を当てられているのは藤村氏の発見をきっかけにする考古学の盛り上がりが背景にあったんじゃないかと思うのだけれど、それを考えるとこの巻の不遇ぶりが際立つ。著者の後書きでもかなり参ってる様子がうかがえて身につまされるものがある。解説中で藤村氏に一度も敬称を付けていない。

しかし、藤村氏がゴッドハンドと呼ばれるほどの奇跡をみせたエピソードの数々は今から見ると、明らかに不自然な発掘の仕方のオンパレードで笑ってしまうくらいできすぎている。

寺沢薫 - 日本の歴史02 王権誕生

王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)

王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)

第二巻は弥生時代から古墳時代にかけてを扱う。稲作の伝来に始まり、徐々に列島に国と呼ばれる共同体が生まれはじめ、それが政治的緊張を経て、卑弥呼共立によるヤマト王権が誕生するまでのダイナミックなドラマを描く。

これは当たりの巻だと思う。前巻はさすがに動きがなさ過ぎてやや退屈だったのだけれど、書名通りの「王権誕生」という動きのある歴史を扱うばかりではなく、もの言わぬ考古学的資料から当時、何が起こったのかひとつの物語として描き出すプロセスが鮮やか。

著者は考古学者で基本的には考古学データを使って叙述していくため、前半は詳細なデータの羅列でやや地味なのだけれど、それらの絡まりが動きを見せていく後半になるにしたがってより面白くなっていくのである程度前半は我慢して読むべき。

また、早くても弥生後期、通常七世紀を国家の発生と見る定説に対し、弥生時代の首長制社会での国々を国家として捉えるなど、定説をかなり書き換えていくアグレッシブなところも面白い。

通説の書き換えとしては、奈良県桜井市纒向遺跡ヤマト王権誕生の地として、それを日本的「都市」と主張するところもそうだ。通常、条坊制を敷いた藤原京を最初の都市とするのだけれど、中国の二里頭遺跡などが城郭都市とされているのに対比されるべき日本の都市として纒向遺跡を見るべきだと主張する。

纒向遺跡ヤマト王権の王都だという主張についてはここにも載っている。
纒向遺跡 - Wikipedia
また、前方後円墳の「前方」部分は、王権継承の儀式を民衆にみせる祭祀の場だという説もなかなか面白い。

全編へーと感心しながら読め、先入観やイメージをさくさく書き換えていくのが非常に面白い。考古学から歴史を描き出す手腕がとても面白い。

ちなみに著者は邪馬台国畿内説を支持している。そして三角縁神獣鏡倭国製説を採るというやや少数派の立場のようだ。

なお、講談社のこのシリーズは以下のところで中級者向け、とあるように記述が結構詳細でかつ議論も踏み込んだものがあり、そこまで平易ではない。
http://oshiete1.watch.impress.co.jp/qa3437675.html

岩波ジュニア新書 - 日本の歴史

平易な日本史としてはちょっと意外なところで岩波ジュニア新書での「日本の歴史」シリーズがある。

日本社会の誕生―日本の歴史〈1〉 (岩波ジュニア新書)

日本社会の誕生―日本の歴史〈1〉 (岩波ジュニア新書)

新書九冊で日本史を総覧するわけで、個々の史実の扱いは小さいのだけれど、全体像を眺めるにはちょうどいい。ここから興味のある時代の概説へ進むためのガイドにするのが良いだろうと思う。
面白かったのは以下の平安時代の巻。
平安時代―日本の歴史〈3〉 (岩波ジュニア新書)

平安時代―日本の歴史〈3〉 (岩波ジュニア新書)

普通この時代の後期は武士を中心に扱うはずだけれど、ここではそういう通史的理解の向こうを張って、この時代を理解するには天皇を抜きにしては動きがつかめないとして全編を王権史として記述するというチャレンジをしている。天皇たちの後継者あらそいの生々しい人間らしさが見えてきて非常に面白い巻だった。ある程度その時代の人間が見えてくるのがこの時代からなのか、歴史はここあたりからぐっと面白くなってくる印象。

他にも今谷明の戦国時代の巻は、紛争解決の様子を具体的に解説して当時の様子をうかがわせるところが面白い。逆にほとんど知識がないので期待していた江戸時代の巻はいかにも羅列に終わっていてわりと退屈だった。明治維新岩倉使節団の米欧回覧実記の校注を行った著者らしく、そこの記述が興味深い。最後の巻はなんとSPEEDの歌詞で終わるというあたりちょっと時代を感じさせる。

なお、この第一巻には藤村説も併記してこれからの研究を見守りたいというような記述があったらしいのだけれど、私の持っている2008年第9刷ではそんな記述は綺麗に消えていた。

土田直鎮 - 王朝の貴族

日本の歴史〈5〉王朝の貴族 (中公文庫)

日本の歴史〈5〉王朝の貴族 (中公文庫)

保立氏の平安時代が面白かったのだけれど、ちょっと通説の方も確認したいと思って、これを読んでみる。

これは名シリーズと謳われる中公文庫の「日本の歴史」のうちでも特に評価の高い一冊で、どんなもんかと思ったらこれが確かに面白い。

源氏物語の話から始まって、光源氏のモデルの一人と目される藤原道長に話を持っていき、そこから平安時代の歴史を、道長の一代記を中心に辿っていく。

およそこの巻では道長による摂関政治の興隆を描くことになり、道長の死で幕を閉じる。道長の人生を辿りつつ、要所要所に当時の日記がいかなるものだったのか、儀式はどういうものだったのか、天皇外戚がなぜそこまで重視されるのかを当時の婚姻制度に基づいて説明したりと、基礎的な知識の解説にも余念がない。素人としてはこうした基礎の話はとても助かる。

記述も平易で、それだけでなく読者を引っ張っていく力もあり、実に完成度の高い本になっている。叙述の難度としては新書クラスの印象で、読みやすく分かりやすい。さらに、史料の読み方の具体例なんかも説明されていて興味深い。

解説ではじつは土田氏の叙述には日記等の信頼できるものではなく、歴史物語から引っ張ってきた記述が随所にあるという指摘がされている。土田氏は日記等を史料とすべきで、歴史物語を史料とすべきでないと普段から述べていたことと矛盾している、という。たぶん面白さと一般性を重視した書き方を選んだ、ということなのだろうけれど、叙述にやや史料的瑕瑾があるのは確からしい。

とはいってもこの時代の通説的理解を得るには非常に重宝する一冊。なお、保立氏の「平安時代」で批判対象となっている通説が、まさにこの本に書いてある説だったのが面白かった。たぶんこのシリーズはそうした叩き台としても使えるシリーズなんではないかと思われる。理想的には中公のシリーズを通読してから講談社のシリーズを通読、と言うふうにするのが良いかも知れないけど、冊数が膨大すぎてちょっとやる気にはならない。

特に面白いのが解説にある土田氏の遺言紹介のところ。酒の入った歓迎会の席上で、やおら居住まいを正して、二人の学生に「俺が死んだら紙に書いて国史の研究室に貼っておけ」といって述べたのが以下の「遺言」だという。

一、現代人の心で古代のことを考えてはいけない。
二、古代のことは、古代の人の心にかえって考えなくてはならない。
三、俺は長い間そうしようと思ってやってきたが、結局駄目だった。
 お前らにできるわけがない。ざまぁみろ。

「ざまぁみろ」が素敵すぎる。かなり笑ってしまったのだけれど、「俺は道長なんかと酒を飲みたくない」と言っていたという話とか、本書で歴史物語を平気で史料にしていたこととかあわせて、この土田氏はずいぶん面白い人物だったようだ。