2013年読んだ本とか

前回の記事で書いたように、今年は年明けから三、四ヵ月ほどずっと鶴田知也関連の調べものをして、また秋にも乱学講座そのほかやらでさらに追加調査などをしていたため、年の半分は鶴田知也についやした感がある。また幻視社の「未来の文学」特集のために既刊をあらかた読むなどしていたため、自分の趣味だけで読んだ本がきわめて少ないことになって、ブログ記事もかなり書いていない。まあ鶴田知也の調査結果は来年に共著なりで出版されるということなので、興味のある方はそちらをお待ち下さい。なので、ここでは鶴田知也関連の参考文献などには触れない。

ということで、今年読んだ中で印象的なものを挙げていく。

母の発達、永遠に/猫トイレット荒神

母の発達、永遠に/猫トイレット荒神

笙野頼子 - 母の発達、永遠に/猫トイレット荒神 - Close to the Wall
天国との往還、生と死の境界、そしてドーラの死というモチーフによって繋がるふたつの連作をカップリングした一冊。今年は笙野頼子の新作は短篇がいくつか、という感じでまとまった新作が出ていないものの、本書や文芸文庫版『幽界森娘異聞』や電子書籍に後書きなどが書き下ろされている。私は電子書籍にアクセスする手段を持っていないのでそれらは読めないけれども。

東欧

火葬人 (東欧の想像力)

火葬人 (東欧の想像力)

修道師と死 (東欧の想像力)

修道師と死 (東欧の想像力)

ラジスラフ・フクス - 火葬人 - Close to the Wall
メシャ・セリモヴィッチ - 修道師と死 - Close to the Wall
今年の〈東欧の想像力〉は、この二作が刊行。第九弾と第十弾ということで、フクスのものはナチス時代のある男の、反ナチスから親ナチスへの変貌をホラー的手法を導入しつつ描いたもの。セリモヴィッチはボスニアの作家で、オスマン帝国時代のイスラムの修道師を主人公とした重量級の大作。いずれも圧政の元にいるある男の変貌、を外面・内面から描いたものと言うこともできるか。
あと、恒文社の東欧現代文学全集全巻読む企画を立てたものの、いろいろ立て込んだためまだ一冊しか記事が書けていない。次はカザンザキスを読みます。

海外SF

クリストファー・プリースト - 夢幻諸島から - Close to the Wall
ついにプリーストの新訳長篇の翻訳と言うことで早速読んでやはりとてもプリーストで素晴らしい。感想記事が訳者古沢さんに読み応えのある、と書かれたのが嬉しかった。個人的には、いち早い「アファーメイション」の翻訳を期待。

叢書「未来の文学

ケルベロス第五の首 (未来の文学)

ケルベロス第五の首 (未来の文学)

そしてなんと言っても今年は幻視社の総レビュー企画のために『ダールグレン』以外全部読んだ国書刊行会のSF叢書「未来の文学」が凄かった。どれもこれもが一目置くべき作品群だけれど、なかでも三つ選ぶなら、いきなりプルーストを下敷きに始まる連作集ウルフ『ケルベロス第五の首』、今年二つ出たラファティ長篇のひとつ『第四の館』、珠玉のヴァンス短篇集『奇跡なす者たち』だろうか。『ノパルガース』しか読んだことのなかったヴァンスは、これほどの作家だったのか、と。スタージョンはむしろ、『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』の表題作や中篇「必要」が印象的だった。ディッシュの短篇は悪意たっぷりで、ベスターもさすがだし、浅倉編のユーモア短篇集もいい。プリーストの作品集は、夢幻諸島ものの長篇が訳された今こそ再読されるべき。ただ、ウルフは『デス博士の島〜』を読んだ時、「アメリカの七夜」でのこれ見よがしの信頼できない語り手アピールに、ちょっとうんざしりた。再読を誘い、再読に耐えるハイレベルの作品とはいえ、そんなにあからさまにやられるとなあ、と。奇天烈SF作家ワトスンはもっと翻訳されて欲しいところ。『ダールグレン』は年明けに読みますです。

ストレンジ・フィクション

ドクター・ラット (ストレンジ・フィクション)

ドクター・ラット (ストレンジ・フィクション)

河出の「ストレンジフィクション」叢書もレビュー企画に入れるかどうか検討したけれども、「未来の文学」が大変すぎるのでとりやめ。とはいえ読んだなかで、この二作は傑作。実験動物たちの反乱というベタなネタながらも語り手が人間側のネズミという設定が秀逸なコッツウィンクルと、奇妙な味としか言いようのない奇怪な連作のデイヴィッドスン、いずれも良い。

国内SF

Delivery (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

Delivery (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)

ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

S-Fマガジン 2012年 06月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2012年 06月号 [雑誌]

岡和田さんがでるジュンク堂でのイベントがあるということで読んだ八杉将司は、章ごとにジャンルがガンガン変わっていくハイスピードなエンターテイメントで、ポストヒューマン的なガジェットを経てタイトルの意味する結末へと至る展開がなかなかに感動的な一作。宮内悠介の二作は、片方は卓上ゲームを題材にした短篇連作、片方は民族紛争喧しい地域を舞台に、日本産の歌うアンドロイドロボットを共通のガジェットとするSF短篇の連作となっており、作風を違えながらも、「原爆の局」と「ロワーサイドの幽霊たち」という二作で手法がクロスしたりする。個人的には『盤上の夜』、特に解が解かれてしまったゲーム、チェッカーの最強のプレイヤーをほぼノンフィクション的に紹介した「人間の王」は素晴らしかった。仁木稔さんの中篇連作は、岡和田さんの言うように、伊藤計劃、宮内悠介などとも共通する世界認識を前提としており、人工子宮から作られた「妖精」と呼ばれる人間もどきが使役されている世界で、妖精への暴行動画がネットで消費される有様を描くなど、民族・人種間抗争と暴力の構図を浮かび上がらせるものや、『グアルディア』前史を描いたものもある。誌面でも伊藤、宮内との共振が指摘されていたけれども、いまだ本になる気配を見せない。もったいない。

「世界内戦」とわずかな希望〜伊藤計劃・SF・現代文学 (TH Series ADVANCED)

「世界内戦」とわずかな希望〜伊藤計劃・SF・現代文学 (TH Series ADVANCED)

そして岡和田さんのSF評論集が刊行。文学フリマでの幻視社ブースで私と二人で先行販売した。私の編集した「幻視社」誌からもいくつか採録されており、当日恵贈いただいたわけだけれども、やはり非常にハードかつ高密度な評論集となっていて、未読の原稿もあわせて一気に通読することで、よりよく彼の志向性が見えてくる。

戦争が国家間のものに限定されず、テロとの戦いという形で社会が常に戦争ときびすを接する状況とかそんな感じの、911以降の「世界内戦」という現状認識から出発し、伊藤計劃、宮内悠介、仁木稔といった新進の作家たちを数十枚規模で論じた批評を中心に配する第一部、SFと文学の境界線上の作品を中心にした第二部、佐藤亜紀やディッシュその他世界文学を中心にした第三部とで構成されている。伊藤計劃論から始まりディッシュ論で閉じられる本書の構成は、フィクションと政治という問題がつねに一貫していることを示している。「想像力の脱政治化に抗して」という原稿があるように、そしてまた、何度かジュノ・ディアスがオタクカルチャーの性的政治的差別性を指摘した発言を引用しているあたりに彼のスタンスは顕著に出ている。
ネットでは以前、岡和田が神林長平野尻抱介を批判した、という妙な炎上があったけれども、取りあげられている作品を読んでから岡和田論文を読むと、神林批判も野尻批判もそりゃそうだとしか言いようがない。しかし、藤田直哉氏がこの論文を、神林長平を政治性がないと批判した、と要約するのは単純化も過ぎる。世代、物語、インターネットと三つの観点から神林氏の伊藤計劃批判の問題点を指摘し、氏の伊藤計劃理解が浅い、と反批判しているわけで、私自身も神林氏の伊藤批判はどうかな、としか思えなかった*1ので、まあ、そうだな、と。しかし、藤田氏は「神林長平作品は、「高度な芸術」と思っている。高度すぎて、自分の言葉では追いつけないので、語ることができない」と信仰告白をするくらいなら、口を挟む資格がないのでは? また、野尻抱介の『南極点のピアピア動画』も読んだけれど、これは岡和田評以前にさすがにどうかとしか言いようがない。ニコニコ動画とヴォーカロイドが、いろいろな創作の起爆剤として盛りあがり、ニコニコ技術部といった人たちがいろんなものを作る流れなどを作品化しようというあたりはニコニコ動画への賛否はともあれまだわかるし、他の野尻作品での、技術が夢を繋いでいくことへのポジティブな肯定の姿勢は良いと思っていたんだけれど、それが無批判に融合した挙げ句にエイリアンが美少女ヴォーカロイドの姿をもって人類の前に現われる以降の展開がいくらなんでもキツイ。「もう日本国民はあーやさんでまとまっているといってもいいぐらいです」なる台詞に至っては、萌えによる天皇制をこうも肯定されるとさすがについていけない。『僕の妹は漢字が読める』での全国民の「妹」たる二次元美少女が総理、クラスのグロテスクさもない。エイリアンを美少女化してみんなで「かわいい」することがこれほど異議なく肯定されるのは、後にトロイの木馬的展開になる伏線としか思えないような展開なのにそうならないので驚愕する。
まあ、岡和田さんの批評スタンスは非常に論争的でまた好みが別れるだろうし、幻視社メンバーで言えば渡邊利道さんの文学は趣味、的なスタンスとその点は対照的だったりする。私はたぶん、岡和田さんほどハードに政治的な観点では見ないけれども、渡邊さんほど趣味に徹するわけでもない、という中途半端な立ち位置かな、と自分では思っている。

ノンフィクション

連続する問題

連続する問題

山城むつみ - 連続する問題 - Close to the Wall
今年はやはりこれ。詳細は記事に書いたので繰り返さないけれど、ラーゲリでの経験を経た「〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる」という言明の重要さは何度も繰り返しておきたい。ここから戦後問題、歴史認識問題を考察していく思考の迫力は凄まじいものがある。用あって『文学のプログラム』も読んだけれど、こちらも非常にいい。

八本脚の蝶

八本脚の蝶

国書刊行会の編集としても活躍したある読書家のウェブ日記の単行本化。幻視社での特集にあわせて読んだ。ものすごい読書家で、またお洒落にも余念がない女性の日々の考察が書かれており、また、フェミニストでありつつマゾヒストで自分を飼ってくれる「ご主人さま」を募集するという文章を書いたりもする複雑な人。自殺に至る後半の記述は戦慄なくして読めない。

ラノベ周辺

(P[く]2-1)黒揚羽の夏 (ポプラ文庫ピュアフル)

(P[く]2-1)黒揚羽の夏 (ポプラ文庫ピュアフル)

ラノベというかジュヴナイルというか、第二作はかなり違ってきてるけれど、とりあえずここで。倉数さんは『北の想像力』で一緒になったとき、『黒揚羽の夏』で松尾団地が出てくると聞き、さっそく買ったら、新刊の『魔術師たちの秋』を恵贈頂き、あわせて一気に読んだ。ダークな幻想的ジュヴナイルミステリといった感じで子どもを主人公にしていながらもきわめて濃密かつハイスピードな筋運びが鮮やかに展開していき、また二作共に戦後日本の「連続する問題」が横たわっているという歴史的な視点も組み込まれており、「過ぎ去ろうとしない過去」を東北のある町を舞台に描いているシリーズでとても読み応えのある作品。第二作はSF要素を強めており、この方向で続篇は書かれるのだろうか。
松尾団地ってこういうところ。これは確か2006年頃行った時の写真。


今年は石川博品の新刊が二作読めるという素敵な年だった。『ヴァンパイア・サマータイム』は吸血鬼と人間とが夜と昼とで共存している世界を舞台に恋愛小説を書いたもの。夜と昼、吸血鬼と人間、という懸隔をテコに、抒情的かつ艶めかしく描いている。この設定は、携帯時代において、二人の距離感からくる焦燥を描くための発明なのかも知れない。

後宮楽園球場』は、タイトルから『後宮小説』の本歌取りだと思ったので、まずは酒見賢一から読んだ。『後宮小説』は、終了が告知されたファンタジーノベル大賞の第一回受賞作として現われ、おそらくその後の日本文芸シーンに結構な影響を与えたと思しき作品で、世評に違わず面白く、実は後宮での女学校ものみたいな展開で驚く。他のも読むかと思ったら孔子を書いた『陋巷に在り』は、表紙絵が『孔子暗黒伝』の諸星大二郎だったのにはびっくり。サイコソルジャーとかが出てくるらしいので、そりゃ諸星しかないな。

後宮楽園球場』は、著者が

オスマントルコ風な帝国で、主人公の少年が女装して皇帝の後宮に入ったら、女の子たちみんな野球してたのでいっしょに野球をやる。あと、いっしょにお風呂入る。ヤッター!

と言っているような作品で、何を言っているかわからねーと思うけれどその通りなので仕方がない。祖業が野球、という帝国で、皇帝暗殺を目論む美少年が女装して唖の少女として潜入し、後宮リーグでの活躍が認められればより上層の、皇帝に近いリーグまで上がれるということで野球を頑張る、という話。この時点で凄い設定なのに、口絵に平然と「打撃の神様」という半獣人が混ざっているのに目を剥いたのが読む前で、打撃の神様の卑怯な神様ぶりに目を剥くのが読んでいる最中。神様のみならず、異星人などどこまで妙な設定をぶち込むんだという異様さ。それが平然と混在していて設定や場面はギャグなんだけれど、語り手は真面目なので話としては真面目に進む。エロというよりは艶めかしい女体描写の丁寧さ、三イニング制の野球というスピーディな展開を可能にする仕掛けの妙味、『後宮小説』よりも詳しいんじゃないかという後宮の描写などなど、いろいろすごい。「シリーズ」と編集が書いていたけれど、当然続きますよね? ここで終わっても石川らしいとは思うのだけれど、多くの伏線が撒かれているのでシリーズ化を視野に入れた執筆が成されていることは確かだろうと思う。売れれば、ということなんだろうか。

しかし、ベンチを指して「野球には帰る所がある」という印象的な文章があるのだけれど、今年出た短篇「地下迷宮の帰宅部」という異色作も、印象的な「帰宅」が描かれていたんだった。『後宮楽園球場』のラスト、これもまたネルリみたいにちょっと寂しくて、石川らしいなと思った。石川作品は甘くないけれども優しい。

見てたアニメ

今年いろいろ見ていたのでここでざっと書いておく。特に書いておきたいのは、カブトボーグ以来全話数を二度以上見たアニメゆゆ式。女子校を舞台にして三人の少女のやりとりを中心に描く四コマ原作アニメで、いわゆる日常系とも呼ばれるジャンルなのだけれども、今作では登場人物は常にお互いを笑わせようと試みており、互いのコミュニケーションのあり方に非常に自覚的なのが特色。第一話冒頭での、私がこう言うと彼女はこう返すから、私はこうしよう、みたいなモノローグや、ツッコミ役に向けられる「成立させ屋さんだねえ」という台詞、そしていつもの三人以外に対してはごく普通の対応をしている様子を描くなどもそう。また、日常的などうでもいい会話のほんとうにどうでもよい感じが良く出ており、自由で突拍子もない発想の連鎖や、またふとしたフレーズが癖になってしまうような言葉の言葉そのものへの注視が重視されていて、それは特に二話冒頭のシーンなどに顕著。登場人物達は他の登場人物達に対してその言葉を発しており、読者を笑わせるために何かをしているのではない、というたぶん独特の切り口。登場人物達がいくら笑っていても、見ているこっちは面白くない、というのはある面では妥当な感想でもある。非常に丁寧に作られているのがよく分るつくり。大久保瑠美の声色の使い分けが面白かった。

あと、面白いのがキッズアニメだろうか。一期をカブトボーグ臭との評判につられて以来ずっと見ている女児向けアニメのプリティーリズムシリーズの第三期、「レインボーライブ」は、一期二期に比べて格段に上がった作画、登場人物をリセットしてキャラクタごとの掘り下げを丁寧にできるようになった点等々、とても面白く見ていられる。女児向けアニメだからこそなのか、失踪離別、抑圧的な親などなどのシリアスな家庭問題を組み込んだヘビーなドラマ性や、過剰演出から来るネタ的な笑いの炸裂力の高さなどが特色か。特に、男アイドルのヒロのプライドがやられるシーンは本当に笑いが堪えられなくて困った。やばいわ。後、観客のモブなのに圧倒的に一発で分るくらいクレイジーなファンを演じる佐倉綾音は喉が心配。

男児向けのものとしてはガンダムビルドファイターズが非常に面白い。これほど充実したアニメはないっていうくらいだ。作ったガンプラを使って仮想空間でのモビルスーツバトルが楽しめる、という未来世界を舞台に、ガンプラ好きの少年とそのパートナーが自分の作ったガンプラで世界大会に挑戦する、という枠組みは、今までのガンダムシリーズのすべてのガンダムを登場させることを可能にし、そのために三十代以上のガンダムファン向けに作ってるだろうっていうくらいの、ファンによるファンのためのアニメになっている。感想などを見ても、ファンがとても楽しんでいるのがよく分る。キッズに受けているかどうかは知らないけれど。私はガンダムシリーズを通してみたのはたぶんウィングくらいしかなくて、初代もゼータも再放送なんかをピンポイントでしか見たことがなく、しかしカードダスやプラモ、SDガンダムなどのおもちゃだけで知っている、というような感じなので、個々の台詞が下敷きにしているネタや人物などの細かいネタは分らないことが多いのだけれど、手書き作画によるガンダムバトルは圧倒的。話の展開もスピーディで、本当に隙がない出来だ。特に凄かったのは第六話、序盤のライバルとの決戦のシーンで、フラメンコ調のBGMとともに始まる一騎打ちの熱量と言ったら。ザクの銃撃シーンで、反動によって銃と腕が波打つシーンなんかのこだわりも半端ではない。六話後半は本当に熱い。スティーヴ・スティーヴンスのフラメンコのアレや、エースコンバットゼロのアレ、あとミンサガのアレなどを思い出す、ヴァイオリン、フラメンコ、エレキギターの融合したヴォーカル入りBGMが最高だった。八話だったかのSDガンダムナイトガンダムの戦闘シーンでは、メッキ加工されたプラモ、の質感がわかるような作画がなされていたあたりのこだわり方も凄かった。

あとは、丁寧に作られたB級アニメとでも言えばいいのか、今の時代に荷物につぶされてぺちゃんこになった自分の指に息を吹き込んで自分を膨らませる、なんていうシーンが見られるとは思っていなかった絶対防衛レヴィアタンが楽しくて、スタッフ見たらまじぽかの人か、と納得したり。フル3DCGでの「蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ」が存外に出来が良く、特にクマが良かった。ギャグアニメとしてわりと面白かった「キューティクル探偵因幡」はもうちょっと話題になっても良かったのでは、と思ったり。gdgd妖精sの石館監督による声優ラジオに絵を付けたようなCGアニメによる大喜利シリーズは、gdgd二期、直球表題ロボットアニメ」「てさぐれ!部活ものとつづき、どれもわりと楽しい。

*1:特に、「わずかな希望」を見出そうとする岡和田氏と作品を「呪詛」と見る神林氏では対立するのもむべなるかな