上田早夕里『深紅の碑文』『夢みる葦笛』

『深紅の碑文』

『華竜の宮』の姉妹篇。人類に迫る、プルームの冬と呼ばれる地球凍結の危機を目前にしたなかで、救援団体、反抗する海上民、ロケット打ち上げ事業を軸に、血で血を洗う抗争、飽くなき交渉、空への夢、人間とは何か、さまざまなテーマを簡潔で淀みなくスリリングに、極限状況での言葉と交渉の意思とともに描く傑作。

海洋資源を奪取する陸上民と、それを襲撃する海上民の対立が激化し、前作『華竜の宮』主人公青澄は民間救援団体事業の理事長となって調停を試みる。同時に海上民の反抗組織ラブカのカリスマ、ザフィールがもう一方の軸となり、海上民という陸からの被差別者たちの尊厳をいかに受けとめるか、ということに作品の大部分が割かれている。陸と海の対立を描きつつ、オーシャン・クロニクルズという総題が示すのは、この「異質な他者」といかに向き合うかということで、じっさいそれに尽きると言っても良いかもしれない。

海上民や救世の子などさまざまな改変を施された人間たちとの関係があり、ザフィールはともかく、青澄はアシスタント知性との二人三脚の人生で理由があって家族を持たない独身者でもあり、そして星川ユイと救世の子マリエとの関係は、「女と生きる女」という沢部ひとみの定義で言うレズビアンだ。異者との関係がヘテロセクシャルな関係性とは異なるものとして現われる。そういえば「独身者たちの宴」とは渡邊利道さんの『華竜の宮』論のタイトルだった。資源を費やしてまでロケットを打ち上げるという夢に「リリエンタールの末裔」としての空への憧れがつながる部分も良い。

『華竜の宮』や「魚舟・獣舟」のシリーズなので、これらの設定やエピソードを既知のものとして進む部分があり(文庫で改稿したりしたかは知らないけど解説がついてるので補足できるかも)、いきなり本書から読むのは勧められないとはいえ、私も読み返さずに読んでいるのでなんとかなるのかも。いや、とにかく面白かった。危機が迫るなかでのどこまでも言葉での交渉を徹底しようという政治の貫徹にかなりのアクチュアリティがある。

『夢みる葦笛』

夢みる葦笛 (光文社文庫)

夢みる葦笛 (光文社文庫)

十篇を収める短篇集。多くが三十ページほどの短さながらぎゅっと凝縮されていて、『深紅の碑文』の諸テーマ――異民族や人間でない存在と人間との関係、空や宇宙への憧れ、そして国境を超える真理等々、が各篇に通底しつつ多彩な題材で展開されていて、作者の軸が強く感じられる。

表題作「夢みる葦笛」は合成音声を題材にし、不可思議な音楽の甘美さがもたらす人間でないものへの変身が人々に歓迎されているというファシズム全体主義を思わせる状況で、はぐれ者がひとり抵抗するさまを描く。百合っぽいなと思ってたら思った以上にストレートに百合でもあった。これは人間でないものへの変身が破滅的ホラーのタッチで描かれるけれども、「完全な脳髄」では合成人間が人間に近づくには人間を殺すことができなければならない、という皮肉な議論が展開される。ここにある人間とは何か、というテーマは諸篇でも随所に顔を出し、非人間の人間性にも繋がっている。

「氷波」では、遠い小惑星での宇宙現象を体感するため、実在の人間から抽出された人工知性と、宇宙開発用のより機械的な人工知性のコミュニケーションが描かれる。人間が宇宙へ出るために自身を非人間化し、しかしそれでもそこに人間の本質が現われるのではないかという逆説が鮮やかだ。「プテロス」では、「本当の意味で宇宙生物学者になるためには、科学者としての常識どころか、『人間であること』すら、捨てねばならない瞬間があるのかもしれない」(217P)とも述べられているように、科学的探究心は地球を、そして人間をも超え出るものとしてある。「上海フランス租界祁斉路三二〇号」は、戦前戦後の日中関係に翻弄された実在の科学者をモデルにとった平行次元歴史SF。エピグラフにある「真理は国家を超えるもの」の言葉が印象的で、戦争と民族で分断された過酷な状況における科学者の姿が描かれる。石井四郎が出てくるのも重要だろう。近作『破滅の王』は731部隊が関係するらしいので。

民族を、国家を、地球を、人間をも超えていくもの。「滑車の地」での作られた存在リーア、「アステロイド・ツリーの彼方へ」のバニラ、「氷波」の知性体などなど、地球環境に依存する人間にはなしえない彼方への旅は、人間でない存在へと託される。それは繁殖に因らない人間と科学の子孫たちで、どうも本書の登場人物達は異性同士で子をなしたがらないところがある。「上海フランス租界祁斉路三二〇号」も結婚が回避される展開があるし、人間でない存在を産むのは当然生物的繁殖ではない。上掲の青澄とアシスタント知性マキもこれだ。いや、「テクノロジーそのものも、人間の身体の一部なのだ」と「楽園(パラディスス)」にあるように、それをも含めて「人間」なのかも知れない。
そういえば、「石繭」は諸星大二郎の「不安の立像」っぽい。