後藤明生再読 - 短篇「人間の病気」

「人間はみな同じなんです、だから、人生に笑えない事実なんてなにひとつ存在しやしないんですよ」127P

前にモードを変えて書けるうちに記事を書くと書いたけれども、また状況が変わったので、たぶんかなりこのブログの更新頻度を落とすことになります。思い出したように記事を書くかもとは思いますけど、少なくなる予定。

ということで、これはやっておかないとな、という後藤明生再読企画。今回は初期短篇「人間の病気」。電子書籍版の説明にあるように、「文學界」1967年3月発表。『笑い地獄』やその文庫版、『筑摩現代文学大系96巻』などに収録されている。

文壇デビュー作?

今回読んだのは「関係」を加えて、単行本では発表逆順だったのを、発表順にした文庫版『笑い地獄』収録のもの。いちおう単行本と見比べてみると、一行目の「大学病院」が「国立大学病院」に変わっているのを見つけたので、いくらか手が入っているかも知れない。

また、この作品は、「離れざる顔」が文學界の同人雑誌推薦作として転載された後に発表されており、おそらくは有名どころの文芸誌からはじめて注文を受けて書かれた作品ではないかと思われる。いわば文壇デビュー作の意識で書かれた、かも知れない。55年の「赤と黒の記憶」、59年の「異邦人」、62年の「関係」と懸賞小説で商業媒体に載った作品はいくつもあるとはいえ、散発的で後に続かなかった後藤が、これ以降は継続的に小説を発表するようになった作品でもある。

ただし、同人誌を含めると、後藤が継続的にまとまった小説を書き出したのは、団地小説の嚆矢とされる「もうひとつの部屋」が「犀」に掲載された66年以降ということになるだろう。そして、68年三月に平凡出版を退社して作家専業となっている。「人間の病気」が芥川賞候補になり、「無名中尉の息子」を書いてからのことだ。

時系列は創作年譜を参照。
後藤明生創作年譜

排除と包摂のロジック

というわけで重要な時期の作品だけれども、結構意外なことに、かなり政治的な題材が多い作品だ。雑誌編集部の人間関係が大きな舞台になっているのだけれど、話題は共産党のことだ。編集部の嘱託で、党員倉田が精神的な病気ではないか、というのが大筋の話になっており、後藤作品でここまで政治色が強いのは珍しい。

そして、「クラさん」こと倉田が次第におかしくなっていく様子を描きながら、同時にここで描かれているのは「党の論理」だ。「クラさんはともかくもコムニストであるという理由によって、病人ではあり得なかった」という当初の判断は、のちにこう変わっていく。

つまり、共産主義者であると同時に精神病患者であるという倉田は、佐藤の方程式では存在として成り立たないのであるから、ガガーリン肖像事件、サンドイッチマン事件などによってもはや倉田が異常であることを認めざるを得なくなった以上、倉田は自動的に共産主義者ではあり得なくなるはずである。152P

また、倉田はある小説を書いており、それには酔って電車の踏切から進入した結果、電車を急停止させてしまい逮捕されたある党員が、釈放された後に共産党に「精神分裂症」だとして非難され追放された過去の事件について、その理不尽を究明し抗議した件についての経緯が書かれていた。

ここで、過去において共産党が、排除の名分として「精神分裂症」を都合良く使っていたことが明らかにされており、それを「精神分裂症」と診断された倉田が書いていたという二重構造が仕組まれている。「分裂症」なるものの信憑性が微妙に揺らがせられているのがわかる。「分裂症」とは作中にもあるように、自分はそれを正常だと思っているという、病識のない精神疾患で、正常と異常の反転しかねない危うさが導入されているように読める。

ここで描かれているのはひとえに共産党の論理だけではなく、組織の論理として「わたし」が所属する編集部の微妙な人間関係にも陰影を与える。有名大学を卒業して出版社に入ったデスクの「インテリ田中」と、学校を中退し不安定な職業を渡り歩いてきた佐藤とで、田中が佐藤を恐れている、という関係などの描写は「関係」の作者らしい分析で、それだけではなく、デスク田中は、佐藤や倉田といった嘱託編集部員を正社員化させることに遅れ続けているという状況が示される。

この正社員化交渉において、倉田の発病が佐藤の強い武器となっていると「わたし」の友人は言う。倉田が発病する前に正社員化しておれば、入院後の復職までの生活の保障ができたのに、と田中に言って弱みを突きながら、いざ正社員化に成功すれば、組合結成へと動くことになり、その場合「清く正しく美しくなきゃいけない」共産党としては、秘密保持やらなんやらで「キチガイ」を追い出す必要がある、と倉田を体よく追い出すために、佐藤いまになって倉田の病院行きを支持した、とその友人は主張する。

そして倉田は「分裂症」と診断され入院することになる。この、排除と包摂の組織の論理、倉田を排除することで佐藤たちは編集部に正式に所属する、というアイロニカルな構図が、すなわち「人間の病気」ということだろう。「病気の人間」ではなく「人間の病気」たる所以だ。ちなみに、冒頭に引いたセリフは倉田のものだ。

政治的含意

しかし、初めて文學界に小説を書く、という段階で、なぜこのような政治的、共産党批判ともとれる作品が書かれたのか。ちょっと不思議だし、渡部直己芳川泰久の68年を大きなメルクマールとする後藤論においても、この作品はほとんど扱われていない。もちろんそれらの論考は直接政治的でないラディカルさとして後藤を論じるわけで、この普通に共産党が出てくる作品の政治性は論旨から外れてしまうけれども。後藤は政治的スタンスを明確にする作家ではなかったけれども、この組織のロジックになにがしかの興味をひかれたのだろうか。

やや面白いな、と思うのは満州育ちで同じく引き揚げ組でもある安部公房が出てくるところだ。医学部学生時代に安部公房が、友人に精神病を疑われて病院に連れ込まれたら、連れて行った方がノイローゼだと診断された、という安部らしいエピソードで、またこれを喋っているのは当の病院に連れて行かれている最中の倉田だったりするから笑ってしまう。

ここで安部公房が出てくるのは別の意味でも興味深い。安部自身が共産党に抗議して除名されているからだ。1961年、日本共産党第八回党大会での綱領の決定において新日本文学会の党員グループが連名で意見書を提出し、共産党がそれらの作家を除名にした事件だ。安部公房全集の該当する時期の巻にもこの意見書は載っておらず、どういう議論の流れでこうなったのかはいまいちわからないけれども、佐藤らから排除されるのではないかと噂されている倉田が、安部公房のエピソードを持ち出すことの含意は、なかなかに暗示的に思える。

とはいえ、1967年において、この小説がどういう流れにおかれることになるのかは、ちょっと私にはわらないところが多すぎる。スガ秀実に聞いてみたいくらいだ。