古井由吉 - やすらい花

やすらい花

やすらい花

去年の暮れに出た「人生の色気」は買うまで小説だと思っていたら語り下ろしの本だったのに驚いた。で、この「やすらい花」のほうが「白暗淵」以来二年ちょっとぶりになる古井由吉の連作短篇集。同時に「群像」誌のほうで新連作が始まっているのは恒例のことになるだろうか。

古井は東京大空襲を体験したことが強いインパクトとしてある作家で、たいていの連作にはひとつくらいそこらへんのことを題材にしたものがある。前作では冒頭のものがそうだし、今作では「涼風」や「瓦礫の中で」がそうだ。しかも、ただ戦災を語るのではなく、そうした死に満ち満ちた状況のなかで、男女の交わりを目撃したという体験があり、死と性の密接な絡まり、あるいは、死に近づくほどに性が昂進していくのが古井作品の一つの大きな特徴でもある。つまり「人生=死」と「色気=性」なわけだ。

そのあたりのことは「人生の色気」でこう語っている。

僕は作品でエロティックなことをずっと追ってきました。その一つの動機として、空襲の中での性的経験があるんですよ。爆撃機が去って、周囲は焼き払われて、たいていの人は泣き崩れている時、どうしたものか、焼け跡で交わっている男女がいます。子供の眼だけれども、もう、見えてしまう。家人が疎開した後のお屋敷の庭の片隅とか。不要になった防空壕の片隅とか……。P61-62

もうひとつ。

死と性のイメージが切り離されると、関係の粘着性がなくなるものです。ある人の奥さんが亡くなって、お通夜に行って、その母親にふっと色気を感じたりします。そこで何かがつながって、業というものが出てくるわけです。P117

今作でまた印象に残るのは死んでいく人物の背中、だろうか。とにかく人が死んでいく、あるいは死に近づく(病院が頻出する)なかで、「生け垣の女たち」の老人や「朝の虹」の男のように、死んだ者について回想するという構成をもつ作品がある。彼はどんな人物だったのか、なぜそうしたのか、何故死んだのか、というような謎が死者の顔を隠して、ただ、死んでいった、というその背中ばかりが浮かび上がってくる。古井には「背中ばかりが暮れ残る」という短篇があるけれど、まさにそういうしかない印象を残す。

中世説話を深読みしてみた「牛の眼」なんかも面白い。全体的にやや静かな印象がある本となっている。


エッセイ集というのではなく、さまざまな相手を同席しての聞き取りを編集して、誰かに話かけているような一人語りという塩梅になっている「人生の色気」は自身の四十年の作家人生を振り返っての回想記のようなものになっていて、非常に興味深く読んだ。

幼少期の体験からはじまって、同世代の「内向の世代」についての話や、その他文学、社会、性などなど、上にも少し引用したような古井由吉らしい視点が面白い。これもお勧め。

人生の色気

人生の色気