細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』

ディアスポラを生きる詩人 金時鐘

ディアスポラを生きる詩人 金時鐘

時鐘は詩作を読んでなくてむしろ入門として読んだ。済州島四・三事件から亡命のようにして日本にたどりついた在日の詩人の初期から現在までの活動を、詩への細かな読解を軸にたどり、「マイナー文学」としての「世界文学」を読む。

皇国少年として育ち、日本語に秀でた時鐘はしかし家では母は日本語を話せず、父は話せる日本語を使おうとはしなかったという。朝鮮語は日本の敗戦の後に必死で学んだものだという言語をめぐる様相を基盤に、在日詩人の日本語による詩作という幾重もの屈折を読み込んでいく。広言してこなかったので、それまで読んでいた詩に済州島事件の体験が折り込まれていることに気がついていなかったという衝撃を受けた著者やその知人の驚愕が印象的だった。

金時鐘岩波新書『朝鮮と日本に生きる』で、済州島での弾圧虐殺と抵抗のありさまが無数の人の死を間近に見た場所から生々しく描かれていたのを覚えているくらいだけれど、本書で帰国事業に対する疑問が糾弾を呼び込み十年活動が阻害されていたことは初めて知った。 

また大阪ではくず鉄を拾って売りさばく在日がアパッチ族と呼ばれていて、開高健の『日本三文オペラ』はアパッチ族を書いた快作だけど、金時鐘自身がアパッチ族でもあって、開高の妻牧羊子が詩人で金時鐘と知り合いだったので時鐘にも取材して書かれた、という話は意外な驚きがある。

著者が時鐘のコスモポリタニズムへの警戒心について以下のように述べている箇所は重要だろう。

このあたりの「コスモポリタニズム」にたいする強い嫌悪は、「日本人」にはなかなかピンと来ないかもしれない。しかし、自分は差別と無縁だと思っている「日本人」によって「在日朝鮮人」にたいしてしばしば発せられてきた、「日本人か朝鮮人かというまえに同じ人間ではないか」という語り方は、実際は自明のごとく「日本人」への「同化」を迫るものでしかなかった。件の寛大な「コスモポリタン」の日本人は「だから一緒に君が代を歌おう」としばしば平気で言葉をつづけるのだ。その事実は繰り返し想起されるべきだろう。(163P)

細見和之といえば岩波の思考のフロンティア叢書の名著のひとつ『アイデンティティ・他者性』の著者と記憶していて(もうひとつは岡真理『記憶・物語』か)、そこで扱っていた時鐘についての思考をようやく一冊にまとめられた著作となっている。

金時鐘は元山に生まれたというけれど、ここは後藤明生が通った中学のあるところで、朝鮮で日本語教育を受けた在日朝鮮人と、朝鮮で生まれ戦後日本に引揚げてきた日本人のこの微妙なすれ違い。この二人の植民地体験の距離は、どれほどだろうか、と。