中世と戦前の宗教

積んであった山川のリブレットを復習予習がてらざっと読んでみた。

末木文美士「中世の神と仏」

中世の神と仏 (日本史リブレット)

中世の神と仏 (日本史リブレット)

「日本宗教史」や「日本仏教史」の末木氏のこの本では、中世の神仏習合のありかたを伊勢、両部、山王などの神道説を具体的に例示しながら、神道は当初明確な形を取っていたわけではなく、仏教とのかかわり合いのなかでその形を明確にしていったありさまなど、神道と仏教とが、どのようなかかわり方をしてきたのかを扱っている。

神仏習合だけではなく、神道の神神習合や、仏こそが神の垂迹であるという逆神仏習合説などや、神道と仏教とで互いを否定するのではなく、分担を明確化する神仏隔離という形もあったことなど(結婚式の神道、葬式の仏教、みたいな)、最新の知見を導入しつつ、コンパクトにまとめていてわかりやすい。

最新の研究を盛り込んだものとしては、佐藤弘夫の「『神国』日本」や山本ひろ子「中世神話」などが面白い。

小澤浩「民衆宗教と国家神道

民衆宗教と国家神道 (日本史リブレット)

民衆宗教と国家神道 (日本史リブレット)

で、小澤氏のこれは戦前の宗教団体の動向を、天理教金光教大本教などの民衆宗教と、国家神道とのかかわりに重点を置いて描き出したもので、国家神道の形成過程と民衆宗教の勃興過程とを重ね合わせていて、コンパクトながら手軽に全体の動向を把握することができ、なかなか良かった。

民衆宗教も国家神道もともに、「生き神」「現人神」と生きている人を神に祀るという点でつながっていて、他方で「生き神」が民衆の自己解放、救済への道を作ったのに対し、「現人神」は国家の権力を一身に集める抑圧装置として機能した。

このような視点から、戦前期の民衆宗教の大きな盛り上がりと、国家神道の形成、神社合祀などの国家による宗教管理の強まりとが衝突し、民衆宗教への弾圧が強まり、いくつかの民衆宗教が国家と寄り添い教義を犠牲にしていく様が描かれていく。

天理教金光教大本教などについて、教団の立ち上がりや組織構造、有力信者や内部分裂の過程なども書かれていて、これらの民衆宗教についてのおおまかな把握が得られるのもありがたい。

村上重良の「国家神道と民衆宗教」国家神道と民衆宗教 (歴史文化セレクション)(タイトルそっくり)や安丸良夫の「日本の近代化と民衆思想」日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)などが積みっぱなしだから、そっちも読まなきゃなあと思っているのだけれど、なにぶん厚くて。

で、これを読んでいてそういえばと思い出したのだけれど、笙野頼子の「だいにっほん、おんたこめいわく史」だいにっほん、おんたこめいわく史シリーズって明らかにこの時期の宗教弾圧事件を下敷きにしてる話だなと。もちろん、現代の問題意識に基づいた未来の話として書かれているので、歴史小説ではないんだけれど、かなり意識してるだろうと。神懸かりになり自分を金毘羅で如来様が遣わしたのだと言い出した如来教のきのとか、作中にも出てきた「ぞよ」という語尾の文体とかって、大本出口なおの「筆先」そっくりで、これはたぶん意識してやってるのかなと思う。

この時期の民衆宗教の特色として指摘されているのは、教祖に女性が多いことだ。それも、窮乏にあえいで何人もの子供を苦労して育てたり、嫁ぎ先で不遇な目にあったりと、人生の辛酸をこれでもかと味わった経歴を持っていたりする。いわば社会的矛盾の集中するところに当時の女性は立たされていたのだろう。そうした人たちが、いわゆる世直しの契機として、新しく宗教を立ち上げる。そこで宣される生きている限り人々は皆神であるという認識は、不平等に対する根底的な抗争を仕掛けるものだ。だからこそ激しい弾圧に遭うことにもなる。

その民衆宗教も今現在、大きく形を変えていろいろ問題を起こしているようだが。