第十九回文学フリマで入手した同人誌の感想

前に同人誌の感想記事書いたのいつだったかなと思ったら第九回で五年ぶりだったのに我ながら驚いた。レンズカバーが汚れたためか携帯カメラの写真が綺麗に撮れなくなっているので表紙画像がやや見栄えがしないのはご容赦を。

悦楽共犯社「Spiklenci slasti」


幻視社同人でもある渡邊利道さんらが作った同性愛テーマの新書判同人誌。サークル名冊子表題ともに、シュヴァンクマイエルの「悦楽共犯者」が元ネタ。
間瀬純子「地図の上の無数のデパートの屋上」ポチ的な年下と、昔子役だったS系男とのBL。地図、というアイテムに過去の幻想と憧憬を込めて、それが皮肉なラストに繋がる展開が良かった。間瀬さんは渡邊さんが推しているので作品を読みたいなと思いつつもまだ読めてない。
伊藤鳥子「ぼくとふたりの奇妙な関係」コスプレカメラマンが主人公で、性同一性障害女装男子(だから本人的には異性装ではない)と出会う。その彼女と、カメラマンの男性、そしてコスプレイヤーのマネージャーとの関係が展開のキーになっている。多様なセクシャリティをライトにまとめあげた感じ。落とし方が面白かったけれども、親族の設定はなんだか唐突で、別伝がありそうな雰囲気。
渡邊利道「俺様と俺」ジャズミュージシャンを扱ったBL。同性愛者カムアウトのためサークル内で孤立した主人公に近寄る演奏家が、おれはヘテロだと言ったことはない、とキスしてくる場面が上手い。全体に非常に洒落ている。作中で出てくるジャズはだいたい知らない。
慈安寺ウネ「ビューティVSビースト」腕力での序列が軸になる不良高校男子ものに、BLをからませたもの。野蛮な番長キャラより、女顔の男の方が強く、実はそいつがゲイでいいようにされてしまう、という調子で「ホモネタ」ギャグの感もあるものの、描写がやたら丁寧。作中にもいろいろ出てくるように、少年漫画パロディ。
柊織る子「水琴窟の夜」これは特に良かった。如実に異性愛(というか、男性の女性への性愛か)嫌悪を滲ませた百合小説で、雨の中の「バー・ランタン」のオーナー碧と、詔子の関係を描く。何が起こるというわけでもなく、二人の過去にいろいろあったことをうかがわせる会話がなされるだけ、でもあるのだけれど、そうそう、こういう百合小説を読んでみたかったんだ、と思えた。「女の体は子供を作らせるためのフラスコじゃないわ。」「男なんて、この世から消えた方がよくない?」と語る熾烈な作風。

「Le Lys dans la vallee」


こちらは、渡邊さんから買った、在庫が残っていた数年前の百合同人誌。表題はバルザック谷間の百合』の原題と同じ。
吉川トリコ「愛と笑いのコラージュ」心中することを決めた女子高生二人の京都散策。大人になることへの抵抗、が軸にある作品で、「ふたりの共通の願いは、女の子であること、女の子でいつづけること。/ 女にはなりたくない。おばさんにもなりたくない。でもおばあちゃんにはなりたい。(9P)」という記述が核心か。お気に入りの言葉だけを言いあっていく遊びが印象的。
アヤタニリツコ「ラストノート」ある屋敷で二人だけの生活を送る様子を描くのだけれど、という短篇。猫の妊娠を見て、「明日や明後日のことさえ考えたくない。未来なんてなければいい。(22P)」という生殖嫌悪の描写がある。いつまでもこのままで閉じこもること、への志向は吉川作とも通じており、百合的なものの特質の一つだろうか。
秦乃実冴羅「十一月に彼女は」柊織る子さんの別名義。読んでみて、「水琴窟の夜」の二人の過去エピソードだと分かった。夜、のほうではバーの名前が開店したのがハロウィンだったから「バー・ランタン」という店名にした、というくだりがあり、開店してから店名を決めるなんて妙だな、と思ったら今作でのエピソードを踏まえた命名だと分かるようになっており驚いた(つまり、「水琴窟の夜」での由来はごまかし)。ハロウィンを最後に別れた二人が、バー・ランタンで再会する、という関係になっている。これの本篇もある模様。
百合っていうとだいたいアニメか漫画のしか見てなかったので、こういう百合小説を読んだのは初めて(かな)だったけれど、非常に面白かった。まあライトな作品だと生殖嫌悪はあんまり書き込まないよなあ、と。これを読むと、少女にとって大人になる、ということは大人にさせられる、子を産み育てる母にさせられる、という含意があり、百合はその抵抗としても読める面があることがわかる。ただ、社会構造への抵抗としてのみ読むのもダメだろう。社会的抑圧がなければ百合は不要なのか、ということになるから。

慈安寺ウネ「belzebl」


これは「cenotaph」で見た、氏のいつもの(?)作風炸裂、という作品。ベルゼブルといった超自然的存在が出てくるばかりか、書き手や編集者的な存在が記述に括弧を挾んでいろいろものを言ってくるメタフィクション手法を縦横に用いたメタ幻想文学BLという実験作。凄いわこれ、と思うけれど、どう感想書いたらいいのか。あとページ数表記は欲しい。

大谷津竜介、磯崎愛、甘いぞ甘えび「百年冷蔵庫」


冷蔵庫発明百年を記念したアンソロジーで、1914、2014両年と、超自然要素を条件に書かれた短篇を収める。
大谷津竜介「これじゃない」冷蔵庫発明の技術的障壁を解決すると称する怪しい人間が現われて、という話。アイデアストーリー的な作品。
磯崎愛「あやとりゆめむすび」作者の趣味なのか、着物や養蚕の細かな描写が読み応えのある作品。冷蔵庫は電気ではない風穴、という結構範囲外の和風の設定で通すところが強引で面白い。
甘いぞ甘えび「割れた短刀」祖国を離れた魔女の元に壊れたものを直して欲しいという依頼が来て、という話。時代設定上そうなるのだけれど、第一次世界大戦が目前に迫る中での話になっている。
テーマが限定的すぎて最初の作品を読んでいる段階で後の作品はどうなるかと思ったら、風穴というギリギリなアイデアなどもあり、案外とばらけていてなんとかなった感。同人らしい面白い企画本。

磯崎愛「素描 触れ合わぬ手 唐草銀河vol1」


磯崎さんの個人誌。作者が敬愛するというボッティチェリについて書かれた作品で、彼の人生の一場面を芸術についての対話を交えながら描写する。ルネサンスの人物にはとんと造詣がないのでわからないのだけれど、ちょいちょい著名な人物を交えながら作者の素養が窺える丁寧さで描いている。

三宅誰男「亜人


これは確か渡邊さんが推していたのだけれど、市販のものではないのでどうしようか、と思っていたらフリマ会場で布教用に持っていたものを慈安寺ウネさんにもらった。渡邊さん、慈安寺さんが推すというから、どんなもんかと思ったら、これがさすがの作品で、重厚な文体である国の滅亡を語る堂々たる幻想文学。手が込んだ密度のある文体で語られていて、非常に読ませる。聞けば、文学新人賞に落選した作品だという。まあ、確かにジャンルファンタジーとしては文が重すぎ、純文学にしても話がファンタジーっぽすぎる、というジャンルの狭間に落ち込んでしまった作品にも見える。読書メーターではムージルの文体だ、という指摘があったけれども、ムージルは古井訳をずいぶんまえに読んだだけで全然覚えてないのでわからない。ただ、サエール『孤児』をちょっと思い出した。これは良かったですね、慈安寺さんありがとう。

「絶対移動中vol16 小説を書くコトについて」」


伊藤鳥子さんのサークルの同人誌。200ページ近い厚みがあり、遊び紙なんかがついている立派な作り。その上、組版が凝っていて羨ましい限り。inDesignすげーなーってなる。全体的にある程度以上読ませる作品が載っている印象で、個人的には、自作の創作過程をポップにメタフィクション化した伊藤鳥子「ボツ稿ちゃん」と、音楽家ネタを情報量多めで描く有村行人「蛮勇の覚醒」がいい。伊藤さんのは、「ぼくとふたりの奇妙な関係」の裏話なんだけれど、全体に無駄なく整理されていて素直に上手く、ポップで面白い。テーマにも正面から答えている。有村さんのはクラシック指揮者とライターを主要人物に、音楽知識の蘊蓄が濃く書き込まれていて、曲は分からなくてもそれだけで結構面白く読んでしまえる。まあ小説は書いてないけど。あとは、組版協力の志方尊志「まだ「小説を書くコト」は終わっていないかも知れない.indd」は、拡張子通りに、indesignでの組版の遊びを実地で再現しながら書かれている文章・組版のコラボレーションエッセイ。おれもこんなんやりたいわー。しかし、フォントって高い。

「戦前『科学画報』小説傑作選」噴飯文庫


戦前の雑誌『科学画報』に載ったSF小説を発掘するシリーズとして開始されたもの。小栗虫太郎精読サークルが、その小栗調査の副産物として見つけ収集しているものからの復刻で、非常に貴重な試みかと思われる。私自身は戦前SFの様相というのは全然知らないのだけれど、こう、いかにも古い時代性を感じさせる「科学小説」がなかなか興味深くて、楽しく読んだ。北海道生まれの歌人小関茂の散文詩作品や、新感覚派中河与一のモダンな恋愛小説など、文学史の逸話としても面白い。海野十三こと佐野昌一の小品や、星新一の父星一の星製薬工場見学の文章も。噴飯文庫、とあるように出来の良いものを選ぶ、というよりは珍品を選んでいるのかな。第二弾もすでに出ている。