古井由吉『雪の下の蟹・男たちの円居』と『雨の裾』

二月末、古井由吉逝去の報があった*1。大学生時分に授業でお世話になっていた寮美千子さんに連れて行ってもらって、風花の朗読会に行ったことがあり、そこで寮さんの紹介で本にサインをもらったことがある。何か話したかも知れない。何も覚えてない。


古井風にいえば、以て瞑すべし、と言うべきだろう。

後藤明生を読み出した時には既に後藤は亡くなっていたけれども、読み出した頃の古井由吉は『忿翁』など(リアルタイムで新刊を買ったのはこれが最初かも)の連作短篇スタイルになって久しい時期でもあった。

私が古井について書いた文章では以下のものがある。
古井由吉 - 白暗淵 - Close To The Wall
東京SF大全29・30 『白暗淵』『終着の浜辺』 | TOKON10実行委員会公式ブログ
古井由吉 - やすらい花 - Close To The Wall
際限のない反復――古井由吉「辻」 - 「壁の中」から
読み返すと、『辻』についての記事が一番しっかり読み込んでる気がする。古井熱が特に高かった頃だと思う。『辻』は新潮文庫で手に入る。

小説本は概ね持っているのに十冊ほど未読が溜まってしまっているのと近作の追っかけができてないな、と思っていたところだった。訃報を聞き、『雪の下の蟹・男たちの円居』と『雨の裾』を読んだ。最初から二冊目の作品集と最後から三冊前の作品集になる。1970年と2015年、45年の時間を経た二冊だ。偶然にも『雨の裾』の「虫の音寒き」は金沢へ行く作で、「雪の下の蟹」で題材になった生活やその時住んでいた判子屋の下宿が回顧されている。

文芸文庫の元本『男たちの円居』は『円陣を組む女たち』に続く古井二冊目の本で、男女の「円」で対になったタイトルを持つ。

金沢の豪雪の経験を描いた「雪の下の蟹」は、雪で川があふれるのじゃないかという危惧のなかでどっちの岸が雪を下ろすかの対立が段々と極まってきて、「たのむで」「そやかて」のなしくずしになっていくやりとりにある笑いが面白い。外から聞こえる声の描写が古井らしい。分身のモチーフがあって、『雨の裾』にも時間軸的な分身が出てきたりする共通点がある。戦時下、山村にやってきた物言わぬ孤児を描く「子供たちの道」は冒頭、何気ない出来事が妙な雰囲気を帯び始めて危機的な何かが露出するような不穏な叙述がいかにもの感がある。孤児と孤児を保護する女、それを執拗に観察する少女ともども、女のもの狂おしさを描く一作。「男たちの円居」は山中で雨に閉ざされた数日、職のある男たちと職にあぶれた男たちという二組が同じく食にあぶれる状況が描かれる。「職」と「食」、「円居」と「惑い」の掛け詞だったりするんだろうか。

雨の裾

雨の裾

これら初期に比べると、『雨の裾』はほぼエッセイのような作や聞き書きのような作やら、物語性や虚構性があったりなかったり混在しつつ文章の密度はいやに濃くなっていて、そのなかで老いと死についての語りが延々と続く、煮詰まり切ったその果てのようだ。

いつものことだけれどとにかく死の匂いが瀰漫していて、八篇中全部か七つかで死が描かれる、というくらいで、義母の死の直前に見舞った一篇の一年後に一周忌に行った一篇があったりもする。最初の一篇と最後の一篇がほぼエッセイ的な古井本人と思しき「私」の語りに終始するんだけれど、なかほどになるにつれて伝聞が増える印象がある。この構成は意図されたものだろうか。中盤のほうで、ある男の話とか知人の話などが途中で始まって、いかにも古井的な語りで見てきたように語るんだけれど、最初がエッセイ風なだけにそういう構えで読まされるうちにいや、これは小説だし虚構では、と判然としなくなる。

最初の一篇は辞典を引くところから始まるくらいいかにも随筆、という感じでしかし次第に随筆と小説が渾然となった得体の知れないものになっていくところがある。作中15歳の時に大病をして、という記述があったので自筆年譜を見たら16歳でのことだと書いてあった。校閲で指摘されそうなものだけれど、この間違いはつまり、これが虚構だ、というサインなんだろうか。後藤明生も自分の住居の階数を小説のなかでは変えて書いていた。近作になると微細な身体感覚を丁寧にたどりながらそれがある種の逆説にも通じたりする不穏さはよりいっそう強まり、文章の「認識の構造」としての純度を高くしていくなかで初期のような小説っぽさは消え、随筆・エッセイに近似していくけれど、そのなかでやはり虚構性が迫り出しても来る、ということだろうか。

近作はその語りの技法にもよるけれど、何を読んでいるのか不分明になるところがある。しかし小説っぽいほうがなんとなくわかった気になる、読んだ気になるというのは、物語、お話を追うことでわかったような気がするだけで、じっさいは何もわかっていないということだろう。

それはともかく「雪の下の蟹」では「私にとって昼間の仕事は、どんなに神経を張りつめていても、しばしば眠りに似ていた。それにひきかえ、夜の眠りはこわばった目覚めに似ていた」11Pとあり、『雨の裾』の「死者の眠りに」では「人は覚めながら眠っている。眠りながら覚めている」56Pとある。似た感覚を書いてもこの短さ。物語性を排していき、文章の密度が異様に上がっていっている。

そういえば「雪の下の蟹」の分身のモチーフは近年では老いのなかに堆積する時間として、連続する背中、のようなイメージで出てくる。自身の後ろにもうひとり、その後ろにもうひとり、というように、過去の時間のつらなりがあり、ドッペルゲンガー的な対面のものではない、背中を見せる分身。

雨に降られた女が出てくる一篇の後で、高層ビルから降る雨脚の裾を眺めながら、あの雨のなかで男女の間違いが起こっているかも知れない、と男が呟くのは視点の移動が鮮やかなんだけど、セリフが決めすぎというかわざとらしいというか、ちょっと笑ってしまった。この二冊では「握り飯」も共通して出てくるものだけど、初期では微妙に戦争の記憶をまとって出てくるものという感触があり、それはあるいは現在もそうなのかも知れない。


生前からこうまで死について書いているというのも「来たるべき死」というか、生きていることのうちにある死、というか、古井的に言うと生きながらすでに幾分死んでいる、というか、まことに古井由吉らしいとしか言いようがない。死と生の表裏一体というのは古井由吉がおそらく『水』以来ずっと書いてきていることだった。

しかし古井由吉のここ二〇年とかずっとこういう短篇連作による本を書き続けていて、折に触れて読んできてはいるけれど、古井由吉古井由吉しているのを読んでいるという憾みを拭えない部分もある。熱心に読んでいた十年前ほど古井由吉をちゃんと読めてないだけだろうか。近作個々の試みや特性というのはどう分析されているんだろう。


後藤明生は最初の小説集を69年に同時に二冊出して、翌年に古井由吉は最初の小説集を一月違いで二冊ほぼ同時に出してて、後藤も古井も叙述のスタイルは対照的ながら揃ってヌーヴォーロマンとかアンチロマンとか言われるあたり似たもの同士な感じもある。九十年前後に揃って首まわりの手術をしていたり。後藤が最後まで仲良くしてたのが古井だとも言う。これは酒飲み同士だからというのも大きいかも知れない。また、高層住宅に住み続けたのも一緒だった。

*1:二月十八日に亡くなったことが二十七日に発表された