チェコ、スロヴァキア、マサリク

東欧史を読みかじっているところで、最近チェコスロヴァキアについてのとりあえず入門的な本をいくつか読んだ。東欧(今は中欧と呼ぶ方がいいのだろうけれど)の国としては新書で通史本が出ているあたり、恵まれている方だろうか。

チェコとスロヴァキアを知るための56章【第2版】 エリア・スタディーズ

チェコとスロヴァキアを知るための56章【第2版】 エリア・スタディーズ

明石書店の「知るための○○章」シリーズ(「エリア・スタディーズ」)はメジャーなところからドマイナーな地域まで相当の範囲をカバーした入門書シリーズで、それぞれ各地域の研究者が章ごとに分担して執筆しているのが特徴。歴史、文化、経済、社会、生活、芸術その他多様なテーマを設け、基礎的な知識をフォローしている。

本書では「チェコとスロヴァキア」として、しばらく前まで一つの国だった地域をカバーする。ここではやはり古都プラハを擁するチェコが前面にでていて、スロヴァキアはやや扱いが小さい。

都会のチェコと、田舎のスロヴァキア、というと失礼だけれど、この経済的格差による対立が、チェコスロヴァキア連邦分裂の要因にもなった。もともと権限委譲が進んでいて両国ともにすでに独立国としての内実を備えていたことが「ビロード革命」と呼ばれる平和裡の静かな連邦解体をもたらしたようだ。民族的に対立したことが連邦分裂の原因だと思われやすいけれど、チェコ側とスロヴァキア側での国家間、経済政策において、一致を見ることができない、という「冷徹な政治的リアリズム」ゆえの解体だったとし、両者において独立した国家を、というたぐいのナショナリスティックな動きが目立ったわけではなかったと指摘されている。

他に面白いのが、建国の父と呼ばれるマサリクは哲学教授、連邦解体時のチェコ大統領ハヴェルは劇作家、というように文人政治の歴史があることだ。それとともに、近現代で目立った流血の惨事というのをあまり見ない。「ビロード革命」が目立っているだけか、私が知らないだけかもしれないけれど。

そのほか、現地の人たちと暮らしたエッセイだとか、チェコスロヴァキアでのラジオ体操の大規模版みたいな国民的体操運動「ソコル」とか、歴史のみに限らず人々の生活に触れた文章も多く、立体的にチェコとスロヴァキアについて知ることができる。

よくできた入門書という感じで、このシリーズは東欧諸国のものも他にいくつかあり、そちらも読んでみたい。

ただ、ポーランドのものだけは品切れになっている。ポーランド中公新書の「物語」シリーズにもないし、微妙に入門書的なものが少ない。

物語チェコの歴史―森と高原と古城の国 (中公新書)

物語チェコの歴史―森と高原と古城の国 (中公新書)

チェコの歴史に焦点を当てたものとしては本書が入手も容易で面白い。政治史を中心にするのではなく、ある時代のなかで特定の人物にクローズアップして具体的にその行動を追うことで、個人の目線からの歴史をつないでいく構成を採っている。このことを説明する「まえがき」は一国の歴史について重要な問題を提起している。

今でこそチェコチェコ人が多数を占めるチェコ人の国となっているものの、近代以前は多数のドイツ人やユダヤ人が居住する多民族国家だった。国の歴史を、一民族による歴史として叙述する歴史観は、国民国家を根拠づけるものとして近代になって生まれたものだ。だから、今の国民国家の枠組みによって歴史を遡ろうとすると、そこでは多民族国家だった事実が無視され、今のような民族概念がなかった時代の歴史までが現在の民族観によって解釈される弊害をもたらす*1
民族中心史観をとるのではなければどうするか。中世チェコ王国から現代のチェコ共和国にはつながりがないわけではないので、そうした政治史として通史を書くこともできるけれど、それでは現実に生きた人々の姿が見えない、として著者が選択したのが、各時代ごとに特定の人物を追っていく本書の方法となる。

著者は従来の通史とはその分違うものになっているだろうと言う。確かに、中世史が専門のためか近現代が手薄になっている(あるいは、以下紹介するように、中公新書ですでにチェコ近代史の本が出ていたので、そちらに譲ったということだろうか)のと、各時代でずいぶんマイナーっぽい人物が取り上げられている。さらにある章ではプラハにやってくるモーツァルトの行動をたどるなど、国外の人物も選ばれている。大学の管轄権をめぐる騒動を扱ったり、チェコの内国博覧会について書かれた章などもあり、バラエティに富むとともに各章具体的な叙述なので、退屈せずに読める。

チェコからいなくなった人々をまとめた最終章では、ドイツ人追放の補償問題に触れたところが興味深い。第二次大戦では、チェコの国境地帯に多く住んでいたズデーテン・ドイツ人の自治要求の強まりから、分離主義的な主張を持った党が結成され、党がヒトラーに接近することによってナチスドイツの介入を招き、チェコスロヴァキアがドイツ主導の元に解体、併合される事態を招いた。このことから戦後ドイツ人への報復が起こり、大統領令において財産没収、強制移住等の追放政策に帰結する。社会主義政権崩壊後にこのことについての和解が進み、「ドイツ側はナチスによるチェコ支配がドイツ人追放の要因となったこと、チェコ側はドイツ人追放が不正なものであったことを認め、双方が謝罪した」という。両者異論はありつつも、一応の解決をしたらしい。戦後補償の問題について、ひとつの興味深い事例。

多民族が居住していた地域が、次第に一民族のものとして主張されはじめ、様々な事件をきっかけに他民族の排除が巻き起こる。そもそも、国境と民族分布がそうそう合致するわけもなく、他国に住む自民族保護、という形でズデーテン・ドイツ人問題のように領土的野心のぶつかりあいを招く。

だからこそ「まえがき」で論じられたように、本書では民族史観を拒んだ歴史叙述を選択することになったのだろう。

とまあ、一風変わった視点から辿られるチェコの歴史で、「物語」と冠されたように具体的な人物の行動から語られる歴史は楽しく読める。

ここでオミットされた近代史については、以下の本がいいと思う。

中欧の分裂と統合―マサリクとチェコスロヴァキア建国 (中公新書)

中欧の分裂と統合―マサリクとチェコスロヴァキア建国 (中公新書)

タイトルが漠然とし過ぎているけれど、サブタイトルのとおり、チェコスロヴァキア共和国初代大統領トマーシュ・ガリグ・マサリク*2の生涯をたどりながら、共和国建国の歴史を叙述する一冊。チェコ史について読んでいて、マサリクという人物に興味がでたところだったので、とても面白い。マサリクについては、他にカレル・チャペックによるものや石川達夫によるものなどもあるけれど、入手しやすい本としてはこれがあるだけとなる。

マサリクは、チェコ人とスロヴァキア人の両親の間に生まれている。ただし、彼の母親はドイツ化したチェコ人であって、日常生活ではドイツ語を話し、マサリク自身も小学校はドイツ語教室に通っていた。チェコ、スロヴァキア、そしてドイツという三つの文化の重なる場所でマサリクは育つことになる。

このことは、後に自身はいったい何人なのか、という選択を彼に強いる。古典学校から大学時代にかけて彼はそこでチェコ人というアイデンティティを選ぶのだけれど、ドイツ語学校に通っていたためにチェコ語正書法をほとんど習わなかったマサリクは、チェコ語の能力に問題があり、少なからぬチェコ人から見てチェコ人とは見なされなかったという。かといってドイツ語のほうも、学位論文の審査教官のブレンターノから欠陥を指摘されていて、流暢なものとはいえなかったようだ。それが今や「近代的な文体」としてチェコ語の辞典にもマサリクが引用されているというから面白い。

こうした分裂を抱えながらも、哲学を教えるようになり、独特のやり方で人望を集めいたようだ。その頃から次第に政治にも関わるようになっていくのだけれど、元々は外交官志望で、その点で政治に関心はありつつも、自分が政治家になろうとはまったく思っていなかったという。そこに二人の若い友人が現れ、彼らと言論活動繰り広げていくなかで、政治的なかかわりを深めていった。

この時期にひとつの事件が起こった。ある町で女性を刺殺したとしてヒルスネルという男が逮捕された。検察官と被害者側の弁護人は、この事件をユダヤ人による「儀式殺人」として告発したことで、議論を巻き起こした。「儀式殺人」とは、当時ユダヤ人はキリスト教徒を殺してその血を儀式に使うという迷信が信じられており、素行不良で町の住民に疎まれていたヒルスネルは、証拠もないまま絞首刑の判決を下された。当初関心の薄かったマサリクは教え子の訴えに応えて、「儀式殺人」は迷信だとする見解を発表した。これに対して、チェコナショナリストカトリック系新聞が、マサリクはユダヤ人から金を受け取っているというキャンペーンを展開し、マサリクは渦中に引き込まれた。

マサリクは法律をひもときつつ、現地に赴くなどの調査を行い、つぎつぎと告発の論拠がきわめて薄弱な点を批判し、帝国全体でも話題の事件に発展した。しかも、この事件はフランスでのドレフュス事件の再審と時期が重なっていたため、国際的にもマサリクの名前は注目されるにいたった。ドレフュス事件での作家エミール・ゾラの役割をマサリクは果たすことになったのである。95P

ハプスブルク帝国内でそもそもユダヤ人が差別的な地位におかれていたのと、この当時、ドイツ人とチェコ人の間でナショナリスティックな対立が昂進し、また社会的不安も相まって、ドイツ語を話すユダヤ人はドイツ人の手先と見られ、攻撃が激しくなっていた。そんな時期に起こったヒルスネル事件を論じたマサリクは、「ユダヤ人の手先」として攻撃されただけではなく、「大学には多くの熱狂した学生や野次馬が集まりマサリクの講義を妨害し、はてはマサリクの自宅にもそれは押し寄せた」。しかも大学側はマサリクの講義を休講してやり過ごすことにしたように、知識人層においてもマサリク側に立とうとするものはほとんどいなかったという。しかし、このことで帝国外でも名が知られるようになり、特に世界各地のユダヤ人経営の新聞が、マサリクらの独立運動を好意的に扱うようになったという。

チェコスロヴァキア独立といってもハプスブルク帝国との関係をどうするのか、ということは歴史の進展に従って大きく状況が変わっていくし、いかなる国家のヴィジョンを描くかというのはきわめて微妙な問題を含んでいた。そもそも、チェコスロヴァキア、というのはチェコ人とスロヴァキア人なのか、単一の民族なのか、という問題がある(チェコスロバキアのあいだにハイフンを入れるか否か、というのが政治的な問題となる。このことは最初の本にもコラムを設けて書かれている)。マサリクはチェコスロヴァキアという単一の民族とする立場をとった。

本書冒頭には、共産党政権下でタブーとなっていたマサリクが民主化後に大々的に復活し一大ブームとなっていたとき、スロヴァキア独立を標榜する党の集会で、マサリクはもうたくさんだ、というシュプレヒコールを聞いたというエピソードが置かれている。

また、マサリクは米国滞在中、米国のスロヴァキア移民の代表とピッツバーグ協定という文書に調印した。それはチェコスロヴァキアチェコ人主導の国家となることのないように、スロヴァキア人の自治を求めるものだった。しかし、独立後のチェコスロヴァキアは中央集権国家となり自治は認められなかった。このことはスロヴァキア自治を求める人々から、「裏切り」とみなされ、ことあるごとに持ち出されることになった。

チェコ人とスロヴァキア人の間に生まれ、両民族の融合の象徴ともいえるマサリクは、一部(?)のスロヴァキア人にとってみれば鬱陶しい存在でもあるようだ。スロヴァキア人をひとつの独立した存在と考える人にとっては、チェコ人に勝手に従属させられたと考えられているのかもしれない。

マサリクは建国の父でもあり、支配の象徴でもあるという相反する評価に引き裂かれる。国民統合の象徴はそれゆえに疎まれる。著者は以下のように述べている。

マサリクはチェコ民族の外、もしくは周縁から立ちあらわれた。しかも最初は批判者として振る舞い、そして大戦中は「予言者」となり、一群の「戦士」を率いて世界を放浪した。そしてプラハの変わり者の老教授は「英雄」として帰還した。それは新しい「王」の帰国でもあった。マサリクの学位論文はプラトンだった。そしてマサリクは「哲人王」となったのである。新国家は共和国だったが、その国家の統合にはこういった「神話」はやはり必要とされたのである。212P*3

興味深い人物だ。そして前回の「ミカイールの階梯」の記事の論旨と上記引用部はとても似た問題を扱っている。英雄のその後はどうなるのか、ということは本書冒頭の相反するマサリク評価がひとつの事例を提供している。ユーゴスラヴィアノーベル賞作家、イヴォ・アンドリッチもユーゴ解体後、微妙な評価の分裂があるようだ。

本書はマサリクの人生を辿ることで、チェコスロヴァキアの近代史を描き出している。今回取り上げた三冊のなかで、もっとも「物語」的なのはこれだろう。


どれも面白い本だった。民族と国家の問題についても興味深い事例になっている。

*1:日本史だと、この辺のことはあまり意識されず、今の日本国と古代、中世の日本とがそのまま一つながりのものとして見なされることが多い。確かに天皇家は続いているし、民族としてもアイヌ琉球はあれど、本州内部ならば昔から日本人は日本人だった、という考えが根強い。ここに批判を突きつけたのが網野善彦などだろうか。

*2:Vガンダムに同名の登場人物がいる

*3:「戦士」は日本のシベリア出兵の口実ともなった「チェコスロヴァキア軍団」のこと