後藤明生再読 短篇「S温泉からの報告」

私的生活 (1969年)

私的生活 (1969年)

電子書籍刊行便乗企画・後藤明生再読、三ヶ月遅れの今回は『私的生活』に収録されていた「S温泉からの報告」。河出の新鋭作家叢書以外には再録がないようだ。芥川賞候補作になっているけれども評価は芳しくなかった*1

温泉からの報告、というのはなかなか不思議なタイトルで、後藤明生の報告好きの最初の現われだろう。またこれは作品の内容ともかかわっており、語り手の治療報告の趣を持っているからでもある。

「わたし」は忘年会で酒を飲んだ挙げ句に血を吐き、現代医学でさんざんに解剖され検査されたのに、自分が何の異常もないと診断されたことへの不審さから、温泉での湯治にやってきた。妻が依存する親戚の風水師を最初は胡散臭く思い、方角がどうの面倒なことを言い出す妻に対して怒鳴りつけた主人公は、ついには考えを変えて会いに行き、その方角の占いによるごたごたの結果として、また、以前の不倫相手からの嫌がらせ電話とに追い立てられ、温泉に「逃げてきた」と語り手は考えている。

風水を否定する合理性の側に立っていたはずが、自身の身体の不調から温泉や風水やらの民間療法へと感化されていくプロセスが描かれてもおり、これなんかはやはり週刊誌的風俗を捉えた話題だ。初期後藤明生の週刊誌的視点。

現代医療で観察される自分の滑稽さ、という描写は後藤作品には非常によく出てくるもので、これ以外にも「青年の病気」(「恢復」)などにもあった。というか、『私的生活』全体に病気描写が多く、「人間の病気」とか「ああ胸が痛い」とかいう作品もあり、病気というものが人間の滑稽さを描く重要な要素として後藤が捉えていたことは間違いないところだろう。

「そりゃあ君、あいまいなのは医学、あるいは大学病院の診断ではなくて、君の体の方なのさ」

と、友人田中に言われるシーンがあるように、この身体のあいまいさが彼に血を吐かせ、そして温泉へと向かわせる。

ここで温泉に持参した荷物の中に、一日一冊読むつもりで七冊持ってきた「サド選集」がある、というのが印象的。『悪徳の栄え』上下、『美徳の不幸』、『新ジュスチーヌ』などと出てくるけれども、書名から考えて、桃源社の65年から出ている「新・サド選集」の七冊、だろうか。

温泉に来たあとの話の筋は、語り手が女中から、湯治に訪れた温泉の水は、胃腸に効くという話を聞き、飲んでみたところ確かに効いて、米櫃を空にするほど食が進む。そして気味悪がって近づこうとしなかった水が、まるで自分自身のように感じて一体となった気分を味わいながら射精してしまうほどの同一化を果たす。しかし、今度はその水を飲み過ぎたせいで下痢に見舞われる。現代医学憎悪が反転して民間療法で治ったと思ったら、今度はそっちからも反撃を食らうという皮肉な展開だ。笑われるべき滑稽さ、だろうか。

印象的に出てくる二人の人物がいる。

現代医学を代表する人物としてインターンの学生がおり、彼に笑われるシーンがある。血を吐いたことについて病状の説明をしているとき、ふと笑われた。それに対して語り手は、愛想笑いを返すことを抑えた理由をこう説明する。まだ医師ではないとはいえ「優者が劣者の滑稽を笑おうとしたことがわかった以上、ここでわたしが一しょに笑ってしまえば、わたしはインターンと対等になってしまう」からだ、と。ここはなかなか奇妙な箇所で、対等ではない、ということが維持さるべき重要な点だという視点がある。笑う=笑われるという後藤明生的喜劇世界において、このことは何を意味するのか。対等ではないはずのものが対等のふりをすること、への批判だろうか。

もうひとり、温泉宿の女中は、彼が温泉の水を飲み過ぎて下痢になったことを聞くと、「笑われているものも共に笑う余地をまったく感じさせない、いかにも他人だけを笑うという一方的な笑いであったために、わたしはとつぜん不気味さをおぼえた」という。この女中というのが温泉の水を飲むためにここまでやってきて、そのまま住み着いてしまったという奇妙な人物で、彼女のすすめに従って水を飲んだことで、彼はこの下痢に至ったわけだ。

語り手はこの二人から一方的に笑われる立場に置かれている。現代医学を憎悪し、かといって湯治からも突き放される「わたし」とその身体の位置のあいまいさ、があとを引くような終わり方だ。あいまいで、宙吊りになった私とその身体が笑われている。


さて、作中に戦時下に子供時代を送った人らしいエピソードがある。私はこれを後藤自身の実体験だと思っていた。エッセイで読んだような覚えがあったけれど、気のせいか。まあ、じっさいにあってもおかしくはない話。それは忘年会の席上での以下のようなものだ。

二次会だか三次会だかの席でわたしが軍歌を歌うと、わたしよりちょうどひとまわり年下くらいの、大学出たての若い部員が、
「そんな軍歌を歌っていたから、日本は負けたんじゃないですかね、先輩」という。
 なるほど、この年頃の連中は、その場限りではあるとしても、なかなか気のきいたセリフを吐きやがるもんだ、と酔った頭で感心しながら、また歌いはじめると、こんどは、
「バカヤロー!」と部長がどなるのが、きこえた。
 これが衝突のはじまりなのであるが、考えてみれば、はじめにわたしの軍歌にケチをつけた若い部員の父親に当るのが、わたしよりほぼひとまわり年上のこの部長たちという勘定になるので、わたしは上下ふたつの世代に属する上役と下役から挾み撃ちに会った形だ。
「おい、おい、きさま」と、部長はわたしに詰め寄ってきた。「きさまなんかに、軍歌を歌う資格があるのか、え?」
「資格といいますと……」
「あるのか、ないのか、きいているんだ」
「そりゃあ、あるかないかときかれれば、あると答えるべきでしょう」
「なにいー?」
「わたしにとっては、軍歌とは、あるときは童謡のようなものであり、またあるときは、流行歌のようなものだったわけですからね」
「なにいー? 童謡か、流行歌のようなものだって……」
「小生たちは、小学校、国民学校、そして中学一年生まで、軍歌を歌いながら暮らしてきたんですぜ。それに歌詞だって、近ごろの流行歌なんぞより、よっぽどましなのがあると思いますが。そうは、思いませんか」
「おい、じゃあきくがな、この歌のために、どれだけおれたちの同僚、戦友が死んでいったと思うんだ、え? おい!」
「え? さあ……」
「なに、さあ……だって……」
「それじゃあ、ひとつおたずねいたしますがね、部長さん、あなたはどうして死ななかったんです? え? 小生のオヤジは、今度のイクサで戦死したんですがね」
64-65P

出征兵士の戦前世代、戦時少年、戦後世代、という三者それぞれの感覚が衝突した場面で、語り手はその二者から挾まれる立場に置かれ、それを『挾み撃ち』と呼んでいる。もちろん後の長篇『挾み撃ち』の萌芽がここにある。そしてそれはここでは軍歌をめぐって描かれており、子供時代の換えがたい愛着が、上下から非難の対象になっている状況が示されている。これはまさに、自身の根を刈られ、宙吊りにされるようなことではないか。『挾み撃ち』では、朝鮮人民保安隊に家を接収されようとしたとき、軍歌のレコードをかけては割り捨てる哀切な調子を持ったシーン(文芸文庫版154P以降)として描かれていたけれども、ここでの語り口は上下世代からの非難に対する挑発が露わになっている。

また、水によって胃腸を回復し、そればかりか水と一体となるような感覚に襲われたと思った途端に下痢になる、という模倣・同一化が拒絶される、というのもまた、『挾み撃ち』に現われるモチーフだ。『挾み撃ち』の骨組みは今作にも見てとれるというわけだけれど、まあ『挾み撃ち』の原型ばかりを求めて読むのもあまりよろしくはない。病気――身体の不調というモチーフは、『挾み撃ち』ではほとんど目立たない要素で、これら初期短篇との大きな差異の一つだろう。