最近読んだSF、SF、SF

SF読んだ記録その三。

シオドア・スタージョン - 一角獣・多角獣

一角獣・多角獣 (異色作家短篇集)

一角獣・多角獣 (異色作家短篇集)

まあ、伝説的存在だったのでわからなくもないけど、解説がほとんど原本の稀覯本具合にしか言及していないのがアレだ。内容はさすがのスタージョン、という短篇集。SFもあるけれど、ファンタジー、奇想小説よりの作品集だろう。異なるタイトルで他の短篇集に入っているものもあるので注意。「めぐりあい」は「シジジィじゃない」と同じものだし、「死ね、名演奏家、死ね」は「マエストロを殺せ」と同じもの。訳文が異なる(特に、柳下毅一郎が訳した「マエストロを殺せ」は、語り手の口調が大きく違っていて雰囲気がまるで変わっている)

読んでいると、なんというか、SFを書こうとしてSFになっているというよりは、書いているとSFになってしまった、という代物に思える。所収の短篇「考え方」ではないけど、切り込み方が違う印象だ。

シオドア・スタージョン - 時間のかかる彫刻

時間のかかる彫刻 (創元SF文庫)

時間のかかる彫刻 (創元SF文庫)

冒頭がアリオストの『狂乱のオルランド』をネタにした実験的な中篇でびっくりするけれど、他はスタージョンらしいと感じさせる短篇が続く。特に表題作は傑作だろう。普通の話だなーと思って読んでいると、最後の落とし方のうまさに舌を巻く。SFというよりは普通小説に近いものも多く、むしろそういう作品のほうが面白かったりする。なのでSF短篇集かというと印象が違うけれど、面白いことには変わりない。本書に書かれているけれど、確かに冒頭の中篇は最後に回した方が良いかも知れない。

ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク

三巻本のクラークセレクション。第一巻『太陽系最後の日』は半年くらい前に読んでいたので、ようやく全巻読み終えた。幼年期と2001年しか読んだことがなかったとき、選集がでたのでこれは好機と読んでみたわけだけれど、計五冊読んでも結局それほどクラーク好きにはなれなかったな。

どれも結構面白いし、つまらないという訳じゃないんだけれど、どうにも突き抜けたものがないという感じだ。地に足がつきすぎている、というか、あるいはそんなに小説として面白くない(スタージョンと比べるとその点鮮明だけど)という感想になってしまう。宇宙へのロマンが感じられるのは確かで、嫌いじゃないんだけど(「月面の休暇」とか)、積極的に読みたくなる気持ちにはならない。

まあ、『楽園の泉』か『宇宙のランデヴー』には興味があるので読んでみるつもりだけれど。

SFマガジン五十周年記念アンソロジー

中村融編 - ワイオミング生まれの宇宙飛行士

ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

ワイオミング生まれの宇宙飛行士 宇宙開発SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

SFマガジン五十周年記念アンソロジー」と銘打たれたシリーズの第一巻。SFマガジンに訳載されたきりの書籍未収録短篇を集めてアンソロジーを編もうという企画のようだ。その性格上、個人短篇集がない作家、有名でない作家の短篇が多いのだけれど、これぞという代物を集めただけはある。

第一巻は上掲クラーク選集でも編者を務めた中村融による「宇宙開発SF傑作選」、というなかなか面白いアプローチの巻。特に、最初の「主任設計士」と巻末の表題作の二中篇が抜群の出来。あと「月をぼくのポケットに」と「献身」もいいな。

編者が解説で編集経緯を説明していて、そのなかで改変歴史ものについて言及している。本書に収録されているものも多くが現実の歴史を題材に、こうであったかも知れない歴史を舞台にして書かれているものが多い。それが顕著なのはバクスターの「月その六」で、これは文字通り、いくつもの異なるIfの世界を渡り歩くことを、六つ目の月と表現している。他の作品でもアポロ計画がそのまま続いている世界などの改変歴史を採用していたりして、それが本書の裏テーマともなっているだろうことがわかる。

なので、本書の性格を違う言い方で表現するとなると、もう一つの「現在」ということになるだろうか。

大森望編 - ここがウィネトカなら、君はジュディ

ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

第二巻は大森望による「時間SF傑作選」。巻頭のテッド・チャン「商人と錬金術師の門」がやはり出色。ジャンルとしてはファンタジーに近いのだけど、SF的なネタを表面上SF色を消して書くところが面白い。これをSFとして収録する言い訳でもあるのだろうけれど、大森氏がこういうジャンルボーダーな作品をあえて「ハードSF」と呼びたがるのはちょっと気になる。表題作は全人生をランダムに意識だけタイムリープしていく人物が主人公。いろいろ甘い気はするけど。高畑京一郎の『タイムリープ』を思い出すな。

時間ものにもいろいろあって、歴史は決して変わらないという決定論的なものと、改変可能なものとがあって面白い。この二つがとりあえず時間SFを二分するのだろうか。

本書も別の言い方をすると「過去」になるだろうと思う。時間SFがつねに過去へむかう訳ではないにしろ、ロマンを絡ませたり、リプレイものはやはり過去が主題になるわけで。

山岸真編 - スティーヴ・フィーヴァー

スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

第三巻は山岸真による「ポストヒューマンSF傑作選」。「ポストヒューマン」というのもなかなか難しい言葉だけど、ここでは、クローン技術やナノテク、電脳空間との接続、仮想空間での生といった、人類が様々な技術によって拡張、改変されたさまを指す言葉として用いられている。以前ふれた、ポストヒューマンという言葉の出てくるスターリングの『スキズマトリックス』や、最近ならイーガンを思い浮かべるとわかりやすいと思う。

先鋭的なSFを集めた巻のようになっていて、上記二巻に比べると取っつきにくいものが多い印象だ。個人的にも好きな作品、というのがちょっと少なめ。とはいっても、挑戦的な作品が多く、一番面白みがあるのはこの巻だろうとも思う。最近話題になった作家も多く、長篇のほうに興味が出てきた。

巻頭のショートショートは、本巻のエッセンスを凝縮して突きつけてくる鮮烈さがあってインパクト大だ。イーガンの初訳の表題作は、ちょっとユーモラスな雰囲気もあってなかなかいい。ウィルスによってコントロールされる生物、というネタはハリガネムシが有名か。あるいは昆虫をリモートコントロールした実験も話題になった。そこからの飛躍がイーガンらしいのだけれど。

まあこれは別の言い方をすれば「未来」だろう。全三巻できれいに現在、過去、未来にわけられるのは狙ったことなのだろうか。

カレル・チャペック - マクロプロス事件

マクロプロス事件 (八月舎・世界文学叢書 (1))

マクロプロス事件 (八月舎・世界文学叢書 (1))

チャペックのSF戯曲。長寿の法によって三百年生きる女性を中心に、推理劇的な展開を持つ作品。ポストヒューマンSFの後に読むと、あれはここから地続きになっているのだと思える。長く生き過ぎると現実の全てに価値がなくなってしまう、という発想が核にある。結末の展開に説得力が欠ける気もするけど、興味深い作品。


もう十冊ほど読もうと手元に積んでおいたものがあったのだけれど、六月から延々SF小説ばかりをずっと読んで来たためか、まだ読みたいのにもう読めない、もうおなかに入らない、という気分になってきたので、積みSF崩しはいったんやめ。そのうち続きをやるかも。というか、まとめて読むのをやめれば良いだけなんじゃ。