「SF乱学講座『アイヌ民族否定論に抗する』でヘイトスピーチを打破する」、に参加いただきありがとうございました

六月七日行われました当該イベントに多数参加いただきありがとうございました。小さい教室ではありましたけれども、臨時イスを用意する盛況でした。

共著者の方も多数来場いただきまして、登壇者も含めると計九名が揃うというイベントになりました。新井かおりさん、金子遊さん、倉数茂さん、長岡伸一さん、中村和恵さん、そして北海道から丹菊逸治さんがいらっしゃるというのには驚きました。皆さまありがとうございました。丹菊さんは学会の関係で東京にいたから、ということでしたけれど、イベント後にも、いろいろ話を伺うことができました。

話に出てきたなかでは、今回の『アイヌ民族否定論に抗する』は、アイヌヘイト議員が落選するのに北海道では結構影響があったのではないか、ということで、書籍のまとまったかたちで、カウンター議論が出たのは大きかった、ということでした。ただそれはそれとして、遅かったと思われるのは、すでに教科書検定アイヌの土地を奪った、という記述が、土地を与えた、と表現を変えさせられてしまったからで、修正主義的勢力はすでにここまで入り込んでしまっている。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20150407/1428392310
イベントの席上で、アイヌ差別、修正主義はすでに公的レベルでにここまで来ている、という趨勢についてこの件について触れておくとよかったかもしれません。イベント後に丹菊さんに、これはもう、ほぼ最終局面ではないですか、と言うと、やはりそっちの方面では重大に受け止められている模様で。なんらかの形で動きがあればいいのですけれど。


マークさんや丹菊さんなどがやっておられますけれど、そうした個人だけではなく、学者、研究者、その団体等がもっとトンデモ批判を精力的にやっていれば、とは思います(知らないだけで行われてはいるかもしれません)。とはいえ、こうした修正主義、トンデモ批判、あるいは政治的カルトと対立、批判するということの面倒くささ、というのはあって、単純に学者の責任、とも言いがたいところはある。放置した結果が、この教科書検定だし、アイヌヘイト議員だし、的場光昭だし、かといって、適宜批判するのも、ものすごい苦労する。それは、的場の本をまともに一冊でも読み通せばわかる。苦行ですよ。相手は、憎悪を前提に、論理の狂いも何のその、自己矛盾する論拠を多重動員しながらゾンビのように襲ってくる無敵のリスポーン兵で。とりあえず読み通すだけでも、メンタルとフィジカルに多大なダメージを食らう紙でできたサイコウェポン、それがヘイト本*1

端的にそれを味わっていただくべく、当日発表したところから、的場光昭の『アイヌ先住民、その不都合な真実20』展転社、からのわかりやすいポイントを一点紹介しましょう。

的場光昭の論法 タイムスリップ・マーケット

的場は、「シャクシャインの乱」の発端について、松前藩が不当に米価をつり上げて、アイヌを搾取したかのような記載だとして、以下の記述を取り上げる。

1641ねんころ アイヌのサケ100ぴきと、和人の米30kgくらいを交かん
1669ねんころ アイヌのサケ100ぴきと、和人の米10kgくらいを交かん
(「アイヌ民族 歴史と現在(小学生用)」公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構 http://www.frpac.or.jp/history/index.html

●的場の反論
米一俵(60kg)は江戸末期で約五万円=30kg二万五千円、だと的場は言う。上記年代は江戸初期だけれど、まあこれはとりあえずいいとして次の引用をじっくりとみていただきたい。

不漁といわれる平成二十三年の羅臼漁協のサケ一匹の浜値はオス五百円、筋子がとれるメスが千二百円前後です。豊漁の年はメスでも九百円程度です。当時は干鮭や塩引きといって塩蔵サケの原料ですので、メスもオスも現在の価格に換算して高く見積もっても五百円前後と考えられます。
 つまりサケ百本は現在の価格にして五万円ということになりますが、サケは現在と違って真っ黒に川を埋め尽くすほどに大量に遡上していたのですから、苦労して本州から運んできた米三十キロ、つまり江戸の価格で二万五千円の交換はアイヌにとっては有利すぎる交換比率だったとしても何の不思議もありません。21P

江戸初期の事件について、江戸末期の米相場と、平成のサケ相場が持ち出され比較されている。わずかでもこれが比較になり、反論になると思えるという思考には唖然とするほかない。時代がむちゃくちゃな比較をせずとも、教材のほうで、三分の一にサケが値下げされているのを見る方が直感的に把握できる。せめて江戸時代のサケの価値を推測できる資料を用意できなかったのだろうか。

この数行後で、1641年と1669年では米価が2.4倍に上がっています、とさらっと書いているのもおかしくて、数行前で換算値を推測しているところで江戸末期の値段を出しているからには江戸初期の米価の資料を持ってないはずだから、和人が取引で米価を三倍につり上げているのを勝手に米価そのものが上がったからだ、と誤魔化しているだけだといわざるをえない。参照資料がまったく書かれていないから。論理が完全にねじ曲がっているんだよね、ここは。2.4って数字、どっから出てきたんだろう。

こんな人と、まともな議論が成立すると思いますか。ここと、私が『アイヌ民族否定論に抗する』に書いた注13での論理学の完全な勘違いを読んでいただくと、的場氏の論理的思考能力への圧倒的信頼を得ることができると思います。

こういうわかりやすい箇所はこうしてトンデモ本批判みたいにエンタメ的にできるんだけれど、やはり専門知がないとちゃんとした否定がやりづらい箇所はあって、そういうところは専門家にやってほしいというところは多い。論理が狂ってる箇所は読めばわかるし(狂いすぎていて何を言っているのかわからないところはまず何を言いたいのかを把握するところから始めないといけないので徒労度高い)、検索すると十秒で嘘がばれるようなところも多い(開拓史仮学校とか)んだけれど、的場本を否定するためには的場本以上の分量の本が要るので、やはり非常に労力がかかることになる。

増補改訂版で削除された箇所

あと、この本には新版があり、その序文には、改訂増補版を出すことになったのは必要に迫られてのことで、それは「E・H・ノーマンに触れた文章について文献的裏づけのない情報に基づいた記述があったことによる」ものだ、と書かれている。そして、初版本はすべて在庫を廃棄処分したという。おいおい、そんなこというならこの本全ページ廃棄もんだろう、と思うところだけれど、それはどこだったかと探したら、195ページのE・H・ノーマンというカナダの外交官がソ連の機密文書公開によってコミンテルンのスパイだったということが証明された、という記述のことだろう。スパイと疑われたことで自殺した日本生まれの日本史学者。
このくらいの誤りならいくらでもありそうだけれど、基準が不明だ。Wikipediaを見ると2010年にスパイ疑惑は確実だとする論文があるみたいだけれど、経緯を見るとこれを参照しないで書いて、知らないまま増補で削除したのかな。文献的裏付けなく、というからには、そうした論文を参照せずに、噂なり週刊誌なりネット情報なりを鵜呑みにして書いたのだろうか。

まあ、ちょっと取り出すだけでもこういうような代物なんですね。これが一冊分と言うことをご想像いただくとよろしいかと。

*1:ただ、何を言っているのか訳のわからない箇所から、書き手がいったい何をどう勘違いしているのかを腑分けできたときのヘウレーカ感、という不毛な快感はちょっとある。