後藤明生『挾み撃ち』オリエンテーリング参加の記

はじめに

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もう二週間以上前になる2022年8月6日土曜日に行なわれた、代わりに読む人主催の後藤明生『挾み撃ち』オリエンテーリング企画に参加した。

参加者もそうでない人もハッシュタグ付きでリアルタイムにツイッター投稿していて、当日の模様はそちらで見られる。せっかくなので、ツイッターでは投稿してなかった写真も含めてブログでも私の視点から色々書いておきたい。
#後藤明生オリエンテーリング - Twitter Search / Twitter
チェックポイントとルートは『挾み撃ち』で主人公の通ったルートから往復行程などを省略したもの。松原団地からはじまり、蕨、上野、亀戸を経由して御茶ノ水がゴールだ。しかもスタートとゴール以外は各人個別行動推奨だった。

ただし、正しい意味でのオリエンテーリングではありません。なにしろ、速さは競いません。速さより遅さです。すべてのチェックポイントを回りきらなくても構いません。訪ねた街で、あるいは横道にそれてよその街にも足を伸ばしてください。気楽に、しかし、時に現実と作品との距離、現在と過去との距離を確かめながら、偶然飛び込んでくるものを見つけてください。

趣旨は引用の通り、後藤作品になぞらえたものになっている。

まあそうは言っても誰かについていけば良いだろうくらいに思っていたのだけれど、結局単独行動することになった。私は今年ようやく携帯をスマホに変えたのだけれど、これがなかったらかなり厳しかったと思う。多くの土地が訪れたことのない場所で、乗り換えや目的地がどこかなどに始終スマホを活用した。

撮った写真をツイッターに投稿し、ハッシュタグで各参加者の動向を見ながら、ここはさっき誰かしらが通った場所だと後追いしたり、すれ違いをしたり、一人だからこそ適当に歩いていくこともできる自由というか適当というか、なんとなしの探検の雰囲気があった。

各人個別の行動がSNSでの連携による緩やかな繋がりによって成立する、これは個々の読書とその連携としての読書会を思わせるイベントだった気がする。街のなかで何に注目するかが人によっても違うわけで。

草加松原団地

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最初の目的地は元「松原団地駅」、現在「獨協大学前駅」。草加での乗り換えにミスって10分遅れたらまだ時間内だったけれど私が最後だったようで、友田とんさんが待っていた場所には既にほかに誰もいなかった。わかしょ文庫さんが配っていた塩タブレットをもらって、まずは友田さんと松原団地を歩いた。

駅前のURコンフォール松原は団地を高層化して棟数を減らし、空間を広く取る設計になっていて、見ての通りかなり開放感がある。そしてこの曇り空は助かった。気温が30℃程度に抑えられ、この酷暑のなかでもまだマシな天気だった。



この藤幼稚園は後藤明生長女松崎元子さんが通っていたところだそう。「草加藤幼稚園」という表記を見て最初「加藤幼稚園」かと思った。ほかに団地周辺ではいくつもの幼稚園や小学校、保育園に出くわし、なるほど子供が多い場所だ。昔隣に郵便局があったりしたけれど、藤幼稚園のまわりはいまは団地の外縁で、更地になって道路だけが整備されていた。下の写真は幼稚園の裏手にあたる。



まだ新しい道を進む。

すると団地とその外の境界になっている草加バイパスに出る。

ここに見える歩道橋は後藤明生の小説で言及されたり、写真に映ったりしたもの。当時はフェンスで覆いがされていた模様。 この写真は「創」1975年2月号より、佐伯剛正撮影。

往時のこの道を逆から見たのが下のグーグルマップのリンク。草っ原の写真と見比べてみると面白い。ストリートビューで撮影日時をずらすと団地の建物がどうなったかがわかる。
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URの隣にはソライエシティという別企業のマンションが建っていたり建設中だったりするんだけれど、URのものが上に載せたように空間が広いのに対して、別企業のものは建物と駐車場だけで構成されていて、設計思想が如実に違う。

壊れた時計。演出がわざとらしいぞって思った。何かしらの電子部品が散らばってもいた。

団地の境界には味わい深い商店の並びがあった。小学校脇にリサイクルおもちゃと薬局が一体の商店。

これは駅に近い公園にある謎の遊具。

駅前の地図。駅からほぼ真っ直ぐ下に降りていって公園を左横にそれて下へ行き、草加バイパスに突き当たってから引き返した。獨協大学の方には行っていない。
駅前のハーモネスタワー。指写っちゃってる。

このタワーの隣には草加市立中央図書館があり、そこに後藤明生コーナーがあるという話を後で知った。

スマホカメラの使い方に慣れておらず、縦固定の設定を戻すのに難儀したりしてた。

『挾み撃ち』当時の団地はすでに更地になるか建て替わっており、かなり雰囲気が変わっているけれど、なるほどこういうところだったのか、と実地に歩いてみてなんとなく雰囲気を感じとることはできた気がする。ここで友田さんと別れ、さてどうしようか、と思って別の参加者の方が近くにいたので合流しようとしたのがうまくいかず、結局一人で蕨に行くことに。

獨協大学前駅から隣の新田駅に行く途中で「草加明生苑」という建物が目に入り、何だと?と思って帰ってから調べたら老人ホームだった。
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核兵器廃絶のメッセージを広島原爆の日に眺める。

その日は機(はた)まつりという織り姫と彦星にまつわるお祭りがやっていた。偶然行き会ったお祭りだ。しかもよく見ると「さよなら私のクラマー」という去年やっていた女子サッカーアニメの舞台だったらしく、市の後援があるのか幾つもの幟が立っており、商店には色あせたポスターも貼られていた(写真を撮らなかったのが痛恨)。このアニメは見ていたので、おお、お前か!そういやワラビーズだったわ、と不意の再会をした気分だ。



とりあえず駅前通りをずっと歩いていったんだけど、旧中山道に突き当たるまで続くこの商店街がとにかく長かった。しかも一キロにわたる商店街にずっと屋台が並んでいて、歩いても歩いても屋台が終わらないエンドレスフェスティバル、これは凄かった。20分は歩いたけれどそのあいだで屋台のバリエーションが三周くらいはした気がする。スパイファミリーのグッズ売ってる屋台が三つはあった。


中山道に突き当たったあと祭の終端の警備の人に道を聞いて、小説にも出てくる蕨郵便局へ。この時点では乗り換え以外でまだグーグルマップを使うことに気づいてない。何故か郵便局の写真を撮る不審者の私。下のは駅前の郵便局。ただ、『挾み撃ち』に出てくる郵便局は中山道に突き当たったあと右に曲がったところにあり、その先に中村質店があるという記述になっている。今の蕨郵便局は中山道を左に折れた先にある。建物だけではなく立地も当時とは違う。


先行する参加者の方が写真を上げていたのを見て自分も、と蕨市立歴史民俗資料館を訪れた。入館無料。

新しめの展示にはカメラマークがあって撮影可なんだと思って館内のを色々撮ったけど、もしかしてそれ以外は禁止だったのかも知れない。戦争関連の展示があって、色んな代用品とか千人針の実物とかもあった。ここを出た後に友田さんがここに入館していったのを見つけ、『挾み撃ち』の語り手がせんべいを買ったところではないかと思われる店を見に行って戻ってきたらちょうど出てきたところに行き会った。手を振って私は別の道へ。


友田さんはきっちり店の人に話を聞いていた。私は警備の人以外誰とも喋ってない。

せんべい屋から戻る道で呉服屋とネクタイ屋が向い合う場所があった。中山道沿いゆえだろうか。たぶんこのあたりに質店もあったんじゃないか。

『挾み撃ち』では駅前通りから右に折れるとたどりつく蕨神社こと和楽備神社。私は中山道から引き返しながらだったので、左手に見つけて進む。


ここを通り抜けた先に下宿があったらしいけれどもどぶ川も見えず、下宿の場所は判然としない。

屋台のなかを引き返しながら何か買って食べるのも良いかなと思ったけど、ゴミの処理とか面倒だなと思ってたらそのまま駅前についてしまった。駅前には松屋、マイカリー食堂、松のや、と同系列チェーンが三つ並んでて何なんだと思った。松屋で牛丼食べて昼にした。通りすがったところに無人馬肉販売所というよくわからない店があり、看板から色々怪しい店のようにしか見えなかった。



これはただの良い感じの路地。この向かい側に古書店の看板があり近くへ来たら休業だった。

蕨は古い宿場町なのもあって歴史資料館もあり、街並が自分の住んでるところとはやはり違うなあという感触がある。

草加のハーモネスタワーに似てるなと思って撮った高層マンション。似てる、か?

『挾み撃ち』と蕨と言えば一つ面白い記事があって、それがこの潮地悦三郎「蕨市を舞台とした長編小説・後藤明生著『挾み撃ち』について」という文章。前読書会にも持参したやつ。

蕨市立図書館の職員の人が書いたもので、蕨郷土史研究会から出ている「ふるさとわらび」第五号(1975年6月15日)に載っている。面白いのは、作中で石田家とあるのはこの著者の教員時代の教え子「I君」の家だと書かれていること。石田家の門の前に停まっている黒い車という『挾み撃ち』の描写について、著者は「日本一流の大会社の管理職になっているI君が、上司にゆずり受けた外車のように大きな黒い車で、一昨年、同窓会が終った夜、I君は筆者をその車で自宅まで送ってくれたのだった」(91頁)とコメントをしている。ただこの記事、誌面に紹介するためか蕨の描写を小説から長々と引用していてしかも引用と本文との区分もできてなくて読みづらい。引用しながら住民の見地からのコメントが時々あってそこは興味深くもある。なお、著者は台湾からの引揚者だそうだ。あと、『挾み撃ち』自体ははあまりお気に召さなかった模様。この記事、どこで存在を知ったのか覚えてないな。

上野

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アメ横ってここで良いのかな。
『挾み撃ち』では上野の銀行に勤める久家に電話し、映画館の思い出を回想する上野。『挾み撃ち』作中の記述がいまいちどこなのかわからないけれども、三件並んだピンク映画館といえばこのオークラ劇場なんだろうか。公園の地図で言えば風俗資料館の近くにある。

これを見たら特に用事がなくサクッと次の場所へ向かった。


途中よくわからんもんが見えた。どうでもいいけど、このあたりのどこかの電車内のドラマの広告で「対象的な二人」っていう誤記があったのを覚えている。

亀戸

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左の地図はちょっと範囲が狭すぎて亀戸天神や三丁目あたりが入っていない。右上の広域図はちょっと小さいか。下のいり豆店は地図にある四丁目の交差点にある。

但元いり豆本店、『挾み撃ち』読者にはお馴染み、かな? あの外套のポケットから転がり出る豆。

この店を写真に収めようとしていたところを参加者のわかしょ文庫さんとオルタナ旧市街さんに目撃されていたということをゴール地点で合流した時に聞いた。あの店を撮ってる人なんてオリエンテーリング参加者しかいないだろうと声をかけるか迷ったらしい。あとで写真を見返したら豆を買っているお二人の姿が私の撮った写真に写っていた。見ていると思ったら見られていたし実は見ていた。お二人とは御茶ノ水で初対面だったので、松原団地で顔を合せていたらここで双方気づいた可能性がある。

亀戸天神に寄っていく。「和魂漢才」、後藤明生がよく言ったのは「和魂洋才」。亀戸天神の亀も見た。


境内に「国産マッチの創始者 清水誠の頌」という石碑があった。そうなんだ。
清水誠 (実業家) - Wikipedia
石碑の前を通って行くと亀戸天神の裏手に出る。亀戸三丁目は昔花街だったといい、『挾み撃ち』にも出てくるけれども、うろついていてもそういう雰囲気は感じられなかった。住宅街と古い建てものはちょくちょくあったけれど。後々聞いてみると私が歩いたのとは一つ違う路地がそうだったらしい。知らないと分からなかっただろう。

横十間川に突き当たり、親水公園になってるところには釣り人がいた。スカイツリーを眺めて引き返した。

御茶ノ水

そしてゴール地点、御茶ノ水駅へ。すぐ近くの山の上ホテル河出書房新社文藝賞贈賞式でおなじみのところ。松崎さんによれば後藤明生もたいそう気に入っていたらしくよく使っていたという。阪神大震災の時、「しんとく問答」の原稿を持って大阪から脱出し、山の上ホテルで続きを書き上げたというのが年譜に載っている。


駅前の丸善で少し時間を潰す。白水社〈ロシア語文学のミノタウロスたち〉という新しい叢書の一冊をふと手にとって、何か馴染みのある感じだなと装幀者を見たら仁木順平。〈東欧の想像力〉叢書の担当者だったのでなるほどなとなった。

ここでこの日三本目の500mlポカリスエットを買って、一日で計三本1.5リットル飲んだんだけれど、トイレに行ったのは一度だけだった。どれだけが汗になったのか。陽差しがさほど強くないこの一日でもそうだった。

外語大へ出て行くバスはこの並びから出発していたのだろうか。

作中待ち合わせ場所になっていた喫茶タイガーはこの通りにあったのかなと思う。

個別行動でハッシュタグの繋がりだった人たちが揃い、谷保の『挾み撃ち』読書会で会った人たちも集まった。これにてオリエンテーリングの終了。

私はこれ以上帰宅を遅らせると翌日に響くのもあって打ち上げには不参加。松崎さんが持参したという『挾み撃ち』の生原稿を見ることはできなかった。まあ、それはまたいつかの機会があれば。

おわりに

小説の舞台を訪れることはほとんどしたことがなかったので、実地に歩いてみるのは貴重な経験になった。ストリートビューでどのような場所かをチェックすることはあるけれども、自分の足と目で土地を歩いてみることはそれとはやはりかなり違った経験だった。


「大人の夏休み」、まさに、という表現。汗をだらだら流しながら見知らぬ土地をスマホと小説をたよりに歩き回って、ふと面白いものに出くわしたりする探検。

参加者の方によるブログ。
tubeworm37.hatenablog.com


一日の歩数は二万五千ほど、歩数アプリを入れてから歴代一位だった。

後藤明生の近所に住んでいたこともあるという忍澤勉さんの番外レポートのツリーも参照のこと。

大阪では『しんとく問答』のワークショップが行なわれるとのこと。『しんとく問答』は私も小説を読みながらストリートビューを見てルートを確認しながら読んでいた。

そして、ツイッターでは告知してましたけど、うまく行けば来月末に私の後藤明生論が刊行される予定です。

季刊「未来」に2016年から2018年まで連載した第一部に加え、未発表の二部と三部もあわせた長篇評論です。朝鮮引揚げを軸に後藤明生の主要作品を俎上に上げて初期から後期にいたる変遷を追っています。書きはじめてからは七年近く、図書新聞の対談で刊行予告を出してからは三年が経ってしまいましたけれど、めぐりめぐって『この人を見よ』の幻戯書房からの刊行となりました。略年譜や索引もついて思った以上にしっかりした本になりそうです。よろしくお願いします。
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