うんざりするほど卑怯者

見出しは本音です。
なぜニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られるのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
はやく、「ニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られる」という事実を具体的な事例に基づいてあげてください。でなければ、あなたはただのデマゴーグです。自分を攻撃する人を、「ヘン」だと見られているということにしたいという欲望にしか見えませんが。

OK、この人には、誠実に議論をしようと言う気が完全にゼロだっていうことがハッキリしたよね。俺は正面から具体的に疑問、批判を提示しているのに、反論をしないで抽象的な一般論にすり替えてメタ議論を展開して優位に立とうって訳だよね。

どんどんメタ議論に持ち込んでいって、自分に向けられた批判や疑問をすべてスルーし、自分を批判するものの方が「ヘン」であるという印象を既成事実化しようとするやり口が本当に得意だなあ、こいつは。buyobuyoさんのブクマに難癖つけたときもそうだし、自分が参加していた掲示板から撤退するときもそう。特に、掲示板では自分を何度も「頭が悪い」と難じたabesinzouさんと普通に応答していたくせに、永井さんが出てきたとたんに「君」とか「こんな奴」程度の雑な物言いのせいにしてスタコラ退却したを正当化しようとしたのは笑えたよ。

挙げ句、私を含むだろう歴史修正主義批判論者を一緒くたに「左寄り的イデオロギーを丸出し」とレッテル貼り(あのリングには右翼を自認する人もいるけど)。そうして、自分に向けられた批判を、ただのイデオロギー対立の「どっちもどっち」に持ち込もうとするわけだ。何も具体的なテキストを引用するわけでもなく、誰がそうだと名指しするわけでもなく。反論されないために。

ほんと、うんざりするほど卑怯者だな、おい。俺は本当にむかついているよ。


さて、正直に言うと歴史修正主義者、というのは私にとっては非常に譲歩した、というか相手の知性を尊重した呼び方なんですよね。もっと直截な言い方があるんですけど、中傷とかになってしまいますから、丁重にオブラートにくるんだ形で、歴史修正主義者、とまあ、呼んでいるわけです。

私が歴史修正主義者という言葉を使うときの定義は前回手法と目的のレベルに分けて明示しました。学問的手続き(先行研究や科学ならばデータ、歴史学ならば史料、証言)を無視した主張を展開すること、これはニセ科学と同様だと。そしてその主張が戦争責任の矮小化等を目指したものを歴史修正主義だと私は考えている、と。

でも、私のid:lovelovedog批判の主題は一貫して、学問的手続き、論理的思考にかんする話で、イデオロギーについては傍論であって、本来はなくてもいい。私の問題にしたのは、「歴史学者の議論をその裏付けが自分の調べた範囲で見つけられなかったことを根拠に勘違いだろうと判断する」という、その思考の短絡さ、バカらしさなわけです。

自分で探した範囲で裏付けがどうもないからという理由で専門家の記述が勘違いだと判断する、っていうのはどういう思考回路だと可能になるのかさっぱりわからない。何も調べないよりはもちろん少しは調べた方がましだが、その程度を自覚できないのならどう調べたところでその調べた結果を生かすことなどできないだろう。

この人は特に沖縄戦にかんする知識もなく、当時の行政にかんする知識もないのを認めながら、沖縄の大学で教えている沖縄戦の専門家の沖縄戦についての論述を、自分の調べものの結果、勘違いだと判断したことになる。調べた範囲に応じて、その調査結果から言えることというのは決まってくるはずだけれど、明らかにそれを逸脱した物言いをしている。
歴史修正主義の手法 - 歴史学者の議論をその裏付けが自分の調べた範囲で見つけられなかったことを根拠に勘違いだろうと判断する人物 - Close to the Wall

本題は上記部分に尽きる。

私は一月のfromdusktildawn氏の時やlovelovedog批判でも、歴史修正主義批判において、基本的には学問的手続きを無視して論を展開することを批判してきたつもりだ。歴史認識はきわめて政治的な話題になるし、認識を議論するのは非常に面倒だから、私は基本的にそこまで踏み込みたくない。でも、学問的手続きに従うか否かについては解釈の問題でもないし議論が分かれる議題でもない。ごく基本的なルールだ。これに関しては前回も参照したが、以下の記事をどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama-hazama/20080329/1206773121
ここでは直接イデオロギーを問題にする必要はない。

私の記事では歴史認識といったイデオロギー問題以前の、まともに考えるなら、こうなるはずだ、ということを延々書いている。

今回は、沖縄戦にも当時の軍事にも詳しくない人間が、あまたの証言、史料を精査してきただろう専門家の論述を、自分の調べた書物や、適当にGoogle検索してみた程度の手間でお手軽に否定する。言ってみれば、この人物は自分の無知を根拠に専門家の議論を否定して見せたわけだ。専門家の議論を尊重しろ、と掲示板では何度も批判されているのは、専門家の権威に従えというのではなく、専門家というのはその筋の研究、史料などについて一般人よりはるかに詳しく、その論述には明示された以上のバックボーンがあるからだと一般に認識されているからだ。

もちろん専門家にだって勘違いなどはあり得る。しかし、歴史学者の議論をその裏付けが自分の調べた範囲で見つけられなかったことを根拠に勘違いだろうと判断する人物が、それを勘違いだと判断した基準はきわめて狭く、兵事主任の仕事についてなにか積極的に安仁屋氏の論述を否定できる証拠を見つけたわけではない。安仁屋氏が何を根拠にそう記述したのかもわかっていないのに否定している。では誰が軍と住民との連絡役をしていたのかということにも答えられていない。きわめて些細な根拠から、沖縄戦の議論における重要な問題を一足飛びに否定してみせる
歴史修正主義の手法 - 歴史学者の議論をその裏付けが自分の調べた範囲で見つけられなかったことを根拠に勘違いだろうと判断する人物 - Close to the Wall

と、どういう風に根拠を用いて議論を行うか、という原則論を展開しているのであって、これはまともに考えれば誰にでも共有可能なはずだ。私の歴史修正主義へのいらだちのいったんはこうした卑怯な誤魔化しを用いた議論の展開にもある。

この私の議論を、イデオロギー丸出しだと難じるのだとすれば、lovelovedogはそうとう奇妙なイデオロギー観をしていると言わざるを得ない。学問的手続きや論理的思考そのものを忌避しているということになるからだ。

ネットにないから(あるのに)といって兵事主任という言葉が安仁屋氏関係者しか使わない言葉だろう、とか、ネットで具体例がないからといって兵事主任が軍命を伝える役割というのは安仁屋氏の勘違いだろうなどと判断してしまうというあり得ない論理の飛躍、学問的手続きへの軽視などが可能になるには、そこにイデオロギー的欲望がなければヘンだ、というのが私の感覚だ。

だって、そうでもなければただのバカってことですからね。バカじゃないなら歴史修正主義者が、自分の言っていることがおかしいとは思うけれど、通説への疑念をふりまいておこうとして、わざとやっていることだと解釈するしかないじゃないですか。

私は、相手がそこまでバカだとは思いたくないし、ブログをざっと見る限り御仁がそこまで知性を欠いているとも考えられないと。だから、まさかバカではないだろうと思って、歴史修正主義者と呼んだわけです。でもどうやら歴史修正主義者と呼ばれるのはお嫌らしい。けどアレは本当は作為的なんでしょ? だから専門家の永井さんが出てきたときには自分の主張が完膚無きまでに切り捨てられてしまうことがわかっているから、掲示板から撤退したんでしょ? とそういう風に考えたわけですよ。

でも、もういいかな、と思います。

歴史修正主義者だなんて上品に過ぎる。lovelovedogはただのバカで嘘つきでうんざりするほど卑怯者ってことでいいんでしょ? 俺は前からそう思っていたけど*1、それを読者みんなに周知徹底したいんでしょ?

どうぞどうぞ。卑怯者で頭の悪いlovelovedog君、ブクマを見る限りはその目的はある程度は達成されているようだよ。お祝いをしてあげよう!


で、この記事の悪口について被害者気取りの記事を書く、に30ブクマ、卑怯者をキーワード登録する、に20ブクマ、私の他の記事から突っ込みどころを探して来る、に10ブクマかな? 他にも予想してみよう!


あと、これまでの議論を歴史認識だとか解釈だとか思ってる連中はちゃんと議論を追ってからモノを言うように。それ以前の話だから。