『名もなき王国』「エヌ氏」『原色の想像力2』『妖精の墓標』『デュラスのいた風景』『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』

名もなき王国

名もなき王国

倉数茂『名もなき王国』久しぶりに原稿とかと関係なくただ面白いだけで読める本を読んで、屋外でメチャクチャ体を動かした後にスポーツドリンクをがぶ飲みするみたいに楽しかった。生き返る気分。とにかく次々と魅力的な物語――売れない作家同士の鬱屈と友情、洋館に棲まう忘れられた幻想小説作家、家族を共有するカルト団体、奇病で閉鎖された街からの脱出、満洲引揚げの一頁、一筆書きのような幻想掌篇、デリヘル嬢に自作小説を配るドライバー、謎の薬をめぐる探偵小説――が現われる楽しさ。各篇に連繋や暗示でつながる要素は丁寧に再読しないと配置をまとめきれないけれど、第三章でコウが出てくるあたりで全体の動機はうかがえる。小説を物語を必要とし書くことについて、なぜ私が私なのか、現実が現実なのかという根源的でかつ普遍的な感情を基盤にして、さまざまな単独でも読めるような小説内小説を配しながら、個々人の名もなき王国を希求する業について書かれたメタ幻想小説。本書は倉数さんより恵贈頂きました。

『名もなき王国』倉数茂|ポプラ社一般書編集部|note

ここで第一章まで試し読みできる。ほかに本書未収録の掌篇がいくつか公開されているので、こちらから読むのも良いかもしれない。

掌編「緑陰の家」沢渡晶|ポプラ社一般書編集部|note

掌編「イザベラの庭」沢渡晶|ポプラ社一般書編集部|note

掌編「アクアリウム」沢渡晶|ポプラ社一般書編集部|note

ミステリーズ! Vol.90

ミステリーズ! Vol.90

渡邊利道「エヌ氏」読む。幻視社同人でもある渡邊さんの創元SF短篇賞の飛浩隆賞受賞作品。氏のこれだけ長い作品を読むのは久しぶりだけど、やはり語り口が見事で、冒頭からディッシュ「アジアの岸辺」を思わせるイスタンブールの舞台設定とともにヨーロッパの終焉を背景にしたデカダンスの雰囲気のなか、悠々として余裕を感じさせる感触がとても良い。やっぱ洋館は燃えてこそだよなっていう展開をはさみつつミステリじみた筋書きの先に現われる可能性の糸の束としての人間、という概念に瞬間的に飛浩隆を思い出したけど、飛作品には刻々と生成されるその瞬間瞬間のものといういわば音楽的ニュアンスだとすれば渡邊作品は逆の感触。メタ時間の次元。過去と現在と未来という西洋的「物語」を可能にする条件が廃棄される物語が、ヨーロッパの終焉を迎えつつある近未来において語られるメタ物語になっているあたりの知的な構成もさすが。人を待つと言えばゴドーを思わせるんだけどそこからのラストも素晴らしい。可能性の束の糸のモチーフは蜘蛛の糸とも連なってて、終盤の比喩は洋館を蜘蛛の巣にしていた語り手を指すけど、糸を張って待ち構えているのは当時のエヌ氏もいまの語り手もそうだし、罠にかけられ、かけかえす二人のそれにもなってる。追うものと追われるもののロマンス。冒頭、計量スプーンで食事した哲学者はわからない*1けど、ドストエフスキートルストイが混ざってるので、語り手においてヨーロッパ的教養が崩壊しているってことでいいのかな。ヨーロッパの自滅、読んでないけど『トラストDE』かな。いろいろ仕込んでるはず。 

創元SF短篇賞の候補作を集めた『原色の想像力2』ようやく読んだ。正賞受賞でない新人でアンソロジーを組んでこの水準があるというのはすごいなと思うものの、やはりちょっと物足りないなという部分もあり、面白い本だった。個人的に良かったのは「繭の見る夢」と「ものみな憩える」。空木春宵「繭の見る夢」は言われるとおりちょっと長さを感じさせてしまうところはあるけど、王朝メタSFとして雰囲気があるので、連作にして一冊の本にすれば良さそうだなと思ったんだけど、商業媒体ではほかに書いてないみたい。巻末で言われるとおり蟲師の筆の海?を思い出す。忍澤勉「ものみな憩える」、選考でいわれる通り情感のある小説として読み応えは一番だった。後藤の『挾み撃ち』や藤枝の「一家団欒」を思わせる三十年前の場所や家族との情景にはSFとかはどうでもよくなってくるけど、宇宙計画の話からラストに繋がる味わいにはいい小説だったという印象が残る。酉島作品は単行本で既読なので飛ばしたので、ラストの忍澤作品でクールダウンさせつつ終わるのが、良い感じに読み終えられて印象が良い。

妖精の墓標 (講談社ノベルス)

妖精の墓標 (講談社ノベルス)

松本寛大『妖精の墓標』読んだ。『玻璃の家』と探偵役を同じくするシリーズで、認知心理学のかなり専門的な論文まで参照した密度の高さと、田舎の製材所を経営する一族の因縁をからめた本格ミステリ。人間の認識にまつわるネタは引き続きだけど「妖精」を題材にしたところが面白い。画家が見る妖精の話は認知心理学で説明されるんだけれど、そこには留まらない展開を見せてくるのが鮮烈。前作は目撃者の相貌失認からガンガン転がしていく後半が圧倒的だったけど、今作はもうちょっと落ち着いていて、とはいえ、無関係に思えた話が遠くから繋がってくる感じは楽しい。認知心理学ネタでもあるように、ある世界においては自分の見るものが先入観に枠取られているということが自分では分からない、という話にもなっている。土地に根付かず流浪するものにとっての苦しみがあるなら、木のようにそこを離れては生きて行けないという地元民もまたいる。妖精ネタのように、地方の有力一族の「古典的な悲劇」もまた、21世紀の現在にもあり、古いものをただ古いと解体するのではないやり方で書かれている感じ。人間関係が面倒なので、一族の関係は本の登場人物リストにたよらず、家系図を作ったほうが良かったかも知れない。

デュラスのいた風景―笠井美希遺稿集・デュラス論その他 1996~2005

デュラスのいた風景―笠井美希遺稿集・デュラス論その他 1996~2005

笠井美希『デュラスのいた風景』。詩人笠井嗣夫氏の息女の若くして逝去したのち、卒論、修論、あるいはいくばくかの商業原稿のほか、大学時代のレポート含めた断片、草稿、映画評メモ、母への手紙、そして遺書をまとめた本。核となるのはデュラス論で、卒論では『太平洋の防波堤』での主人公の「処女」が経済的交換商品となっていることをバタイユやモースを援用して論じ、修論では『愛人』を絡め、レズビアン批評の概念を用いて、強制的異性愛ヘテロセクシズムかな)批判として読み解くものでとても興味深い。他の原稿も読むと、優秀な人というのは大学一年でこれだけ書けるんだなとおもった。最後、年譜には2015年に美希の母の逝去が記されている。これを編集する父嗣夫氏の痛ましさたるや。寄稿にある林美脉子の追悼文が、彼女の味わった女性差別やその論考にあるフェミニズム批評による戦いを自らと重ね合わせ、闘争のはじまりを宣言するきわめて熱量のあるもので印象的だった。

岡和田晃『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』。これの原本となった第50回北海道新聞文学賞の佳作を受賞した『破滅の先に立つ』は私が印刷用PDFを作成したので、大半既読だけど新しい原稿も多く、改めて全篇通読すると情報量と密度には眩暈がするような迫力がある。大江論のカナファーニー引用から始まって、アイヌあるいは北方文学そして沖縄から世界へと、辺境から見返すことと、現在の問題をつねに視界に置く姿勢が顕著に出ている。マイナーなものを拾い上げていく博捜ぶりと辺境から見返す姿勢は相通ずるものがあり、これはつまり、文学に政治を持ち込むことに冷淡な自閉性批判の姿勢も同様、それぞれのジャンルの暗黙のコードを相対化せんとする意識が多様なジャンルの横断を本質的な方法たらしめており、以て現在との闘争の言葉を組織する言説の核となっている。このスタンスは、たとえば津島佑子の『ジャッカ・ドフニ』について多くの書評が出ていながら、作者自身が書いてもいた現在進行形のアイヌ差別を主題として論じたものはなかった、として論を進める津島論の一節が印象的だ。マイナーなものをマイナーだからと称揚するのではなく、レベルの高いものを評価すると自然とこうなった、とは氏が常々言っているように、批評、研究の区別なく徹底した資料の博捜のなかから汲み上げるべきものを拾い集めていくことで、新たな布置を描き出す、ということ。文学よりの本書とSF、幻想小説、ゲーム論集として対の形になる『世界に空けられた弾痕と黄昏の原郷』を読むことで、より総体的な著者の幅広い横断性がうかがえる。 

世界にあけられた弾痕と、黄昏の原郷〜SF・幻想文学・ゲーム論集 (TH SERIES ADVANCED)

世界にあけられた弾痕と、黄昏の原郷〜SF・幻想文学・ゲーム論集 (TH SERIES ADVANCED)

 

これも著者から恵贈頂きました。

*1:渡邊さんによればパスカルとのこと