赤染晶子 - 乙女の密告

乙女の密告

乙女の密告

赤染晶子は以前、「花嫁おこし」を読んでから変な作家だなと気になって、唯一の単行本だった「うつつ、うつら」もなかなか面白く読んだのだけど、一向にその他の作品が本にならないのはなぜだと思っていたら、なんと芥川賞受賞を受けてやっと二冊目の本が出た。ただ、芥川賞あわせで一作だけの急造本ということがかなり残念だけれど、これから残りの五作もぼちぼち本になるだろう。

というわけで、芥川賞受賞作を出てすぐ読むなんてほとんど初めてのことだ。で、とにかく一読して、いやこれはかなりのもんだ、と圧倒されてしまった。赤染作品でこれまで読んだものは、笑いをまぶしながらも生活の苦しさみたいなものがじわじわ迫ってくるようなものか、不思議な夢のような雰囲気を持っているところがあったのだけれど、笑いを忘れてはいないけれど、かなりシリアスな問題に切り込んでいっている。赤染晶子はこういうのも書くのか、と意外にすら思った。

この作品は前情報の通り、「アンネの日記」が題材になっている。私は「アンネの日記」を読んだことがないので、その内容、意味づけについてはよく分からないのだけれど、ある家にかくまわれていたアンネ・フランクやその父ら八人のユダヤ人が密告されゲシュタポに連行され、強制収容所で命を落とすという結末を辿る、その密告されるまでの二年間の生活を記したもの、となっている。作中では原タイトルの「ヘト アハテルハイス」(後ろの家=隠れ家)と呼ばれている。

舞台は京都の外語大で、そこには圧倒的に女子が多いという。小説にも女性しか出てこない。いつもアンゲリカという人形を持ち歩いて、女学生たちを「乙女」と呼ぶ奇妙なバッハマンというドイツ人教師は、スピーチコンテストで「アンネの日記」を暗唱する課題を出した。

そんななか、「乙女」たちのあいだで、ある女学生がバッハマンとのあいだに穏やかならぬ関係にあるのではないか、という「噂」が流れ始める。この「乙女」と「噂」が実に重要なキーワードとなっている。「噂」とは「乙女」を「乙女」たらしめるものなのだけれど、その「噂」の対象を「乙女」から疎外してしまう。

乙女の噂とは恐ろしいものなのだ。何の根拠もなく、一人の乙女を異質な存在に変えてしまう。自分達の集団にとって徹底した他者にしてしまう。その時、真実なんか全く関係ない。何よりも、「乙女らしからぬ」噂ほど、乙女にとって恐ろしいものはない。乙女を乙女ではないと決めつけてしまう。同時に、これほど乙女を魅了する噂もないのだ。
38-39P

そうして、常に「乙女」たちはお互いに噂を囁きあうことで、お互いが乙女であることを確かめ合う。そこにスケープゴート、「他者」が生まれる。

この小説では、「アンネの日記」でのホロコーストユダヤ人問題を、現代の「乙女」たちのいじめの構図に二重写しにすることで、日常のミニマムな「ユダヤ人問題」をえぐり出す、そういう仕組みにとりあえずなっている。そういうと、なんだ、ユダヤ人問題がただのいじめの問題に矮小化されているだけではないか、と思う向きもあるかも知れない。そういう批判が有効かどうかは別として、しかしこれはまだ前半部の構図だ。

次第に主要なモチーフになってくるのは、忘れること、そして「私」ということだ。アンネ・フランクは作中の引用によれば、自身のユダヤ人というアイデンティティに引き裂かれていた。ユダヤ人である、ということは生きていけない、ということであるとともに、ユダヤ人であるということは誇りでもある。しかし、ある日の日記にアンネは書く。

今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!

この言葉は、主人公みか子がスピーチの度に忘れてしまう言葉だ。この言葉についてさらにこう語られる。

アンネは忍び寄る他者に怯えた。アンネがアンネのままではもう生きていけない。ユダヤ人であることをむき出しにしては生きていけない。もはや、他者と同化しなければ生きていけない。残酷な現実がある。ユダヤ人は他者と完全に同化できない。ユダヤ人はユダヤ人であり続けなければならない。そのことを望んでもいる。アンネはこの矛盾をどうすればいいだろうか。66

そして、バッハマン教授が言う。

ミカコがいつも忘れる言葉は、アンネ・フランクを二つに引き裂く言葉です。
67P

小説はそして、乙女が知る必要のない真実を知ってしまったみか子が、他人から密告されるという展開をたどる。私は「乙女」だ、と何度も主張する密告された「乙女」だ。疎外と共同体のメカニズム。小説はさらにアンネ・フランクにかかわるエピソードを踏まえつつ展開していく。そして核心に置かれるのは、「忘れる」ということ、アンネ・フランクとは誰か、ということ。

ミカコ、アンネが私たちに残した言葉があります。『アンネ・フランク』。アンネの名前です。『ヘト アハテルハイス』の中で何度も何度も書かれた名前です。ホロコーストが奪ったのは人の命や財産だけではありません。名前です。一人一人の名前が奪われてしまいました。人々はもう『わたし』でいることが許されませんでした。代わりに、人々に付けられたのは『他者』というたったひとつの名前です。異質な存在は『他者』という名前のもとで、世界から疎外されたのです。
中略
『ヘト アハテルハイス』は時を超えてアンネに名前を取り戻しました。アンネだけではありません。『ヘト アハテルハイス』はあの名も無き人たち全てに名前があったことを後生の人たちに思い知らせました。あの人たちは『他者』ではありません。かけがえのない『わたし』だったのです。
110-111P

どうか、忘れるということと戦ってください。

ここで、この小説は現代の歴史学や思想哲学系でも話題になる、大量虐殺とその記憶をめぐる問題を取り込んでいる。大量虐殺はその固有名が無となるような暴力なわけだけれど、だからこそ、一人一人の名前が重要になる。ここでは、忘れる、ということがアンネの名前と同時に、スピーチの壇上での「記憶喪失」のことでもある。小説の展開、設定にはさまざまに「アンネの日記」、ユダヤ人問題にかんするネタが取り込んであり、寓話的、象徴的な作品に思える。

終盤の展開は、この短文の畳みかけでなかなかに読ませるうえ、こうとしか終えられないラストは決まっている。まあ、そのシリアスな問題にかんしての記述が公式的過ぎて、「優等生」な小説に感じるところもあるんだけど、秀逸な出来だと思う。

作中でもあるように、今年1月、アンネ・フランクを支援した最後の生存者ミープ・ヒースが死去している。もう誰もアンネ・フランクを知るものはいない。
『アンネの日記』を守ったミープ・ヒースさん死去、100歳 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

以前の赤染晶子作品についての感想。
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赤染晶子「うつつ・うつら」 - Close to the Wall