- 作者: 後藤明生
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- 作者: 後藤明生
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「団地とはどんなところか?」
さて、「書かれない報告」は冒頭からとつぜん、団地に住むある「男」が「いま住んでいる団地とはどんなところか?」という問いに答えてもらえないか、という電話での指名を受けるところから始まる。形式も自由、短くても長くても構わない、そして締切りもない、という県庁社会教育課からのものとはとても思えない「フリースタイル」な依頼を、男は受諾する。電話での話し方から何から、不条理小説への導入のような不思議な書き出しとなっており、「男」と書き記されている団地に住む男は、それからこの疑問符を抱えながらあたりの観察をはじめる。後藤明生のこの頃の作品は、おおむね「わたし」か「男」という人称で書かれており、作品によって距離感は異なる。
電話の後ですぐ書かれるのは、男の部屋には水が階上から漏れてきている、ということだ。部屋にひび割れが生じている。この水漏れが何なのかを管理会社や階上に問い尋ねる様子とともに、男にとってこの部屋のひび割れがまた別の意味を持ってくる有様をこの短篇は描き出していくことになる。
読んでいて思うのは、ロジックのねじれが多用されている、ということだ。男は部屋の床に一部凹みがあるため、いつもそこを歩く時は凹みを意識して避けて歩いている。それを男は「凹みの意識? それとも意識の凹みだろうか?」と考えるのだけれど、ただの言葉遊びのようなこうした言葉の逆接は、後藤明生の語りの特徴的な点でもある。
その直前に出て来るのは、耐火性の団地において火事になった息子の友達「坂崎君」の家のエピソードで、それは、台所の屑籠から火が出た時、それを窓から外に捨てればいいだけなのに、その時家にいた妻はあわてて、子供を連れて外に出て扉を閉めて火を家に閉じ込めてしまう。それによって「坂崎君」家は引っ越すことになる。火から防ぐはずの耐火建築は、火を家から出さない建築でもある。家の外と中が裏返っている。
また、男は階上からの水漏れについて管理会社に問い合わせた時、三階の図面で構造を説明されて、それが自身の二階の部屋の図面でもあることが、事務員には自明なのにもかかわらず、男には「容易に結びつくことができない」ために違和感をぬぐえない。自明なはずのものの自明性が転倒されている。
そして、更に不可解なのは、錆止めの用のペンキの色がすでに錆びきった色そのものだから、それを間に挾む以上、ペンキ塗りにきた三人の作業員と男とは「敵対的」だ、というロジックだろう。どういうことなのか。
男はこうしたロジックのねじれを組み立てたり考察したりしながら団地の部屋の一室で、部屋と一体化したような感覚に襲われる。作業員から、水漏れしている場所はこの部屋で一番凹んでいるところだと言われた時、自分の頭の真上が何者かの「中指」で押されたように感じて椅子からにわかに立ち上がる。「凹みの意識」と書かれたように、ここで部屋の凹みが自分の凹みでもあるかのような意識を男にもたらすわけだ。
語りの技が冴え渡るのはこの直後。この意識によって男は自分の中指をじっと見つめて、何の変哲もない指をいろいろ動かしている様子が描写されるのだけれど、その指が坐机の一角へと向かい、机をぐい、と押した描写の直後、「男はそのようにして、ある晩一匹の虫を殺したのである。」と続く記述は、読者を驚かさずにはいないのではないだろうか。
それまでまったく虫の記述などなく、男が指を弄んでいるだけだと思っていたら、それは虫を殺す一連の行動だった、というのが後から分る記述だけれども、再読してみても驚いたし、はじめて読んだ時もこの記述に驚かされたことを思い出した。なんという技巧、と思ったものだけれど、読んでない人は分らないだろうし、もしかしたら読んでてもここは別に驚く場面でもないかもしれない。
日々の「戦場」
こうして話題は虫になる。これが重要なのは、虫の進入経路という新たなる部屋のひび割れが出現したからだ。水漏れに続いて虫とは、ということで、男は自分の坐机を「戦場」と見なし、毎夜のように現われる虫を潰し続ける。これは、男と部屋の外部との戦争としての日常でもあるわけだ。虫が侵入してくる住居の「傷口」の場所はわからず、「暗闇の中の迷路」として「意識の迷路の暗闇」のむこうに見えるのみだ。
水漏れも虫も、解決不能となった状況で男はこう考える。
たとえ男が調査あるいは交渉による解決の不可能を知ったとしても、外部そのものとの関係を完全に放棄することが、男に許されたわけではないからだ。水漏れの場合も、虫の場合も同じだ。――河出書房新社『書かれない報告』54P
関係せざるものとの関係、関係を放棄できない関係は、上下に重ねられた同じ間取りに部屋に済む住人同士の関係も同じで、ここに後藤明生作品の「団地」論のロジックが見て取れる。
はっきりしていることは、唯一つだった。住居はすでに男の一部だ。同時にもちろん、男は住居の一部でもある以上、一日たりとも男が住居を離れて自分を考えることなどできないはずだ。そのようにして男は、日夜、住居ととともに生活していた。そしてその住居が傷つきはじめているいま、どうして男だけが傷つかないまま生きていられようか。なにしろ男は、そのような形において住居と結びついていたからだ。――河出書房新社『書かれない報告』60P
転倒したり、逆接したり、反転したりといった上述してきたような独特の後藤明生のロジックは、そのまま団地に住む一人の男の団地との関係を描き出すロジックでもある。このようなねじれたような不思議な関係のあり方が、全篇を通して描き出されている。そもそも、「男」にとってこの団地は地元でもなくなにか密接なつながりがあるわけでもない。他作でも書かれるように、応募多数の中から抽選で選ばれた、偶然による「漂着」こそが、「男」と「団地」の関係の始まりだからだ。この、結びつかぬものとの結びつきが、すべての前提にある以上、後藤明生の団地小説のロジックがねじれていくのはだから、当然のことだ。
そもそもの電話での役所からの依頼が、依頼とも思えぬような野放図なものだったこと、そしてまた、報告は書かれなかった、とされながらもこの今読んでいる一篇こそがその報告に他ならない、というアイロニカルな設定自体がねじれている。
後藤明生の身近な日常をやたらに闘争的に捉える資質については、当然「ある戦いの記録」が想起される。こちらは部屋の壁を破壊し、二つの部屋という前提そのものを破壊するラディカルな結末へと至る。この「戦場」のありさまは、芳川泰久が『書くことの戦場』収録の後藤論「“不参戦者”の戦い ――後藤明生の出発」で詳しく論じられている。渡部直己の『かくも繊細なる横暴』の「後藤明生による「健康(ユーモア)」の企て」もまた、芳川論文への応答を含む初期後藤明生を扱った論考となっている。きっちり読み返していないけれども。
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なお、団地という観点から小田光雄氏が後藤明生初期の団地小説について書いているのをこの記事を書いてる時に見つけた。以前の記事で書いた安部公房と後藤明生は植民地帰りという共通点がある、という指摘も既になされていた。
混住社会論20 後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年) - 出版・読書メモランダム