トーマス・ベルンハルト『地下 ある逃亡』

地下―ある逃亡

地下―ある逃亡

オーストリアの作家ベルンハルトの自伝五部作の二作目。邦訳としては三作目になる。耐えがたいギムナジウムを抜けだし、「反対方向」にあるザルツブルクの汚点と呼ばれた貧困層の暮らすシェルツハウザーフェルト団地の食料品店で働いたことを回想しながら、家という地獄から団地の辺獄を経て、音楽へと幸福を見出す過程が描かれている、ととりあえずは言える。

教育制度への痛罵が書きつけられた前作『原因』のあと、ギムナジウムを抜け出し、地下食料品店で働きはじめたことを描いた本作では、むしろこの貧困層の集まる地域、職業安定所の職員が顔をしかめるシェルツハウザーフェルト団地にこそ、自分の居場所があると語り手は感じていて、働くことで役に立つということを強調している。

この地下食料品店にあるものすべて、この地下食料品店にかかわるものすべてが魅力的だっただけでなく、それらは私が属すべきところ、切望するものだった。自分はこの地下の人間であり、この人たちの仲間なのだと感じた。だが、学校という世界に属していると感じたことは一度もなかった。20P

家やギムナジウムでの人付き合いの困難さに対して、シェルツハウザーフェルト団地ではまったく困難を感じず、役に立ちたい、仕事をしたいと語り手はこの仕事に馴染んでいく。汚点とみなされ、忘れられ、否定された場所だからこそ、シェルツハウザーフェルト団地という名を語り手は繰り返し繰り返し書きつける。この長い名前を省くことなく、つねに「シェルツハウザーフェルト団地」と書きつけ、何度も重ね塗りしたせいでそこだけ毛羽だった手触りを感じさせるようにこの名を塗りたくる。貧困にあえぐ人々や、戦争のことを語る人々、手足を失い戦争のことを語らない人々の姿が折に触れ書きつけられ、店で働くなかでそういう人と出会い、そうした名前が後に新聞で事件や死亡記事として現われることもまた書きつけられる。出会った人々の名前を忘れていないということだ。

シェルツハウザーフェルト団地や地下で自分の居場所を見出したのとともに、ここで語り手は店主ポドラハという重要な「師範」にも出会っている。

祖父は私に、ひとりでいること、ただ自分のために存在することを教えてくれたが、ポドラハは、人と一緒にいること、しかも多くの、実にさまざまな人間と一緒にいることを教えてくれた。祖父のもとで私は哲学の学校に行った。人生の早い時期だったから、それは理想的なことだった。シェルツハウザーフェルト団地のポドラハのもとで私は、もっとも現実らしい現実の中へ、絶対的現実の中へと入っていった。早い時期にこの二つの学校で学んだことで、私の人生は決定づけられた。そして一方がもう一方を補うことによって、この二つの学校は今に至るまで私の成長の基礎をなしているのだ。54P

祖父と地下食料品店店主ポドラハという二人の教師から学び、家から地下の仕事を経て、そこで稼いだお金でプファイファー通りにある音楽家夫妻の家で音楽を学ぶことができるようになる。家の人間からの妨害に負けずに、自分の目指すところへ自ら進むための重要な場所として地下がある。

音楽と、終盤にある自分が演じられた存在でもあって「自然とは劇場」だという認識は劇作家としての後の経歴とも関係するだろうけれども、同時に序盤に置かれている「真実を伝えようとすると、どうしても嘘つきになる」、という認識とも繋がっているように見える。

私たちが知っている真実とは必然的に嘘であり、この嘘は、避けて通ることができないがゆえに真実なのだ。ここに書いたことは真実であるが、真実ではありえないがゆえに真実ではない。
中略
肝心なのは、嘘をつこうとするか、それとも、それが決して真実ではありえず、決して真実ではないとしても、真実を言おうと、真実を書こうとするのか、ということなのだ。私はこれまでずっと、いつも真実を言おうとしてきた。今ではそれが嘘だったということがわかっているけれども。結局肝心なのは、嘘の真実内容なのだ。36P(傍点を強調に)

書くことは生きるために欠くことができないという語り手が「真実として伝えられた嘘」しか書くことができないとしても書き続ける、というこの自己矛盾的な書くことや言葉への疑いが語りの基点にある。ここに、作家誕生までの物語と同時に小説という形式への態度が現われる、自伝的小説らしさがある。

改行が一回しかない延々たる語りで、序盤と終盤で似たようなことを語るんだけど、そこで最初は良いことしかなかったと言っていた仕事のマイナス面についても語っていたり、螺旋的な進行をしているところがある。『原因』よりはずっと、幸福な面を語っているような印象があり、祖父だけではない先達を見出して相対化し、そして語り手の世界もずっと広がっていく。


翻訳では自伝五部作の順序を変えて、幼少期の第五作目から刊行しているので本作は五部作の二作目だけど、翻訳としては三作目になる。
closetothewall.hatenablog.com
closetothewall.hatenablog.com