イヴォ・アンドリッチ - 現代東欧文学全集 12 ドリナの橋

現代東欧文学全集〈第12〉 (1966年)

現代東欧文学全集〈第12〉 (1966年)

ユーゴスラヴィアノーベル賞作家、イヴォ・アンドリッチの代表作。セルビアボスニアの境界近くにあるヴィシェグラードの町を流れるドリナ川にかかる橋を舞台に、オスマン帝国による橋の建造から、サラエヴォの銃声が聞こえ、オーストリアに橋を爆破される1914年までの400年にわたる大河ロマン、ならぬ橋と川を巡る年代記

橋の建設は1571年。日本で言うと江戸時代から明治維新までみたいな感じだろうか。近世から近代への歴史を背景とした歴史小説となっている。とはいっても、建設にまつわるごたごたを語る部分から、すぐに19世紀の話になるので、全体の大半は近代に偏っている。

その橋を舞台にした人々の生活、人生のエピソードが様々に語られ、解説にもあるように近代文学以前の語り物、的な印象がある。序盤では橋にまつわるさまざまな伝説が紹介されると物語は橋の建設に遡り、それらの伝説の実像を語っていく部分が面白い。

その後も、橋の建設にまつわる現地の人々と役人とのいざこざにはじまり、洪水に襲われる町の人々の戦いから、望まない婚礼のパレードのさなかカピヤから河に飛び込む花嫁の姿*1まで、いくつものエピソードを連ねながら語っていく。

滔々と流れる河にかかる立派な橋は、岸同士を結びあわせるものとして、そして橋の中央のカピヤ(門)と呼ばれるところは憩う場として人々とともにあり、これからもあるだろうというこの町の永続性の象徴として人々の「哲学」として存在していた。キリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒も、違う存在ではあるものの最大限友好的に共存する、そういうボスニアの町を象徴するものがこの橋でもある。

とはいってもすぐに時代は激動の転換期へと進んでいく。この時期、カラジョルジェの乱などが起こり、セルビアの独立をめぐった戦争が始まる。その影響はヴィシェグラードにも及んでいて、検問設置や反体制運動弾圧で農民が犠牲になるなどの事件が起こる。さらには、ボスニア・ヘルツェゴヴィナオーストリアハンガリー二重帝国へ併合され、バルカンを支配するオスマン帝国の国境が一夜にして遙か後方に移動してしまう。

後半では若者たちが熱っぽく天下国家、民族主義や科学などについての議論を戦わせる様も描かれていて、国民国家ナショナリズムという新しい潮流が持ち込まれてくる。ここらへんはまさに近代文学という印象だ。

ヴィシェグラードの町にもこの激動の歴史は影を落とし、カピヤでは拷問で農民が生きたまま串刺しにされたり、首をさらされたり、幾多の血が流されることにもなる。多民族共存の町が、次第に近代国民国家の潮流が流れ込むなかで変貌を来たし、オーストリアハンガリー二重帝国とオスマン帝国などの大国同士の戦いのなかで戦乱に巻き込まれていく歴史の悲しみがここにある。とはいっても、じっさい橋は建設当時にもその進行を妨害するものの処刑が行われるなど、幾たびも血にまみれた歴史があり、理想郷が近代になるに従って失われていく、と単純に要約するのも間違いだろう

しかしやはり小説の眼目は、様々な民族、宗教がともに存在した町のあり方を力強く描くことの方にあるだろう。そうした様々な民族がともにあること、それがボスニアだという信念が基調となっている。サラエヴォの銃声によって終わるこの小説が発表されたのは第二次大戦後のことで、二つの世界大戦を経てユーゴスラヴィアが成立した後のことになる。

多くの民族が寄り合った連邦国家ユーゴスラヴィアのなかでも特に民族混在が顕著な地域ボスニアを象徴するこの作品は、その意味できわめてユーゴスラヴィア的だったのだろう。

多民族共存ということで大きなポイントは、アンドリッチの両親はカトリックの一家で、彼自身もそうだと思うのだけれど、後半で主要な人物となる二人は、方やイスラムの僧で、方やユダヤ人ということだ。二人ともきわめて共感的に寄り添うように書かれている。キリスト、イスラムユダヤそれぞれが、違いはあっても対立があるという印象はない。ここにボスニアを描く、ということをアンドリッチがどう捉えていたかを知ることができると思う。

ボスニア内戦を経て、今や各民族は居住区を分けられて住んでいるという。ドリナの橋もまた、内戦で虐殺の舞台となった。アンドリッチが描いた民族共存の街は今や絵物語ユートピアになったのだろうか。ユーゴ唯一のノーベル賞作家だったアンドリッチも、ユーゴ解体にともなって、チェコとスロヴァキアでマサリクの評価が分かれているように、微妙な立ち位置になっているともいう。


ちなみに、この橋は正式には「ソコルル・メフメト・パシャ橋」といい、ボスニアのソコロヴィチ村出身でデヴシルメによって徴集され、その後宰相になったメフメト・パシャが建設を企図した橋だという。
ソコルル・メフメト・パシャ橋 - Wikipedia
この橋の設計をしたのが、オスマン建築史においてきわめて重要な位置を占めるらしいスィナンだ。彼については林佳世子の「オスマン帝国の時代」に記述があった。

また、アンドリッチは一時期投獄され、その時期キルケゴールを読んだりしていたということが解説に書かれている。なぜ逮捕されたのかというと、オーストリア皇太子、フランツ・フェルディナントを暗殺したガブリロ・プリンツィプの所属した青年ボスニア党は、アンドリッチが学生時代に組織した文学サークルの発展したものだったため、関係者と見なされたからだという。後半に出てくる若者は作者自身がモデルになっている部分も多分にあるだろう。世代的にも近い。

*1:このエピソードは、「もっと知りたいユーゴスラヴィア」のなかで山崎佳世子が紹介している民話のバリエーションを元にしていると見て良いのだろうか